第5話 あたしがいやだから

 あたしがじっと顔を見つめると、ゼトは血濡れた剣を振り払い刀身を鞘に納めた。

 魔物の顔を持つ彼の行為に、あたしはもう周囲に敵がいないことを悟る。

 でも、あたしの心は、まだ戦闘が終わっていないと叫んでいた。


「ゼト……あんた……」


 目の前に、今も怪物がいる。

 武器を持たずとも、リズだけは守らなければと思いあたしは彼をにらみつけた。

 だが――。


「よっ」

「わっ!?」


 ――不意に背後から頭をくしゃくしゃと触られ、ふっと敵意がほどける。


「な、何するのよ!」


 振り返ると、ガーナが私の髪を撫でていたのだとわかった。


「いや。君は戦闘前に、守りたいものを見つけたという顔をしていたからね」


 彼の目線が一瞬、あたしからリズへと移る。


「その子を取り戻したのに、今、君が剣を下ろさない理由はあるのかい?」


 ガーナの言葉は、暗にもう戦う必要がないのだと告げていた。

 しかし、それでも胸の内から警告が止まない。

 ゼトの正体が人間ではなく、ゴブリンだと知った今。

 彼を、いや、彼と行動を共にするガーナへの不信感も強まっていた。


 でも。


「あれ……? もしかして――」


 そんなあたしを他所に、リズはガーナの顔をまじまじと見つめ。


「――あの時の、戻し手さん?」


 嬉しそうに、人懐っこい声をあげる。


「やあ、商売上手なお嬢ちゃん」

「覚えててくれたのっ?」

「それはこっちのセリフだな」


 冗談ぽく笑うガーナに、緊張で強張っていたリズの表情がほぐれていった。


「り、リズ? この人のこと知ってるの?」

「知ってるも何も、お姉ちゃんに話したでしょ? 手話を使う戻し手のおじ様達!」


 この一言で、あたしは村を出る前にさんざん聞かされた戻し手達の話を思い出す。

 そして、ゼトの手指を動かす動作がリズの言っていた手話だと理解した。


「あんたのそれ……手話だったのね。そっか、ゴブリンは人語を話せないもんね」


 思わず、棘のある言葉が口から零れてしまう。

 だが、ゼトはあたしのことなど気にした様子もなく淡々とローブをかぶり直した。


 すると、あたしと同じようにゼトを見つめていたリズが、ふと口を開く。


「ねえ……もしかして、おじ様達は私を助けに来てくれたの?」


 妹の視線がゼトからガーナへと移ると、彼は、人の安堵を誘う笑みを浮かべ。


「ああ、約束したからね」


 と、ただそれだけを答えた。

 直後、リズの表情が花を咲かせたように明るくなったのは言うまでもない。


「じゃあ、あのゴブリンのお兄さんも? あのゴブリンのお兄さんは、あの時一緒にいた人なんだよね?」


「そうだよ。彼も、君との約束を忘れはしなかった。信じてくれるかい?」

「もちろんよっ」


 それから、リズはあたしの背後から飛び出すと、ゼトの元へと走り出す。


「ちょっ――リズ!」


 妹は、どんっとゼトへ抱き着くと、頬を緩めながら彼の顔を見上げた。


「ゴブリンのお兄さん! 助けてくれてありがとう!」


 今、あたしが卒倒しなかったのは奇跡に等しい。

 ついさっき命を奪われそうになったのと同じ『ゴブリン』に大事な妹が抱き着いているのだ。


「おじ様も、ありがとねっ!」


 ゼトの腰に腕をまわしながらリズが振り返り、ガーナにも礼を口にする。

 あたしは、それ以上を許さなかった。


「リズ! 早く、こっちにおいで」

「お、お姉ちゃん?」

「いいからっ!」


 しぶしぶと戻って来たリズを抱き止め、あたしは先の戦闘で落とした剣を探す。

 月明かりを薄く反射する剣を見つけて拾うと……。

 あたしは、今にも構えたくなる衝動を抑え、刀身を鞘に納めた。


「まず、お礼は言っておくわ。でも、ごめんなさい。ここまで連れて来てもらっただけでなく、妹と一緒に命まで救われたのに……ゼト、あんたの素顔を知ったからには最低限の自衛はさせてもらう。ガーナ……あなたも理解してくれるかしら?」


 薄暗い月夜に、男の溜息がこぼれる。


「まあ……仕方ないな」


 あたしの非礼に対して、ガーナの反応は『慣れたものだ』と言わんばかりだった。

 彼がそんな態度だからか、あたしは胸の内にくすぶり出した疑問を抑えられない。


「そもそも、どうしてゴブリンを連れているの?」


 あたしの声に感情的な刺々しさが滲む。

 だが、ガーナは疲れたような、丸みをおびた声色で返した。


「ひとつだけ。彼の名誉のために言っておく。ゼトはゴブリンとエルフの混血だ。彼は、君の思い描くような魔物ではないよ」

「そんなの――」


「信じられないかい? だが事実だ。それに、君だって気付くだろう? 彼からはゴブリンのキツイ体臭がない。生ごみを擦りつけたような汚い肌でもない。至って清潔な身体だ」

「それは……」


「……君は、ゴブリンの爪を見たことがあるか? ないなら、ちょうどそこに転がっている死体を見てみるといい。糞を乾かして固めたようなひどい爪だ。ゼトのものとは比べ物にも……いや、君はもう、彼の指先など見る気にもならないだろうな」


 静かに首を振ると、ガーナは一度口を閉ざす。


「……シズ。君達は街に戻るといい。今から村に行く用もないだろう?」


 まるで、理解されないことを知っているとばかりに、彼は語った。

 それを耳にした途端、あたしの中で罪悪感が生まれそうになる。

 いや……。

 もう、生まれていたのかもしれない。


「……ゼト、行くぞ」


 立ち止まったままのあたし達を見ると、ガーナはゼトの名を呼び先に動き始めた。

 すると、ガーナに応えたのだろう、ゼトの手指がまた動く。

 グローブをはめた、人間の手とも、ゴブリンの手とも見分けのつかない五本の指。

 ガーナの言う彼の爪が見えないことを、心のどこかで引っ掛かりに感じながら、あたしは彼らを見送ろうとしていた。


「ラスナード!」

「あいよ。旦那」

「君も、商売相手は選ぶかい?」


 それは、あたしの反応をどこからかラスナードが見ていたと知っての言葉だろう。

 しかし、ラスナードは微塵も嫌悪や敵意といった感情を滲ませない。


「旦那。俺はいつだって商売の相手は選んでる。それは今だってだ」

「つまり?」


「言わせる気か?」

「なるほど……追加で仕事を頼めるか?」


「内容は?」

「あの姉妹を街まで送り届けてほしい」


 あたしは、自分の耳を疑った。


「えっ?」


 驚きを隠せず声が漏れ、表情にも動揺が現れる。

 しかし、それはラスナードも同じだったようだ。


「お人よしが過ぎねぇか? 趣味にしても良い趣味とは言えねぇぜ?」

「人が良いわけじゃないさ。ただ、敵でない人間がいる。ゼトにはそんなささやかな確信が必要だ」


「……敵じゃない、ねぇ」


 背中に、ラスナードの視線を感じた。


「ああ。たとえ嫌っていても、嫌うだけで人が全て敵になるわけじゃない」

「そりゃごもっとも。納得したよ。俺も好き嫌いで商売相手は選ばんしな」

「助かるよ」


 そんな会話が聞こえた後、馬のいななきと馬具に衣服がすれる音が聞こえた。

 二人が騎乗したという確信……。

 気付けばあたしは、胸の中の引っ掛かりを吐き出すように二人に尋ねていた。


「どこへ、行くの?」

「君が気にすることか?」


 ガーナが答えた直後、並んでいたゼトが彼の脚を蹴る。


「おいっ」


 顔をしかめたガーナに、ゼトが手指を動かしてみせた。


「……ソト村だ。まだ、僕達は約束を果たしていない」

「あ……」


 彼の口にした『約束』が何を指すのか、わからないあたしではなかった。


 まだ、村には堕女神が存在している。

 こうしている今も、彼女の指示でゴブリンが動き、リズのように誰かが襲われているかもしれない。

 人家に火を放ち、人がさらわれているかもしれない。

 遠目に見える黒煙に、胸の奥がざわついた。



 ……あたしは、なにをしているんだ。



「行くぞ」


 手綱を握り、ガーナが馬を歩かせると、ゼトも彼に続いた。

 直後……衣服を引っ張られる感覚がして、あたしは視線を落とす。


 すると。


「お姉ちゃん……」


 リズが瞳を潤ませながらあたしを見上げ、必死に何かを訴えようとしていた。


「いいの?」

「いいって……なにがよ」


「だって……このままおじ様達を行かせたら――お姉ちゃん、自分のこと嫌いにならない?」


 『自分を、嫌いになる?』


 それは、あたしの胸の中にあった引っ掛かりを……見事に表す一言だった。


「待ってっ!」


 今更、どの面下げて彼らを引き留めようと言うんだろう。

 でも、気付けば声に出していた。


「あたしも、一緒に行く!」


 ガーナの驚いた顔が目に飛び込む。

 同時に、見えもしないゼトの顔が同じように驚いているのが想像できた。


「理由を訊いても?」

「あたしは、あんたに雇われたのよ。まだ、あたしだって仕事が残ってる。それに……相手が誰であろうと、命を救ってもらってあんな態度のままじゃ、いつかきっと自分を許せなくなるわ!」


「お姉ちゃんっ……」


 嬉しそうなリズの声がくすぐったい。

 でも、そのくすぐったさが、今は少しだけ誇りに思えた。


「勝手な理由だな」


 言葉面とは裏腹に、ガーナの頬は緩んでいく。


「ええ、そう。勝手なの。それに、あたしはいつまでも借りを作りっぱなしじゃないわよ」


 それから、あたしはラスナードに向き直った。


「ラスナード。一つ頼めるかしら?」

「……そりゃ、聞いてみねぇとわからねぇよ?」


「妹のことをお願いしたいの。街の安全な場所まで連れて行って面倒をみてやって。できれば、あたし達が戻るまで」


 聞き間違いか? と、ラスナードの顔が歪む。

 彼は一度ガーナへと視線を移し、再びあたしへと戻した。


「おいおい。そりゃ、嬢ちゃんみたいな美人のお願いだ。聞いてやりたくもなるが……信用しすぎじゃないか? あんた、俺がどういう人間か勘違いしてるだろ?」


「……お願い?」


 あたしは眉をしかめ、ウエストバックから取り出した巾着袋をラスナードへと投げつける。

 彼は、慌てながらもそれを落とすことなく受けとると、巾着袋の中を開いて確認した。


「勘違いしないで。これは『お願い』じゃない。『依頼』なのよ」

「……嬢ちゃん、それにどんな違いがあると思ってるんだ?」


「依頼にはお金がいるの。そして、依頼ならあんたに責任が生まれるわ。違うのかしら?」


 あたしの返答を聴くと、ラスナードはにやりと笑って見せた。


「で、どうするの? 体を売らなくたって、十分な額を渡した筈だけど?」

「いいぜ! 引き受けた。そこのお姫様の護衛は任されよう。ただし、もらった額じゃ一週間が限度だ。それ以上は信用してくれるなよ?」


「意味のない説明ね。もっと早く迎えに行くわよ」

「ああ、だが必要な説明さ。商売柄な」


 そして、あたしはまた視線を落とす。


「リズ? お姉ちゃん、これで良かったかな?」


 すると、リズはあたしの顔を見上げながら、一つの曇りもない笑顔を向けてくれた。


「最高っ!」

「ありがと……でも、ごめんね」

「謝らないで! それがお姉ちゃんの役目でしょう? それに、留守番は慣れっこだもの」


 そんな強がりの中に、リズが本当に嬉しそうな一面をのぞかせたのは……。

 もしかして、あたしがきちんとした戻し手としての仕事をするからだろうか?


「ありがとう。先に、街で待ってて……あのお兄さんも、お金がかかるうちは信用できるから」

「おいおい……」


 まいったなと頭を掻くラスナードを見て、リズは「わかった!」と頷く。


「あのお兄さんは、お姉ちゃんの買った『安全』ってことね?」

「まあ、そういうこと」


 くふふと笑うリズの頭を撫でてから、あたしは黒馬に乗った。


「行けるか?」

「もちろん……じゃあ、行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」


 リズに見送られ、あたし達は馬を走らせた。

 堕神した女神――堕女神ミカが手中にする土地へと……。

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