第五回
恥の多い生涯を送って来ました。
太宰治の『人間失格』にある「第一の手記」の冒頭の一節。
中学生のころに母から読まされたことがある。読書感想文の題材にするためだ。なぜこの話なのかと訊いたら、有名な作家が書いた有名な作品だからとしか答えが返ってこなかった。それなら夏目漱石の『こころ』や、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でも、いっそ短編である芥川龍之介の『蜘蛛の糸』でもいいのではと思ったのだが、なぜか母親はこの作品に固執した。母に作品の内容を尋ねたら、人間失格の人間の話だとしか答えなかった。中身を知らないのかと尋ねたら、うるさいと言って殴られた。どうせ題名しか知らないのだろうと、あたしは思った。
母はそういう人だ。偉そうでなくせに劣等感の塊で虚栄心の塊でもある。そして外面がいい。あと、自分が信じたことは狂信的に執着する。
あたしはそんな母が大嫌いだ。
『人間失格』の主人公は、可哀想な人だった。成績は優秀で、かつ見事に道化を演じられるほどに器用なのに、生き方に至っては救いがないほどに不器用だった。
あたしは読書感想文を素直な気持ちではなく、作為的な気持ちで書いた。つまりは母が望むような形で書いたのだ。母は字を読むのが遅かった。たかだか四百字の原稿用紙三枚を読むのに十分以上も待たされる。その途中に、字が下手だの表現を難しくしろだの、まだ習ってもいない難しい漢字を使えだのとやかく言ってくる。
母は惨めだった。父もこんな女と結婚をしたことを後悔しているのだろう。あたしが中学に入ったころにはすでに、両親は雑談すらしなかった。たまに会話があったとしても必要最低限のことしか話さない。挨拶すらない。同じ家に住んでいるのにも関わらず、一緒に住んでいるといった感じがないのだ。
『第一の手記』にて、主人公は“恥の多い生涯を送って来ました”と記している。あたしもそうだ。たまたまこんな女の腹の中で生まれてしまったがために、無理を強いられてきた。作品の主人公は、人の目を気にして怯えながらも、成績優秀で道化を演じてなんとかみんなから好かれていた。だけどあたしは違った。一応、成績はいいほうだったが、そのために毎日勉強漬けだったし、道化を演じてみんなから好かれるといったことは出来なかった。遊びの時間なんかも無いから、同級生の話題についていけなかった。流行している歌手や芸人……ドラマの名前はもちろん、去年流行って誰でも名前くらいは知っている映画の題名さえも知らなかったのだ。それにそもそも人付き合いが苦手だから、当然ながら友達なんかも出来なかった。
学校では一人だった。
もしも誰かから「好きなものはなんですか」なんて訊かれても、なにも答えられない。「得意なことはなんですか」との問いには、母に服従することとしか答えられない。個性を殺されて生きてきた。自分には誇れるものも頼りに出来るものも何もない。
違いはあれど、『人間失格』の主人公が恥と証言したものは、違う形で自分の未来に現れ、自分の魂にも刻まれるものではないかと思えてくる。あの主人公は道化という形で他者から愛情を求めた。だけど、あたしはそれすら出来ない。する勇気がない。
当然、こんなことは読書感想文には書かなかった。
小学校のときは公立の学校だったが、母親の幼稚な虚栄心から中学は私立の名門校に入るハメになった。そのために小学五年生になると遊ぶ時間を奪われて延々と勉強させられた。難関中学にはどうにか入学できたものの、通学には毎日片道二時間もかけた。朝は五時に起きて、二時間もかけて友達もいない学校に行って、夕方の……冬には日が暮れている時間にようやく帰ってきたかと思うと、夜の十時まで勉強漬け。そのあとに晩御飯とお風呂の時間といった生活を三年間も続けた。夏休みや冬休みなんてものは無かった。もちろん学校としては用意しているが、そんな時期も母親に勉強漬けにされたのだ。
毎日が地獄だった。別に勉強が好きでやっている訳ではないし、目標に向かって学んでいる訳でもない。母の馬鹿気た虚栄心に無理やり付き合わされ、それを拒むと暴力で訴えてくるから、嫌々勉強をしていた。
いつの中間テストだか期末テストだか忘れたが、成績に関わるテストで思いのほか癖の強い問題が出たことがある。数学のテストだった。そのテストでは得意不得意がはっきり出る問題ばかり出題された。ほとんどが文章問題であり、数学が苦手な生徒からすれば難問揃いだったが、文章問題としては比較的簡単なものもあったので、テスト結果は多くの生徒が高得点か赤点ギリギリかの両極端になったのだ。現に百点満点の生徒が何人もいたそうだ。ちなみに平均点は六十八点で、あたしは八十四点だった。
母はあたしの成績が上位十五パーセント以内に入らないと激怒した。テストの結果は、同級生百人のうち、あたしは上位二十番目だった。それでも平均点で六十八点を大きく上回る八十三点もあれば上出来である。結果を聞いた母は、当初は平均点を上回る成績を喜んだが、順位を知ると激怒してあたしを殴った。「出来損ない」など「恥知らずの大馬鹿者」だの「こんな
自殺も考えた。けど、馬鹿馬鹿しいからやめた。高校を出て、遠くの大学に行って、卒業するころには成人だから自由に行動できる。その時に蒸発してやろうと思っていた。大学生になっても母があたしに付き纏うとしても、海外に留学さえしてしまえば、英語はもちろん、愚かゆえに主語や述語のいずれかが無いとか、助詞や接続詞の誤用などを平気で使い、本来は『前代未聞』と類義である『破天荒』を「型破り」の意味で使うとか、『雰囲気』を「ふいんき」と言ったり、さらには「耳ざわりが好い」といった意味不明な表現など、単語や慣用句の誤りは当たり前の母である。『柑橘類』を「柑橘系」と言うのは、一応は本来の表現と似通っているだけまだマシなほうである。いい大人の表現としてはみっともないが。そんな愚かな表現に気付かない程度の母が、わざわざ海外に付いてくると思った。いや、愚かだから無謀だと理解できずに付いて来る可能性もあるとも思えた。それ以前に、口から発せられる言葉の一つ一つに愚かさが滲み出ている母のことである。海外の大学なんて世界一と言われるアメリカの大学しか知らないだろうから、第二位や第三位と称されるイギリスの大学なんて、とても知っているとは思えなかった。だから、その大学の名前を出しても、そんな無名校には行くなと騒ぎ立てるかも知れない。いや、馬鹿だから、欧米の大学ならどんな三流大学でも、日本で一番の大学よりは優秀だと言えば、案外信じるかも知れない。中学時代なこんな感じで、母親からの呪縛から逃れる方法を、暇を見つけては考えていた。
中学三年生のころ、母の異常な虚栄心は磨きを増していた。嫌みに聞こえるかも知れないが、この頃のあたしの学校の成績はいいほうだった。だが、これを維持するために地獄の底で生きていた。それにも拘わらず、あの女は今のあたしが更に努力しないと入れないような名門高校に入れと命令してくる。あたしは無謀だと言った。ああいう学校は、もともと頭のいい人がさらに勉強して入るような学校だと言った。もともと賢くはない、ここは言わなかったがあんな馬鹿の娘である、あたしが入るのは到底無理だとも言った。それでもあの馬鹿は暴力と無理強いによってその名門高校を受験させた。普通なら第一志望は自分よりも少し水準の高い高校、第二志望は合格に自信のある学校を選びそうなものだが、あの馬鹿女は第一志望の高校受験しか認めず、滑り止めを受けさせてはくれなかった。受験のことで父にも相談したのだが、まるで関心がなく一切役には立たなかった。
そして受験の結果は、あたしの予想通りだった。
ここまで来たときには、あたしからすれば当然の結果だったが、娘が高校浪人という現実は母の幼稚で馬鹿気た、虚栄心と自尊心を著しく傷つけた。
「大馬鹿者!」
「クズ!」
「ゴミ!」
「恥知らずの出来損ない!」
「お前が娘なのが恥ずかしい!」
「自殺でもなんでもいいから早く死んじまえ!」
「お前みたいな癌を産んだことが、あたしの人生最大の失敗だ!」
ほかにも罵詈雑言を浴びせかけられると、頭が言葉の意味を理解するのを拒絶するようになって、なにを言われたのか分からなくなってくる。ただ「穀潰し!」と言われたのを聞いたときは、こんな馬鹿でもそのくらいの言葉は知っているのかと少し感心した。当然ながら、こう暴言を浴びせられているうちは、殴られたり蹴られたり髪を引っ張られて振り回された。顔には痣が出来た。その日から学校へは行かせてもらえなくなった。虐待を隠すためではない。高校浪人に出歩かれると一家の恥だからだそうだ。だから、楽しい思い出のない中学の卒業式には出ていない。
二つ下の妹の
妹と母は好みと性格が似ていた。だから、あたしの事を手間の掛かる存在としか思っていなかった母と同じように、妹もあたしを迷惑な存在としか思っていなかった。あたしが受験に失敗したのを知った妹は笑いながら、怒鳴る母に同情していた。
受験に失敗して、本来なら高校生になっていたはずの四月。あたしは自分の部屋に引き籠もっていた。部屋から出ると母が怒鳴って暴力を振ってくるのだ。昼間の外出など
そうしたら、いま以上の地獄があるのは目に見えていた。
だから、今は我慢して家から出る方法を考えた。
アルバイトして資金を稼ぐのはどうか。
いや、あの女のことだ。あたしの給料を横領するのは当然の権利だと思っているだろうし、そもそも外出さえ禁止しているのにアルバイトなんて認めるはずがない。言った瞬間には
親戚の家に行こうにも頼れる親戚はいなかった。
やっぱり三年間我慢して、遠くの大学に行くと言って家を出るのが一番いい。
普通、中学を卒業しただけで大学に行く手段なんてない。あれば高校が存在する必要がない。だけど、高等学校卒業程度認定試験……いわゆる高認がある。これにさえ受かれば高校を出ていなくても大学受験が出来る。あたしは深夜にこっそりインターネットで過去の問題を見てみた。結構、簡単そうだった。けど、今までインターネットに触れた機会がほとんどないから、過去の受験者の意見を聞くにも、どんなウェブサイトに入ればいいのか分からなかった。適当に検索したサイトに入るのも、なんだか怖かった。もしも万が一、変なサイトに入ってウイルスなんかに感染したら、あの女はいつもの発狂を見せるだろう。それが嫌だった。それでもとにかく、この試験を受けることにする。
だけど問題があった。お金がない。だから参考書とかが買えない。
一流の名門進学高校には落ちたとはいえ、中学の勉強にはそれなりに自信があるから基礎はあるはず。高認試験も準備さえすれば受かる自信はある。だけど準備するだけのお金がない。
勇気を出して母に言ってみた。高認試験を受けたいと。だけどあの女は、無能はなにをやっても無駄と、まるで取り付く島がなかった。仕方ないから父にも同じことを言った。父は舌打ちして、どうせ無駄遣いでもするんだろうと言いながらもお金をくれた。あたしは、母が留守になった日を狙って家を出て、受験する科目の参考書やノートを買ってきた。レシートと一緒にお釣りは父に返す。父は黙ったままお金とレシートを引っ手繰って、レシートは握り潰して近くにあったゴミ箱に捨てた。
高認試験は八月と十一月にある。各科目には受験料が掛かるが、それも父に出してもらった。父は引き籠もりのくせに金だけは掛かると愚痴を吐いていた。あたしはそれを心を氷に閉ざして聞き流した。
最初は三科目だけ受けた。試験を受けてみると思った以上に簡単だったから、最低でも七割は合っている自信があった。その自信は家で試験解答を見たときには確信に変わった。九割近くは取っているかも知れないと思った。受けた試験内容は、その日のうちにインターネット上で過去問題として問題と解答が掲載されるのだ。結果の通知が家に届けられたときに、それを見た母は激怒した。
「引き籠もりの分際で家から出るな!」
あたしは何度も殴られた。貴様は親の言うことすら聞けないのかと母は怒鳴って、あたしの体に痣が出来て肌が切れるまで殴り続けたのだ。朝から家に出たから、母だってあたしが家にいないことくらいは知っていると思っていた。それでも何事も無かったから、父には試験に関することを言っていたから、父から試験の話くらいは聞いているものと思っていた。どうやら、父からすればあたしの試験のことは「母と話す価値もないこと」であり、母からすればあたしは、社会から隔離されていれば興味を持つ価値のない存在だったのだ。
まったく血統とは素晴らしい。
地獄のような勉強漬けの日々を過ごしたのに高校に落ちた出来損ないのあたしは、両親から出来損ないの血を受けて生まれ、妹は成績優秀な点を除けば母を鏡で写したかのように似た劣悪な性格を継いでいる。
動物なら間引きの対象だ。
結局、あたしが買った参考書もノートも筆記用具も全部捨てられた。明らかに異常な行動だが、自分が信じたことが神である母からすれば、神聖不可侵にして絶対正義の行為なのだろう。父はそのことに関心を示さなかった。妹は我関せずといった様子だった。いや、遠くから嘲笑うような目でこちら見つつ、口許は緩んでいた。妹が過剰なまでの暴力で訴えてきたところはまだ見たことがない。だが、いつかはそうなるだろうとあたしは思った。
家出したい。だけど、行くところがない。十六歳で路上生活か。そういえば、そういう人達はどうやって生きているんだろう。あたしなら一週間経たずに死ぬだろう。ここにいてもいつかは死ぬだろう。
なんのために生まれたのかなんて、幼稚でメルヘンチックなことは考えなかった。両親が結婚したのは、あたしが生まれたあとだというのは知っている。
お楽しみの結果、たまたま生まれてしまったから、なんとなく結婚してみた。
生まれる条件を満たしたから、生まれたに過ぎない。生命の真理だ。その生まれた命に、あたしの……いわゆる魂が宿ったのは、あたしの人生における最大の不幸なんだろう。これさえ無ければ、こんな地獄はなかった。生まれて来るんじゃなかった。
いっそ、死んでやろうか。そんなことも思った。
参考書が無くても、インターネットを使えば効率は悪くても勉強できるはずだ。図書館は開館時間に行くことが出来ないから、最初から諦めている。そもそも行くだけの電車賃が用意できない。祖父母の家に行くのはどうか。十年近くも会ったことのない、電話さえしたことのない孫なんかを受け入れてくれるだろうか。住所は年賀状とかを調べれば分かるはずだ。交通費は親から盗めばいい。一度電話してみるか。いや、やめておこう。
もしも母にバレたら、殺されるかも知れない。あの女が向けるあたしへの害意は、もはや殺意だ。あの女からすれば、生かしてやっているのだから感謝しろという気持ちなのだろう。どうやったらこんな人間になるのだろうか。もし、大学に行けるのなら心理学でも勉強してみようかな。
けど、このままじゃ試験を受けるお金はない。それ以前に、この状況だと今すぐにでも家から出る方法を考えないといけない。無一文で無職でしかも親の許可のない十六歳を雇ってくれるようなところなんてあるのか。普通なら無いだろうし、あるとすれば警察が目を光らせるようなところだろう。
最悪は路上生活か。いや、そっちのほうがまだいいのかも知れない。
午前一時から午前六時ごろまでは両親も妹も眠っている。だから、この時間にはこっそり外に出たり、こっそり家のパソコンを起動させてインターネットをしていた。ばれたら折檻だろうが、この幽閉から解放される手段を探さずには居られなかった。ただ、毎日は出来なかった。ばれるのが怖かったのだ。外出しているときも、もしバレたらどうしようと思っていたし、パソコンを使っているときも物音一つで心臓が止まるような恐怖を感じていた。
この頃には、母の怒鳴る声も笑う声も、あたしの神経に障りすり減らす。自分の部屋にいることは、あの女の声を聞きたくない一心で布団に籠もり、耳を塞いでいた。
ずっと家にいて昼間は雨戸を閉めた部屋に閉じ籠もり、部屋から出るのは大体夜中だ。あたしの中で四季は無くなり、暑いか寒いかのどちらかしかない。インターネットの中では、一応は季節の話題を見ることがある。梅雨になれば黴対策とか、夏が近づけば観光や行楽の話が上がる。あたしは小学校五年生のころから旅行に出掛けたことがない。いや、厳密にいえば修学旅行だけだ。修学といっても実際に勉強することはないのにも関わらず、母がそんな旅行に行かせたのは内申点とか世間体を気にしたのだろう。この旅行もあたしからすれば苦痛だった。友達のいない集まりで二日三日も連れ廻される。女子にありがちな、取り敢えず群れて話を合わせるといった事もあたしには出来なかった。どこかを見学するときも、食事のときも、眠るときもずっと苦痛だった。一番つらかったのは自由時間である。中学三年生のときは最後の修学旅行ということもあってか、好きな人達が集まって班を作って行動するように言われた。愕然とした。正直、出席番号とか席が近いとか、適当に纏められた集団で行動するほうが
インターネットの話題を見て、そんなことを思い出していた。あの子たちは今頃なにをしているのだろう。どこかの高校で楽しい学校生活を送っているのだろうか。あたしが浪人したのは知っているのだろうか。噂には聞いたかも知れないけど、影が薄かったからきっとあたしのことなんて忘れてるだろう。
もし、あたしがこの家から解き放たれて、好きな場所に好きなだけ行く機会があればどこに行くだろう。どこへ行って遊びたいか。海? 山? 海外にでも行こうか。けど、英語が分からないや。どんな所だろう。行ってみたいな。一人で行っても大丈夫かな? 行くなら、近い台湾かな。交通費も安いだろうし、文化も近くて文字も字体は違っても同じ漢字。なんとかなりそうな気がする。
そんな空想に耽っていると、時間は五時前になっていた。父が起きるのは大体六時ごろだが、時たま五時台に起きることがある。父はあたしに無関心だけど、万が一に備えてインターネットをやめてパソコンの電源を切って元あった場所に戻す。そして自分の部屋に戻った。
部屋に籠もって一時間ほどすると、父親が起きだした。今日はいつも通りに動くらしい。妹は七時ごろに動き出して、父はすでに出勤して妹の登校準備が終わったころに母が動き出す。今日はゴミを出す日なのにとか騒いでいる。母もいつも通りに動くなら、十時か十一時くらいには家事を大体終わらせて、父が帰ってくるまではテレビを見たりパソコンでインターネットをしたりして時間を潰すのだろう。買い物にも出掛けるかも知れない。
あたしは夜になるまで、みんな寝静まるまで自分の部屋にいる。夜行性の動物のように星の輝く時間しか外の世界を見られない。大海を知らない井戸の蛙、いや……大海を知りたくても井戸を登れないオタマジャクシ。上を見上げてわずかに見える星空に想いを寄せつつ、日が昇ると丸くなって、想いを抱いて暗く冷たい水の底に沈んでいく。
あたしは生きている。だけど、昼のあたしはまるで屍のよう。
去年の十二月に、父がパソコンを買い替えた。あたしはそのお古を貰った。いや、盗んだ。その古いパソコンも使えないわけではないので、新しいパソコンの調子が悪くなったときに備えた予備として捨てずにいたものを、こっそり自分の部屋に持ち込んだのだ。ばれる心配は少なかった。なんせ埃の被った段ボールに入れられていたからだ。余程の物好きじゃない限り、あんな汚い段ボールの中身なんて見ないだろう。あたしは外の世界に繋がりたい一心で、引き籠もるまで機械なんてロクに触れたこともないのに頑張って、無線でインターネットに接続できるように調整した。知識のある人には簡単なのか難しいのかも分からないが、あたしからすれば難し過ぎてどこをどうやったのか思い出せないくらいだった。音が漏れないようにするためにイヤホンが欲しかったのだが、幸いリビングにある本棚とテレビ台の間に落ちていた、埃まみれのイヤホンを見つけてそれを使ってみる。音は良くないように感じたが、十分に使えた。あたしは、そのパソコンとイヤホンを使って外の世界に触れた。
ウイルス対策ソフトは健在のようだった。詳しい設定は分からなかったが、まあ予備のパソコンだから安全に使えるようにしていたのだろう。あたしは安心した。これならウイルスを過度に恐れる心配がないから、インターネットに接続しても問題はない。それにみんなは使わないパソコンだから、今までウイルスが怖かったり履歴が自分の知らないところに残るのが怖くて接続できなかったサイトにも入れる。だから嬉しかった。
古いパソコンが繋いでくれた世界は、あたしの世界を押し広げてくれた。
音楽も映画もアニメもドラマも情報も、あたしの知らない全てが、あたしの知りたかった全てが、あたしを満たす全てがそこにはあった。パソコンを通してだけだけど、あたしが今まで味わえなかった自由があった。それでも有料のもの、公開中の映画、あたしの手には届くことのないものも、宣伝映像という形では断片的に触れることが出来た。寝ることも食べることも忘れて、あたしはパソコン画面を見つめ続けて、音を殺しながらもキーボードを叩き続けた。
布団の中の暗い世界に浮かぶその輝きは、あたしを幸せにした。
あたしはまだ生きている。
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