第4話 月光に晒される

 ラスナードに連れられた先には既に馬具をつけられた黒馬が四頭いた。

 あたしは彼が本当に馬を用意できたことに驚きつつ、いつの間に用意したんだろうと考える。


「良い馬だな」

「当然だ。金を払わせるからにはケチな仕事はしねぇよ」


 とりわけ体の大きい馬を撫でるガーナに、ラスナードが自慢げに話した。

 だが、彼はすぐさま馬にまたがると、早く騎乗するようにあたし達を急かし、馬上から『あらかじめ』と注意事項を口にする。


「さて、街を出る前に言っておくが、俺が案内する最短距離ってのは盗賊団が仕切る森の一本道を通る行路だ」


 思わず落馬しそうになったあたしと違い、二人の戻し手達は落ち着いたものだった。


「なるほどな」

「なるほどな、じゃないわよ! それってすごく危ないんじゃないの? 何かあったら近道どころか遠回りになるじゃない!」


「勿論だ。だから、くれぐれも道中で剣を抜いたり、妙な正義感を見せてくれるなよ? 俺にできるのは、無法者が仕切る、誰も使えない筈の村への最短距離を『通らせる』ことだけだ」


 暗に、盗賊と奴らのアジトや行為に目をつぶれと言うラスナードに疑りの目を向ける。


「あんたはそいつらのお仲間ってわけ?」

「まさか。俺はただ奴らに『通行料』を払って、あんた達みたいなのに道を通らせることを商売の一つにしてるだけさ。ただの仲介人だよ」


「それって、あんたの手を借りることで間接的に盗賊団に金を落とすってこと?」


 ラスナードはにまにまと笑いながら意味のある沈黙を返した。


「そんな……」


 だが――。


「そう嘆くものでもないさ。道は道だ。時には賊の行いが人助けになる時もある。それとも、君だけ遠回りをするかい?」


 ――あたしは、ガーナの一言で胸中に湧いた罪悪感を押し込める。


「わかったわよ! リズのため! どこでも通ってやるわよ! 盗賊なんて知るもんですか!」



 そして、あたし達はラスナードを先頭に街を出た。

 来る時に通ったソト村への街道を外れ、盗賊の潜む森を目指して……。





 盗賊団が仕切る森の道を通る。

 ラスナードの言葉を聞いた時は不安しか感じなかった。

 しかし、実際に足を踏み入れてみれば、道は想定外に良く整備されていて、街道と見紛う程。

 時折、人の視線を感じはしたが襲われることもなく、あたし達は森の中を快走してみせた。


(驚いた……森の道って言うから、もっと馬に走りにくい道を想像していたのに)


 手綱を握りながら、先を行くラスナードの背を見つめる。

 あたしには、ただの盗賊が森に大きな行路を作ろうとするとは思えなかった。

 きっと、この男が一枚噛んでいるんだろう。


 一体何者だ……?


 ふと胸に湧く疑問。

 だが、それを言葉にしないまま、あたしは森を抜けようとしていた。


「森を抜けるぞ!」


 ラスナードの声が耳に届き、彼の馬が失速を始める。

 直後、早駈けを続けていた馬上から見える視界がいっきに開け――。


「あっ! ああっ」


 ――遠く、月明かりが薄く照らす平野の先に、黒い煙をあげる村がぼんやりと現れた。


「村がっ!」


 小指の先ほどの大きさにしか見えないが、人家も見える。

 暗闇の中で離れて見えた小さなそれが人家だとわかるのは、火が付き、燃えているからだ。

 今にも見知った悲鳴が聞こえてきそうな光景に、あたしは再び馬を走らせようとした。


 しかし。


「わっ!?」


 不意に、ゼトの乗る馬があたしの行く手を阻む!


「なによっ! 急がないとっ!」


 声を張り上げるあたしに、彼は答えなかった。

 ただ、ゼトは顔を見せないまま片手を上げ、手早く指先を動かす。


「な、なんなの……?」


 口から漏れ出る困惑。

 だが。


「なんだとっ?」


 あたしが苛立ちを募らせながら眉根をしかめた直後、ガーナが声を発した。


「こっちに向かって走る何かが見えたのか?」


 あたしはすぐさま、暗闇と同化した平野に視線を投げる。

 けど、夜目の利く他種族でもあるまいし。

 近場ならばともかく、この闇の中で距離を空けた『走る何か』が見えたというのはとてもじゃないが信じられなかった。


「あたしには、何も見えないけど」


 疑いの滲む言葉に、ゼトは答えない。

 ただ、胸の奥がどんどん熱くなっていくあたしを前に、彼はまた手指を素早く動かした。


「もうっ、それはなんなのよっ!」


 思わず、感情的な声が出る。


 でも、それでもゼトは何も答えず、静かに馬を降りると鞘に納めた剣を抜いた。

 すると、彼に続くようにガーナも馬を降り始める。

 しまいには二人に倣ってラスナードまでが馬を降り、どこからともなく短剣を抜いて構えた。


「シズ。君も馬を降りろ。おそらく、こっちへ向かって来るのは村人と彼らを追うゴブリンだ」

「えっ?」


 すぐさまガーナの言葉が飲み込めず、間の抜けた声を返してしまう。

 しかし!


「……ゃぁっ――」

「――ぉ!」

「オ――ォ!」


 突然! 暗い平野の中から、かすれるような遠い悲鳴が聞こえて来た。


「っ!」


 急いで馬を降り、剣を抜く!

 そして、刀身が月光を浴びて鈍く反射すると同時に――。


「いやぁっ!」

「振り返るなっ! うっ――」

「グガアァッ!」


 ――必死の形相で走り来る人々と、その後を追う複数のゴブリンの姿が見えた。


 でも、何よりあたしの瞳を釘付けにしたのは、魔物の恐ろしい刃や牙ではない。


 ずっと見て来た背格好によく似た人影。

 薄暗く、遠めに、ぼんやりとしか見えなかったその影は――。


「お、お姉ちゃんっ」


 ――ここに姉がいるとも知らず、慰めにあたしのことを呼んでいた!


「リズッ!」


 妹の名を叫び、あたしは地面を蹴るっ。


「狩るぞ、ゼトっ!」

「――ッ!」


 飛び出したあたしの後にガーナとゼトが続き、あたし達は逃げる村人達の間を走り抜けた。

 すると、リズへと伸びる、汚らしい苔色をしたゴブリンの腕がはっきりと見える!


「触るなあああぁっ!」

「ギィイッ!?」


 剣を薙いだ途端、汚い奇声があがった!

 刀身が血にまみれ、ゴブリンが態勢を崩す中、目を白黒とさせるリズ。


「お、お姉ちゃんっ」

「リズ! こっちにおいでっ!」


 あたしは剣を片手で持ち直し、リズの手を引いた。

 だが。


「ギァアッ!」


 斬ったゴブリンの背後から、新たに現れたゴブリンが錆びた刀剣を振り下ろす!

 まるで鈍器のように振るわれた刀剣は、勢いよくあたしの剣を叩き――。


「なっ」


 ――気付けば、あたしの片手はしびれながら空を握らされていた。


「剣がっ」

「平気っ! あんたは心配しないっ」


 あたしは叩き落された剣を目で追うこともなく、リズを背後に庇いながら一歩退く。

 それから、まだしびれの残る手にありったけの力をこめ、腰元の短剣を抜いて構えた。


 しかし、そんなあたしを見て、カビを生やしたように肌の汚いゴブリンは笑う。

 眉毛のない瞳の形の変化を嘲笑だと直感したあたしは、歯を噛みしめて短剣を握り直した。


 次の瞬間、ゴブリンが腕を振り上げる!


「ギィアアッ!」


 奴はまるで、薪割りでもするかのように、動けぬ的――あたし達へと刀剣を振り下ろした。


 だが!


「リズ! 走ってっ!」


 直後、あたしは確かに短剣で刀剣を受け止めた。

 しかし、指がくだけたと錯覚する程の衝撃!

 一撃を受け止めた筈の短剣は、悲鳴のような金属音をまき散らして弾き飛ばされる。

 丸腰になったあたしは態勢を崩され、否応なくその場に尻もちをついた。


「うっ――」


 反射的に漏れる自らのうめき声。


「立たないと! お姉ちゃんっ!」


 加えて、悲痛なリズの叫びが耳に届くのと、それは同時だった。



「ギィア――」



 視界いっぱいに、ゴブリンの汚い体が焼き付く。

 あたしを潰し殺すために刀剣が振り上げられ。

 あたしの死を握った魔物はニヤリとほくそ笑んだ。


 だが。


「――アァアアッ!?」


 トドメとばかりに振り上げられたゴブリンの腕から、刀剣がこぼれる。

 雄叫びをあげていた奴の顔からは、殺人の快楽に歪んだ笑みが消えていた。


 ゴブリンは口から一筋の血を吐き漏らし、腹からは銀に光る刀身を覗かせる。

 そして、奴の背後に全身をローブで覆う人影が見えた時、あたしとリズは自分達の命を救った戻し手の姿を目にした。


「ゼトッ!」


 驚きと感謝が重なり、あたしは彼の名を叫ぶ。

 しかし。


「――……ァガ」


 ゼトによって腹を貫かれたゴブリンが、絶命する間際に彼のローブを掴み。


「ゲェ……ッ――」


 臭い体躯を倒しながら、果実の皮をむくように彼のローブを引っ張ると。


「ひっ――」


 あたしの口から出た驚きと感謝の声は、短い悲鳴と嫌悪に染まった。


「まさか……」


 ローブを剥がされ、月光に晒されたゼトの肌は闇に呪われたエルフのように黒く。


「あんた……ゴブリン?」


 その素顔は、見間違いようもなく、ゴブリンだった。

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