第6射目インカレ選手vsインハイ選手

 弓と一緒に戻ってきた神藤はクィーバーの位置を調整し、軽くストレッチをしていた。

 白と緑を基調にした弓は彼の背丈より少し小さい。さらに神藤の横幅のある体格により一層小さく見える。

 この部には他に使ってる人がいない、蛍光色グリーンの弦が輝いてみえた。


「あー、こなっちゃん、五輪ラウンドするから相手してくんね〜?」


 神藤が声を大にして呼びかけた。

こなっちゃんと呼ばれた1年の男子部員が振り返る。


「えっ!自分でいいんですか!やったぁ!主将とやりあえる!」


 指名され、顔一面に笑顔を浮かべる。

 本名は冴木さえきこなつ。今年、推薦入試で入学し部員となった1年生だ。高校時代はインターハイに出場した経験を持ち、ベスト4にもなっている。

 細身だが中性的な顔立ちで明るく振る舞う彼は、1年生ながら早くも部内で人気者になっていた。さらに神藤に継ぐ実力者でもあるため、コーチや先輩達にも頼りにされていた。


 タッタッタッ⋯と、軽い足音を立て、青みがかった髪を揺らしながら、こなっちゃんが近づいてきた。

 彼の弓は使い手とは裏腹に、無骨な見た目で全体が黒に統一され、独特な覇気を醸し出していた。どことなく、使い手は神藤と逆の方が合っているように感じられた。


「主将〜、僕が勝ったら、主将のお腹揉んでいいですかぁ〜?」

「あぁ、勝てたらね。その代わり俺が勝ったら、こなっちゃんどうする?」


「んー⋯、なんでも好きに言ってください!」

「ん?今何でもって⋯」


「さすが主将、模範解答!」

「アホか、ノってやったんだよ。それに俺は彼女もちのノンケだ。変な期待すんなよ。」


 2人は互いをからかいながら、楽しそうに会話を交わす。学年の差はあれど2人は仲がいい。同じような実力を持つ同士、気が合う仲間でありライバルなのだろう。少し羨ましい。


 絡んでくるこなっちゃんを何とか引き剥がし、神藤は夏希さんに話す対象を切り替える。


「じゃあ、夏希さん。まずは俺らが射ってるところ見てて。射型は見比べてみて違いを比べながらね。」

「分かりました」


 夏希さんに確認した後、神藤は楓たち1年生の方を向いた。

「あと、そっちの男子3人、エージェントとランナー頼むわ。1人は審判で。射った後に取りに行ってね。」


「「了解です!」」


 神藤の指示に、楓の後ろにいた前田たちが返事をした。


「あと松本、タイムと合図頼むわ。」

 油断していた楓は少し声が裏返りながら返事をする。


「じゃあ、こなっちゃん、やるよー」


 スコープを設置しながら神藤が呼びかけた。同時に夏希さんを手招きで呼ぶ。小声で何か話しているようだ。内容は聞こえないが、夏希さんが頷くのがみえた。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

「こなっちゃん、先手決めどうする?」

「僕、後攻のが好きなんで、主将は先攻お願いします!」

「いいよー、俺も先攻のが好きだし。」


 五輪ラウンド(オリンピックラウンド)は、実際に国際試合でも行われている、70m先の的を交互に射つ競技だ。

 1人3射を射ち、得点の高い方に2ポイント、同点なら1ポイントを獲得し、先に6ポイントを取った方が勝つ。

 先攻から始め、ポイントに差がつくと、次は低い方から先に射つ、並んだら最初の順に戻る⋯といったふうに射つ順番が入れ替わっていく。


最初の順番を決めた2人はWLに立った。


 楓は的前に誰もいないことを確認し、安全を確認したことを示すため、白旗をあげた。


「ではオリンピックラウンド、1セット目を始めます。」

 楓は少し声を張り上げて宣言すると、右手で旗を上げたまま、左手でホイッスルを鳴らした。

 弓を持った2人がSLに向かい、スタンスを決める。


 楓は旗を下ろして10秒経ったのを確認し、再度ホイッスルを鳴らす。

 1度目はSLまで進んで準備する10秒間の開始を知らせる合図だ。2度目は行射開始の合図で、ここから先攻が20秒以内に1射を射ち、次に後攻が、次に2射目を先攻が⋯といったふうに進行していく。


 先攻の神藤。的に対して少し斜めに立つオープンスタンスで、上半身を捻って射つのが彼の射型の特徴だ。弓を構えると彼の恰幅の良い上半身が、雑巾を軽く絞るように捻られる。

 捻りのお陰で全身の安定感が増し、風などに対しても抵抗力があるという。さらに上半身全体を使うため、より強い力で弓を引くことが出来る。


 まるで写真のように、弓を構えた神藤の動きが止まる。実際は僅かに揺れ動いてはいるが、傍から見てもそれは分からない程だ。


一瞬。


 蛍光グリーンの弦が高速で放たれる。

大きくしなっていたリムが蓄えられた力を解放しながら、元の緩やかな曲線へと戻る。


 その僅か1秒後、遠くから矢が的中した音が聞こえる。


「8点!」


 後ろから的を見ていた部員が得点を伝える。気づけば部員全員が集まり、観戦していた。

 神藤もスコープを覗き、矢の位置を確認していた。中心から外れた分、サイトを微調整しているのだ。


 後攻、こなっちゃん。

彼は基本射型を忠実に守って射つタイプだ。

肩幅に両足を広げ、的に垂直に立つ。額の辺りまで弓を上げると、真っ直ぐに顎下まで引いてくる。


 アンカーに入ると、僅か1秒程で射った。神藤主将が3秒程静止したのとは対照的に、とても速く射つ。流れるような動作で放たれた矢は先程と同様、的中の音をたてる。


「9点!」


 こなっちゃんがニヤリと笑みを浮かべる。普段の爽やかな表情とは違い、悪巧みをしているような⋯、少し怖い顔つきだ。

 以前コーチが、彼はSLに立つと人が変わる⋯と言っていたのを思い出した。楓はもし今、彼と会話をしたらいつもとは違う応答なのかな?⋯、という興味が湧いた。


 2射目、神藤。

先程と同様の動作で弓を引く。ほぼ同じタイミングで矢を放つ。


「9点!」


 1射目同様、スコープを覗き微調整を行う。とても正確で慎重な試合運びをしているように感じられた。


 次にこなっちゃんの方に視線を移すと、彼は既に矢を放っていた。1連の動作が本当に速い。楓を含め、このスピードで射てる人はそうはいない。


「10点!」


 速いスピードで射ち、この正確性。流石はインハイ4位というところか。


 1セット目のラスト。

神藤は追い詰められているが、焦りや緊張は感じられない。恐らくこのセットは勝負を捨て、調整に使うことに決めたのだろう。


「9点!」


 神藤は合計26点に終わった。

こなっちゃんは9点、10点と当ててるため、次に8点以上でこのセットをとる。


 変わらず速い動作。しかし、その中には普段の彼からは感じられない、殺気のようなオーラがある。

 何か、別のものが乗り移っているような、そんな気迫⋯。

 最後の射を終えると、そのオーラは消えた。


「9点!」


 合計で28点。これでこのセットはこなっちゃんが2ポイントを取り勝利した。


 楓は矢取りの合図としてホイッスルを鳴らした。後ろで控えていた前田達が走って的へ向かう。


「いやぁー、こなっちゃん。相変わらず速いねぇ。しかも強い!流石だねぇ。」

「そんなことないですよー。自分なんてまだまだです。」


「いやぁ、もう十分うまいよー、怖いよー」

「いえいえ、そんな⋯」


 射ち終わった2人が会話を交わす。射っている時は静かで、近寄り難い雰囲気と独特の緊張感があったが、今はいつもの和やかな雰囲気に戻っていた。


 前田達が得点を確認し、矢を取って戻ってきた。読み上げた得点通り、変更はなかったようだ。得点も枠の縁、ラインギリギリだと近づいてみないと分からないことがある。

 的前に行ってみて、読み上げた得点と異なり変更になることも多々ある。


 楓は再び安全を確認し、2セット目開始のホイッスルを鳴らした。

 今回はポイントの低い方、つまり神藤主将から始める。


 神藤は弓を上げて、力強く引く。

だが、先程とは雰囲気が違った⋯。

背中からでる物凄い気迫。自分の射への自信と、絶対に当てる⋯という意思。

 それらが背中からビリビリと伝わってくる。普段よりも身体が大きく感じられた。


 バシュ!という音と共に、矢が放たれ、弓が大きく回転する。

 背中から感じられた気迫が、弦を離した瞬間、一瞬で辺りに広がった気がした。


「10点!」


 微調整をし続け、真中に入るようになったようだ。彼にとっては、ここからが勝負所になる⋯。


 後攻、こなっちゃん。

彼も先程と同じく、一瞬の動作に殺気が込められている。自分が的だったら⋯と考えると、ゾッとする怖さだ。


「9点!」


 上手い。この2人はやはりかなりの実力者だ。70m競技は僅かなミスで大きく外れる、とても繊細な動作が求められる難しい競技だ。数ミリ狙いがズレただけで、1点2点と中心から外れる⋯。


 それを2人は次々と、さも当然のように黄色の範囲(10~9点)に当てる。特に中心の10点はCD程の大きさしかないにも関わらずだ。


 2射目、神藤。

ビリビリと⋯、より一層の気迫が伝わってくる。こなっちゃんの殺気とは違うが、こちらも体の底から怖さを感じさせる。


「10点!」


 こなっちゃんの顔が僅かに曇る。少し動揺しているようだ。


 2射目のこなっちゃんは射つ瞬間、素早く押し手を外側に逃がした。狙いが僅かにズレたのだろう。それを修正するため、敢えて弓を振ったのだ。


「8点!」


 その効果があったのかは分からない。だが彼にとって、これが今回初めてのミスだろう。ただ、それでも悪い点数という訳ではないが⋯。


 2セット目の最後の射。

神藤は9点に入れた。このセットは29点。こなっちゃんが10点に入れたとしても、このセットは神藤主将の勝ちだ。


 負けが確定したとはいえ、最後まで射たねばならない。こなっちゃんは冷静に射ち、9点に入れた。


 楓は2セット目終了のホイッスルをならす。今回で2対2の同点になった。


「あぁ〜、2射目⋯、やらかしたぁ〜」

 大きく悔しがるこなっちゃん。そんな彼に神藤はやはり褒め言葉を投げかける。


「いや、今回は運が良かったよ。こなっちゃんも調子いい方でしょ、良い方と言ってよー」

「いやいや、悪いですよ。次は勝ちます!」


 そうこう話している間に、矢取りと得点確認が終了した。得点に変更はない。


 3セット目。

同点に並んだため、最初に決めた順番に戻り、再び神藤が先攻を取る。


 先程まで話していた時のギャップが凄い。再び背中が燃える⋯。炎が宿る⋯。

そして射った瞬間、その炎が散り広がる。


「10点!」


 再び10点からスタートする。これは後攻の選手に大きなプレッシャーを与えてくる。


 こなっちゃんの気迫が、少し小さくなっている様に感じる。神藤に押されているのだろう。


「8点!」


 こなっちゃんの整った顔が、苦虫を噛み潰したような表情に変わる。メンタルスポーツのアーチェリーは、ちょっとした心境の変化に左右されやすい。

 今のこなっちゃんはまさしくその状況下にあるようだ。


 2射目の神藤。

「9点か、10点です!」


 ラインギリギリに当たったのか。スコープ越しでは判断できなかったのだろう。


 2射目のこなっちゃん。

「7点!」


 焦りか、動揺か。徐々にリズムを崩し始めているようだ。サイトを弄り、調整をする。


 3セット目の最後。

神藤は当たるのが当然のように射ち、9点にいれた。合計28か29点。ハイスコアだ。確実に神藤は本気で勝負に挑んでいる。

 これのどこが軽い試合なのだろうか⋯。


 またしても負けが確定したこなっちゃんは、一度天を仰いだ。気持ちの切り替えか、手足をぶらつかせ、呼吸を整えてから射つ。


「10点!」


 合計して25点。神藤に大手をかけられ、流石に焦りが見られる。


 もう会話を交わす余裕はないようだ。こなっちゃんの気持ちを汲み取ったのか、今回は神藤も話しかけることは無かった。

 その代わりに夏希さんに話しかける。断片的にだが、内容が聴こえてくる。


「⋯⋯これが盤外戦術の⋯、⋯⋯先手をとることで⋯⋯⋯射てる回数が増える⋯。」

「なるほど、参考になります⋯。」


 楓は聞き耳を立てるが、上手く聞き取ることができなかった。聞くのを諦めた丁度その時、矢取りを行ってきた前田達が戻ってくる。


「神藤主将、28点です。」

「了解、ありがとうね」


 これで神藤が4ポイント、こなっちゃんが2ポイント。次のセットを取れば神藤が勝ちとなる。


 楓は4セット目を開始させる。

今回はこなっちゃんが先攻だ。先程、気持ちをリセットしたのか、1セット目の冷静さと殺気を取り戻していた。


 いや、今回はそれ以上の気迫も感じる⋯。追い込まれた今、彼は極限に集中した世界に入っていた。

 射型の一つ一つがより正確に、より緻密に、同時により大胆になっていく。


 パシュ!⋯⋯、タンッ!

「10点!」


 10点に入れてなお、こなっちゃんは表情を変えない。すぐさま次の射に意識を切り替える。


 後攻の神藤。

的への視線が鋭い。獲物を捉えた野生動物のような目。大きな身体を捻り、全身で狙う。


全力の射。背中の筋肉が緊張する。

⋯ピシュ!⋯⋯タン!


「⋯9点!」


 張り詰めた緊張に包まれた空間⋯。

2人の周りだけでなく、見ている楓たちにも、その緊張が波及している。それは息が詰まるような勝負だった。


2射目は2人とも9点へと射った。


 いよいよ、勝負が決まるかもしれない1射を迎える。つい先程までは無風だったが、少し風がでてきた。


 こなっちゃんは一息つき、弓を構えた。

的の上に立てられている旗がバタバタとたなびく。構えられた弓の揺れが少し大きくなる。


⋯パシュ!⋯⋯タン!

「8点!」


 風に身体と矢が流されたのか、左に的中がそれた。合計は27点。

 神藤は10点を入れれば勝ちとなり、9点ならさらに試合が続く。


 先程より風が強くなる。本来なら弱くなるまで待つところだろうが、この試合形式では20秒以内に射つという制限があるため、無理にでも射たざるをえない。


 大きく身体を捻り、神藤が弓を構える。その体格とスタンスにより安定感が高いが、それでもサイトピンの揺れは大きくなる。


普段より長いエイミング。

残り4秒になったところで矢が放たれた。


「⋯⋯Xです!!」


 X、得点として10点。

この風の中、神藤は上手く風を呼んで修正し、的中させた。


 楓は4セット目をホイッスルを鳴らして終わらせる。走って矢取り向かう前田達。

 この場から緊張感がなくなり、笑顔の神藤主将と苦笑するこなっちゃん。部員達は各々、小声で感嘆の言葉を発する。


 少しして矢取りに行ってきた前田達が帰ってきた。

「得点変更なしです。こなつ27点。神藤主将28点です!」

「おっ、じゃあ6-2で俺の勝ちだね!」


 神藤がドヤ顔をこなっちゃんに見せる。悔しそうなこなっちゃんの顔を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべる。


「負けました⋯、流石っす⋯。」

「はい、どうも。ご協力ありがとうー。後で罰ゲームねー」


「協力してあげたのに、罰ゲームやるんすね⋯。」

「勝負は勝負だからねー」


 ムスッとするこなっちゃんを尻目に、神藤は楽しそうに笑う。

 一通りのやりとりを終えた神藤は、一挙手一投足を見逃さまいと、真剣に試合を見守っていた夏希さんのところへと向かった。

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