第2射目 柵越しの出会い

2019年6月5日 AM6時

宮城県 仙台市 私立那須学園高校しりつなすがくえんこうこう

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パシュッ······、タンッ!

パンッ······、タンッ!

バチッッ······、タンッ!


「矢取りお願いしまーす!」

「「お願いしまーす!」」


 歩き始めた夏希は、自分の左腕につけているアームガードの表面の傷が、また増えていることに気づいた。表面をさすりながら歩いていると、的前に到着した。見慣れた自分の矢が、畳一面に散らばって刺さっている。


「また上手く中心に当たらなかった······。」

と夏希は誰にも聞こえないよう呟いた。


兄と何が違うんだろうか。どうして私は当たらないんだろうか······。誰も答えを教えてくれない。夏希の心は孤独だった。あれ程楽しく、興奮したアーチェリーはここにはなかった。あるのは常に虚無感だけ。


 夏希は兄の春彦が残してくれた弓を、少し弱く、軽くしただけでほぼそのまま使っていた。


世界でメダルを取った弓、世界一の弓。当たらないわけがない、当たるべきなのに······。夏希は心の中で何度も繰り返し唱えた。


パシュッ!······、タンッ!

パンッ······、タン!

バチッ······、カシャ······カラン


「おい、今日も夏希先輩、ロストしてんぞ」

「今日は一昨日のロスト20射の記録更新するんかな?」


「どうだろーねー。もう矢と弓がかわいそー」

「確かにー」

2人の後輩が楽しそうに話している。夏希の頭の中に、本日何度目かの嘲笑が響く。


「うるさい、こっちを見ないで、笑わないでっ······」


 小さく絞り出した夏希の言葉は、下品に笑う部員達には聞こえなかった。夏希は目の奥が熱くなるのを感じていた。


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私立那須学園高校 アーチェリー練習場端


「どうしたんですか、天城あまぎコーチ?」

低い声の男が、前を歩いていた中年の男に問いかけた。


「ん?あぁ、前田か。ちょっと、あの金の弓の子よく見てみ?」

「え、1番手前の女の子ですか?」

「そう、そのこ」


 前田と呼ばれた青年はフェンス越しに、コーチと呼ぶ男が指さした先に視線を向けた。そこには周りと同じ紺のジャージを着た、ポニーテールの可愛らしい少女がいた。


 1度に10人程が射てる程の広さの射場。そこに1人だけ距離を置かれて射っている少女は、前田の目に酷く寂しそうに写った。

 少女の弓はぱっと見た感じ特に変わった様子はなく、弓オタクの前田でも普通の弓にしか見えなかった。


 周りの部員達と比べると確かにグレードは高いが、それは自体は別に不思議なことではない。アーチェリーという競技は、トップもアマチュアも、使おうと思えば同じ道具を使えるスポーツである。


 初めのうちからトップ選手と同じグレードの道具を揃えることも、ない事は無い。前田はコーチの意図が理解出来ず、遠慮がちに聞き返した。


「別に普通の弓だと思いますが。」

「グリップの少し上、ハンドルの側面に日の丸がある。」


 言われた箇所を目を細めて観察する。小さいが確かに日の丸が見えた。それはアーチェリーの日本代表選手が、よく好んで弓につけるステッカーに似ていた。


「確かに見えましたが······。どこかから手に入れて、自分で貼ってるだけでは?」

「加えるとあの弓は、所々は違うが······、金矢が使っていた弓に似ている。」


「金矢って、あの金矢春彦ですか?でも仮に金矢選手の弓だとして、なぜあの子が彼の弓を?」

「それは直接聞いてこようか······。」


 そう言い残すと、天城は前田に背を向けて足早に歩き出した。昨年から急激に体重が増えた前田は、その背中をゆっくりと追った。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

 夏希は気付けばロスト(的から外しどこにも刺さってないこと)の本数が10射目になっていた。


 徐々に矢取りに行く足取りが重くなっていく。まるで金属製の靴を履かされている様であった。頑張って歩を進めるも、的前で見るのはいつもの悲惨な光景。矢取りを終えた帰りの道のりも、自分だけ泥濘でいねいを歩いているように感じられた。


時間が経つほど気が重くなる。

射つのが怖い。

地面を転がる矢の音を聞きたくない。


 夏希はそんなことを俯きながら考えて歩いていた。ふと顔を上げた時、夏希の弓をまじまじと凝視する男の存在に気づいた。

 中年特有の疲れきったような顔。肩幅が広く、身体は逆三角形に引き締まっているのが服越しでも伝わってくる。どことなく表情は自信に満ちていて、佇まいも堂々としていた。


 夏希は警戒する小動物のようにその男に近づき、そっと話しかけた。

「あの⋯、私の弓になにか用ですか······?あと、どちら様でしょうか?」


返事はなかった。男は表情1つ変えず、視線も弓に釘付けのままだった。夏希はどうしたらいいかと考えを巡らせる。


その体の横を小突いてやろうかと企んだその時、おもむろにその男は尋ねてきた。


「君、この弓を使って思うように当たってる?」


 夏希はふいに話しかけられ、えっ?と頓狂とんきょうな声を上げた。さらに完全に想定外の言葉であった為、咄嗟に返事ができないでいた。

そんな夏希に男は顔を向けずに問を続けた。


「君、名前は?」


最初に質問したのはこっちなのに、と夏希は顔を顰めた。睨むように男の横顔をみて答える。


「金矢······、夏希です。」

「金矢······か。春彦の妹さんかい?」

と男は納得したような顔で続ける。


「えぇ、春彦は私の兄ですけど。」

「とすると、この弓は彼の?」

男の矢継ぎ早な質問に負けるものかと夏希も応戦する。


「そうです。少し、変えましたが。」

「そうか······。」


 最後に男は細く、その一言のみを発した。

弓を見つめるその目はどこか寂しげで、一人虚空を眺めるような憂いを帯びていた。


数秒の沈黙の後、先に男が口を開く。

「初めの質問に戻るけど、君この弓で当てられてる?」


 夏希は自分の質問には答えないのに、質問ばかりを繰り返す男に不信感を募らせていた。だが嘘をついても仕方が無いので、正直に答える。


「当たっては······、ないです。」


まぁだろうね、と男は分かりきった答えだというような態度を見せた。いよいよ夏希の不満が爆発する。夏希は端正に整った顔を大きくゆがませた。


 なかなかに失礼な男だ。これでも私は努力している。なぜこんな見ず知らずの男に、当たっていないことを再確認されなければいけないのだ。夏希は心の中で猛反論した。


 漸く男は顔を上げ、夏希の瞳を見つめた。男のダークブラウンのその瞳は、夏希の心まで見つめるような、冷たいとも暖かいとも言い表せないものだった。

男は淡々と話を続ける。


「この弓は君に合っていない。君は使うべきではないし、使っても無駄だ。」

「······っ!、どうしてですか?」


 夏希はわざと、威圧的に聞き返した。

そろそろ我慢の限界である。次に言う言葉には是が非でも噛み付こう。そんなことを計画していると、男は少し口調を早めて話し出した。


「グリップの加工、プランジャーの出具合、硬さ······、スタビライザーのバランスに弦の素材、ハイト、ノッキングポイントの高さ、まぁ他にもあるが······、要するにこれは君の兄に合うよう調整されている。

さらにその調整を中途半端に変更したにも関わらず、君に合うようにもなっていない。これじゃ当たらないのが普通だ。」


······なんだ?

 夏希は一度に沢山の情報を耳にし、脳が処理しきず言葉を失った。噛み付こうにも、途中から聞き取れなかったので何も出来ない。

最後に唯一、理解できた言葉。


「この弓が······、私に合っていない?」

「少し待ってろ。」


 そう言い残し、男は足早にその場を後にした。残された夏希はただ呆然とし、その背中を見送るほかなかった。



 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

[用語説明]

・ロスト······的紙の貼ってある畳等から完全に外し、矢が地面や壁に刺さること。点数は0で得点記入の際はMと書く。


・グリップ······弓を持つ手、またはその手と接するハンドルに付属するパーツ。手を指す場合は、一般に右射ちと言われる人の場合左手。


・ハンドル······弓の中心部分。この部品を中心とし、しなる部分であるリムや、スタビライザー等のパーツを付けていく。アルミやカーボンで作られる。


・シューティングライン(SL)⋯競技の際、地面に引いてあるライン。ここを跨いで立ち射つ。


・プランジャー······ハンドルに付けるパーツの一部。矢の飛び出し方の調整をする。


・スタビライザー······ハンドルに付けるパーツ。Y字のような形で付けられる、様々な長さの異なる棒。素材や重さが異なり、振動吸収やバランスをとるのに使われる。


・ハイト······弦とグリップ(ハンドルのパーツの方)の最奥までの間の長さ。矢の飛び方や弓の強さに影響を与える。


・ノッキングポイント······矢をつがえる(ノッキング)のに目印となる箇所。




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