第6話 初仕事
衝撃の放課後を過ごしたのは幸いにも金曜日で、実際にちゃんと動けるようになったのは二日後の日曜日で、まさか休日を丸々先生の家で過ごす羽目になると誰が思うよ。
先生の説明によると、この体の痛みは纏? とかいうのを知らず知らずのうちに使っていたせいで、その力は繰り返し使うことによって体が慣れていくらしい。とはいえ、誰もその化物退治に付き合うとは一言も言っていないのだが。
「…………はぁ」
今日も今日とて、俺の周りに人はいない。
別にそのこと自体はいつものことで構わないのだが――問題はこれまで見えていなかったモノが見えていることだ。あの時に見たゴキとも違う。宙を舞う極小さな化物は無害なようで、まるで埃のように漂っているが非常に目障りだ。八重桜先生や九条にも見えているらしいが、昔から見えていたので特に気にならないらしい。
だとすると、突然見えるようになった俺の変化はなんなんだ?
先生曰く――
「元から見えていたはずだが、茉莉花と一緒に居たことで影響されて覚醒したんだろうな」
ということらしい。
いや、だとしても腑に落ちない。九条だけではなく八重桜先生だって見えているのなら、その周りにいる人たち、つまり仲の良い人なんかも見えるようになっていなければ……いや、片や理系の申し子で、片や先生の中でも近寄り難いタイプの美人だ。性格までは知らないが、仲の良い相手などいないのか。
俺も人のことは言えないわけだが……なるほど。これが先生の言うところの性格に難があるってことか。
「……そろそろ行くか」
いつまでも放課後の教室に残っていても仕方がない。
向かうのは部活棟の一番端に位置する第三化学室。よもや、またここを訪れることになろうとは。
二度、ノックをしたが返事が無く確認のためドアに手を掛けると、なんの抵抗もなく開いた。
「あら、来たのね」
そこには先週と同じように血液の入った試験管を持つ九条の姿があった。
「まぁ、一応な。何故だか、俺も放課後はここにいなきゃらならなくなっちまったらしいし」
言いながら、近くにあった椅子に腰掛けた。
本来ならば、いつも通りにさっさと家に帰るところだが、早朝から先生に呼び出しを食らって放課後は下校時間までここで九条と共に過ごすよう伝えられた。もちろん拒否もしたが、相手は八重桜先生だ。言葉で説き伏せるのは不可能に近く、結局はその圧に負けて今の現状がある。
「嫌々なら別に来なくても構わないけれど」
「同感だ。だが、問題はお前じゃなくて先生なんでな。俺だって従いたくはないが……アレだぞ?」
「……ええ、アレね」
思いがけぬところで意思疎通が取れてよかった。
とはいえ、実際問題、俺がここに来たところで意味はない。自らの血液を調べている九条の手伝いができるわけではないし、そもそも興味がない。加えて、化物退治の仕事に付き合う気もさらさら無い。またあの痛みに襲われるかと思うと堪ったものではないからな。
それに、最初に力を使った時に意識していなかったせいなのか、力の出し方がわからない。慣れと練習あるのみ、と言われたが……どうだかな。当の本人に訊くのが一番早い。
「なぁ、九条。お前はその力をいつから使えたんだ?」
問い掛けると、目を見開いてわかりやすく驚いていたが、自分の中で言葉を反芻して理解できたのか試験管を置いて思い出すように首を傾げた。
「そうね……物心が付いた頃にはすでに使えていたかしら。けれど、それはあくまでも使えていただけであって、使いこなしていたわけではない」
「今も、か?」
「……まぁ、否定はできないわ」
つまるところは突然変異みたいなものか。隔世遺伝? 今となっては知る術もない。
「どうして俺なんだ? お前や八重桜先生のように特殊な一族に生まれたわけでもないのに」
「何か勘違いしているようだけれど、私も澪ちゃんも一族の血を引いているとかじゃないわよ?」
「……どういうことだ?」
「大体の想像はついているくせに訊くのね。つまり、養子ってことよ。九条や八重桜だけではなく、一から九のどの家にも結婚して子供を作るという過程は無い。養子を取って一族を存続させていくだけだから、私たちにとっての苗字は記号みたいなものね。強いて共通する点があるとすれば――引き取られる養子は、全て幼い頃に両親を亡くしている、ということくらいかしら。もしかして、あなたもそうなの?」
「あ~……似たようなもんだな」
「そう。なら、あなたに力があってもおかしくないかもしれないわね」
仮に境遇が同じだったとしても決して分かり合えることはないだろう。
纏と呼ばれる能力に、化物と呼ばれるモンスター――そして、俺。
本来ならば交わるはずのないものが、交わり混ざり掻き回されている。基本的に面倒臭がりの人間にとって、今の状況は非常によろしくない。底無し沼に足を突っ込んだ様な感覚だ。誰かの手を借りなければ抜け出すことはできないが、残念ながら俺には手を貸してくれるような相手はいない。
「そういえば一から九まで化物退治の専門家がいて、依頼の取り合いになったりしないのか? この間の仕事だけで百万以上稼いでるんだから、命が賭かっているといってもやりたがる奴はいるだろう?」
「それぞれの担当地区があるのよ。関東の中心部は九条と八重桜が、それ以外の関東を七、他の一から六も日本全国に拠点を置いて化物退治をしているわ。というか、クズくん。あなた関わり合いたくないと言う割にはいろいろと訊いてくるわね。それも答えが想像できるような質問ばかり。別に話題が無いのならわざわざ会話をしなくてもいいのよ?」
「そういうわけでもないんだがな」
関わり合いになりたくないことと、興味が無いことと、語られたことの整合性を確かめることはイコールではない。例えるなら謎解きは好きだが、その先にある宝には興味がない、みたいなことだ。
それに、俺の体にある力の意味がわかっていないのも気持ちが悪いしな。
「わからないのは先生は俺をどうしたいのか、ってことだ。力を持っているのは、その、なんだ? 一から九の――面倒だな。何か総称は無いのか?」
「地下十家」
「その地下十家……十? いや、まぁいいか。力を持っているのは地下十家の連中なんだろ? じゃあ、俺をその十家の一員にしたいのか? それとも何か違う目的が? 何か聞いてないのか?」
「澪ちゃんが何を考えているかなんてわかるはずがないでしょう。理解できないのがデフォルトのような人なのだから」
身内からここまで言われる先生も大概だな。
しかし、目的がわからないことにはどうしようもない。もし俺が生まれついて謎の力に困っているとか、今ある戦力では勝てない化物がいる、とかならまだわからなくもないが、話を聞いている限りそれは無い。もしかしたら、単に友人のいない二人を引き会わせたかっただけなのかもしれないが、だとしたら何故だか癪に触るな。
悶々とイライラを募らせていると、不意に携帯のバイブが鳴り響いた。俺のじゃない。そもそも相手がいない。
携帯の画面を見た九条は、頭を押さえながら首を横に振った。
「……はぁ。仕事の依頼が入ったわ」
「いつだ?」
「今日よ」
だから、呆れたように溜め息を吐いたわけか。
「なら、俺は帰るとするよ。邪魔するのも悪いだろうからな」
「待ちなさい」
化学室から出て行こうとする俺を止めた九条と、同時に溜め息が出た。
俺のほうは嫌な予感を覚えての溜め息だが、九条のほうはその嫌なことを知った上での溜め息だ。
「……なんだよ?」
「この仕事依頼にはあなたも同行するように、と上からのお達しよ」
「上って?」
「政府機関」
だろうな。今や俺の安息の地はどこにも無いわけだ。
諦めやら怒りやらの感情がまとめて溜め息として出ると、こちらが何を思っているのか察したのか九条も小さく息を吐いた。
「仕方が無いでしょう。地下十家以外で力を持つ者がいれば報告する。そういう決まりなのよ」
「何も言ってねぇだろ。その依頼を拒否することはできないのか?」
「可能ではあるけれど、その後にどうなるのか保証はないわ」
「ねぇのかよ……」
面倒なことになる前に、面倒事を潰しておくべきか? いや、しかし化物関係というか九条や八重桜先生などの特殊な事情に関わるのは出来るだけ避けたい。何故なら絶対に面倒な上に厄介なことになるからだ――が、選択肢が行くか行かないかしか無いのなら、ここは行くを選んで何もしない、というのが最適解だろう。
「それで、どうするつもり?」
「……行くよ。行きゃあいいんだろ」
「あら、意外ね。てっきり絶対に行かないものと思っていたのだけれど」
「はっは、同感だよ」
だが、特別何かが変わったわけではない。強いて言うのなら、多少は合理的になったというべきかな。理由は簡単だ。意味がわからない、訳のわからない状況に身を置いている反動だ。
「そう。じゃあ早速向かうわよ。どうやら急を要するらしいわ」
「初仕事にしてはどうにも条件が悪そうだな。場所は?」
「最寄りから三駅。……行けばわかる」
詳しい説明が無いってことは、余程簡単なのか余程難関なのかのどちらかだ。加えて急を要するということは――想像するまでもない。
これじゃあ、どこぞの少年探偵のような巻き込まれ体質だ。年に何回事件に遭遇してるんだ、ってレベルの厄介な奴だ。それならせめてラブコメ的なハプニング体質のほうがまだマシだろう。そうなると相手は……いや、無理だ。
やっぱり俺は、平穏がいい。
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