第10射目 観戦の理由
2019年 6月18日
仙台市 私立那須学園高校
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「えー、今日は来週の大会について説明します。」
夏希は久々に部室を訪ねてきた、顧問の牧原に
彼女は現代文の講師をしている。艶やかな長い黒髪と妖艶な雰囲気、抜群のスタイルから、学校中の男子達に絶大な人気がある。
この部にも、彼女とお近づきになる目的で入部した男子もいるほどだ。
牧原は一応顧問という名目だが、実際は殆ど名ばかりの存在だ。競技経験がないため指導等は一切せず、試合の申し込みや説明といった、事務的な報告がある時のみ来ていた。
この事実を知った男子達の、魂の抜けた顔を見るのが春の風物詩の1つでもある。
「来週の26日、登米市でエスエッチ⋯」
「まきちゃん、それショートハーフ!」
「あ、そうだったね。ありがとう。⋯SHの試合があります。1年生の皆は応援と観戦に行きましょう。2年生以上は全員エントリーしておきました。会場まではバスを借りてます。」
牧原は赴任してすぐに、1年生が試合に出られるタイミングを聞いたらしい。それが分かると、その時期までは1年生は応援、それ以降は全学年どの試合にも全員エントリーと決めていた。
恐らく、部員の名前を覚える手間を省きたいのだろう⋯、と夏希は睨んでいた。現に先程、間違いを指摘した部員の名前も知らないはずだ。
「3年生の皆は、この形式の試合はこれが最後になります。後悔が残らないよう頑張って下さい。」
「「はいっ!」」
説明を終えると、牧原は仕事があるからと言って早々に立ち去った。彼女が歩いた場所からは、薄らとラズベリーのような、フルーティな香りが漂う。
牧原が消えると、部員達も波紋が広がるように各々動き出す。夏希も立ち上がり、歩き始めたその時。
「せんぱぁ〜い。次、SH最後ですってぇ〜」
背後から聞きなれた高い声が発せられ、夏希は歩みを止めた。男に媚びるような、耳に残る声遣い。文章なら最後にハートマークがつくような話し方。
夏希が振り返ると予想通りの女が、口角と目尻をこれでもか、と寄せた表情で立っていた。
2年、滝まいか。
顔の右側で揺れている大きなサイドテールが特徴的で、常に薄らとナチュラルメイクを施していた。因みに校則でメイクは禁止されている。ジャージも胸元を開けて、わざと谷間を見えるようにしていた。
牧原ほどではないが、彼女も女子高生らしい振る舞いと計算した無防備さから、学校の男子には人気がある。
ただ部内では⋯、いや、夏希に対してだけは態度が全く違っていた。
「そうだね。」
「大丈夫なんですかぁ?30でもロストしてたのに、SHは50も射つんですよぉ〜。」
小馬鹿にしたような言い方。毎度、夏希がロストすると真っ先に煽ってくるのがこの滝だった。
後輩たちが夏希のロスト数をカウントしたり、屈辱的な発言をしだしたのも滝が元凶である。夏希の後輩への指導も、彼女のお陰で独り言になってしまった。
「大丈夫だよ。弓も替えたし、最近調子上がってきてるから。」
「先輩だったら、どうな弓にしようと変わらなく無いですか?⋯あっ!あれだ。弓替えた時に一時的に調子上がる現象!あれすぐ元に戻っちゃいますよぉ〜?」
仏頂面の夏希とは対照に、口を手で隠しながら楽しそうに笑う滝。普段、猫を被って接している男子達に今の彼女を見せたらどう思うのだろうか。これでも愛おしく思うのだろうか⋯。暫し黙り、同級生との関わりが薄い夏希は彼らの反応を妄想した。結果、どうでもいいとの結論に至る。
「それより滝⋯」
「まいか!滝って苗字嫌いだから、名前で呼んでっていったでしょ。先輩。」
「ごめん。まいかの方こそ大丈夫なの?次で3回目のSHだっけ?」
「全っ⋯然!大丈夫ですよぉ!この間とか550出ましたし!次の試合、600とかもでちゃうかもぉ〜!」
人を笑うだけあって、悪くない点を出している。これ以上だす選手も勿論多いが、初めて1年の女子で550点は中々に凄い。
「そうなんだ、⋯良かったね。じゃあ頑張ろうね。」
「コメントそれだけですかぁ⋯。まぁ、いいやぁ。頑張りましょうね、お互い。」
夏希は素っ気なく対応して話を切り上げた。滝も予想していたより素直に立ち去った。
正直なところ、今彼女に構っている暇はない。次の試合は夏希にとってSH最終戦でもあるが、ここ最近の成長具合を知る機会でもあるからだ。
ここ数日間、夏希は毎日欠かさず春彦の射型を研究していた。動画を何度も見返し、ゴム引きで流れを真似する。家にいる間はこれをひたすら続けた。その甲斐があってか身体の動きが良くなってきたのを感じていた。
以前は引手の前腕が頻繁に筋肉痛になり、指にも血豆が出来ては治ってを繰り返していたが、それらが今は全くない。
代わりに背中の中心付近が筋肉痛になっているが、その痛みに嫌な感じはなく、むしろ心地よく感じていた。
夏希は入部時に支給され、すっかり着古した紺のジャージを脱ぎ、近くの椅子に投げた。私服代わりにもしていたからか、他の部員よりも
白いTシャツとジャージのズボンという、滝なら絶対にしないスタイルになると、スタンドから弓を手に取った。
磨きたての真珠のように白く輝くハンドルと弦。リムとスタビライザーは、闇を閉じこめたような漆黒に、カーボン繊維の平織りが日光に反射して、市松模様を浮かび上がらせる。
夏希は数日経っても変わらず輝く相棒の姿に、思わずほくそ笑んだ。この美しい弓と自分が相棒だと思うと、なんだか可笑しくなった。
夏希は射型を研究する上で、ネット上にある春彦が出ている動画は全て見ていた。その中に一つだけ、春彦がインタビューを受けている動画があった。
そこで春彦は
「弓は自分の手の延長です。遠くに正確にもの⋯、この場合矢ですね。矢を飛ばすのに協力してくれるのが弓です。なので弓は体の一部だと認識しています⋯。」
と話していた。
それを思い出した夏希は、この美しい弓が自分の体の一部だと思うと、体の奥からこそばゆくなった。全然釣り合っていないだろう、と心の中の自分がツッコミを入れていた。
他の部員が距離射ちをしている中、夏希は1人的の後ろで近射を行う。どこかで使い古され、きつね色になった中古畳に向かって次々と黒く細い矢を射し込んでいく。
1射ごとに半歩ほど横に移動していき、的に矢の水平な列を作る。刺さる度に畳から細かい
何十、何百と繰り返し、無意識でも同じ動作を一定にできる状態を目指す。これがアーチェリーの練習の基本であり、地味で我慢が試されるところでもある。
「やっぱり⋯、いい調子だ。弓にも慣れてきたし、これなら大会も⋯。」
夏希は的にできた列を見て、期待に胸を膨らませていた。
夏希が射つ度、鳥が飛び立つように弓が飛び出す。さらに踊るように大きく回転していた。
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同日午後
仙台市 景水大学
「来週、例年通り高校生の試合を見に行く。行くのは1年生と付き添いで主将、後は私だ。」
練習を始める前のミーティング。そこで天城が渋い声を響かせた。部員達は口を閉じ、静かに天城の声に集中する。
「目的は2つ。1つは高校生の成長度合を確認し、来年うちに呼びたい者を見定めることだ。これは私の仕事だから、皆は気にしなくていい。」
天城はコーチとして、推薦入試の対象者を数人選ぶ権限がある。そのため1年間、高校生の試合を見に行き、その成長度合を観察しているのだ。 時には県外にまで足を運んでいる。冴木こなつもその中で認められ、ここに来た。
「2つ目は1年生の皆に、試合の雰囲気を感じてもらうためだ。10月に新人戦があるが、それまでにアーチェリーの試合がどう進むか直に肌で感じてもらう。」
新人戦。
景水大含め、東北地区の大学生の初陣。北は青森、南は福島から1年生の競技者が1箇所に集まる試合だ。景水大では全ての試合で優勝を目標にしている。勿論、新人戦もその1つであるため、今回のようなイベントがあるのだ。
「あとの細かい流れは神藤から聞くように。以上。」
「「はいっ!有難う御座いました!」」
ミーティングを終え、各々練習を始める。
1年生だけは神藤に呼び止められた。
「コーチはあぁ言ってたけど、気楽でいいからね。服装も自由だし⋯。外で弁当を食べに行く程度の気持ちでいいよ。」
「主将~、自分も行くべきですか?試合の雰囲気とか知ってますけど⋯」
冴木こなつが不満げな顔で質問した。確かに高校からの経験者には必要ないかもしれない。
「こなっちゃんかぁ⋯、一応一緒に行こう。人の射型をみるのも学べることがあるし、何かしら収穫あるかもだから。」
「分かりましたー。」
少し面倒くさそうに返事をする。そんな彼とは対照的にノリノリな男がいた。
「高校生の試合⋯!JKを合法的に見てられる⋯!」
楓の隣に座っていた前田悠は、身体を震わせ目を輝かせていた。その様子をみて、楓を含めた1年生の女子部員は、彼から距離を取る。
「前田、下手にナンパとかするなよ。うちの評判が下がる。」
前田の様子に呆れた表情をした神藤は、まじめな顔で前田を制す。
「挨拶程度しかしませんよ。多分」
「ならいいが⋯。そういや前田。年は?」
「20丁度です。早生まれなのと、2浪したんで」
「ほんとに浪人か?痴漢とかで
「失礼な、犯罪はしてませんよー。」
冗談のようで、本当に有り得そう。一同は心のうちでそう思っていた。その場に妙な静寂が広がる。
「まぁ、とにかく気楽に気楽に行こう。前田は変なことをしたら、うちの伝統技で止めるからそのつもりで。」
最後に気になることを言い残し、神藤は一同を解散させた。場に残されたテンションの高低差が激しい2人の男子を尻目に、楓たち他の1年生は、内密な話でもないのに声を潜めて話し合う。
お弁当をどうするか、服は何を着て行くべきか、等ピクニックに行く時のような会話を交わす。
楓もその中に加わろうか悩んだが、静かに立ちあがり、1人練習を始めた。部のレンタルの弓を手に取る。グリップは使い込まれテカテカに光を反射し、ハンドルは所々塗装が剥がれて痛々しい。
夏希の弓を見た後だと、一層年季のある弓に感じられた。誰にも見られないよう嘆息すると、自分の前で軽く振り回し、スタビライザーで空を切った。
「私はこの弓で試合に出るのかなぁ⋯」
独り言のように呟くと、楓は辺りを見渡した。先輩方の整った弓。同じ1年生でもハンドルやスタビライザーだけは新品の弓。
きっと高校生達も同じようにきちんとした弓を持って試合するのだろう。そう思うと試合を見にに行くのも何だか乗り気ではなかった。
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