第3話 金で買われろ

 声のした方へ振り向くと『戻り手』とは思えない軽装の男が立っていた。

 頬に刺青、鎧の類は一切身に着けていない。

 冒険者や『戻し手』というよりは、野盗という言葉が似つかわしい格好だ。

 悪く言えば、みすぼらしい服装といえる。


「おや? 通じなかったかな? 『足』がないのかいって訊いたんだが?」

「だったら何? あんた、あたしに馬でも貸してくれるっていうの?」


 この男。とてもじゃないが、馬なんて持っている雰囲気ではない。

 しかし、冷たく言葉を返すあたしに、彼は思わぬ言葉を返した。


「ああ、いいなそれ。いいぜ。馬を一頭、あんたに都合してやっても良い」

「なんですって?」


「馬を貸してやるって言ったんだよ」

「……できるの?」


「ん? なんだ。こんなボロマントの言葉じゃ信用できないかい? こう見えても俺は、ここらじゃ名の売れた仲介人なんだがな……まあ、いい。君を乗せる馬一頭。秒で用意できるが?」


 あえて自らを『ボロマント』と、貶めて呼称した男に、あたしの警戒心は強くなる。

 でも、彼の提案を無視することなどできる筈もなかった。


「……そんなナリで、本当に馬を用意できるの?」

「愚問だな。服が粗末なのは金の使いどころがお嬢さんとは違うからさ。金は人脈を掘るツルハシだ。やりようによっちゃ、パンを買う金で馬を一頭都合できることもある」


 にやりと笑ってみせる男の笑みは余裕に満ちているが、それがどこか詐欺師を彷彿とさせる。

 でも今は、あやしいとわかっていても、彼の提案にすがるしかないと考える自分がいた。

 あたしは唾をのみ、苦渋の決断をする。


「……わかった。あんたを頼る」

「そうこなくっちゃ!」


 男が機嫌よく手を鳴らした直後、あたしは急ぎ訊ねた。


「それで、いくらで馬を都合してくれるの?」


 払える金額には限りがある。

 この期に及んで金を惜しむ気はないけど、借りられぬ可能性を恐れながら口にした。

 しかし。


「そうだな。相場は銀貨一枚ってとこだが……半銅貨一枚でどうだ?」


 男が提案したのは相場の十分の一の値段だった。


「ほ、本当にその値段でいいのっ?」

「ただし条件が一つ。今から一度、俺の相手をしてくれ。それを前金として半銅貨一枚だ。どうだ? 悪くねぇ話しだろ?」


 直後、形の良い唇を下品に歪め、男は自分の股間をすっと指で撫でる。

 次の瞬間、あたしは男をにらみつけた。


「……それ、笑えないわ」

「そうかい? 破格だと思うぜ?」


「あんたみたいな野盗相手に体を売ってる時間なんてないのよ」


「時間ねぇ……あんたみたいな美人が相手なんだ。そんなに時間はかからねぇと思うぜ? 何も一晩まるまる抱かせろなんて言ってねぇ。そこらの路地に隠れて、ちょっと咥えるだけでいい。それともあんた……男の扱いには自信がないのか?」


「なっ――」


 顔が熱くなるっ。

 胸の内から羞恥と怒りが同時にこみあげて来た。

 しかし、思わず言葉を失ったあたしへ、男はさらに続ける。


「何をそんなに迷う? 少し比べてみりゃわかると思うぜ? 今からこの街で、すぐあんたに馬を貸してくれる奴を探す時間と、ちょいと物陰に隠れて俺の相手をする時間を比べてみれば……どっちが早いか、ってな」


 それは、クソ色欲な悪魔のささやきだった。

 いや、いやいや! ただのゲスな男のささやきだ!


 でも――けど!


 奴の汚らわしい言葉は、圧倒的な重みであたしの天秤にのっかってくる。

 そして、即答しないあたしを見ると、奴は蛇のようにこちらへ近寄り――。


「どうだ?」


 ――と、背後から鼻息のかかる距離で重ねてささやいた。


「あんたの出来次第じゃ、むしろ金を払ってやってもいいぜ? まあ……そうなったら、後日もう何度か相手をしてもらうかもしれないが……」


 奴は鞘に収まった短刀を取り出し、柄の先を私の身体に押し当てる。


「くっ……」


 頷くしか、ない。

 そう思った瞬間――。


「へぇ、そいつは良いことを聞いた」


 また、知らない男の声があたしの耳に届いた。


「ずいぶん安く馬を貸してくれるようだが。それ、男が借りるとなればどうなる?」


 色欲男とあたしに声をかけたのは、二人連れの冒険者じみた男達だ。

 声をかけてきた方の男は一見、善人そうな顔をしている。

 だが、もう一人は深くフードをかぶっていて素顔が見えなかった。


 色欲男に比べればうさん臭さはマシだけど、正体のわからない介入者に変わりはない。


 思わず怪訝な視線を送ると、それは奴も同じだったみたいだ。

 あたしの後ろから、二人を値踏みするように見ていた色欲男が口を開く。


「……男は俺の趣味じゃねぇ。だが、用意はできるぜ」

「それは、彼女と同じ条件で?」


「……体を売るのが趣味か?」

「僕の身体が売り物になるのか?」


 直後、色欲男は私から離れ、男の近くにまで歩み寄った。


「旦那みたいな男に抱かれたいってご婦人は少なくない。そっちが女を選ばないって言うなら三日以内に紹介できるぜ?」


 色欲男が挑発するように笑う。

 対して、冒険者じみた男はやれやれと首を振った。


「今すぐに馬を都合してほしい場合は?」

「金だ」


「いくらでできる?」

「……行き先によるな」


「行き先はソト村。新しい堕女神の神殿だ」

「えっ?」


 男の行き先に、思わず声が漏れる。


「なるほど。つまり、戦場だな。だったらちょいと高くさせてもらうぜ、旦那。馬一頭につき、金貨三枚」

「き、金貨三枚っ!?」


 色欲男が条件を提示した途端、気付けばあたしが悲鳴をあげていた。

 けど、それも無理からぬことだと思う。

 色欲男が提示した額は貸し馬相場の約五倍の値段。

 私と妹なら楽に一年は暮らしていける額だ。


「ぼったくりにも程があるわ!」

「そうは言うが、それでも買うよりは安いぜ?」


「何言ってんのよ! 二頭借りる値段で馬が一頭買えるじゃない!」

「そりゃ安い馬ならな。良い馬を買うならその三倍はする」


「つまり、あんたはその値段で『良い馬』を貸してくれるわけだ」


 あたしの金切り声に男が口を挿んだ途端、色欲男の目の色が変わった。


「……当然だ。いの一番にソト村を目指して出発した奴らへ夜ふけ前にケツを見せられるぜ」

「ほう? ここから外村へは一本道のはずだが……追い抜けるって言うのか?」


「一本道? そりゃ賊の出ない安全な行路のみの場合だろう? 同じ値段でちょっとした道案内をつけてやる。安全に、危険な最短距離を行く。今日の日付が変わる頃には村につけるぜ?」


「乗った」


 冒険者じみた男が即座に了承した途端、色欲男が満足そうに笑みを浮かべる。


「取引成立かな? 馬は二頭でいいのかい?」

「いや、三頭だ」


「えっ?」

「へぇ……」


 あたしの驚きと、色欲男の軽薄な感心が声になって重なった。


「旦那、人助けのつもりかい? ずいぶんなお人よしだ」

「なに、金の使い方が君とは違うだけさ」


 男の返答を聴いた途端、色欲男の笑みから軽薄さが消える。

 彼は自分のズボンで手のひらを拭った後、男に向かって手を差し出した。


「挨拶が遅れたな。俺はラスナードだ。男は趣味じゃねぇが、金払いの良い奴は別だぜ」

「嬉しいが、握手は遠慮しておこう。ボロマントは信頼しない主義だ」


「はっ――上等だ。今日飲む酒はうまくなるぜ、これ」

「僕はガーナ。後ろにいるのは連れのゼト。二人とも戻し手をやっている」


 冒険者じみた男、いや――戻し手であるらしいガーナが紹介すると、彼の後ろにいた全身フードのゼトと呼ばれた戻し手がこくりと会釈をする。


「よし、覚えたぜ。さ、ついてきな。早さを売りにしたからにはのんびりするのは意に反する」

「わかった」


 ガーナの了承を聞くや、ラスナードと名乗った色欲男はギルドの外へ出た。

 しかし――。


「ん?」


 ――あたしはラスナードの言葉に従わず、その場に立ったままガーナの服を引っ張っている。

 すると、あたしの行動を見て、ガーナはゼトと呼んだ連れに「先に行け」と短く伝えた。


 全身フードの後姿がラスナードの後を追う。


 あたしは彼の背を見送り、時間が惜しいくせにガーナへ訊ねずにはいられなかった。


「どういうつもり?」


「必要だったろう?」


「だとしても、あんなやり方じゃ! あんたがあたしを無理やり買ったのと同じじゃない!」


 一方的に救われた悔しさ、自分の無力さが、抑えきれない苛立ちとなって言葉になる。

 しかし、彼――ガーナは冷静さを欠いたあたしに刃物のように鋭い眼差しを向けて告げた。


「だとしたら、僕が無理やり買ったのは娼婦ではなく剣士であるべきだ」


 この一言はきっと、彼にとっての発破であり、あたしにとっては挑発だ。


「なん、ですって?」


「腰に帯びた剣……それが飾りでないなら、君は僕に買われるべきだ。違うか?」


 それは本当に、いかにも安い挑発だった。

 でも――!


「上等じゃないっ!」


 ――買って、損のない挑発だ!


「あたしはシズ。あんたがあたしを『買った』って言うなら、お礼は言わないわよ。安売りはしない主義なの」


「構わないさ。じゃあ、行こうか? 君だって、本当はもう走り出したいはずだろう?」


 直後、あたし達は走り出した。

 先に出たラスナードとゼトを追うために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る