第10話 シズの願い

「言ったろう? 僕達は他に叶えたい願いを持たない。いや、もう叶えられることは叶えて来たんだ。それに元々、今回の褒賞を受け取る権利は君のものだ。僕達に気を遣うことはないよ」


「でも……」


「むしろ、君は一度僕達に権利を譲ろうとした。それで十分だと思うけどね」


 降って湧いた幸運に対して、あたしは気が引けていた。

 堕女神に最後の一撃を与えたのがあたしの剣だと言われても、その剣を使ったのはゼトだ。

 なら、褒賞を受け取るべきはゼトだとあたしは思う。


 しかし。


「ちょっと、ゼト! あんたもそれでいいと思ってるの?」


 本人に訊いても、彼は何も言わずフードをかぶり直すとガーナに向かい手指を動かした。

 そして、ガーナの口から手指の意訳が告げられる。


「構わないってさ」


 あたしは、手指の動きが本当に『構わない』と言っていたのかもわからず、胸の中でもどかしい想いが強くなった。


 だが、再びゼトの手指が動く。


「え? 何? 今度はなんだって?」


 あたしが待ちきれないとばかりにガーナへ目線を向けると、彼はおかしそうに微笑んでからゆっくりと口を開いた。


「君にはもっと心配するべきことがあるだろうって、ところかな」

「……どういうこと?」


 意訳された言葉の意味を瞬時に理解できず、あたしは首を傾げる。

 すると、ガーナはゼトの気持ちを汲み取るかのように続けた。


「シズ、君は明日から妹を野宿させる気か?」

「っ!?」


 ガーナの一言はあたしに一つの事実を思い出させる。

 脳裏を過る空想……それは、ゴブリンに火を放たれた自分の家だ。

 村に火を放ったゴブリンが、あたしの家だけを都合よく見逃してくれるなんてないだろう。


「そう……そうだったわね」


 この瞬間、あたしの中で女神の褒賞は『褒美』から『補償』という認識に変わった。


「この願い、あたし達の生活のために使わせてくれるってこと?」


「その言い方は恩着せがましくて好きじゃないな……難しく考えないでほしい。僕もゼトも、放っておけないだけだ。特に、君の妹とは約束をしてしまったしね」


 どれだけお人よしなんだろう……。

 彼らに対する感謝が胸のそこから湧き上がってくる。

 でも、心のどこかには彼に呆れている自分もいた。


「わかった……あたしも、リズのために使えと言われて遠慮するような人間じゃないもの」


「ああ。その潔さは君の長所だよ」


 それから、あたしがミカ様へと向き直ると、ガーナはひとつの助言を付け足す。


「そうだ。女神にもできないことはある。片翼の女神ならば尚更だ。燃えた人家の修復や、村の復興を願ってもすぐにとはいかないだろう。ですよね?」


 ミカ様はこくりと頷くと、ガーナの言葉を補足し始めた。


「彼のいう通りです。家や村の復興は女神の権能――力ではなく、権利を行使して叶える願いです。叶えるにしても聖都の女神教会へ申請を出し、教会から人を派遣してもらい復興作業にあたらせることになります……それに、村の復興に関しては私の役目の内ですから、そもそも願われることではないのですが…………そうですね。例えば、褒賞として家を買うに十分な金銭を要求することや、新しい家をあなたに移譲させるということならずっと話が早いですが」


「新しい……家」


 耳にした途端、心が揺れ動く。

 あたしは、それを願うことが途端に素晴らしいことのように思えてきた。


 今の家は、きっと家財道具も含め何もかも燃え尽きていることだろう。

 引っ越し資金も、硬貨ならともかく紙幣は期待できない。

 いや、仮に残っていたとしても引っ越し資金にはとても足りない。

 ならいっそ、今……家具付きの大きな一戸建てを願えればどんなにいいだろう?


 リズの喜ぶ顔が目に浮かんだ。


 あたしだけでは無理かもしれない。

 けど、今この時ならば……女神の後押しがあれば手が届く気がした。


 あの子に一人部屋をあげられて、休日には商店の並ぶ通りへと気軽に足を運べる、安全でにぎやかな家……。

 そんな場所を願えれば、素敵なことだと思った。


 でも……。


「……」


 こ、これは、女神に叶えてもらう願いにしては俗物的すぎやしないだろうか?


「…………う、うーん」


 願いたいと思う反面、どこかで口にすることが恥ずかしいとも思う。

 命がけで強大な怪物と戦った果てに、家が欲しいと女神に願うなんて……。

 だが、そう願わないと生活に困るのも事実だ。


「よし……」


 あたしは、静かに決心を固め、ミカ様の傍へと歩み寄り――。


「あ、あの……ミカ様、よろしいでしょうか?」

「え? はい?」


 ――彼女の耳元へ、そっと家の要望を伝えた。


「えっと……つまり、その条件を満たす物件の移譲を願うのですね?」

「は、はいっ」


「えーと……第一に安全で、商店に近く――」

「で! できれば復唱は避けていただきたくっ!」


 唐突に声を張り上げると、ミカ様は驚いた顔を見せた後、やわらかく微笑んで頷く。


「ふふっ。わかりました。そうですね、あなたの要望を満たすところに心当たりがあります」

「本当ですかっ?」


「ええ。要望の全てを満たせる訳ではないのですが……聖都の一画にちょうど良い邸宅があったはずです」

「せ、聖都のっ? 邸宅っ!?」


 ミカ様の返答は、あたしの頭の中に大都会での暮らしぶりを妄想させた。


「はい。では、さっそく書類を用意しましょう。女神教会より、聖都にある邸宅を無償であなたに移譲する旨を書き記します。あとは……その他にも面倒な手続きが必要になるでしょうから、紹介状も用意しておきますね。私が一筆添えれば面倒な審査も大抵は問題にならないでしょうから」


「それじゃあ……」


「戻し手のシズ。あなたの願い、確かに叶えます。女神ミカの名に懸けて……ふふっ、おめでとう。立派な戻し手になりましたね」


 直後……あたしは人前であることも忘れ、喜びを抑えることなく飛び上がった。

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