第4話 普通で普通のクズ野郎
来た時とは反対に、今度は俺が前を歩いて階段を下り――そして、入ってきた工場の入口から出て行こうとしたのだが、眼前の光景に息が詰まって自分の目を疑った。
「え~っと……九条? これはいったい、なんのアレだ?」
後ろを歩いていた九条は俺が立ち止まったことに気が付いていなかったのか、背中にぶつかると肩越しから覗き込むように顔を出してきた。
「ぃつつ……なんでいきなり止ま、る――なんで、こんなところに……クズくん。静かに後ろに下がって。ゆっくりと、慎重に」
言われるがまま服を掴まれて抜き足差し足で後退しながら角を曲がって隠れると、漸く大きく息が吐けた。
横を見れば考えるように眉間に指を立てて瞼を閉じる九条が居た。この状況で、どうやら俺よりも九条のほうがパニックになっているらしい。
とにかく確かめる必要がある。
「大丈夫だ。俺は大丈夫。なんてことはない。こんなのは――」
入口のほうを覗き込むと、やはりそこに居る。
おそらくはあれも化物なのだろうが、先程のゴキとは比べものにならないほど大きく、正しくバケモノと呼べる佇まいだ。体長凡そ三メートル。全身は茶色い毛で覆われており、頭は牛。その腕には身の丈ほどの棍棒が握られている。それも棘付き。
「夢では無いみたいだな。おい、九条。説明しろ。アレは化物なんだろう?」
「……ええ、その通りよ。あれは風の王の眷属――牛鬼。本来ならば、こんなところには居るはずの無い化物なのだけれど」
牛鬼ね。ここまで来てなんの捻りも無いのは逆に面白い。
「眷属? だか何か知らないが、お前の血の騎士で勝てるんだよな? そもそも、あれは強いのか? いや、強いんだろうな。デカけりゃ強い。定石だ」
「そうね。ドラクエで言うところの…………いえ、なんでもないわ」
思い浮かばなかったのか。
「とりあえず、私の〝鮮血の騎士〟では勝ち目はないわ。囮には使えるかもしれないけれど、それ以上の役には立たないし、おそらくは大した時間稼ぎにもならない。だから、クズくん。ここは私がどうにかするから、その間にあなただけでも逃げて」
「はぁ? 何を主人公みたいな台詞を言ってるんだ? 悪いが俺だけ逃げるなんてことできるか。とは言っても何ができるわけでもないんだがな」
「……あなたには真正面から言っても聞くはずはないって知っていたのに私は――はぁ、わかったわ。この場に留まることは許すけれど、私の邪魔だけはしないと約束して」
「ああ、邪魔はしない」
俺の言葉を聞いた九条は渋々ながらも納得して、ポーチの中から血の入った小瓶を取り出した。
「二体分……心許無いけれど、いないよりはマシね。〝我が血液を媒介とし、生を受け命とせよ――鮮血の騎士〟」
小瓶から血を流しながら言うと、新たに血の騎士が二体現れた。それで戦うのかと思いきや、徐に左手の爪を右の掌に突き立てて勢いよく引っ掻くと血が溢れ出した。
「〝我が血液を媒介とし、その刀身を現解せよ――
「今度は刀か。もうなんでも有りだな」
流れ出た血は手の中で日本刀の形を成して、武器となった。
「なんでも有り、というわけではないけれど。詳しいことは生きて帰れたら教えてあげるわ。じゃあ、そこから動かないで――行ってくる」
二体の騎士と共に出入り口を通せんぼする牛鬼に斬りかかっていった九条を見送って、当然ながら邪魔にならない物陰から覗き込んでいた。
懸念すべきは――九条の顔色の悪さだな。今すぐにでも倒れそうなほどに顔が青褪めている。もしかしなくとも血を流していることによる貧血が原因だろうが、それを指摘したところで俺にはどうしようもなかったから言わなかった。が、やはり心配だ。果たして俺は生きて帰れるのだろうか? いや、違う違う。そうじゃない。まずは九条の心配が先だ。
牛鬼は見た目以上に素早い動きと反射神経で三人の猛攻を受けている。受け流している。
「……ほぅ」
これも意外な発見だ。理系の申し子なだけあって勉強しかできないと思っていたのだが、想像と反して九条は運動神経が抜群だ。牛鬼の棍棒を避けて、飛び跳ねて斬りかかり、空中で一回転してから着地し、再び追撃を避ける。
運動神経というか、戦闘スキルが高いと言ったほうが正しいのかもしれないが。
あっ――騎士の一体が牛鬼の棍棒を食らって死んだ。……死んだ? 生物で無いのなら死んだというのはおかしいか。しかし、形を保てなくなりただの血になったのだから、つまり活動が出来なくなったということで、やはり死んだという言い方で合っているはずだろう。
そんな無駄なことを考えている間も戦闘は続いている。
跳び上がった九条が振り下ろした刀で牛鬼の片目を潰した次の瞬間だった。半分の視界を奪われたことと痛みのせいなのか、雄叫びを上げた牛鬼の振り回した棍棒が床へと落ちていく九条に向かった。
まだ着地していない――空中では、避けられるはずがない。
「っ――九条!」
コンクリートの壁へと一直線に叩き付けられた九条は、ガラガラと崩れ落ちる壁の下に居るのだろう。が、見えていた。棍棒が体へと当たる寸前に、残っていた騎士が庇うように盾になっていた。
つい駆け寄りそうになったが、一歩を踏み出したところで足が動かなくなった。
「っ…………」
生唾を呑み込むと、冷や汗が額から流れ落ちてきた。
これ以上は進めない。俺は普通の人間だ。駆け寄ったところで、九条に肩を貸すよりも先に牛鬼の棍棒で殴り殺されてお終いだ。冗談じゃない。そんなオマケみたいに死んで堪るか。
「ブゴォォオオオ!」
斬られた片目を手で確認する牛鬼の脇で、音を立てるコンクリートに気が付いた。
「九条! 無事か!?」
「っ……ええ。〝鮮血の騎士〟のおかげで」
そう言いつつも、壁に打ち付けられた衝撃までは防げなかったのか額から大量の血が流れ出ている。九条がどれだけの血を使って、あの刀を作り上げているのかは知らないが、これ以上、無駄に血を流させるのは得策ではないはずだ。それなら――
「クズくん。馬鹿なことは考えないで。ここは、私がどうにかするから」
そう言って再び斬りかかっていく九条だが、すでに片目が無いことを認識した牛鬼も戦闘態勢に戻っていた。
フラフラと突き立てた刀を振り下ろせば棍棒で防がれ、棍棒が振り下ろされれば片目を潰して死角になっているほうへと逃げるも、追ってきた棍棒を苦しそうに刀で受けている。このままではジリ貧になるのは目に見えている。
「…………くそ。なんなんだ、これは」
訳がわからない。どうして俺がこんなことに巻き込まれなきゃならない? 完全に八重桜先生のせいだ。今度ばかりは文句を言ってやろう。絶対に、生きて帰って文句を言ってやる。
近付けば足が竦んで動けなくなる。ならば、近付かなければいいだけの話だ。
幸いにもここは廃工場で、建物劣化のせいなのかところどころに掌大の石が落ちている。衛生面を考えれば触りたくはないが、四の五の言っている場合ではない。
適当に拾い上げてみれば、いい感じに手に馴染む。
知られていない事実を教えようか。俺は――それなりに肩が強いんだ。
「九条! 俺が気を引くから、その間に勝つ手を考えろ!」
さぁ、ピッチャー振り被って――投げた!
「待ちなさい! そんなものでは――」
何かを言い掛けた九条だったが、俺の投げた石は見事に牛鬼の顔を捉えて仰け反らせることに成功した。
「はっは! ストライクだな! 次々行くぞ!」
「まさか……ただの石なんかが効くはず――いえ、今はそれよりも」
疑問があるようにぶつぶつと呟く九条だが、次々に牛鬼に石を当ててダメージを与えていく様子を見て、漸く頭を切り替えられたのか刀を握り締めた。
元よりわかっていたはずだ。勝つ手なんて考える必要も無く、策なんて練る必要も無い。
要は、その刀を力いっぱいに敵の急所に振り下ろせればいい。日本刀ってのは一撃必殺と呼ぶべき武器だからな。
つまりは、相手の気を逸らせて、隙を作ることさえできれば、どうということもないのだ――と思う。俺の読んできた漫画とかではそうだったはずだ。
「あ、やば。石無くなった」
だが、お膳立ては済んだ。
すでに牛鬼の視線は俺に向かっており、その殺意も俺に向けられていた。あとは静かに呼吸を整えた九条に任せよう。
牛鬼の背後で、刀を上段に構えた九条が踏み込む瞬間に纏う空気を変えたことに、俺ですら気が付いた。
――――。
一瞬、空気を切ったのかと錯覚させるくらいの圧を感じたかと思えば、こちらに向かっていた牛鬼は動きを止めて――そして、その体は綺麗に真ん中から割れて血肉臓物の全てを垂れ流しながら左右に分かれて倒れていった。
「……おっかねぇな」
嘘偽りの無い、心から出た言葉だった。
あら、そう?
とでも素っ気ない言葉が返ってくるかと思いきや、牛鬼の死体の先に居る九条の手にはすでに刀が握られておらず、膝から崩れ落ちた。
「おいおいおい、マジか」
面倒事は避けて通りたい主義の俺だが、ここまで関わってしまったことを今更投げ出すことはできない。少なくとも今この時は。
「おい、九条。お前、貧血だろ? そういう能力だってわかっていたのならそれを防ぐようなものとか持ってねぇのか?」
倒れた九条に駆け寄って問い掛けると、辛うじて意識は残っているのかゆるゆると顔を横に振った。
「いつもなら、持ってきているのだけれど……今日は、こんな予定じゃなかったから」
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
さて、それじゃあどうしたものか。今すぐにでもこの場を立ち去ってどうにか助けたいと思ってはいるが……。
「いや、悪いな九条。実を言うと俺も、もう結構前からキャパオーバーなんだ。だから、あとのこと、は――」
こうなるのも当然だ。
理解できないこと、許容できないことが多過ぎるし、何より完全に緊張の糸が切れてしまった。九条を抱きかかえたまま気を失う俺は史上最高にダサいだろうが――こんなものだ。所謂、ヒーローなんかとは違う、普通で普通のクズ野郎ってのは、こういうことを言う。
ダサい? 恥ずかしい?
はっ、舐めるなよ。そんな神経、とうの昔に捨ててきた。
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