第7射目 理想の射形
「ふぅ、ちょっと疲れたよ」
神藤は軽くため息をつき、腕で額の汗を拭った。
「さてと、試合で役立つ⋯、かもしれない戦術は見せたし、次は俺が練習で意識してるこ⋯」
「スゴい試合でしたっ!!熱かったです⋯、格好良かったですっ!!」
「おぉ⋯、ありがとう。勝ててよかったよ。」
夏希さんは少し興奮した口調で賛辞を送った。神藤は、照れくさそうに笑い、弓をスタンドに立て傍にあった椅子に腰掛けた。
「さて、時間も遅くなってきたし1番のポイントだけ教えるよ。」
「1番のポイント⋯」
「そう。うちの部員にはよく話してるんだけどね。⋯1番大事なことは自分の理想の射型をイメージすること。」
「理想の⋯射型ですか。」
「うん、理想の射型。そしてこれを身につけるステップは3つだと俺は思ってる。」
「3つのステップ⋯」
夏希さんは再びメモを取り出して、素早く書き込む。
「1つ目、まず自分が格好良い、美しいと思ったほかの選手の射型を真似する。これは動画や写真、直接見たりして細かい所まで真似をするんだ。」
「⋯真似る。あの⋯、男性か女性かは⋯」
「指定はないよ。女性でも男性の選手を真似たりして大丈夫。」
「わかりました。」
「次、2つ目。その真似した射型を部分的に、自分の身体に合うように修正していく。」
「身体に合うようにって⋯、具体的にはどんなことですか?」
「それは人によって違うからなんとも⋯。例えば、君の人差し指の長さが真似してる人のより短いとする。その場合、取り掛けの仕方も少し変えないとだめだ。」
「なんか、難しいですね⋯」
頭では理解しつつも、その行為の難しさに戸惑いを見せる夏希さん。
神藤はさらっと話してるが、これは相当難しく、時間のかかることを言っている。
まず、人の動きを完璧に真似するだけでも非常に難しい。弓を引く事自体は単純な動作だが、そのシンプルさが逆に違いやポイントを見つけることを困難にしている。
さらに真似できたとして、自分に合わせて変えるとなれば、その射型の軸、基盤について徹底的に理解しなければならないからだ。
それを理解せずに変更していけば、最終的には最初と全く違った射型になってしまうだろう。
これらにはそれなりの時間と労力がかかる。それこそ1年ないし2年⋯、下手したらそれ以上だろうか⋯。
さらに⋯、これに最後のステップが加わる。
「最後の3つ目、修正後の射型で距離を射ち、10点に当てる。その当てるまでの一連の動作を頭と身体で覚える!」
「10点に⋯」
「そう、必ず10点に当てる。そしてそれを覚えて繰り返せるように練習する。これが一番大事。」
「一番大事なことが一番難しいですね⋯」
「まぁ確かにね。でもこれが出来ないと勝てないから。逆に言えばこれが出来ればどこまでも上に行けるよ。それこそ10点に当て続ければ、誰でも世界一位になれる競技だからね。」
「そう⋯ですけど。」
「当たらない射型はいくら美しくても意味が無い。まぁ美しいって感じる射型は計算された動きをしてるから、大抵は当たるはずだけどね。」
神藤はそう言い終わると、自分で自分に納得したようにドヤ顔をきめた。
残念ながら夏希さんはその顔を見ていないが⋯。
「とにかく、以上が俺の練習含め、一番重要に考えてることだね。質問とかある?」
「えっと⋯、神藤先輩は誰を真似て今の射型を作ったんですか?」
「お、いい質問だ。俺のは体型も似てて、一番憧れてるIssac Martinの射型から真似て作ってるよ。」
「アイザック⋯、マーティンって」
「君のお兄さんに負けて五輪で2位になったアメリカ人選手だね。」
「やっぱり。」
「でもあのダイナミックな射型は男子なら憧れるでしょ!あの時は負けたけど、その前も今も、世界では圧倒的に強いし。それに⋯」
神藤は楽しげに語りだした。
楓はまだあまり世界のアーチェリー選手を知らないが、それでも彼の名前は聞き覚えがあった。殆どの国際試合でメダルを勝ち取る、表彰台の常連と評判だったからだ。
「あっ⋯ごめん。少し話しすぎちゃったね。かなり研究したから、つい勢いで⋯」
「いえ、大丈夫です。それくらいの憧れを持って選手を真似た方がいいんだと分かりました。」
「うん、そうだね。その方がいい。俺からは以上だけど⋯、どうしようかな。」
神藤は辺りを見回して天城コーチを探す。しかし、かなり前からコーチはこの場にいない。
「あっ、もう時間も遅いので帰ろうと思います。これ以上皆さんを付き合わせてしまうのも申し訳ないので⋯」
「別に気にしなくてもいいけど、確かに遅くなっちゃったし、それがいいね。帰り道とか大丈夫?」
「はい、駅までそれほど離れてないので⋯。試合を見せて頂いたり、色々と教えて下さり、ありがとうございました!天城さんにもよろしくお伝え下さい。」
「うん。またいつでも来なよ。まぁ俺達もちょいちょい高校の試合とか見に行くことがあるから、その時にまた会うかもだけどね。」
「ありがとうございます。その時はまた宜しくお願いします!」
夏希さんは神藤に挨拶を済ますと、周囲に適当に座っていた部員達に軽くお辞儀をしていきながら、徐々に射場を後にした。
楓はなんとなく、彼女の背中をじっと見送っていた。
「1年で備品の弓つかってる人!はやく倉庫に仕舞ってきちゃって。閉めちゃうから。」
楓は女子の先輩の声で我に返り、急いで弓を返しに行く。
手にしていた白い弓は、所々ペイントが剥がれていてボロボロだった。
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