第8話 女神の褒賞

 堕女神の体が全て黒い砂となって崩れ落ちる。

 装備していた剣も、身につけていた甲殻も同様に、細かい砂粒のように姿を変えたのだ。

 すると、床の上に盛り上がった黒砂の中に、ぐったりと倒れる人型を見つけることができた。

 背中に白い片翼を持つ、黒髪の美しい女性。


「ミカ様っ!」


 あたしは、ミカ様が堕神の変質から完全に抜け出したのだと思い、彼女の元へと駆け寄った。

 砂の中に手を突っ込み、ミカ様の体をすくいあげる。

 頬に張り付いた砂を指で払うと、彼女はしばらくしてせき込みながら意識を取り戻した。


「ここ……あなたは、しず?」


 ぼんやりとした双眸は、あたしを見ながらまだ何もない虚空を見ている。

 しかし。


「どうして……戻し手になっていらい……ちっとも顔を、見せず、に――!?」


 ミカ様は声を絞り出す度に瞳に生気を取り戻し、ふとした瞬間に言葉を詰まらせた。

 あたしを見つめていた視線が周囲へと向けられ、表情はこわばっていく。

 そして。


「私……堕神、していたのね?」


 彼女は現実感を伴っていない様子で、事実を確認した。


「……はい」

「被害はっ!?」


 やるせない想いの滲む声が、あたしの耳へと届く。


「……まだ、詳しくはわかりません。でも、ここに来るまでにゴブリンによって多くの人家が焼かれていたのを見ました。それに……前もっての避難ができなかったせいで、逃げきれず殺された人も少なくありません」


 あたしは立ち上がることすらおぼつかない様子のミカ様に肩を貸しながら、耳元で告げた。

 直後、ミカ様の顔が悔し気に歪む。


「なんてことを……私、どうして、こんな失態を……村のみんなやアステナ様にどう顔向けすればいいのかっ……」


 本来は二ヶ月先だった筈の堕神……それは、本来ならありえない、大きすぎるズレだった。

 だが、ミカ様は唇を噛みしめると、すぐに己の役目を果たそうとした。


「シズ、まだ村にゴブリンはいますか? 人家の火は?」


「おそらく、今も村には若干数のゴブリンが潜んでいると思われます。それに火も……」


「ならば……私がすべきは、まず守護の祝福です、ね」


 守護の祝福。

 それは、あらゆる災厄を女神自身が『穢れ』として認識し、自らの内に封じ込める行為だ。

 転神の直後であれば、自らが招集してしまった魔物を強制的に帰還させる行為も含まれる。


 つまり、今で言うなら彼女は村の消火と招集したゴブリンの排除を行おうとしていた。


 しかし。


「うっ……」


 ミカ様は一人で立ち上がろうとした途端、ふらつき危うく転倒しそうになった。

 彼女の足元にはくだけた宝玉が散らばっていて、あたしはミカ様が破片の上に倒れたらと焦る。


「ミカ様っ」

「そんな……力が、はいらない? 転身の直後にこんな……今までなかったのに」


 ミカ様の困惑が、声の震えから伝わる。

 すると、見かねた様子でガーナが声をかけた。


「その不調は、今回の不可解な堕神となにか関係が?」

「あなたは?」


「ミカ様、彼は戻し手のガーナです。傍にいる全身ローブはゼト……ちなみに彼は」

「ゴブリンね」


 あたしが言いよどんだことを、ミカ様は容易く口に出した。


「はい、でも彼は――」

「わかっています。悪い者ではないのでしょう?」

「えっと……たぶん」


 返答が少し遅れるあたしに、ミカ様は優しく微笑む。

 その笑みは『好きではないのね?』とあたしの本音を見抜いているように感じられた。


「ガーナ。残念ながら、あなたの質問には『関係性がわからない』と、答えるしかないわ。おそらく、私の落ち度には違いないのでしょうけど……」


 その後、ミカ様は細い溜息を吐くと「もう大丈夫よ」といって、あたしから離れた。

 ミカ様はボロボロになった神殿の中央に立ち、唇を動かし始める。


 細かく、何かを唱えるような唇の動き……。

 おそらく、あたしに聞えないだけで今は『守護の祝福』に必要な詠唱をしているのだろう。

 戻し手の剣に許された転神の儀が特別なのであって、女神の詠唱は秘匿されるのが常だ。


 常人には聞こえない言葉が羅列されていく中、ミカ様の手の中に一本の剣が現れる。

 それは色こそ白いのだが、彼女が堕神していた時に握っていた剣と瓜二つの形状をしていた。


「――――女神の権能。守護の祝福っ」


 詠唱が終わった直後、告げられた言葉と共に剣が床へと突き付けられる!

 床へと刺さった剣はミカ様の手を離れ、独りでに床の中へと沈んでいった。


「……さて、ひとまずはこれで大丈夫です」


 ミカ様の言葉を耳にした途端、あたしは神殿の壁に空いた穴を見つけ、穴へと駆け寄る。

 外を覗いてみると、村の見える方角からは赤い光が見えなくなっていた。


「消えてる!」

「ええ。そうでなくては困ります。すぐにゴブリン達も消えるでしょう。ただ、今回はこれで落着というには被害が大きすぎますが……」


 殺された村人を想ってか、告げられた言葉は暗い。

 でも、ミカ様はまだ役目が残っていると、努めて明るい声を出された。


「さっ――忘れてはいけないことがまだありましたね。今回の堕女神討伐、大義でした。それで、今回褒賞を受け取るべきはどなたのですか?」


 ミカ様の言葉に、あたしはゼトを見つめる。

 今回、褒賞を受け取るべきはゼトだ。

 彼が最後の一撃を堕女神の脳天に食らわせ、転身の儀を発動させたのだから……。


 しかし、あたしの思惑は別に、ゼトの指が、あたしを指差していた。


「へっ? あたし?」

「ああ、確かに……今回褒賞を受け取るべきは君だな」


 ゼトに続き、ガーナまでがそんなことを口にする。


「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしは今回何もできてないわ!」


 どうしてそういう答えになったのかがわからず、あたしは驚きを隠せない。

 だが。


「何もしてないってことはないだろう?」


 ガーナは困惑するあたしへと近付き、剣を差し出して来た。

 柄に『シズ』と彫られたそれは紛れもなくあたしの剣だ。


「今回、堕女神を転神へと導いたのは紛れもなく君の剣だ。ゼトは剣を弾かれ、僕は最後ただ踏み台になっていただけだからね」


 ガーナの言葉にゼトの肩揺れる。

 笑っているように見えた仕草を見せる彼に、あたしは思わず訊ねた。


「本当にいいの?」


 すると、ゼトの手指が動く。

 短い動作の意味を図りかねていると、ガーナが「いいってさ」と仲介してくれた。

 けど……。


「だとしたら、あたしの願いは一つよ。ミカ様『この人たちの願いを叶えてあげてください』」


 直後、ガーナの表情にあたしと似たような驚きが滲んだ。


「いいのかい?」

「ええ。むしろ、そうすべきでしょ? それに、あたしはあなたに雇われた身だもの。しかも、あなたのおかげでここに来られた。加えて、妹の命まで救われている。なら、これ以上を望めばそれこそ女神の罰が当たるわ」


 あたしのミカ様が微笑む。

 ガーナは「まいったな」と頬を掻くと。


「なら、お言葉に甘えて……ただ、少し待っていてくれ」


 そんな、妙な言葉を返してミカ様へと向き直った。


「女神ミカ……僕達の願いを聞いてくれるというのなら、その前に質問を許してほしい」


 一瞬、ミカ様が不思議に眉の形を変える。


「なるほど。あなた達の願いを、私が叶えられるかどうかということね」


 ガーナが頷くと、ミカ様は「では、質問を」と静かに告げた。


「それじゃあ、まず……貴女は『リア』という女神を知っていますか?」


 ガーナの口から出て来た名前に、あたしは首を傾げる。

 別段、リアという名前はこの国では珍しくない。

 だが、リアという名前の女神には聞き覚えがなかった。

 そして、それはミカ様の同じだったようだ。


「……残念ながら、リアという名の女神を私は知りません」

「そうですか……」


 ミカ様が答えた後、ガーナの声が沈む。

 でも、それは『期待した答えを得られなかった』というよりも『またか』といったニュアンスが強いように感じた。


「ならば、次の質問を……ゼト」


 ガーナの傍にいたゼトが一歩、歩み出る。

 彼はフードを脱ぎ、ミカ様の前に浅黒い肌を晒した。


「……この者は、ただのゴブリンではありませんね」

「はい。エルフとゴブリンの混血です。ですが……」


「いわずともわかります。彼から……ひどく強い穢れを感じました」

「えっ?」


 次の瞬間――あたしは、ミカ様の口から聞かされた事実に言葉を失う。


「流れている血に、ダークエルフのものが混じっていますね?」

「っ――」


 それは、ある意味では彼がゴブリンであるという事実よりも恐ろしいものだった。

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