8話 夕飯、どうなるの?

「ただいまー」


 アベリアの言う通り、二人はリビングにいた。

 父さんは向かい合わせのソファーの片方に腰掛け、母さんはそんな父さんの膝に頭を埋めている。


「お帰りなさい、クラッド」

「あら、お帰り。どこに行っていたの?」


 朝は眠そうでありながらもそれなりに威厳を感じさせていた母さんだったが、今は別人のようにくつろいでいる。

 良く言えば仕事と私事の切り替えがそこそこしっかりしている。なお、完全には切り替え出来ていない。

 悪く言うならば私生活がだらしない。


 父さんは朝と同じように書類と睨みあっていた。

 良く見ると、手にした書類を母さんに見えるように傾けている。


 二人はただ休んでいただけでなく、何か相談していたのだろうか。


「図書館に行ってたんだよ」

「もう少し早く帰って来なさい」

「はーい」

「何を借りてきたんだい?」


 俺は両親の向かい側のソファーに飛び込むと、本を二人に掲げて見せた。

 もちろん勇者の本を表面にしている。


「クラッドは勇者の本が好きだね」

「別に好きってわけじゃないよ。気になってるだけだよ」

「もう、クラッドは母さんの子なんだから、少しは魔王の本を読みなさい」


 油断していて忘れていたが、アゲラタムと同じようなことを言う人物がここにも一人いた。

 救いがあるのは、母さんは奴ほど面倒な態度を取らないことだ。


「もう耳にタコが出来たよ……」

「ははは。昔はクラッドが寝る前に母さんが良く読み聞かせていたからね」

「クラッドったら目がさえちゃって大変だったわ。なかなか寝てくれないんだもの」


 それはそうだ。寝る前に前世の自分の本など読まされようものなら寝付きが悪くなって当然だろう。

 黒歴史を耳元でささやかれているようなものだ。

 そんなことをされた日には悶えるしかない。


「格好良い話だったから、寝る前に読む本ではなかったかもしれないね」


 実のところ、半分は父さんの言う通りでもある。


 前世の自覚が殆どない状態の時。魔王の物語を読み聞かせられ、魔王と言う存在に憧れを感じたことは間違いない。

 それが俺の前世のことで、本に描かれている事柄は多少なりとも美化していると気づいてからは、恥ずかしさを覚えるばかりだ。


 しかしそうなると、普人はどうなのだろう。


 勇者も普人たちの手によって、このような辱めを受けていると言うのだろうか。


 それなりに勇者の絵本を読んだが、どの物語でも勇者はとても勇ましく描かれていた。

 一言で表すのならば、それらは普人の理想像を描いたものなのだろう。


 果たして勇者が題材の物語を見たあいつがどんな反応を示すか、全く想像出来ない。

 案外、俺を笑い飛ばした時のような反応になるのだろうか。


 そうして俺が勇者のことを考えているうちに、父さんたちは見ていた書類をソファーの隅に置いていたようだ。

 その様子から、父さんたちが俺と会話をしたがっている雰囲気を察する。


 少し嬉しさを覚え、俺は借りてきた本を読まずに、父さんたちと交流することにした。


「また霊人が来てたんでしょう?」

「そうよ。朝っぱらからやんなっちゃう」


 そう言って、母さんは朝のんびりと出来なかった分をここで取り戻すとばかりに父さんに甘えた。

 父さんはそんな母さんの深紅の髪を優しく撫でている。


 結婚して数年経っているはずだが、熱愛具合は未だ落ち着くことがない。

 度々見てるこっちが恥ずかしくなってくる。

 夫婦仲が良いことは大変よろしいことだとは思うが。


「クラッドは最近、母さんたちが戦っているところを見たいって言わなくなったね」


 ここ最近は遠くからでも様子が見られるようになったからね。と口に出すと、ややこしいことになりかねない。

 何か企んでいるように見えたのだろうか、俺が何も言わずにいると母さんが釘を刺した。


「街からこっそり抜け出そうなんて考えるんじゃないよ。戦闘に巻き込まれでもしたら大怪我じゃ済まないんだから」

「う、うん」


 強めの口調だが、変わらず横になったままなので説得力がない。


 そうしてしばらく会話をしていると、メイドのアベリアが飲み物を持って来た。


「お飲み物をお持ち致しました」

「ありがとう、アベリア!」

「あら、私たちのお茶もいれてくれたの。ありがとう」

「恐縮でございます」


 アベリアはソファーの間に配置されたテーブルに音を立てずにカップを三つ置き、一礼する。


「アベリア……」

「はい、如何いたしましたか、お坊ちゃま」


 帰宅直後と比較してさらに具合が悪そうに感じられたのだが、声をかけるとやはり曇りのない笑顔をみせるのだった。


「あ、うん……。無理しないでね?」

「お坊ちゃま……ご心配ありがとうございます」


 それでは。と言ってアベリアが下がる。


「まだ夕食時までは時間がございます。しばらくお茶をお飲みになってお待ちください」

「ああ、いつもありがとう」


 静かに扉が閉じられアベリアの姿が見えなくなったのを確認したあと、俺はカップを手に取りミルクを飲む。

 母さんも起き上がり始めたが、メイドが来てもそのままの体勢だったことに驚きを感じる。


 そして、そろそろ本を読み始めようとした、そのときだった。


 扉の向こうから、鈍い物音がしたのだ。


「っ!」


 悪い予感がよぎり、扉まで走っていき出口を開けると、アベリアが倒れていた。


「アベリア!」


 幸いなことに絨毯なので、倒れたときの衝撃は幾分か少ないだろう。


 気を失っているだけだろうか?

 様子を見ようと近付こうとすると、大人の手が俺の腕を掴んだ。


「待ちなさい、クラッド!」

「えっ?」


 強い口調で俺を制止したのは母さんだ。

 俺が部屋を飛び出したとき、二人とも後を追いかけて来たのだ。


「私が様子を見るわ。あなたは部屋に戻っていなさい」

「でも……」


 母さんは有無を言わせず、渋る俺を父さんに押しつけた。


 息子を任されたはずの父さんは、俺と一緒になって母さんの様子を伺っている。

 ……と思ったが、父さんは俺よりもどこか戸惑っているように見える。


 対して母さんは厳しい表情でアベリアの様子を見ている。

 先ほどまでの態度とは真逆である。


「どうだい?」

「……少し熱があるわ。風邪かしら。あなた、医者を呼んで来てくれない?」

「ああ、すぐに呼んでくるよ」

「俺が行く!」


 何かしたいと思って声をあげたが、再び母さんに止められた。


「ダメよ!もう外は暗くなるのよ。クラッドは家にいなさい。いい?」

「はい……」

「じゃあ僕は診療所に行ってくるよ」


 俺の頭を優しく撫で、父さんは急いで玄関へと走っていく。

 その姿を見送っていると、母さんは俺に視線を向けて言った。


「クラッドは、母さんたちが良いと言うまで部屋にいること」

「……どうして?」


 何故俺を遠ざけるのか?視線にそういった思いを込めて問いかけると、厳しい表情と口調はそのままに、言い聞かせるように俺と同じ目線にしゃがみ込んで言った。


「……熱があるからよ。もし、風邪だと移ってしまうかもしれないでしょう?だから、クラッドは部屋で大人しくしていなさい。返事は?」


 ああ、そうか。


 俺自身はいくらでも無茶出来ると思っている。

 しかし、周囲はそうは考えていない。


 俺の身体はまだ子どもだ。大人に比べて免疫力が低いだろう。

 だから、母さんは俺のことを心配してくれているのか。


「……うん、そうする」


 母さんの意図を察した俺は、素直に頷くしかなかった。


 しかし、アベリアは過労ではないのだろうか。

 風邪だとしても、もう少し手伝えていれば倒れるまでには至らなかったかもしれない。


 俺はリビングに置いたままの本を取りに戻ったあと、後ろ髪を引かれる思いで自分の部屋へと向かった。

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