7話 転生魔王は背伸びしたい

 アゲラタムから全力で逃げたあと、俺は一直線に帰宅した。


 元々図書館での用事を終えたあとは家に帰るつもりだったが、先ほどのやりとりを見ていた者からすれば逃げ込んだようにも思えるだろう。

 実際、このあと向かう先が家でなかった場合、その用事を断念していただろう。

 そう考えると、家に逃げ込んだと表現はあながち間違いではない。


 なんとも無様だ。


 とは言え……。


「疲れた……。体は全然疲れてないけど、精神的に疲れた……」


 息切れはしていないが、感じた疲労をほそぼそと言葉にしてもらす。

 そのまま玄関の前で地面に座り込み、盛大に溜め息をついた。


 空を見上げると、朱色混じりの雲が浮かんでいる。日が沈みつつあった。

 今日は随分と出掛ける時間が長かったことを実感する。


 この時間になれば、さすがに母さんは帰宅しているだろう。

 アマリリスたる母さんのいる領主家には、奴は迂闊に近寄れないようだ。


 ……母さんは結界か魔除けなどの何かか、とツッコミを入れたくなるが、勿論そのようなたぐいの結界などない。

 結界自体は街にも家にも張られてはいるが。


 そんなアゲラタムがどうしても俺に用がある時は、恐る恐るやって来てメイドのアベリアを通して俺を呼び出す。

 今回はろくでもない用件になるので、わざわざ呼び出すことはしないだろう。おそらくは。


 それにしても、今回はどうしようもない理由ではある上、アゲラタムとアマリリスの相性の問題でたまたまなのだが、これでは親を盾にしているようだ。

 そう思うと、まだ幼い俺の立ち位置は無様だなと実感する。

 今回に限らず、子ども故の出来ることの少なさに歯がゆい思いをすることも日々多い。


 まあ大人子ども関係なく、アゲラタムの暴走具合については大人になっても解決しない可能性がある。

 最悪の場合、奴の暴走具合が一層増す可能性も……否定したい……。したいのだが、否定出来ない。

 そうなる前に、何か手を打たなければ。そう考えていても、都合良く妙案が浮かぶわけもない。

 なれるかどうかは別として、俺が魔王になればアゲラタムは落ち着くのだろうか。


 余程強く言い聞かせれば態度を改めるとは思うのだが、今の俺は魔王ではない。


 だから、と言うわけではないが、いまのところ必要でなければ強さを誇示するようなことはしない考えでいる。

 今は恵まれた環境に生まれていることもあり、幼いうちはその機会もそうそう訪れないだろう。

 まあ誰も見ていない場所で密かに魔法を使ってはいるのだが、力を見せつけているわけではないので良しとしている。


 それはともかく。


 アゲラタムは、変化とは言え俺と同年代として生きようとしているように感じられる。

 ならば出来るだけ、友として、共に歩みたい。


 ……あとはそう、俺には他に友だちもいないので、アゲラタムの存在は本音を言えば心強く嬉しくもある。


 ……こっぱずかしい上に、伝えると確実に調子に乗りそうなので、本人には言わないが。


「ただいま」

「あ、お帰りなさいませ、お坊ちゃま」


 気を落ち着かせてから家に入るとアベリアが出迎えてくれたが、どこか疲労が見受けられる。

 無理に微笑んだのか、苦笑しているように感じられた。


「アベリア、ちゃんと休憩してる?」

「えっ?」


 首を傾げて問いかけると、アベリアは目を丸くした。

 まさかとは思うが過労だろうか。


 不安気な表情を向けたからだろうか、彼女は俺と同じ目線にしゃがみ込んで微笑む。今度は不自然さを感じさせない笑みだ。


「ふふ、ご心配ありがとうございます。休憩はきちんととっておりますよ」


 領主家の家事はほぼアベリアが一人でこなしている。それが仕事とは言え、負担が一点に集中しているのは非常に好ましくない。

 アベリアが倒れたとき、この家は上手く回るのだろうか。そう言った不安が過る。


 他に誰か雇わないのかと思うが、我が家はそこまでお金に余裕があるわけでもないようだ。

 ならば何か少しでも手伝いが出来ればと考えていても、それは察しの良いアベリアによっていつも阻止されてしまう。


 なお、母さんは壊滅的に料理が下手で、俺が生まれる前に一度だけ台所を任せたところ大混乱が起きた、と父さんが耳打ちしてくれたことがある。

 幸いなことに俺は母さんの料理を口にしたことはない。

 柔和な父さんが顔色を真っ青にしながら語っていたので、余程のことだったのだろうと察してはいる。


 つまり、アベリアが倒れるようなことがあれば、俺たちの味覚の平穏に終焉が訪れることは間違いない。


 なるべく彼女の負担を増やさないようにしよう。


「ご本を借りていらっしゃったのですね。お飲物ご用意しましょうか?」

「ううん、自分でなんとかするよ」

「えっ、ですが、お坊ちゃまでは食器棚に届きませんよ」

「うーん……」


 棚は椅子を運んで登ればなんとか届くだろうが、大人のアベリアから見て子どもの俺がそんな様子で台所をうろついていたら気が気でならないだろう。

 それでは気遣うつもりが、間違いなく気を使わせてしまう。


 なるべく負担かけないと心に誓ったが、早くも計画は崩壊するのだった。


「俺がやれれば良いのにな。もっと身長伸びないかなー」

「これからどんどん伸びますよ」


 ぽつりとこぼした子どもじみた呟きにアベリアが微笑む。

 それは年相応であったかもしれないが、微笑ましそうにされると恥ずかしさのあまりいたたまれない気持ちになる。


 俺は感情を誤魔化すように本で顔を隠し、アベリアに話しかけた。


「アベリア、飲み物用意してくれる?」

「ええ、もちろんです。ミルクでよろしいですか?」

「う、うん」


 そうだね。

 いつもは聞いてくれるけど、この会話の流れだとそうなるよね。と思いながら歯切れ悪く返事をする。

 水でも良いのだが。


 とは言え、普段から積極的にミルクをとっているのは確かだ。……身長のために。

 なお、今の俺は同年齢の平均身長と比較して低いと言うことはない。


「持って行くのは自分でやるよ」

「お坊ちゃまはお休みになって下さい。旦那さまと奥さまはリビングでお休みされていますから、一緒にお坊ちゃまと旦那さま方のお飲物もご用意します」


 上手く理由をつけて俺に何もさせないように誘導したようにも感じる。

 あまり納得はしていないが、素直に頷くことにした。


「うーん……。そうなの?じゃあお願い」

「お坊ちゃま、もっと頼りにして下さって良いのですよ」

「あ……、うん」


 メイドからすれば、仕事を奪われることになるのだろうか。

 苦笑するアベリアの表情に俺は仕方なく頷き、本を持ったままリビングに向かった。


 それにしても、やはり子どもの制限の多さに、俺はままならないさを感じるのだった。

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