第5話 巻き込まれる

 嫌な感覚だ。


 尋常ではないほどに体が怠くて、指先を動かすだけで全身の骨が軋むような音が鳴る。


「っ……ん」


 瞼を開けば、そこがベッドの上だということには気が付いていたが視界の中に広がっていたのは我が家の天井では無かった。


 動かない体のまま視線だけで周囲を見回せば、どうやらここは誰かの家の寝室のようだ。テレビも無く、置いてあるのは椅子だけで、その椅子には本を読む九条が――


「九条!? いっ、つ……」


 突然のことで状況を把握できずに飛び起きると、その途端に全身に痛みが走り抜けた。


「あら、起きたのね。ちょっと待っていなさい。澪ちゃんを呼んでくるから」


 そう言って立ち上がる九条の背を見送りながら、浮かんだ疑問符の処理に困っていた。


 つまり、ここは九条か八重桜先生の家で、どちらかのベッドということだ。いや、別にだからどうということはないのだが、しかし、健全? な男子高校生に対して簡単にベッドを貸すのは如何なものか。


 とりあえず疑問符を握り潰しながら、先程まで居た九条を思い返す。


 ……顔色は良くなっているようで良かった。とはいえ、元々が色白なせいでそれほど違いはわからないが、少なくともあの時に見せていた顔面蒼白よりかは格段に血色がよく見えた。


「いってぇ……」


 九条が無事なのは良いとして、俺のこの体の痛みはなんだ? まるで全身に重度の筋肉痛のような衝撃が走る。いくら普段から運動していないといっても、ただ石を投げただけでこんな風にはならないだろう。


 考えられるとすれば、有り得ない状況で全身に力を入れていて、それが解けたから筋肉痛になった、とかか。それはそれで腑に落ちない。


「やぁ、若人よ。元気にしているか?」


「……これが元気に見えますか? 指先一つ動かすだけでキツいですよ」


 素知らぬ顔で部屋に入ってきた八重桜先生は、学校に居るときとは違いラフなスウェット姿だった。なるほど、ここは八重桜先生の家だったか。


「いや、上々上々。牛鬼に出くわした一般人にしてはそんなもんで済んで良かったと思うべきだ。下手をすれば殺されていたわけだからな」


 そうだよ。そうだった。それを訊かないことには話が進まないな。


「ちょっと待ってください、先生。今の状況について――というか、全体的にいまいち説明不足感が否めないんですが。説明してもらえるんですよね?」


「ああ、もちろんだ。まぁ、裏の裏事情は措いておくとして……化物については聞いたか?」


「いや――」


「いえ、話していません。あの時はゴキの退治がメインでしたし、クズくんにそれ以上の説明は不要かと思いまして」


「だ、そうです」


 いや、別に俺の台詞を食ったことは構わないけどよ。でも、どうしてそう攻撃的なのかな?


「じゃあ、まずは化物についてからだな。簡単に言えば、一般人には見えない類の魔物やモンスターってところだ」


「…………え、それだけですか?」


「ああ、それだけだ」


 腕組みをして言い放った先生に、動かない腕に代わって頭を抱える代わりに溜め息を吐きながら首を横に振った。


「いや、もっとあるでしょう。何故、一般人には見えないのか、とか。どこから湧いて出てくるものなのか、とか。どうして戦う必要があるのか、とかね」


 九条を一瞥するも、見事に視線を逸らされた。


「基本的に、見える奴には見える。見えない奴も稀に見える。葛城の場合は前者のはずだが、おそらくは自分で見えることに気が付いていなかったんだろう。化物がどこから来るものなのか、正確にはわからないというのが正しいだろうな。何故なら、私たちの世界――生活の裏側を生きているから、ルーツを探ることは不可能だと言われている。あとは、どうして戦うのか、か。それについては少し複雑になるから、これから少しずつ学んでいくってことで」


 矢継ぎ早というか足早に説明されたせいで頭が付いていかないのだが、一先ずわかったのは、結局はよくわからないということだ。


 とはいえ、状況を鑑みるに選択肢は決まっている。


「あ~、うん。まぁ、大丈夫。じゃあ、俺が九条や八重桜先生、それになんかよくわからないバケモノに関わるのはこれで最後ってことで。一応は体も動かせるので、これにて帰らせてもらいますね」


 戦略的撤退一択。


 本物のバケモノに関わるのも、バケモノ染みた奴らに関わるのもご免被る。あくまでも俺は世界に反抗している――犯行しているだけであって、戦う気などさらさら無いのだ。


「いやいや、そういうわけにはいかないんだよ。葛城。こっち側のことを知ってしまった以上は、もう後戻りはできないんだ」


「…………はあ!? ちょっと待て! その――なんだ? 九条も言っていたけど、本来は先生がいろいろと説明しておくべきなんですよね!? あの時、九条が何をするのかも、何と戦っているのかも、先に教えておくべきでしょう!」


「あ~……あれ? 言ってなかったっけ?」


「言ってねぇよ! 説明責任くらい果たせよ! 大人だろ!?」


 っと。つい、口が滑って先生に向けるべきではない言葉遣いになってしまった。が、本心からの言葉だったせいもあり、後悔も反省もしていない。


「説明責任を果たしていない、か。なるほど。それこそ最近の大人と言えるんじゃないか?」


「…………おい、九条。お前の身内だろ。どうにかしろ」


「無理ね。澪ちゃんは昔からそういう人だから」


 だとしたら、よく教師になれたものだ。


「くそっ……じゃあ、つまりどういうことだ? 後戻りできないってのは、九条と同じように戦えってことか? そりゃあ無理だろ。俺には九条みたいな特別な能力は無い。ただの一般人だ」


 言うなれば街人Bだ。ここで肝なのはモブキャラの街人の中でも決してAにはなれないところにある。スプラッター映画では三番目くらいに死ぬ役目だろうが、どうやらまだ順番では無いらしい。


「勘違いしているようだけれど、私だって普通の人間よ」


「あのなぁ、普通の人間は血で刀を作ったりはできねぇんだよ。どれだけ頭が良いのか知らないが、常識からやり直せ、ジョーシキから」


「…………はぁ。あとの説明は澪ちゃんに任せるわ」


 侮蔑的な視線を向けてきた九条は吐き捨てるように言うと颯爽と部屋を出ていった。


 いや、多分、俺のほうが正しいことを言っているはずだ。


「あ~あ~……ま、あの子もまだ高校生だから受け入れられないんでしょう。とりあえず言えるのは茉莉花もあんたと同じ人間だ。ただちょっと特殊というだけで、根本的な部分は人間で、むしろ人間よりも人間的で――本当に、昔から成長しない」


「……それは、どういう――」


「茉莉花のことは措いといて。日本には化物退治を生業とする一族が九つ存在している」


 おい。まさか俺の質問、完全にシャットアウトか。


「九つ? ……八重桜と九条ってまさか」


「そう。そのまさか。私は八の八重桜で、茉莉花は九の九条。ちなみにお互いに現当主」


「当主ねぇ。道理で偉そうなわけだ」


「偉そう、というか若くして当主になったせいもあって急いで大人にならなきゃいけなかったんだろう。私たち以外の当主は全て男だし、何よりも茉莉花は一人で九条を背負っているからな」


 一人? いや、敢えて訊く必要も無い。一族で化物退治をしているということは、おそらく九条の両親はその一環で殺されたのだろう。仮にそうでなかったとしても、内情まで踏み込む必要は無い。


「生業、と言っていましたよね? つまり、どこかから依頼を受けて化物退治をしているということですか?」


「例えば、政府。例えば、企業。私たちの存在を知っている者は少ないけれど、世界で起きている説明のつかない事件のほとんどは化物が原因になっている。だから、専門機関からの依頼で動くことが多い。もちろん、報酬もある」


 漫画や映画でよくあるような、政府お抱えの非公式組織みたいなものか。


「ちなみに、あの廃工場の依頼はいくらなんですか?」


「そうだな……元々はゴキの退治依頼で十万円。しかし、イレギュラーが起きて牛鬼まで倒してしまったわけだから――大体、百三十万円くらいか」


「ひゃくさんっ……なるほど」


 破滅的な価格ではあるが、命を賭けていることを考えればむしろ安いような気もする。化物を退治しなければ取り壊せない工場のように、化物が原因で滞っていることはあるのだろうが、それでも牛鬼の強さは異常だった。いや、俺の目から見ればゴキでさえ充分に異常な怖さだとは思うが、命の価値を問うのであれば……どうなんだろうな。


 命を賭けて、対価を得る。それが仕事だというのなら俺は大人になれそうもない。


 思考している最中に部屋を出て缶ビールを持って戻ってきた先生はベッドに腰を下ろした。


「私もそれなりに戦える側の人間ではあるが、正直に言ってしまうと茉莉花ほどではない。私なら牛鬼なんかが出てきた時点で、あんたなんか放置して即逃げだ」


 死地に送り込んだ張本人がそれを言うのかよ。


「ん? でも、九条も相当苦戦してましたよ? あれが八重桜先生よりも上というのなら……え、もしかしてこの世界滅ぶ寸前? いや、別に構わないんだけど」


「こらこら、早まっちゃいかん。まだ世界は滅ばないし、茉莉花は私なんかよりよっぽど強い。ただ、今はちょっと強過ぎる力をコントロールできていないだけだ」


「へぇ……よくわかんないですけど。八重桜先生も血を使って戦うんですか?」


「まさか。力の強さは媒介との関わりの深さに比例する。血液が媒介なんてレア中のレアだ。私のはもっと――」


「澪ちゃん。話はそれくらいに。能力のことまで教える必要は無いわ」


 足音も無く部屋の入口に立っていた九条は、冷めた口調で言い放った。


 ま、確かに聞く権利は無いし、若干腑に落ちない感もあるが少なくとも話す義務はない。俺を巻き込まないのであれば。


 とはいえ、現状すでに巻き込まれているわけで何とも言えないのが本音だ。


「んじゃあ、俺はさっさと出ていくことにするよ。あとは勝手にやってくれ。俺は――っ」


 ベッドから立ち上がろうと足に体重を掛けたら、全身を駆け巡る痛みに息が詰まった。これが噂に聞く痛過ぎると声が出ない、というアレか。予想外に予想以上に痛過ぎて洒落にならない。


「あ、そういえばその痛みについて説明してなかったな」


「っ……てことは、これもあんたたちのせいってことか? 訳がわからない。いったい俺に何をしたんだ?」


 最早、怒る気力すらない。何しろ、今の俺は立っていることに全神経を使っているからな。


「別に私たちが何をしたわけじゃないわ。強いて言うのなら、あなた自身がその何かをしたのよ。つまりは自業自得。わかる? クズくん」


「いいや、わからない。俺がやったことと言えば石を投げたくらいだぞ? それだけでこんな痛みを食う羽目になるなんて、割に合わないだろ」


「端的に言えば、その石が問題なのだけれど」


 呆れたように言う九条だが、まったくと言っていいほど理解が出来ない。


 そういう意味を込めて八重桜先生へと視線を送ると、苦笑いを返された。いや、俺に感情を読む能力とか無いから、その苦笑いの意味もいまいちわからない。


「私も茉莉花から聞いただけで信じてはいないが、葛城。お前の投げた石は化物に効いていたんだろう? だとすれば、それは私たちと同じ力を使っていたということになる。便宜上の総称は『纏』。原理を説明するとややこしくなるから省くが、慣れないうちは驚くほどに体力を持っていかれて、半端じゃなく疲れる。今のお前の状況はそれが理由だろうな」


「…………まとい?」


 説明されたところで理解できないことには変わりがない。


 とりあえず――座ろう。


「はぁ……で。その纏とかいう能力を俺も使えて――無意識に使って、そのせいでこんなことになっているということか? どうして突然? 俺はこれまで普通の……うん。まぁ比較的普通の人生を歩んできた一般人だぞ?」


「それを訊くのは私にじゃないわ。あなたに力があると確信して私の仕事に付き合わせたのは澪ちゃんよ」


「確信よりも、信頼と言ったほうが正しいかもな。そうだな……葛城。お前の目から見て、茉莉花はどう映る?」


「どう? ……変人」


「あら、あなた人のことを言えるのかしら?」


「おい、その言い方は自分が変人だって認めた上での発言になるがいいのか?」


「そうやって揚げ足を――」


「はいはい。それくらいにして。じゃあ、茉莉花の目からは葛城のことはどう見える?」


 すると、九条はまるで汚物を見るかのように眉間に皺を寄せながら目を細めつつ視線を向けてきた。


「……クズね」


「あ~、なるほど。理系の勉強ばかりしてきたから国語がわからないのか。先生は今、印象を訊いたんだよ。見たままじゃなくてな」


「あら、それは自らがクズだと認める言動だと思うのだけれど」


「ああ、そうだな。俺はお前と違って自分のことを自覚している。自らを変人と認めないお前よりも、自らをクズと認めている俺のほうが人間レベルが高い」


「威張って言うことでもないでしょう……」


 頭を抱えて溜め息を吐く九条だが、自分のことを正確に認識するのは大事なことだと思うぞ? 故に、俺は自分を偽ることなく世界に犯行している。


「つまりは、そういうことだ、葛城」


「いや、そんな雑にまとめられても意味わかりませんよ。何が、つまりで、何が、そういうことなんですか?」


「これはあくまでも私の基準だが、力を持っている者というのは総じて性格に難がある。もちろん私も例外ではないが……キミたちほどではない」


「〝それは〟――」


 ハモったな。


「では、私から。こんなクズと同列に語られるのは純粋な侮辱ね。取り消してもらおうかしら、澪ちゃん」


「おいおい、そりゃあこっちの台詞だよ。というか、なんでずっとお前のほうが上にいることを前提にして話してんだよ。俺こそ、お前みたいな理系バカな変人と一緒にされるのは迷惑だ」


「あなた、むしろ誇るべきではないかしら? ただのクズが私のような人間と肩を並べて語られているのよ?」


「だから、お前はいったいどの立場から――」


「仲良くなってくれたみたいで、引き合わせた甲斐があったな」


「〝どこが〟――」


 おっと、またハモりだ。


 微笑ましそうに缶ビールを飲みながらこちらを眺めている八重桜先生だが、今のやり取りのどこを見れば仲が良くなったように見えるんだ?


「ちょっと、真似しないでくれるかしら?」


「あん? そりゃあお前のほうだろ」


 睨み合うように視線を交わらせるが、こっちがベッドに座っている分、様にならないな。


「はっは――なかなか良いコンビになりそうだ」


 などと宣う先生を無視して、俺たちは睨み合う。


 しかし、まぁ運命ってやつは皮肉なものだ。普通に高校生活を過ごしていれば、お互い絶対に関わることの無かった二人が、よくわからないもののせいで関わり合うことになってしまった。


 ……運命? いや、違うな。こんなのは事故だ。不運で不吉な接触事故でしかない。それにしては代償が大き過ぎる気もするが――世界への犯行声明が、こんなことになるとは思いもよらなかった。まったく、ホントに。どこまで行っても世界ってやつは気に食わない。

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