9話 転生魔王は空を飛ぶ(他力)2
不意にミルオールが、遠くの何かを観察するように身を乗り出した。
「ん?なんだありゃ」
「どうしたの?」
「何かが壁にへばりついてやがる」
壁と言うのは、街と外とを隔てるように、街を囲んでいる壁のことだ。
とは言え、城壁のように堅牢なものではない。
個人差はあるだろうが霊人や成人した魔人の身体能力であれば、たやすく乗り越えられてしまうような高さだ。
普人もその気になれば、道具を用意することで登ることが出来るだろう。
多少心許ない壁だが、野生の獣などから自衛力の低い子どもや年寄りを守っていることには変わりはない。
あってしかるべきものだ。
「何かって?」
「人型だな」
何段か降りてしまったため、俺からは
ただ、その反応がないことはわかる。
風車を確認するためか、ミルオールが僅かな間壁から視線をそらした。
「風車は反応ねえな。鈴も鳴らねえし、霊人じゃないだろ」
風車が外敵を検知した場合、羽根は外敵由来の色に染まるが、それだけでは不十分だ。
危険を周知するには、誰かが監視をする必要がある。
そんな欠点を補うため、持ち手にくくりつけた紐からぶら下がる鈴が一斉に鳴る仕組みになっている。
警戒を知らせる鐘のようなものだ。
室内からは聞こえ辛く、しばらくすると鳴り止んでしまう。などの欠点はあるが、街の広い範囲で見張り台の鈴の音は響く。
だから、俺もミルオールも、風車と鈴の反応がなかったのだと判断したのだが。
「やべ」
ほっとしたその瞬間、ミルオールの呟きが耳に入った。
不穏な呟きに疑問を感じて奴を見上げると、奴の表情はどこか強ばっている。
その視線を追うと、風車を設置しているはずの場所を見て、眼を見張っていた。
そう言えば、だ。
「……は、ま、まさか」
設置の済んでいない風車がまだ一つ、残っている。
風車が空な場所はミルオールが凝視する方向で、不審物のある方向でもあった。
風車がない今、壁に張り付いている何かが霊人であったとしても、反応しない。
「いやまてよ!あんな近くに霊人が来たら流石に気付くだろ!」
ミルオールの言う通りだ。
あれが霊人だと言うことは考えにくい。
街の中に入って来たのなら、ミルオールたちであれば風車などなくとも気配を察することが出来るだろう。
それに、あれは霊人にしては大人しい。
多くの場合、霊人たちは周囲への影響など一切構うことなく、騒々しく現れる。
まず肉眼で視認出来るほど接近していた時点で、すでに何かしらの騒ぎが起きているだろう。
街の中にいるのであれば尚更だ。
だが、街の雰囲気は平時と変わりなく、穏やかなものだ。
それでも万が一霊人なのだとすれば、隠密行動のとれる例外的な個体であることも考えられる。
まだ油断は出来ない。
「どうするの?」
「ボンボン、手伝え!こいつを設置するんだ!」
「ええ!?」
緊張感を伴った声がしたかと思うと、上から勢いよく腕を引っ張られる。
苦労して数段降りた俺は、たやすく見張り台の頂上に戻された。
「ミルオールはどうするのさ」
「俺は様子を見てくる!」
様子を見るどころか、霊人と疑わしき存在を壁ごと壊しかねない剣幕だ。
俺はミルオールが押し付ける風車を受け取らずに、問題の壁を確認しようと振り向いた。
「ん、あれって……」
「あ、何だ?」
目を凝らすと、確かに何かが壁に張り付いていた。
ミルオールの言うように人型のようだが、人にしては小さなシルエットに感じられる。
四本足の虫と言うことも考えられるが、虫にしては大きい。とてつもなく大型の虫が張り付いている、と言うことは恐らくはないだろう。
人型の虫が存在しなければの話だが。
その人型のシルエットの仕草は、壁をよじ登る虫が色んな角度で歩みを進めるさまに似ていた。
登ってみたけどそれ以上は進めず、かと言って降りられなくもなってしまい、完全に身動き取れなくなった場面……のようにも見える。
それは奇しくも、はしごを降りるときの俺を彷彿とさせるものでもあり……。
「おい、用はあとで聞くからここで大人しくしてろ!」
「ねえ、待ってよ」
あれの正体が何にせよ、興奮状態のミルオールをこのまま行かせるととんでもないことになりかねない。
俺は見張り台の柱から紐でぶらさがっている双眼鏡を手に取り、虫のような動きを続けているシルエットをレンズ越しに視認する。
そして、予想通りの光景を確認し、溜め息をつきながら名を呼んだ。
「ミルオール」
「止めるな!」
「その前に、これであれを見てよ。お願い!」
わざわざ双眼鏡を使ったのは、そのまま渡すためだ。押しつけるように差し出して懇願すると、奴は渋々と受け取りそれをのぞき込んだ。
ミルオールはいらついているのか、足を激しく揺すり始めた。
若干見張り台が揺れるので、近い将来壊れてしまうのではないかと心配になる。
「お」
奴が双眼鏡をのぞき込んで数秒後、その足から生じる振動がピタリと止まった。
「あああああ!!!」
ミルオールは大声をあげたかと思うと双眼鏡を床に叩きつけようとした。
だが、長さの少ない紐に引っ張られた双眼鏡は、床に届くことなく勢い良く柱にぶつかり何度も跳ね返る。
「なんだありゃ!霊人でもなんでもねえ、ただのガキじゃねえか」
「そうだね。普人かな?」
「はああああああ」
奴は気が抜けたような声を出すと、床にしゃがみこんでしまった。
「何だよ、紛らわしいことしやがって!」
続けて右手を柱に打ち付けると、見張り台が嫌な揺れ方をした。僅かにだがミシミシと不安を感じる音を立てた気もする。
「ミルオールが勝手に勘違いしたんじゃないの。あとあまり暴れると見張り台が壊れちゃうよ」
「うるっせーな!」
つい先ほど、母さんは壊滅的と言う話をミルオールとしたが、ならば奴は破壊的だろう。
他の連中にも似合う単語があるのではないか、例えばサンダーソニアは甘味的だ。
などと、どうしようもないことを考え、溜め息をついた。
何にせよ、零人の襲撃ではなく、大事にもならずに済んで良かった。
「それにしてもあのガキ、何であんな所にへばりついてんだ?」
「降りられなくなったんじゃないの?」
「そうかあ?」
「動けるところを探ってるみたいだから、きっとね」
「ああ、そう言えばあの動き、はしごを降りるボンボンにそっくりだな」
「……あそこまで変な動きしていないよ」
俺まであんな虫のような動きをしていたなどと思いたくない。
「とりあえず放っておくか!」
「大丈夫かなあ……」
「そのうち誰か気づくだろ」
「その前に落ちちゃわない?」
「んなことより、まずはこいつを早く片さねえと」
ミルオールが残りの風車の設置を始めたので、俺は先ほどと同じようにその様子を眺めた。
まだ若干いらついているのか、貧乏揺すりをしている。
気疲れしたので、降りるのはまた後にしよう。
「ねえミルオール。難しいかもしれないけど、もう少し落ち着いた方が良いよ?ほら、少し深呼吸してみなよ」
ミルオールが手と足を不意に止めて振り返る。
眉根を寄せて作業をしていた表情が、意外なものを見るような表情に変化した。
「それは、アマリリスの受け売りか?」
「母さん?何で?」
言った後に気が付いたが、子どもが大人に言うにしては生意気な台詞であった。
そう考えたが、ミルオールはその言葉を受けても気を悪くはしなかったようだ。
「いや何。昔魔王に同じ事言われたことがあってな」
ああ、そう言えば前世では良く言ったな。
今も昔も、長所も短所も、ミルオールは殆ど変わりがないように感じる。
だからなのか、つい自然と依然と同じことを口走ってしまったのかもしれない。
「だから、アマリリスがいらんこと言ったのか、ってな」
そのいらんことを自分から暴露しているのだが、構わないのだろうか。
「懐かしくなった?」
「あー……」
俺の問いかけに、ミルオールは不機嫌な表情をしてみせた。
「むしろムカついてきたんだが」
「え、そんなに落ち着いてって言われるのイヤなの?」
「それもあるが、いらんこと思い出したじゃねえか」
他にどれだけいらんことがあるのだろうか。
「そう言えばボンボン、お前刻みネギの弟子なんだろ?」
唐突な質問に首を傾げていると、ミルオールが悪巧みをするときのような含み笑いを始めた。
「刻みネギ……カリステフのこと?」
「ん、ああ」
先日霊人と戦っていた一人で、普段からミルオールを脳筋と呼ぶ人物だ。
二人は何故互いを名前で呼ばないのだろうか。
「弟子じゃないよ、運動の稽古つけてもらってるだけ」
「弟子みてえなもんじゃねえか」
「そうかなあ」
まさか弟子だからと、食ってかかるんじゃないだろうな。
「よくよく考えてみっと、あの刻みネギが稽古つけてんだから、受け身ぐらい取れんだろ?」
ミルオールはそういって、俺の襟首を掴んだ。
「へ?」
突然の出来事に一瞬、言葉を失う。
いやいやいや、まてまてまて!
何をする気だミルオール!
「あそこまで投げ飛ばしてやるから、ボンボンが助けてやれよ」
「え?あそこって……壁?」
「他に何があんだよ」
「待って待って!格闘の稽古なんてしてないよ!受け身取れるかも分からないって!」
「大丈夫だ、お前ならぜってー出来る!」
その根拠のない自信はどこにあるのか。
ミルオールからは憂さ晴らししたいといった雰囲気を感じるが、それに人を巻き込まないで欲しい。
それに、降りようとしていた時は見守っていたと思ったのに、何故今になってこんなことを言い出すのか。
「それこそ落ち着いて!ほら、深呼吸、深呼吸!」
「ああ、そうだな。手元が狂って壁にぶち当てでもしたらさすがにヤベえからな」
「そこじゃないよ!」
俺はじたばたと暴れてみせたが、持ち上げている奴の腕はぴくりとも動かない。
「じゃあ投げるからな!口閉じとけよ!」
「わー!待って待って、そんな力まないで!どこまで飛ばすの!?」
ミルオールが無駄に気合いの入った体勢をとり、俺の不安感がより一層あおられる。
「壁の前に決まってるだろッ!!!」
「わっ、わー!!!」
そして、奴の掛け声がしたと思うと、俺は一瞬で猛スピードで空に解き放たれた。
体中に強い風圧を感じながら、俺は呆然としていた。
……何故、俺の元部下だった連中は、暴走しがちなのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます