第14話 『摘み取らぬように、夕焼けに染まる光の中でいつかあなたに聞かせよう』

「じゃあ! 私達聖都に住むの!?」


 ミカ様から賜った褒賞の話をすると、リズは嬉しそうな声をあげてくれた。

 急に村を離れて暮らすことを嫌がるのではと、全く考えないわけではなかったから、前向きな反応を見せてくれたことにほっと胸を撫でおろす。

 元々、二か月後には引っ越す予定だったことも、良い方向に働いているのかもしれない。


 ただ……。


「ねぇ! 聞いたサナさん! 私、聖都で暮らすんだって!」


「ええ、聴いていましたよ。よろしければ、むこうの美味しいお菓子屋さんのお話を聞かせて差し上げましょうか?」


「いいのっ!?」


 あたしは、花を咲かせたような笑顔を美人なお姉さんこと――娼婦であるサナさんに向け、すっかり懐いた様子で話すリズの姿に妙な危機感を覚えていた。


 まるで、姉の立場を奪われたような気分で、一抹の寂しさを覚える……。

 いや、まだ幼さの残る妹が女遊びを経験している状況に動揺を隠せなかったと言うべきか。


 とにかく、あたしがなんとも言えない想いを胸に二人の様子を眺めていると。


「へぇ……しかし、聖都の邸宅を移譲させるとは。ずいぶんと思い切ったもんだ」


 感嘆……というよりは不思議がるような声がラスナードから聞こえる。


「なによ、文句あるの? いいでしょ別に。今のあたし達には住むところが必要なんだから」


 だが、あたしがつんと唇を尖らせながら返答すると、彼は脳天に疑問符を浮かべながら口を開いた。


「いやいや、住む場所が必要ってだけなら、堕女神の被害者は女神教会に申請すれば仮住まいを無償で提供してもらえるぜ?」


「……え?」


「いや『え』じゃなくてだな。そういう制度がちゃんとあるんだよ。だから嬢ちゃんは女神には褒賞として金銭を要求。それから被害者として権利を行使、女神教会に仮住まいの申請をすりゃ、十分な金を手にしながら落ち着いて新しい家探しができたと思うんだが」


 開いた口がふさがらない。


「なに、それ……」

「まさか……知らなかったのか? 戻し手なのに?」


 直後、ラスナードからガーナへと目線を移すと、彼は気まずそうにグラスを口へ運び。


「……すまない。失念していた」


 ただ、一言だけ口にした。


「そ、そんなぁ……」


「おや、意外だ。旦那も抜けた所がある……けどまあ、最近じゃ大きな被害が出る前に、住む所を前もって移す奴も多いから埃をかぶりがちな制度ではあるな」


「うぅ……早まったかしら、早まったのね、あたし」


 ラスナードの声に耳を傾けながらグラスをあおり、その後だらりと脱力する。

 人間は知らないというだけでどれ程損をするのか痛感した気分だった。


「ま、言っといてなんだがそんなに落ち込むことはないさ。一度でも聖都の暮らしを知れば考え方が良い方へと変わると思うぜ?」


「ずいぶんと知ったようなこと言うじゃない……」


「そりゃ。俺も聖都に住んでるからな」


「えっ!?」


 思わず耳を疑った。

 それはリズも同じだったようで、妹は急ぎサナさんへと目線を移す。


「じゃあ、サナさんも聖都に住んでるの」


「はい。私はその……支配人の普段のお世話もしていますから。彼が聖都にいる間は一緒に生活していますよ」


 彼女の『普段』という言い回しに不健全な香りを感じつつ、再び視線をラスナードへ戻す。


「本当に聖都に住んでるのね」


「ああ。聖都にも店を持っているもんでね。というか、むしろ向こうが本拠地と言っていい。こっちに足を運ぶことの方が稀なくらいだ。だからこそ、大仰に言っていいのなら今回の出会いこそ運命だったと俺は思うね」


 酒の入ったグラスをあたしとガーナ達に向かって掲げるラスナードに苦笑いを返す。

 すると、彼は引きつった顔を見るなり再び口を開いた。


「おいおい、嬢ちゃん。そう邪険にするなって。俺達は出会いこそ最悪だったがこれからはいい関係を続けて行けると思うぜ?」


「どうだか。あんたは『金の切れ目が縁の切れ目』を平気で実行できる人間でしょう?」


「まあ、そこは否定しないが……」


 ちらりと、ラスナードの視線がガーナへと動く。


「嬢ちゃん達は、ちょっとばかし話が違うぜ?」


 彼は不敵に笑うと、空にしたグラスに再び酒を注いだ。


「……どういうことよ?」

「俺は言ったろう? 金は人脈を掘るツルハシだ。そして、人脈とは人と人の繋がりだ」


「……わからないわ」

「じゃあ、こういう言い方をしようか? 俺は最初に金を使って嬢ちゃんを買おうとした。だが、その過程で嬢ちゃんを介して旦那を掘り当てた」


「ガーナ?」


 直後、あたしの視線は嗜む程度に酒を口へと運ぶ戻し手と、彼の傍で食事を続けるゼトへと注がれる。

 ガーナはラスナードの言葉に耳を傾けながら「なるほど」とまんざらでもなさそうに笑ってつぶやいた。


「つまり、シズとリズは僕とあんたの要石という訳だ」

「そうとも言える」


「……ちょっと待ってよ。流石にそれはおおげさじゃないかしら? あたしもリズも『要石』なんて言われる程、ガーナやゼトと親しくなった訳じゃないわよ?」


 あたしは率直な感想としてガーナ達と自分の関係を口にする。

 けど、ラスナードは酔いも相まってか声高に笑いだした。


「そりゃ、嬢ちゃんからみたらそうだろう! だがな、旦那からしたら少しばかり見え方が違って来る」


 首を傾げてみせると、ラスナードは「クク」と笑う。

 彼はまた酒を口に含み喉を鳴らすと、もったいぶって回答らしき『問題』を寄越した。


「例えばだ。散らかっている部屋があるとする。嬢ちゃんは苦労してその部屋を掃除するんだが、次の日に悪ガキが現れてまたその部屋を散らかした。自分の苦労を台無しにしたその悪ガキに、嬢ちゃんは何を思うかな?」


「……そりゃ、良い気はしないでしょうよ」


「そう! つまりそれだよ! 嬢ちゃんは部屋! 旦那は掃除人! 悪ガキは俺!」


 満足げに笑うラスナードの表情は心底気に食わなかったが、彼の解答にはなるほどと頷けた。


「要するに、ラスナードはあたし達に危害を加えれば、遠回しにガーナを敵に回すことになるのね」


「そういうことだ。だから、俺は嬢ちゃん達に親切にするのさ。旦那の気分を逆なでしないようにな」


 ……となると。

 ラスナードから親切を受けることは、言ってしまえば彼に利用されることに等しいと思うのだが……しかし――。


「そこでだ! 嬢ちゃん、聖都へ行くにも足は必要だろう? 二日後で良ければ向こうへ行く俺達の馬車に相乗りしてもらっても構わないぜ? もちろん無料でだ」


「ほ、本気っ?」


 ――それでもこの、彼からの申し出にはあたしも思わず飛びついてしまった。


 この街から聖都へ行くには少々長旅になる。

 あたし一人だけならまだしも、旅に慣れない妹を連れて行くのは難しい面があった。

 だからこそ旅に慣れた人と共に、馬車に乗れると言うのは願ってもないことだ。


「それって、私とお姉ちゃんがラスナードさんと一緒に旅をするってこと?」


 リズも興味深そうにラスナードの提案に耳を傾ける。


「ああ。そうだ。それとも、俺と一緒じゃリズ嬢はご不満かな?」


 リズはラスナードの質問に首を振り、おずおずと質問を付け加えた。


「それって、サナさんも一緒よね?」

「もちろんさ!」


 快いラスナードの返答を聞くや否や、リズの瞳があたしへと向く!


「お姉ちゃん! お願いしようよ! ねぇ、いいでしょ?」


 あざとい可愛らしさに彩られた表情に、思わずため息が出た。


「……わかった。二日後ね? お願いするわ」


 次の瞬間、リズが歓喜の声をあげたのは言うまでもない。

 妹はサナさんに抱き着くと、甘え切った声で聖都へ行ってからの妄想を彼女に語り始めた。


 そんな時。


「なあ、ラスナード。その馬車、僕達も乗せてもらうことはできるかな?」


 不意にガーナの口から零れた言葉が、どうやらラスナードの意表を衝いたらしい。

 しかし、すぐにラスナードの表情は一変した。

 驚きに満ちていた表情は、まるでこどもをからかうような悪戯っぽい笑みになる。


「へぇ……こいつは驚いた。そこまで嬢ちゃん達が心配かい? それとも……俺は、そんなに信用ならないかな?」


 だが、ガーナは彼の調子に合わせることなく淡々と返した。


「君の機嫌を損ねる気はないさ。それに、シズの力量は信頼するに足るものだ。本来なら、僕の心配なんて無用さ」


「へぇ……じゃあ、どうしてだ?」


「君が僕に望む関係を僕から口にしたまでだ。仕事だよ。聖都に向かう必要ができてね」


「聖都へ? 良ければ目的を聞いても?」


「構わない。ちょっとした届け物さ。女神ミカから聖都にある女神教会の長――女神長アステナ宛のな」


 直後、ラスナードの口から感心するかのような口笛が鳴る。

 しかし、彼はすぐさま明るかった顔色に影を落とし、真面目な声で訊ねた。


「旦那。馬鹿だと思われても構わないからあえて訊くが……そりゃ、急ぎの用ってことにならないか? 本来なら、今すぐに早馬を用意して聖都へ向かうべきだろう?」


 あたしにも、ラスナードが『街を出るのは二日後だがいいのか?』と訊ねたのがわかる。

 すると、ガーナも彼の質問を見越していたのかすぐに答えを返し――。


「本来なら急ぐべきかもしれない。だが、あえて急がない方が返って良いこともある」


 ――彼は、懐から取り出した包みを、開けてあたし達に見せた。

 それは透明な何かの……そうガラスの破片のようだった。


「これは?」


「堕女神が持つ盾にはめ込まれていた宝玉……その破片だ」


「えっ?」


 思わず、困惑が声になって漏れる。

 ガーナが口にした言葉を、あたしの中の知識はありえないと否定した。


「ちょっと待って! 転神後に堕女神の体は黒砂となって消える。これは剣や盾と言った装備品も例外じゃない筈よ? なのに、盾にはめ込まれていた宝玉の破片が残っているなんて……ありえるの?」


「そう、本来ならばありえないんだ。堕女神の装備品が黒砂にならないなんて……でもね、そこに女神ミカから聞いた話を付け加えると、一つの思惑が見えてくる」


「ミカ様の話? 思惑?」


「そう。君が自宅へ戻っている間に聞かされた、女神ミカが堕神する直前の話だ」


 ガーナの声色が沈み、あたしは生唾を呑み込む。


「……一体、何があったの?」


「曖昧な記憶を手繰り寄せた話だから本人も確証がなかったようなんだが……どうにも、堕神直前に、彼女を尋ねて来た二人組の男がいたらしい」


「二人組の男? 巡礼者や参拝者じゃないのよね?」


「おそらくね。女神ミカの話によると、その二人は彼女に何か献上品を持って来ていたらしい」


「献上品……?」


「そう。そして、ここまで言えば想像できるだろう? 怪しげな男達が献上品という名目で『何か』を持って来た直後、女神が突然堕神した。その後、堕女神となっていた彼女の装備品の中で、唯一宝玉をはめられていた盾だけが黒砂にならず残った」


「……まさか、その宝玉によって今回の堕神は意図的に起こされたものだっていうの?」


「確証はない。だが、いやでも関連付けたくなるだろう?」


 ガーナはおもしろくもなさそうに笑うと、あたし達に見せていた宝玉を懐にしまった。


「仮に、今回の堕神が意図的に起こされたものだったとしたら、この宝玉が関係している可能性は捨てきれない。そして、実行犯がいると仮定した場合、堕女神が元に戻った今、彼らはこの宝玉を回収され、調べられることを嫌うだろう……なら、証拠品を奪取しにくる可能性は低くないという訳だ」


 ガーナの話を聞いてなお、いや、聞いた後だからこそラスナードは未だ得心がいかないという顔をする。


「要するに、その証拠品を無事に届けるために旦那は女神に選ばれた……ってことだろう? なら、尚のこと急いだ方が良い案件なんじゃねぇのか? 言ってくれれば、また早馬を用意することはできるぜ?」


 しかし、むずがゆいと言うようにラスナードが提案を口にした直後、傍で話を聞いていたサナさんが口を挿んだ。


「もしかして、ガーナ様の他に別動隊がいるのでは?」


 すると、ラスナードが「ああ」と感嘆の声をあげる。

 ガーナはあたしと同じように驚いた顔をサナさんへと向けた後「そうだ」と肯定して話を再開させた。


「サナ嬢のいう通り、いわば今回、僕に与えられた役目は『念のため』という意味合いが強くてね。本命は別にいる」


「それって、女神教会直属の騎士団のこと?」


「ああ。早ければ今頃、今回の堕神の事後処理のために派遣された騎士が数騎、彼女の元に到着している頃だ。しかし騎士達は何かと目立つからね。実力が折り紙つきではあるが、彼らとは別に裏で動く人員も欲しかったというのが女神ミカの本音だろう。つまり、僕に与えられた役割は、騎士団とは別のルートで、確実に聖都へと宝玉の欠片を届けることにある。だから、ラスナード達と共に行きたいんだ。女神の使者がそういった店に立ち寄ると言うのは本来『ありえない』ことだからね」


 にやりと微笑むガーナは、この行動で『実行犯』達の目を欺けると確信しているようだった。

 だが、彼とは対極的にラスナードは苦い顔を見せる。


「なるほど……話はわかった。確かに、女神から急務を任ぜられた人間が二日も娼館に入り浸ると言いうのは『ありえない』と、奴さんにも思わせられるだろう。それなりに警戒も解け、比較的安全に聖都へ向かえるかもしれない。けどよ、旦那。そのためにうちの従業員に危険が及ぶってのを、俺は見過ごせないぜ?」


 そんなもっともらしい意見がラスナードの口から出たことにあたしは開いた口がふさがらなかった。

 しかし、すぐにサナさんが「ふふ」と口元を隠して笑ったのを見て、それが彼のパフォーマンスだと気付く。

 ガーナも同じように彼の支配人としての建前に気付いているらしく、やれやれと笑ってみせると巾着袋を取り出した。


「ラスナード。僕は、君ならば聖都までの安全を保証できるものと確信している」


「ほう……ずいぶん高く買われたもんだ」


「ああ。そうさ。僕は君を買っている。それは比喩でもなんでもなくね」


 次の瞬間、ガーナが巾着袋を放る。

 彼の手を離れたそれは、ラスナードの手中に収まると、ズシリと重い音を吐き出した。


 袋の中身が何なのか、それを理解していないのはこの場ではリズだけだろう。

 しかし、ラスナードは確認のために袋の口を開ける。

 すると、部屋の明かりに晒された中身は光を反射し、彼の頬を金色に染めた。


 これには思わず、ラスナードの口元が緩む。


「旦那……うちの女を残らず見受けする気かい?」


「いいや、その金は君から『娼婦達の安全』を買うためのものだ」


「へぇ……」


 ラスナードが受け取った額はあたしには想像もできない。

 だが、あたしはもはや、彼がガーナに『嫌』とは言えないだろうと確信していた。

 そこに、ガーナが畳みかける。


「さあ、訊いてほしそうだから、もう一度だけ訊こうか。ラスナード、君にはできるだろう? 誰一人危険に晒さずに、この街から僕を連れて聖都まで行くことが」


 直後、ラスナードは目にも止まらぬ速さで巾着袋を懐にしまうと、仰々しく頭を下げた。


「この依頼、お引き受けしましょう、旦那様。このラスナード、この命に懸けてお約束します。聖都までの快適な旅と、あなたを含めた全ての者の安全を」


 ガーナは彼の従者めいた行動に苦笑いすると、あたしへと向き直る。


「という訳だ。今更ながら、君も……いや、君達も僕らの同行を許してくれるかな?」


 あんなやり取りをみせておいて、この人は何を言っているんだ。

 あたしは一度、ゼトへと目線を移し、空になったグラスに酒を注ぐ彼を見てため息を吐いた。

 胸中に渦巻くのは、嫌悪感というよりは『諦め』に似た思い。


 『しょうがない』


 そんな言葉を口に出そうとして、あたしは口を開こうとしたのだが……。


「よくわかんないけど……つまり、みんなで聖都まで一緒に旅ができるのね!」


 はしゃぐリズの声が耳に入った途端、気分を沈ませるような言葉は全てのみ込んだ。

 代わりに口を衝いたのは――。


「……そういうことかしらね」


 ――曖昧な、肯定を指す言葉だ。


「すごいっ! 楽しみね、お姉ちゃん!」

「そうでしょうとも! お楽しみくださいリズ嬢! このラスナード、最高の旅路を保証いたしますよ!」


 大仰な、わざとらしいラスナードの口調に、再びため息を吐く。

 あたしはまた、彼がどんな悪党に金を渡して道中の安全を確保するのかを想像し……。

 ふいに湧いた罪悪感は、グラスの中身を喉に流し込むことで封殺した。

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