第八回


 正月は忙しかった。勲からすれば年末年始は恰好の稼ぎ時なのだ。朝には初詣に向かう乗客と共に満員電車に乗ってはスリを働き、参拝客の多い神社や仏閣に行っては、息苦しいほどの鮨詰めの中で誰かのポケットや鞄に手を忍ばせては盗みを働いた。勲には信仰心など無いので、持てるだけ持ったらさっさと行列から出てその場を去った。

 たまたま渡っていた橋の周辺には勲以外に誰もいなかったので、さっき盗んだ財布の中身を見てみると、思った以上に入っていた。賽銭によほど奮発する気だったのか、親戚の子供かなにかに渡す予定だったお年玉の分も含まれていたのだろう。札はもちろん小銭も戴く。ほかに入っているものはクレジット・カードだろうがポイント・カードだろうが、なにかの割引券だろうが全部川に投げ捨てた。使用や換金によって足が付くのを、万が一にも恐れたからだ。

 別の神社や仏閣でも同様に盗みに励んだ。一度、手を忍び込ませたときに腕を掴まれたが、相手の握力が大したことなくすぐに振り払えた。一応はマスクをしていたが顔を見られるのを嫌ってすぐに引き上げる。朝と昼は正月早々、神仏に見捨てられた連中を生け贄にして稼いで、夜は酒に魅入られた連中を餌食にした。泥酔しきった酔っ払いを路地裏に連れ込んではん殴って気絶させて金を奪っていたのだ。このときはマスクのほかにサングラスも掛けていた。顔を覚えられないことを期待して泥酔者を狙ったのが功を奏した。勲が去ったあとに目が覚めた被害者らは、誰も被害を受けたことすら覚えておらず、妙な場所で倒れている、なぜか鼻血を出している、財布が無くなっているなどといった状況から被害に遭ったことに気付くのだ。中には路上で居眠りしている迷惑な酔っ払いと間違われて警官に叩き起こされた者もいた。

 ただ、一度だけひやりとしたこともあった。獲物を物色しているときに、目立たないようにサングラスを外して目だけを動かしていたとはいえ、注意して見られるとやはり不審に見えるらしく、よりにも寄って警察官に声をかけられた。ただ、警察官も明らかに怪しいと思ったわけではなく、軽い感じだったので、単に念のために声をかけたのか、職務質問をするつもりなのかは分からない。

 内心慌てつつも、飼っていた猫が逃げ出して探しているんですと勲は言った。どんな猫なのかと尋ねられたら、とりあえず黒と白のまだらと答えて、――さっき同じような猫を見たので、この辺にいるのではないか――と続けた。警察官は興味なげに勲の話を聞いているときに、持っていた無線機が鳴った。警察官は勲から少し離れて無線を聞いていると、失礼しますとだけ告げてどこかへ去っていった。なにが起こったのかは分からないが、ヒヤヒヤさせやがってと小さくなっていく警察官に向かって舌打ちをした。

三箇日を過ぎれば機会を失い危険が増すのでキッパリとやめて豪遊した。高い酒を飲んで美味いものを鱈腹食べた。

 何気なく入った居酒屋でのことだ。ただ軽く酒が飲みながら間食したかった勲は、一人で酒を飲みながらツマミを食べていると、隣に座っていた団体客の一人が話しかけてきた。その男は酩酊していて、しかもやけに人懐っこい性格なのか、勲が迷惑そうに相手をしているのにも拘わらず、いろいろ話しかけてくる。勲が店員に言いつけて追い払おうか考えているときに、その酔っ払いの男が笑って――正月早々に強盗にあったらしく、気が付けば鼻血を出して路地裏に倒れていた――と言うのだ。もしやと思い、それでどうなったと勲は尋ねた。

「それがですね。財布が無くなってたんですよー」と、男は酔いで顔を赤くして笑っていた。

 被害者の顔は誰一人として覚えてはいないが、恐らくは自分が襲った奴なのだろうと、勲は妙に面白くなってくる。

「そいつは災難でしたなー。でも怪我が大したことなさそうでかったです」と、嘲笑を込めて言ってやった。ほかにも同情するような言葉をかけながら心の中で嘲笑う。

 ふと「もし仮に、私が犯人だったらどうします?」と訊いてみる。酔っ払いの男は冗談だと思い込んでいるために「金返せって、打ん殴ってやりますよ」と笑った。それは怖いですなと、勲の表情は笑っていたが、内心ではそんなことをしたら今度はブチ殺してやると殺意が漲った。


 一月も十五日を過ぎるころには、勲からすれば節約していたつもりでも金は尽きてくる。そうすると禁断症状が始まる。酒が欲しい。女も欲しい。煙草を吸いたい。競馬をしたい。パチンコもしたい。だが金が無い。インターネットやテレビ・ゲームなんて何週間もやっていれば飽きてくる。新しいゲーム・ソフトを買う金もない。あれば酒や博打に消える。勲は小まめに貯金をするような性格でもないので、銀行に行ったところで大した額はない。一応は銀行通帳を見てみるが、とても生活できるほどの金は残っておらず、贅沢なんて考えることすら出来なかった。

 仕方がないので散歩をしに出かける。いくつかの住宅街を物色して盗みに入りやすい住宅を探すのだが、この日は気に入るような家はなかった。日が暮れたころ、なんとなく目を向けた一軒家の中は暗かった。周囲の家はすでに光が点っている。

 留守か。

 勲はそう悟ると、周囲を警戒しながらこっそりとその家に忍び込んだ。一階のリビングを物色していると、名前の書かれた幾つかのポチ袋の中にそれぞれ紙幣が何枚か入っていた。この家に住む子供が貰ったお年玉だろう。もちろん貰う。ほかに高額といえるほどの金はなかったが、貯金箱を見つけたので、その中身も家にあったビニール袋に入れて戴くことにする。次いでだからと二階にある部屋を物色しているときに、この家の家族が帰ってきた。玄関が誰かが入ってきたかと思うと、すぐさま階段を上がってきた。勲は扉の脇の壁に背中を当てて息を殺す。寄りにも寄って、その誰かが勲がいる部屋のドアノブを掴んで扉を引いて入ってきた。勲は、その人物に顔を見られる前に顔面を打ん殴った。相手は中学生くらいの男だった。その男は鼻血を出して気絶する。倒れた拍子に出た物音に、一階にいた家族が気付いた。どうしたのと母らしき女の声がしたので、気絶した男を殺すつもりでいた勲は、顔を家族に見られもしたら皆殺しするしかないが、それはあとが面倒だと殺害を諦めて逃げだした。

 その日、勲が得た金は翌朝には消えていた。


 勲がSNSで交流を持っている女性から顔写真が送られてきた。この女性は、どれだけ催促しても顔写真を送ってこなかったのだが、勲のほうから自分のものだと偽った顔写真を送ると、お返しのつもりなのか数日後に顔写真を送ってきたのだ。それだけなら別に勲からすればなんのことはなかったが、その写真に写る顔が美人であり、しかもすごく勲好みだったのだ。勲はすぐに暴力的な交流を持ちたいと考えたのだが、どうやって誘き寄せようか悩んだ。何度か女を誘き寄せてはいるが、会おうといえば会ってくれる奴、高級レストランでの食事を用意すればやってくる奴、高級ブランド品などを用意すれば来る奴といろいろ居たが、今回の女は警戒心が強そうだった。

 すぐに会おうといっても警戒される。なので、雑談の中で食事や買い物の話題やありふれた相談事などに乗る形で、相手の職業や家族構成を調べるのだが、今回の女はなかなか心を開く様子を見せず、漠然としていたり無機質な返答しか送ってこなかった。ただ、勲の誘導によって、女の家が勲の自宅と比較的近いということは分かった。しかし具体的な場所、つまりどの町なのかは分からなかった。どうやらこの女は、現実世界とネット世界の人間関係を完全に分けているようだ。魅力的なこの女がすぐには手に入らないということと、努力しても落ちる気配が見えてこないというのが勲の邪悪な欲望を刺激して、なんとしてでも手に入れるという執着や信念を持たせる。勲は終日、頭のどこかで彼女のことを考えた。彼女の顔写真は首から下は肩までしか写っていなかったというのも勲の想像を掻き立て、彼女をより理想に近い偶像へと昇華していった。しまいには夢に、水着姿で笑顔を見せる彼女が現れるほどになっていた。

 物欲的で拝金的な考えを好む勲は、やはり食事や物で彼女を釣ろうと考える。必ず捕まえたい相手だから、どんな手段でも使える状態にしなければならないとも考えた。自分の顔写真を送ったときに、相手が顔写真を送ってきたところから見れば、責任感の強い女なのかも知れない。ならば、冗談めかして非現実的な会う条件を提示……つまり、初対面の相手にはまず渡さないだろう高額な品を渡したり、極めて優雅で豪華絢爛な体験させると伝えると、相手は冗談半分でそれを呑み、すでに条件が整っているといえば責任を感じて相手は来るのではないかと勲は結論を出す。無理難題な条件の提示と、整っているように見せるだけなら簡単だが、女を引きずり出したあとに逃げないように留めておくには、それ相応の金がいると勲は考えたが、いまは金がなかった。最近は金が手に入ればすぐさま使っていて残りが乏しい。すぐに大金を調達するあてもなかった。勲の家には、萩から盗んだテレビ・ゲーム機やゲーム・ソフトなどがまだあった。飽きていたのでそれらを売り払おうかとも思ったのだが、すでに発売から一年以上経っているゲーム・ソフトの中古での買い取り価格は安くなっていて売る気にはならず、ソフトを残しておくならゲーム機も売るわけにはいかなかった。再び酔っ払いを襲撃しようかとも考えたが、自分の犯行のせいで警備が厳しくなったらしく、強盗注意の立て看板がいくつも設置されているのを知っていた。もしかしたら監視カメラも増えているかも知れないと考えると、さすがに面倒に思えた。

 だが、あの女を捕まえるには交流のある今の内でなければならない。勲は効率よく金を稼ぐ方法と、金をかけずに彼女を捕まえる方法の二つを常に考えていた。


 仕方がないので結局、勲は真面目に働くことにする。そうはいっても勲の主観であり、実際は空き巣である。日中であっても明らかに留守であれば侵入し、深夜には住人が寝静まっているのをいいことに金品を盗む。これも勲の主観ではあるが、一応は酒も博打も控えた。転売できる盗品を売っても一攫千金とはいかず、勲が求めるほどの金額を得ることは出来なかった。勲は苛立った。これなら教員を続けていたほうがまだマシだったとすら思えてくるのと同時に、自分を退職に追いやった校長と女子生徒に強い殺意が湧いてきた。

 よし、校長を殺そう。

 そう思い立って、勲は晩になると校長の住所を調べるために退職した学校へ向かった。間取りは分かっているから、容易に侵入できたし、思っていたよりも簡単に校長の住所が分かった。ついでに校長や同僚が学校に置いていた金目のものを盗んでいった。

 明後日の未明、勲は校長の自宅に忍び込んだ。勲は早々と見つけられる限りの金品を、萩の私物だったショルダー・バッグに入れると、校長の寝室に入る。偽装工作をして煙草に火をつけて枕許に置いた。そのうち煙草の火が周辺に廻る。そうすれば火事になって少なくとも校長は死ぬと考えたのだ。

 翌日の昼間に校長宅を火元とした火災によって――その家を含めた周囲三件を全焼して二件が半焼。全焼した三世帯の家族十人全員が死亡し、半焼した世帯でも三人が重軽傷を負った――との報道を見た勲は、込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。警察は校長が勤務する学校でも窃盗事件があったために、一応は事件も想定して捜査も行ったのだが、結局はこの火災は校長の寝煙草が原因によるものであり事件性は無いと処理された。

 あの女子生徒も殺してやろうか。

そう勲は考えたのだが、あの生徒の自宅は、勲の自宅から電車で一時間以上も掛かる場所であることと、女子生徒を殺すならその両親をも殺さないといけない。今回と同じ手を使うという手段もあったが、女子生徒の家族に煙草を吸う者がいなければ使えないし、仮に行った結果……この犯行手段を警察に看破されたらと恐れた。放火とばれてしまえば、勲が退職した学校で校長と線が結ばれ、警察の調査によって双方に恨みがある勲が容疑者になる。正直、勲自身はここまでは考えず漠然とした不安から警戒しただけなのだが、ほかに女子生徒の殺害方法を考えるほど執着がなかったので、今回は殺害をとりやめる事にした。勲の執着は、捨てたオモチャを消し去ることよりも、いま欲しいと渇望するオモチャを得る手段を考えることに向いていたのだ。


 めざわりな生き物が死んだからといって、勲の懐に金が転がり込むわけではない。現実問題として、もっと金が欲しい。しかも短い時間でだ。空き巣をやりながらも博打もやっているが、博打は手持ちを減らすだけで一向に金を増やしてはくれなかった。読みが当たらないのであれば、競馬も競艇もそのうち飽きてくる。パチンコは何時間もやってしまうから時間の無駄だ。ならばやはり空き巣しかないと勲は考えていたとき、ふと閃いた。

 金持ちの家を狙えばいいじゃないか。

 その日の夕方に、近隣にある金持ちの子供が通う私立学校の校門から出てきた、頼りなげな男子生徒に気付かれないように尾行する。その生徒の家は、住人は金持ちだと言いたげなほど豪邸だった。今晩あたりこの家に忍び込もうと思っていたのだが、たまたま監視カメラがあるのに気付いて諦めた。だが、方向性は間違っていないと、犯罪行為そのものが根本的に間違えていることは一切気にせず、勲は一獲千金の強奪を夢に見ていた。

 銀行の前を通り過ぎたとき、銀行から出てきた中年女性がやけに鞄を大事に持っているのが目に留まった。誰がどう見ても大金を持っているのは分かった。何に使うのかは知らないが、勲はすぐにその女性を追いかけて、その女の自宅を確認した。その日の晩に、勲はその家に忍び込んだ。よほど大事な金なのだから、相当の金額があるのだろうと思っていた。リビングにあった戸棚の奥に、女性が持っていた鞄があった。こっそり確認してみると札束が一つ入っていた。読みが当たったと思わず頬が緩んでしまう。と、ここで戸棚の上に置いてあった固定電話が鳴った。勲は受話器をとって、すぐに下ろした。また、電話が鳴ったので受話器をとって、電話を切ってそのまま受話器を電話機の隣に置いた。静寂に満ちたと思った途端、今度はリビングに置いてあった携帯電話が鳴った。勲は思わず「クソッタレ!」と漏らしそうになる。と、家の奥から声がした。

「リビングに誰かいるみたい」と女の声だ。

「え? 誰が?」と、寝惚けてはいるが男の声だ。しかも低い声だ。

「それに貴方の電話が鳴ってる」

「おっと。リビングに置いてきたのか。うっかりしてた」

 扉が開く音がした。勲は急いで逃げようとするが逃げ道がない。札束の入った袋を掴み、リビングから出て玄関へ向かう。ちょうどその姿を男が見た。

「誰だ! 貴様は!」と男が駆け出す。

 勲が家から出ると風が吹いていた。男が勲の服を掴んだ。思った以上に力がある。殴り合いをしている暇はないと、勲は盗んだ封筒から札束を出して、それを空へとばらいた。風に乗って一万円札が舞う。男の意識が一万円札に向いた瞬間に、勲は男の手を振り払って逃げ出した。男が一瞬、勲を追い掛けようとするが、風に乗った一万円札は闇の中を飛んでいく。

「引き出した金を散撒かれた」と男が叫ぶと、女も出てきて一緒に一万円札の回収を始めた。その隙に勲は可能なかぎり遠くへ逃げた。

 逃げ切ったと一息ついたとき、一万円札を散撒いたときに一二枚くらいならくすねられたのにと悔しがった。


 一月の終わりに勲にとっては非常に幸運な出来事が起こった。勲の許に父方の祖父の訃報が届いたのだ。勲の両親はすでに他界しているため、祖父の遺産の相続する権利の一部は勲にあった。勲は祖父の葬儀の日に、葬儀が終わるころを見計らって祖母宅へ行く。案の定、祖母や父親の兄弟らが集まっていた。

「やっぱり、金だけ貰いに来たか」

祖母が孫を見るなり毒を吐いた。

「親父の代わりに、老い耄れの金を貰うぞ。で、幾らあるんだ?」

 勲が喪服を着た親族たちに向かって言った。すでに遺産相続に関する分け前の計算は終わっていた。勲は祖父の生前から調べたのだろうと思った。その読み通り、親族も口には出さなかったが、祖父が死ぬのを待ち侘びていたのだ。だが、計算してみた結果、相続権のある親族に均等に分けるには、土地や住居を売却しなければならず、その場合は祖母に新しい住居を用意する必要があったが、親族の誰もが祖母を引き取るのを、大ッ平には言わなかったが拒んだ。

「なら、老い耄れの生き残りは施設に押しつければいいだろう」

 祖母を前にして、勲は言った。

 その資金については、孫の自分は関係ないので、祖母の子供である親族らが処理しろと続けた。親族は、祖父の遺産を相続するのなら祖母の面倒も分担しろと主張したが、勲は駄々を捏ねて拒んだ。

 祖母が勲に言う。

「お前の母親も随分なクズだったが、お前の腐った卑しい根性は《お前の》父親そっくりだ」

「親父の性格は両親譲りだ。どうせ老い耄れの金も犯罪まがいの方法で稼いだもんだろうが」と勲は平然と言って退けた。的を射ている分、親族らも何も言い返せない。

 親族らが集まって小声でなにかを話し出した。勲はそれを睨むように見るが、なにを言っているのかまでは分からない。

勲の伯父にあたる男が言う。

「オレらの分は後回しでいいとして、お前の分を調達するには最低でも一週間は掛かるらしい。それをお前の口座に振り込んでやるから、さっさと帰れ。目障りだ」

 勲はその金額がどれほどか尋ねると、サラリーマンの平均年収より一割ほど差し引いた程度だそうだ。それでも十分な額である。勲はその程度しかないのかと愚痴を言いながらも、内心は上出来だと北叟ほくそ笑んだ。そして遅くても二週間以内には自分の口座に振り込むように命令して、さっさと帰って行った。勲が帰ったあと、残っていた親族が北叟笑む。祖父が遺した遺産はもっとあったのだ。祖父は生前に呆けと寝たきりになっていて、しかも思ったより早く死んだために運よく金銭的な負担も少なかったことから浪費を免れていた。勲にくれてやった金は惜しいが、それでも伯父らはそれ以上の金額を相続できるのだ。それを知らずに勲は喜んでいた。


 もうすぐ大金は転がり込むと分かってしまえば、思わず散財してしまうのが勲である。何軒にも空き巣に入った金も、校長を殺害したときに得た金も、すぐに消えてしまった。SNSの女を捕まえる資金も、しばらくは豪遊できる資金も老い耄れの死のお陰で苦労なく手に入った。一週間ほどが経って、銀行に行った勲は祖父の遺産が口座に入ったか調べてみると、まだ送られていなかった。激怒した勲はその場で伯父に電話をかけ、金はどうしたといきなり怒鳴りつけた。血は争えないのか伯父も血の気が多いらしく、すぐに調達できないと言っただろうと怒鳴り返してきた。そのあと一週間後に払うと言っただろうが、あれは早くて一週間だなどと怒鳴り合った。伯父の、二週間以内に払えばいいと言ったのはお前だとの言葉に、勲はクソッタレと罵声を浴びせて電話を切った。余計なことを言ってしまったと地団駄を踏む。

 勲は財布の中身を見る。非常に寂しかった。怒りが収まっていない勲は、その財布を足許に全力で投げつけると、そのまま足で踏み躙った。ふと、周囲の冷たい視線を感じた。銀行員も客も、困惑した様子でこちらを見ている。

「なに見てんだよ。見世物じゃないぞ!」

 低い声で威嚇しながら財布を拾ってバツが悪いまま帰宅する。家に着くと椅子に座って煙草を咥えて火をつける。深呼吸するように大きく煙を吐いた。

 ふと、伯父らを殺したら、連中の遺産を自分が相続できるのではと考えて、簡単にではあるがインターネットで調べてみるが、遺書で指名されていない限りは無理らしい。これなら、祖父が死ぬ前に伯父らを殺すべきだったとも考えたのだが、そうしたら勲の従兄弟らが伯父が貰えるはずだった遺産を得るはずだと考えると、どっちに転んでも都合が悪いと舌打ちした。あとで思ったが、伯父らが死んだら自分が祖母の世話を見ないといけない。それなら、自己満足のためにも伯父らは殺せないかと勲は苦々しい気持ちになった。


 祖父の遺産が振り込まれるまでの生活費を自力で調達しなければならなくなった勲は、仕方なしにまた空き巣を行うことにした。ただ、自宅周辺では危険であり、少し離れた町も何度か空き巣に入っているために警戒されている。なので、電車で二三十分ほど離れた町で犯行に及ぶことにする。数日をかけて何軒かに侵入して、そこそこの金額は手に入れた。一週間は生活できるが欲が湧いてきた。勲は翌日になって、これが最後だと思いつつある一軒家に忍び込んだ。勲の読み通り、住人は留守だった。勲がある部屋に入ると真ッ暗だった。明かりを点けると、明るい雰囲気の部屋だった。背の低い机と、撮影用のスタンド・ライト、ビデオカメラとそれを載せている三脚があるが、それ以外は特にない。勲は周囲の様子を見ながらも、ビデオカメラだけを手に取ってその部屋から出ようとしたときに玄関から物音がした。掴んでいたビデオカメラを、萩の私物だったショルダー・バッグに入れて息を殺す。

住人の男がスーパーマーケットの袋を手に提げて帰ってきた。年齢は二十代の前半と思われる。その男はそのまま台所へ向かった。

 勲は閉じられていた窓のカーテンを少しめくってみる。雨戸まで閉まっている。これを開くと嫌でも音が出る。仕方がないので部屋から顔を出して廊下を覗き見る。玄関が見えるが、誰もいなかった。台所から冷蔵庫を開ける音がした。

男が牛乳を買い忘れたことに気付いて悔しがっていると、ふと玄関から物音がした。不審に思った男が廊下に出て玄関を見ると、なぜか玄関扉が開いていた。不思議に思いながらも扉を閉めて鍵をかけたときに事態を察した。

 家と塀の陰に隠れた勲は、ショルダー・バッグに入れてあった靴を取り出して、それを履いた。そして周囲を見回しながら、誰もいないことを確認すると塀を乗り越えて何もなかったかのように堂々と住宅街を歩いた。

 三日後の夜、インターネットで報道記事を読んでいた勲は少し驚いた。無数に溢れるニュースの中に『エイゾーが空き巣被害に!』という題された見出しを見つけたのだが、見出しの隣にあった写真が、見覚えのある部屋で撮られたものだったため、少し気になって見てみたのだ。すると、やはり三日前に自分が侵入した家だった。

 記事の概要はこうである。有名な動画投稿者のエイゾー氏が空き巣被害を受けたことを、昨日エイゾー氏が投稿した動画内で告白した。さらにはエイゾー氏は高い人気を誇る動画投稿者の一人で、その動画再生による広告収入による収益は平均所得の二倍以上と推定されるといった、本来の趣旨とは関係のないことまで書かれている。

 勲は当初、下らないと鼻で笑っていたのだが、被害者は一応でも有名人であることが少し気になった。なので、エイゾーが空き巣被害についての動画が気になり観てみることにする。最初の数秒は『エイゾー動画! エイゾー、空き巣被害!!』と銘打った画面が表示されて音楽が流れる。題名が消えるとエイゾーが現れた。撮影した場所は、ビデオカメラを盗んだあの部屋だった。

 画面に映るエイゾーが言う。

「まず、投稿が遅れて御免なさい。実はうちに空き巣が入って、撮影や投稿どころじゃなくなって。しかも撮影に使っていたビデオカメラが盗まれて最悪。ちなみに、今回は携帯電話で撮っているだけど、ちょっと画質が悪くなったかも」

 冗長な話が続く。勲は思わず左手で頬を掻いた。その腕にはもちろん、あの黒いドラゴンがいる。

 まだエイゾーが喋り続ける。

「通帳とか、動画の投稿や編集に使ってるパソコンとかは無事だったんだけど、お金が結構盗まれて――」

 面白味がなく、苛立ってきてマウスを何度も人差し指で叩いた。

「怖いのが、僕が帰ってきた時には、まだ泥棒がいたらしくて――」

「つまらん!」

 勲はエイゾーの動画を見るのをやめた。すぐにいつも観ている卑猥な動画のサムネイルを選択してその動画をマジマジと眺めた。ふと、動画の再生回数が目に留まったとき、エイゾーが動画で稼いでいることを思い出す。勲はエイゾーが投稿した動画の一覧を見てみる。さっきの動画は前日に投稿されたのにも拘わらず、すでに三十万回の再生回数を超えていた。ほかの動画の再生回数も非常に多い。

 ふと、一度の再生でいくら貰えるのか気になった勲は、調べてみることにした。

 勲が地下室に赴く。幾つものトレーニング・マシンが置かれている。この部屋は、死んだ父親が音楽を趣味としていたため、サックスだのギターだのの練習のために用意した部屋だった。そのため防音になっている。父が死んだあとは楽器を処分して、勲がトレーニング・マシンを置いて使っていたのだが、この部屋をより有効的に活かす便利な方法を思いついたのだ。

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