第9話 一縷の望み

 ダークエルフ。

 それは強すぎる負の感情に呑まれ、あるいは女神様のいう穢れに身を染めたエルフを指す。


 これを、闇に堕ちたという言い方をするなら、ダークエルフとは堕神を起こしたエルフと言えなくもない。


 ならばダークエルフという存在は、堕女神と同じ災厄だ。

 人と共存することなどできる筈がない。

 彼ら――ダークエルフがどういう存在か……それは、あたしだって身をもって知っていた。


 だから、ゼトがダークエルフの血を持つというのなら……あたしは彼を拒絶する他ない。


 でも……。


「ゼト、あんた……ダークエルフなの?」


 体が、血が……彼らへの恐怖と憎しみを思い出しながら震える中、あたしはゼトに訊ねた。


 自分と妹を救ってくれた存在が、ダークエルフなんて者であってほしくないという願望と。

 ダークエルフが、人を救う筈がないという拒絶を抱えながら。


 すると、ゼトは静かにあたしを見つめ、ガーナへと手指を動かす。

 ガーナは静かに彼へと頷くと、あたしに向き直って口を開いた。


「シズ……君の望む答えになるかはわからない。だが、彼はいわばハーフゴブリンだ。こんなブサイクなエルフがいる訳ないだろう?」


 直後、ゼトがガーナの尻を蹴った。

 素早く動かされるゼトの手指。

 ガーナは「わかったわかった。真面目に話すよ」と彼を宥める。


「ゼトの母親はね、ゴブリンに種を宿された際にダークエルフへと堕ちたらしい。君も知っての通り、闇に堕ちたダークエルフは凶悪だ。感情や体を穢れに呑まれるんだからね、堕女神がそうであるようにまともでいられる者はいない。だが、稀にそんなダークエルフから産まれてくる命がある」


 その命が、ゼトを指すことはすぐに理解できた。


「それらの命はいわば先天的に穢れと共存した存在だ。先天的なダークエルフ……そして、ゼトの場合はダークゴブリンハーフとでもいうべきか。彼らはね、その血、体に強い穢れを宿しながら見事に自我を保っているんだ」


 それは、にわかには信じられない話だった。


 でも、あたしはゼトのこれまでの行動をこの目で見ている。

 ゴブリンにはないだろう知性。

 そして、ダークエルフにはありえない『誰かを救う』という行為。


 それらが、実感となって、少しずつ、少しずつ胸の底に安心感を重ねていった。


「……信じていいの?」

「……さあ。だが、僕達は裏切らない。それは確約できる」


 ガーナの目はとても真剣だ。

 敵意のない眼差しであるのにあたしは思わず緊張して息を呑んだ。


「なに、難しく考えなくていいよ。僕はだた、ゼトは君が思う程、こわい奴じゃないといいたいのさ」


 まるで、ゼトの父親か兄であるかのような物言い。

 あたしは彼の言葉と、バツが悪そうに頬を掻くゼトの姿に……信じてみても良いという気がした。


 今なら……これからなら、彼を――ゼトを、ゴブリンやダークエルフとしてではなく、『彼』自身として見ることができると思った。


 しかし、ほっと自分の中にゼトの落としどころを見つけた直後。


「……それで? 私に訊きたいことというのは、もうよいのですか?」


 ミカ様のいじけた声が聞こえ、あたしはほっと一息ついた胸中を慌てさせる。


「あっ――み、ミカ様、ごめんなさい! さ、ガーナ! 続けて続けて!」


 それから、ガーナは口元を緩めると、改めてミカ様に質問を投げた。


「既に、察しがついてるかもしれませんが……二つ目の質問は、あなたならばこのゼトの体に流れる穢れを取り除くことは可能かということです」


 この質問を聞いて、あたしはすぐさまゼトに目線を移した。

 彼の眉のない瞳が、じっとミカ様を見つめる。

 しかし、ミカ様は残念そうに答えを返した。


「残念ですが。私では、彼の血からダークエルフの穢れを取り除くことはできません」

「えっ?」


 ガーナとゼトが固く口を結ぶ中、あたしの唇が緩む。

 女神様に叶えられない願いがある。

 それも、『体から穢れを取り除きたい』そんな『良いものになりたい』という願いを叶えられないことに、あたしは驚いたんだ。


「ミカ様、どうしてなんですっ。ゼトの願いは、決して邪なものではないのにっ」


「良い悪いの問題ではないのです、シズ。ダークエルフの持つ穢れはひどく濃いの……よほど高位の女神でない限り、取り除く前に堕神を促されてしまう。もし私がそれを行えば、きっと穢れを取り除く前に堕女神になってしまうでしょう」


 ミカ様の堕神。

 それが、どんな結果をもたらすのかはつい先程身をもって知ったばかりだ。

 あたしはそれ以上何も言えず、おとなしく引き下がるしかなかった。


 だが――。


「片翼である私のような女神では――いいえ、両翼の女神でも可能なものは少ないでしょう。女神長であるアステナ様か、あの方に次ぐ、八柱の始祖女神なら間違いはないでしょうが」


 ――できないと聞いたガーナ達に動揺はない。


 彼らはまるで……そう、知っていたと言わんばかりだった。

 すると、二人の反応を見て、ミカ様は頷く。


「……なるほど。承知だった、という訳ですか?」


「申し訳ない。だが、どうか容赦していただきたい。僕達は、これまで幾度となく女神の転神に立ち会ってきました。もう、これ以外に僕達に願いはないんです」


「……まったく。さしずめ、欲望の出涸らしとでもいうつもりですか? 十中八九願いを叶えられないと知って、また、他に望みもないのに堕女神を討伐しに来るだなんて……お人よしなのですか?」


「一縷の望みにすがっているだけです」


 ミカ様はやれやれと肩をすくめ、細い溜息を吐く。

 そして、再び彼らに訊ねた。


「それで、どうします? 望みがないというのなら、世界平和でも望みますか?」

「それならば……」


 呆れるミカ様を前に、ガーナはゼトへと向き直り、にやりと口元を歪める。

 ゼトが手指を動かすと、ガーナは「それでこそだ」とこぼし、またあたしへと視線を移した。


「褒賞を受け取る権利だが、やはりシズへと返すよ」


 この時あたしはガーナが口にした「少し待っていてくれ」という言葉の真意にたどり着く。


「なっ――」


 彼の、いや……彼らのいたずらっぽい笑みは、再びあたしを困惑へと陥れた。

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