第四回


 約束は果たしてもらいますよと、萩は葬儀から帰ってきたばかりの太田忠広に詰め寄った。太田はもちろんですよと、人違いかも知れませんがと前置きしつつ、黒いドラゴンの入れ墨をした男について語り出した。

 男の名前は後藤ごとう礼治れいじといって、太田の中学と高校の二年先輩にあたり、大学も同じだそうだ。ただ、大学の場合は太田の一年後輩になるという。

「後藤さんは、小学生の頃から野球をやっていたそうです。小学生時代は知りませんが、中学では平凡な選手でした」

「あなたも野球をしていたんですか?」と教授だ。

「ええ。私も野球をしていましたが、よくて補欠でしたけどね。後藤さんもそんな感じで中学時代は、外野手の控えって感じで試合にはほとんど出なかったそうです」

 ただ、高校に入った後藤は才能が開花する。

「投手に転向したんです。左利きで肩も強めでしたから。二年のときには主力選手になっていたそうですよ。正直、ベンチが指定席だった後藤さんがチームの柱になるなんて、失礼ですが正直夢にも思いませんでしたから」と太田は言った。

 投手としての実力が本物だったこともあるのと、チームには優秀な投手が後藤以外にいなかったこともあり、二年生からは試合では先発投手を任されていた……というより、登板については後藤がすべて背負っていたらしい。なので、控えの投手は念のための保険という存在であり、実際に試合に出ることは無かったらしい。

「でも、そんな毎回試合に出てたら、肩を休ませる暇なんてないでしょ」

 教授だ。教授は野球経験なんてないが、それでも無茶ではないかと言う。

「ええ。たまの練習試合とかなら問題はありませんが、大会のように短期間に試合が集中する場合は危険です。ですが、当時の監督は後藤さん以外の投手を育てる気はまったく無かったみたいですね。基本、スターティング・メンバー以外は見向きもしないような奴でしたから。私も三年の頃にベンチに入りましたが、試合のときにお前の守備位置はどこだなんて訊かれましたからね。驚きましたよ。私は三年間ずっと内野をやっていたのに」と太田は言った。

 そんな監督だけあって、試合では後藤に無理な連投を平気でさせていたそうだ。後藤が二年生だったときに試合で肩に違和感を覚えたときも、監督は気合いが足りないからだと言い、次の試合で痛みを感じたときには、投手を替えて負けたら全部お前の責任だと怒鳴り散らして無理やり試合に引き摺りだしたなんて話を、太田は先輩から聞いたことがあるそうだ。もちろん、後藤の投球回数が異常な数になっても一切気にしない。当然ながら、そんな無理がいつまでも持つわけがなく、後藤が三年生だった夏の全国大会予選、あと二回勝てば全国大会という試合の七回目で、後藤の肩が限界を超えた。投げた球が捕手のほうには飛ばず、ホームベースと一塁の間に向かって、頼りない山なりを描いたのだ。後藤は左肩を右手で押さえながらその場に崩れた。その姿を見た監督は、こんなときに故障するような役立たずの癌は死ぬべきだなどという趣旨の言葉を吐いたのを、ベンチにいた選手の何人かは確かに聞いており、野球部内では公然の秘密として噂になった。そのの後藤は、数年間は自暴自棄のような状態になり、左腕の黒いドラゴンの入れ墨はそのころに彫られたそうなのだ。

 後藤が高校を卒業してから太田との交流は無くなるのだが、大学で再会する。そのとき後藤は一年後輩だった。太田は彼が高校卒業から大学に入るまで何をしていたのかを尋ねることはせず、後藤も自分から言うことはなかった。よく左腕に包帯なんかを巻いていたので、怪我かなにかかと尋ねたときに黒いドラゴンの入れ墨を入れているのを知ったそうだ。後藤はヤンチャが過ぎたと笑っていたが、表情からは後悔しているのが見て取れた。太田が大学を卒業するまでは、たまに会っていたそうなのだが、卒業と同時に連絡を取り合うようなことはしなくなり、当然ながら会うことも無くなった。それ以外、後藤がどんな人生を送ったのかは一切知らないらしい。

「ですが、後藤さんの実家なら知っています。後藤さんの家は、私の実家から中学への通学路にありましたから」

 太田がそう言った。

 もしも後藤やその家族がすでに引っ越していれば、もう居場所は分からないが、それでも萩は太田と一緒に後藤の実家へ行ってみることにする。一戸建ての家に付けられた表札は後藤のままだった。家に明かりが点いているので、無人ではなさそうだ

 引っ越ししてはいなそうですね、同じ苗字なんてオチはないだろうななどと太田と萩が言い合いながら家に入ってみる。蛇足だが、萩が身に付けた家屋への侵入方法は水泳のような技術的なものらしく、最初は出来なかった太田だったが、萩が教えるとすぐに出来るようになった。玄関から忍び込んで居間を覗いてみる。年老いた夫婦がいた。年齢から察するに後藤の両親だと太田が言った。ほかの部屋も覗いてみたが、肝心の後藤礼治は居なかった。

「やっぱり後藤は住んでいないのか」

「そうみたいですね」と太田が相槌を打つ。

 後藤の住所の手掛かりになるものはないか捜す。年賀状でもなんでもいいが、一番いいのは犯人かどうかを確認できる黒いドラゴンの入れ墨の写真なのだが、本人が彫ったことを悔やんでいるようなものの写真が飾られているわけもない。両親の周りで堂々で手掛かりを捜しているときに、後藤の母が――明日、礼治のところへ行く――と父に言い出した。そろそろゴミも溜まってきただろうしと続ける。父もそうかとだけ言って、二人の話題は別のものに転じた。

「後藤は結婚してないんですか?」と、萩が太田に尋ねた。

「さあ。大学出てから会っていないので……」

 まあ、これは好都合だ。翌日、萩と太田は後藤の母に付いて後藤礼治宅に行く。マンションの一室だった。散らかってはいるが、男性と女性が笑顔で並んでいる写真があった。その男が後藤礼治だと太田が教えてくれた。母は散らかっている息子の部屋の掃除を始めたので、その間に萩と太田は家の中を見て廻った。アニメのキャラクターに特撮ヒーローの人形やグッズがあった。中には萩はテレビかなにかで見たことがあるが、太田は知らないものもあったので、恐らくは比較的新しいキャラクターなのだろうと考えた。そう思っていると仏壇があった。あまりにも簡素なので、最初は棚の上に写真を並べているようにしか見えなかったが、よく見ると子供の写真と小さな仏像があった。

「後藤さんのお子さんですかね」

 太田が萩に言うが、そんなこと知るはずがない。

「それより、後藤のカミさんはどこだ?」

「離婚したんですかね?」

「そうかも知れませんね。かすがいが無くなったことだし」と萩は吐いた。

 後藤の母が掃除を終えて溜まっていた衣類の洗濯を終えると、冷蔵庫を覗いては足りない食材を買ってきては夕食の用意をする。最後には置き手紙を遺して帰って行った。萩と後藤は暗くなった部屋で、後藤が帰ってくるのをひたすら待った。

 午後の九時すぎに、後藤がようやく帰宅する。明かりをつけて机の上に母が遺していった手紙を読む。中身はなんの事はない。家に無断に入って、一通りの掃除・洗濯をしたこと。夕食の用意をしたといったことだけが書かれていた。後藤も表情を変えることなく、そのメモというべき手紙をゴミ箱に入れた。ネクタイを緩めて自分の部屋に入ろうと扉を開けた。着替えは入れ墨確認の好機である。萩と太田も部屋に入ろうとしたとき、玄関から「誰ですか、あなた達は」と声がした。萩らが声のほうを見ると女が立っていた。どこかで見た女だ。そうだ。写真に写っていたあの女性だ。

 太田は動揺するが、萩は冷静に女の脚を見る。予想通りに透けていた。

「あんたも殺されたのか」

萩は躊躇せずに言った。

「どういう事ですか!」と女は声を荒げた。

「オレは左腕に黒いドラゴンの入れ墨をした男に殺されて、そいつを捜してるんだ。今からこの家の男が、オレを殺した犯人かどうか確認する」

「うちの主人は、貴方を殺してなんかいません!」

「なら、見せてもらうぞ」と萩が部屋に入る。後藤の腕にいるドラゴンを見た。黒いドラゴンと言葉で表せば同じだが、その姿は別物だった。思わず舌打ちした萩が部屋から出てくるなり、帰りましょうかと太田に言った。

「違ったのなら、さっさと帰って下さい」と、後藤の妻という女も怒っている。

 ええ失礼しましたと、無愛想な返事をして出て行こうとする萩を、太田が止めた。

「あの、すみません。もし貴方が後藤さんの奥さんなら、どうして仏壇に貴方の写真が無かったのですか」と女に尋ねた。

 貴方が亡くなっているなら遺影があって当然だとも言った。

 萩は小さく溜め息を吐いて、どうでもいいだろうと吐き捨てた。萩からすれば、後藤が犯人でないことが分かれば、どうでもいい。それどころか、せっかく見つけた容疑者が別人だったことに苛立ちすら覚えていたのだ。女は黙っていたが、太田が後藤の中学と高校の後輩で大学も同じだったことを知ると、女は自分は生き霊だと告げた。

 女は詳しく事情を教えてくれた。

 名前を後藤桃子ももこといって、後藤礼治の一つ年上の妻だという。出会ったのが高校のときだが、太田が高校に入るのと入れ違いで卒業したので、太田と桃子に面識はなかった。その桃子が言うのには、後藤が大学生の時分にはすでに二人は交際していたそうだ。後藤が大学を卒業すると商社に入り、英語が話せたこともあり海外転勤が多かったそうだ。桃子も妻として夫と一緒に海外を転々としたことがあり、イギリス、カナダ、アメリカなどいくつかの英語圏で住んでいたことがあるらしい。三年前に日本に帰ってきたそうだが、二年前に再び海外に行くことになる。ちょうどその時期に桃子の母が体調を崩して入院した。幸いにも病状は大したことはなく、入院も念のためといった程度のものだったそうだが、桃子はまた数年は日本の家族に会えないからと、後藤と桃子、息子のれんの三人で母の見舞いに行ったそうなのだが、その帰りに後藤が運転する自動車が交通事故に遭って息子は死亡、桃子も現在は意識不明の重体……というよりは脳死状態にあるという。

「医学的には、どんな状態なのかよく分からないけど、もう幽霊になっているという事は、生き返らないんでしょう」と桃子は言った。すでに自発呼吸はなく、人工呼吸器がなければ息も出来ないらしい。まだ生きているというのは、悪い言いかたをすれば、後藤の我がままである。

「お子さんには、お会いになったんですか」と太田が尋ねた。

 桃子は首を軽く振ると、自分がこんな状態になったのに気付いたときには事故から一年も経っていたと言う。息子を捜したらしいのだが、どこにも居ないということは、すでに成仏したのだろうとも言った。

「あんたはなんで成仏しなんだ?」と萩だ。

 桃子は少し考えて「夫が心配だから」と答えた。

「それだけ?」

「息子が死んで、あたしまであんな状態になって、それを自分のせいだって苦しんでいる夫を遺してあの世に行けない」と桃子は涙混じりの声を荒げた。

「あんたの抜け殻が、みっともない状態になってるからだろ? さっさと消えてさっさと死んだらいいじゃないのか」

「せめて立ち直るまでは傍に――」

「いつ立ち直るんだ? カミさんが死んでるんだか、生きてるんだか分からない状態が延々と続いているのに」

「貴方には分からない!」

「分からんな。オレには、オレを殺した犯人を見つけて地獄に落とすという明確な目的がある。だけど、あんたがこっちにいる目的は、単なる未練じゃないか。抜け殻のせいで抜け殻になってる小父おっさんをボケーッと見てるだけ」

「…………」

「体は生きていても、オバケなんだから分かるだろ。霊感のある奴ならともかく、普通に生きているだけの平凡な連中とは、どうやっても意思疎通は出来ない。夢枕にも立てないし、耳許で叫んでも気付いてもらえない。あんたが現世にいること自体が無駄で、旦那の立ち直る機会を奪っているんだ」

「萩さん!」と太田だ。

「事実だ」と萩が返す。

「どうしたんですか。後藤さんが犯人じゃなかったから機嫌が悪くなるのは分かりますが、いくらなんでも、あんまりじゃないですか」

「そりゃ、太田さんからすれば、お友達が人殺しの極悪人じゃなくてかったかも知れませんが、オレからすれば無駄骨だった」

 萩と太田が口論を始めたところで、桃子が「そうですよね」と呟いた。太田は桃子を見るが、萩は両腕を組んで目を逸らした。

「あたしがまだ生きているから、あの人は立ち直れないんですよね。そう考えたら、あたしって我が儘ですよね。あたしのせいで夫が苦しんでいるのに、そのせいで立ち直れない夫の立ち直る姿が見たいだなんて」と涙を零している。

 桃子は目が覚めたと萩らに礼を言った。太田が今後どうするのか尋ねると、息子のところへ行きますとだけ返ってきた。桃子が二人に別れを告げて去ろうとしたときに太田が言う。

「ちょっと待って下さい! 後藤さんと話す方法があります!」

 萩は舌打ちする。

 桃子は振り返って太田を見た。太田は、萩の従弟である教授に協力してもらえば、文通という形ではあるが、交流が可能だと説明する。

「なんで余計なことを言う」と、萩が小声で恨めしそうに呟いた。

「だって、あまりにも可哀想じゃないですか。それに、萩さんには迷惑をかけませんから」

 萩がまた舌打ちをする。桃子を見て「あんた、左腕に黒いドラゴンの入れ墨をした、ダサい筋肉質の男……あんたの旦那以外で知ってる?」と尋ねたが、桃子はいいえと答える否や、オレは協力しないぞと言い残して萩は去って行った。

 太田は桃子を連れて、教授の許へ向かった。


 太田から事情を聞いた教授は、戸惑いながらも協力すると桃子を受け入れた。もちろん、その代わりといってはなんだが、出版社で文芸編集に携わっていた太田に、自分の書いた作品の批評や校正の手伝いをしてもらうつもりだ。

 まず、意識不明者からの手紙という、ある意味で死者からの手紙以上に怪しい手紙をどうやって後藤に信じてもらうか考えた。郵便で送ると消印がつく。後藤の実家は近いとはいえ、桃子とは縁遠い町からの手紙である。そんなところから意識不明者の妻から手紙が届いたとなると、まず間違いなく悪質な悪戯だと思うに違いない。最悪は後藤の両親からの嫌がらせかなにかと思うのではないかという意見まで出てきた。いっそ正直に協力者を使って手紙を送ったことを伝えたほうがいいと教授は言った。桃子も太田も反論しなかった。早速、手紙を書いてみる。


     ×   ×   ×


 突然のお便り、驚かせてしまって申し訳ありません。

 貴方の妻の桃子です。私の体はまだ生きてはいますが、私の魂は死んでしまい今はこの世を彷徨さまよっています。この手紙は、私のことを見ることが出来るかたの協力を得て、代筆して戴いております。

 このお便りを読んでも、信じて戴けないのは当然かと存じます。

 なので、代筆して下さるかたが見ていて恥ずかしいのですが、貴方に信じてもらえるよう、貴方との思い出をここに書きたいと思います。


     ×   ×   ×


 携帯電話などのメールとかなら砕けた表現になるのに、どうして紙となるとこうも硬くなるのかと桃子は苦笑する。手紙は続く。

 出会いは桃子が高校二年生のころで、後藤は野球部に入りたて新入生だった。特筆するような才能のない平凡な選手ではあったが、右利きの投手しかいない野球部の中では、ほかの左利きより肩が強いからと当時の野球部主将の勧めで投手に転向したことで才能が開花したこと。それが試合に出ない選手に関心を持たなかった監督の目に留まって試合に出てみると、周囲の期待以上の成果を上げて一躍主力選手になったこと。女性慣れしていないくせに、事あるごとに桃子に話しかけてきたから自分に好意があることは容易に分かったし、野球部のマネージャーの間では後藤は桃子に好意があると噂になっていたことなどが書かれた。

 まだ続く。

 桃子が高校を卒業して一度は交流が無くなったが、あるときリーゼント頭の怖い恰好をした人達と一緒に、桃子がアルバイトをしていたコンビニに現れたこと。後藤の頭は普通の短髪だったが、背中に『夜露死苦よろしく』とか『唯我独尊』と刺繍されている、いわゆる特攻服を着ていたこと。桃子に気付いて気恥ずかしそうにモジモジしていたところを、一緒に来ていた友達何人かに……からかわれていたこと。それから後藤がちょくちょく桃子のいるコンビニにやって来たのだが、その度に恰好が普通になっていったことが書かれた。

「後藤さんって暴走族だったんですね」と、手紙を読んだ太田が言った。

「萩が見たら大笑いだったな」と教授は冷静に呟いた。

 手紙はまだ続く。

 ある日、たまたま街中で出会っただけなのでデートとは言えないが、そのときに二人だけで雑談をしたことがある。後藤が桃子に対して恋人がいるのかと尋ねたので、いないから後藤が不良をやめたら付き合ってやると返すと、後藤は小さな子供のような笑みを浮かべて照れていた。後日会うと、本当に不良をやめていたことに驚いた。しかもアルバイトを始めて大学進学も目指していると言ったものだから、桃子はそんな後藤を可愛らしく思って――大学に入れたら本当に付き合ってやるから、絶対に浮気すんなよ――と言ったことが書かれた。

 後藤が無事に大学に入ると桃子との交際も始まる。他愛もないことで一緒に笑い、下らないことで喧嘩した。桃子が大学を卒業して就職してからは遠距離恋愛になった。それでも時間を作っては一緒に会って、本当に他愛もない幸せな時間を過ごした。後藤の就職先が商社に決まった。後藤は海外に転勤するようになり、以前よりも別々にいる時間が長くなった。時差のせいで電話すらままならないが、電子メールでほぼ毎日連絡を取り合っていた。後藤が帰国できる時期には、桃子はどんなに忙しくても時間を作って会っていたし、桃子が後藤のいる国に旅行に出掛けて一緒に過ごしたことだってあった。

 だが、やはり日本と海外は遠く、時が経つに連れて互いに疲弊していった。どちらも直接にはそうは言わなかったが、メールの文言からそれが匂ってくる。

 後藤が一時帰国した日に、桃子と後藤は海沿いの道を歩いていた。後藤はすぐに海外に戻らないといけなかった。桃子がふと、ずっと離れていると疲れるねと言うと、後藤が真面目な顔をして桃子を見つめた。緊張した面持ちで小さく深呼吸をすると、後藤は桃子にプロポーズする。僕と結婚して下さい。その日は四月一日。しかも面白味がないほど平凡な言葉だった。後藤の性格や様子から、嘘ではないことは桃子も分かっている。だが、なんだか気恥ずかしくなってエイプリル・フールの冗談かと後藤をからかった。それを真面目に、しかも慌てて否定してくるので、桃子も分かっていると答えた上で、こちらこそ宜しくお願いしますと返した。後藤は婚約指輪を用意できなかった。だが、半年後には一時帰国してお互いの両親に挨拶をし、一年後には結婚しようと約束した。滞りなく物事は進み、翌年の四月には結婚式を挙げることが出来た。婚姻届はプロポーズをした思い出の四月一日に提出した。エイプリル・フールだから冗談で結婚するようだと笑いつつも二人は面白がってこの日を選んだ。

 桃子は仕事をやめて夫となった後藤に付いて海外へ行った。イギリスなどの幾つかの国を廻ったが、英語が出来ず、かつ友達もいない異国での生活は桃子には堪えた。妊娠して桃子だけ日本に帰国する。息子が生まれたとき後藤はカナダにいた。後藤は楓が国旗のモチーフであるカナダにいるのだから、息子の名前は楓にしようと冗談を言い、桃子もその冗談に乗ってそれじゃあ女の子になると電話越しでじゃれ合った。結局、息子の名前はその冗談の流れに乗って植物繋がりで、かつ名前の候補にあったものから蓮と名付けた。

 蓮が四歳のころ、久し振りに日本に帰っていた後藤は、一家でキャンプに出掛けた。蓮がなにかでキャンプの映像を見たらしく興味を持ったからだ。だが、後藤も桃子もキャンプの経験がなかったので、テントを張るのも食事の用意も四苦八苦だった。夕食はインスタントのカレーにすれば、簡単だし雰囲気も出ると誰かから聞いていたのでカレーにする。ルーは温めるだけだが、米はせっかくだからと飯盒はんごうで作ろうとしたのだが、桃子が水の量を間違えたらしく粥になってしまった。怒る蓮に対して、後藤はなにを思ったか桃子を庇って自分のせいだと息子に謝っていた。その日の夜は三人一緒にテントの中で眠るのだが、蓮が怖くなったのか理由は分からないが泣き出したので、二人は朝になるまで息子をあやした。

 蓮が五歳になる年に、後藤のイギリス転勤が決まった。今までは小さいからと桃子と一緒に蓮を日本に置いていたが、今回は連れて行くことにする。蓮は周囲の環境が一変したことに戸惑っていたが、さすがは子供である。半年もすれば英語を理解して喋っていた。少なくても両親にはそう思えた。無論、子供なので喋っている内容は幼稚ではあるが、――さすが子供だ。いや、もしかしたらうちの子は天才かも――と二人揃って親バカ振りを発揮していた。

 それから五年。イギリスから帰国して一年ほどは日本に居られた。後藤が日本に居られるのはせいぜい一年か長くて二年だと、後藤は息子の故郷である日本をじっくり味わわせると言って、本当は今度は自分一人だけで海外に行くかも知れないから、それまでに思い出を作るために、春は花見に夏は夏祭りと花火大会に行ったりと、時間を作っては子煩悩のように蓮と出掛けた。もちろん桃子も一緒にだ。

 このあとの事は手紙には書かなかった。後藤はまたカナダへの転勤が決まる。カナダは治安がいいからと家族みんなで行くことになった。出国が一週間後に迫ったころ、桃子の母の入院に知らせが届いた。そしてあの事故である。

 桃子は自分の肉体を見捨てるよう文面で後藤に頼んだ。生き返る見込みがない自分が生き続けることで、後藤を縛り苦しめるのは嫌だと綴った。

 そして最後にこう書いた。この手紙を信じてくれるのなら、机の上に返事を書いて見えるようにしておいて下さい。それを読んだら必ずお返事致します。

 教授は印刷した桃子の手紙を封筒に入れ、翌朝に郵便ポストに投函した。


 後藤宅に桃子の手紙が届く。後藤は差出人のない封筒を不審に思いながらも中にあった手紙を読んで絶句した。戸惑いの表情がやがて怒りに変わったかと思うと、目が段々と潤んでくるのを桃子は傍で見つめていた。手紙を読み終えたときには顔を真ッ赤にして、涙に染まった溜め息を吐いた。その日は心配だからと、桃子ずっと後藤の傍にいた。仕事から帰宅した後藤が、再び桃子からの手紙を読み返す。読み終えた手紙を机の上に置いて、じっと考えている。ふと、白紙を手に取って返事を書き出した。それを机の上に置いて、テレビのリモコンを重し代わりにおいて風呂に向かった。桃子が後藤からの手紙を読む。言葉短く、自分は桃子を見殺しに出来ないと書いてあった。加筆する可能性もあると、桃子は翌朝に後藤が出勤するまで待ったが、結局は加筆されなかった。手紙の返事の代筆を依頼するために教授の許へ行く。

『私が生きている以上、貴方を苦しめ続けることになります。私はそれが嫌なの』

 後藤が返事を書く。

『君が生きていないと、オレが生きていられない』

 この返事を読んで、死なせて、死なせないと堂々巡りになると桃子は頭を抱えた。返事をどうするか迷いながらも教授の許に向かった。教授宅には萩がいた。萩はこの件に対して非協力的であり、状況を訊いてくることもなかったので、教授も太田もこの件について萩にはなにも伝えていない。だから、萩は桃子を見るなり、まだ居たのかと冷たく言って退けた。萩の代わりに教授が桃子に謝る。桃子は後藤の返事の内容を伝えて、名案はないか尋ねた。

「臓器移植すれば?」

 萩だ。教授たちに背を向けて寝転んでいた萩が、こちらを一瞥するなり言った。桃子が生きていないと後藤が納得しないのなら、間を取って桃子自身は死ぬが体の一部は生き続ける臓器移植をすれば、二人の言い分が通ると言ったのだ。それに交通事故による脳死なのだから、臓器だって病気を患っていたり負傷さえしていなければ移植は健康なはずだし、それならば移植は可能である。妻の命を無駄にせずに済んだと後藤の安っぽいロマンチズムな陶酔も与えられると、嫌みを言いながらも付け足した。

 それだと、桃子も太田も教授も確信する。――よく言ってくれました。そう提案してみます――と、桃子が萩の手を取って礼を述べた。

 さっそく三人で手紙の返事を書く。

 ならば、臓器移植をして下さい。私が死んでも、私は誰かの体の中で生きていくことが出来ます。それに私の命は無駄にならず、誰かの命を救うことが出来ます。私は貴方の傍にいることが幸せだけれども、そのせいで貴方を苦しめることはしたくないのです。お願いです。私は貴方を愛しています。だからこそ、貴方には幸せになって欲しいのです。そのためには、私には、私の命が邪魔なのです。私の命を無駄にしたくないのなら、私に生きていて欲しいのなら、私を愛して下さるのなら、どうかお願いです。貴方が幸せになるその姿を、あの世にいる私と蓮に見せて下さい。

 臓器移植には提供者の同意がいる。桃子はどの提供の意思を示したカードを、自身が使っていた引き出しの奥にあると手紙に記した。息子が生まれる以前に、診察に通っていた病院で臓器提供意思表示カードを見つけたのだが、何気なく貰って帰ったことがあった。引っ越しのたびに引き出しから見つけて思い出しては、しばらくするとまた忘れた。今回は萩の言葉でその存在を思い出したのだ。

 手紙が後藤に届く。引き出しの中を確認すると、確かにカードがあったし、提供の意思表示がなされていた。その日、後藤は会社を早退して桃子が入院している病院に赴いて、桃子の臓器を移植できないかと医者に尋ねた。桃子は意識不明である点を除けば健康であり、臓器移植を希望する患者も全国に大勢いるので、すぐにでも可能だと医者は言った。その翌日、後藤は桃子の両親の許に向かう。桃子の両親から、桃子の命を絶って臓器提供をする許可を求めるためだ。桃子の両親のところにも、桃子からの手紙が届いていた。これも萩の提案だが、後藤が動かなかった場合に備えて、両親から桃子の臓器移植を働きかけるために手紙を書くよう言ったのだ。そのためか両親は桃子の臓器提供を快諾してくれた。

 三月三十一日の後藤からの手紙にはこう書いてある。

 明日、あなたの魂をあなたの肉体から解放します。私はこの判断と行動を後悔して、自分も呪うかも知れません。だけど、私は貴方の幸せを願っています。貴方が死ぬことで、貴方が生きるのであれば、貴方がそれを望むのであれば、私は貴方の願いを望みを叶えてみせます。

 四月一日の夜。後藤と桃子の思い出の日に桃子は死んだ。人工呼吸器を外されて桃子が死ぬのを、後藤と桃子の両親が看取った。医者は死亡を確認するとすぐに臓器摘出を行うために桃子の体を病室から運び出した。手術室に向かう桃子の姿を、後藤は見届けながら膝を床に付けて、顔を歪ませながらも必死に涙を堪えていた。だが、体は小刻みに震えていた。

 後日、後藤の許に手紙が届く。

 今までありがとう御座いました。貴方の妻になれて私は幸せでした。もう貴方にお手紙を書くことはありません。貴方の手紙を読むこともありません。私のことは忘れてしまっても構いません。私は蓮と共に、遠くから貴方の幸せを願っています。さようなら。お元気で。さようなら。


 桃子は別れの挨拶をしに教授宅を訪れた。事が無事に運んだことを聞いた太田と教授は安堵する。そして太田もこの世を去ることにする。

「教授さん、今までお世話になりました」と太田が言った。

「いえ。こちらも勉強させて戴きました」

「そういえば、萩さんは?」と桃子が尋ねる。

 萩は居なかった。桃子は萩にも礼を述べたかったと言ったので、教授は笑って伝えておくと返した。

 それではと、太田と桃子が教授に背を向けて歩き出した。すぐに二人の体は薄れていって、最後には煙が払われたかのように消えて無くなった。短期間に太田と桃子、二人の人生を見つめた教授は、まるで今まで夢でも見ていたかのような不思議な気持ちに囚われた。

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