第2話 ペーパーバッカー

「リズ! リズっ!」

「ちょっと待って!」


 髪をまとめつつ、焦りながら名を呼ぶあたしに妹は無情な返答をする。


「待てないったら! お願い急いで! 護衛する商人達との待ち合わせがもうすぐなの!」


 女の細腕に扱えるかと笑われた片手剣。

 刀身に『シズ』と名を掘ったそれを慌てて腰に差すあたしを見て、リズは呆れた声を出した。


「はぁ……これで戻し手だって言うんだから、呆れるよ」

「大丈夫。あたしがこんな姿晒すのはあんただけよ」


「そうじゃなくて! お姉ちゃんて冒険者向けの依頼ばかり受けてるし、ちっとも戻し手らしくないんだもん」


 口を尖らせるリズからウエストバックを受け取り、身につけながら自分の身体を注視する。


「うーん……?」


 結果……あたしは程よく筋肉の鍛えられた、『綺麗』な身体をしていた。


「なるほど。もう少し生傷を増やして来いってことね」


 つまり、冒険者や戻し手として風格が足りないということだ。


「そういうことでもないんだけど……」


 だが、拗ねる妹の頭を撫でる手には剣ダコがある。

 誰にどう思われようと、相応の実力は持っているつもりだった。


「なに? 今時、書面上で戻し手認定を受けて堕女神と戦わないなんて普通よ?」


「ペーパーバッカーって揶揄されても?」

「揶揄されても。戻し手ってだけで割のいい仕事を都合してくれる冒険者組合もあるもの。それに、揶揄や罵倒をしてくるだけの他人に従ってもお金にはならないしね」


「でもでも、この前お店に来た手話のおじ様達はすごくかっこよかったよ?」

「しゅわの?」


「前も話したでしょ! 戻し手の! 二人組のおじ様!」

「ああ……」


「わたしだけじゃなく、他のお客さん達もお話を聞いて感心してたもん……お姉ちゃんだって、堕女神を倒せば、誰も馬鹿にする人なんていなくなるのに」


 目線を落としうつむくリズの本音が見え、あたしは細い溜息をつく。

 そして、愛しい妹の頬を優しくつまんだ。


「お、おねえひゃん?」

「リズ。この世には買わなくていいものが二つあるの。それは『喧嘩』と『危険』よ。逆に『楽』と『安全』は買って済むなら買えるだけ買いなさい」


 しかし、リズはあたしの指先から逃れ、頬を撫でながら反論を口にする。


「でも、堕女神を倒せば女神様が願いを何でも叶えてくれるんでしょ? なら、堕女神を倒してお願いを叶えてもらう方が、お姉ちゃんの言う『楽』じゃないの?」


 直後、あたしはリズの額をぴしっと指先で弾いた。


「あたっ――」

「バカね。あたしの言う『楽』には『効率がいい』って意味があるの。それに、堕女神と戦うこと自体が危険なんだから。わかった?」


「……わかった。わたしだって、お姉ちゃんが危ないことするのやだもん」


 次の瞬間、あたしはリズを抱きしめてやわらかい肌に頬ずりをした!


「ちょっ――お姉ちゃんっ!」

「よし! じゃ、がんばってくるね! あんたもお店がんばりなっ。本当は遊ばせてあげたいけど……」


「わかってる。『安全』はお金を払ってでも――でしょ? 引っ越しにいるお金が貯まるまであたしもがんばるよ。それにあたし、お店で働くの楽しいもん。だから大丈夫」

「んっ! リズはいい子だ!」


 その後、もう一度妹を強く抱きしめてからあたしは家を出た。


 これから商人達の護衛として、一番大切な妹を村に残して街へと向かう。

 一度離れてしまえば、護ることがどんなに難しくなるのか。

 それを少しも理解しないまま、あたしは冒険者の顔になっていった。





 もうじき日が暮れようかという頃。

 商人達の荷馬車に乗り、周囲へと気を配っていると。


「はあっ!」


 こちらに向かって駈けてくる一頭の黒い馬が見えた。


「賊ですか?」


 まだ若い商人が不安そうな声をあげる。

 あたしは少しの間を置き、馬の乗り手をじっと観察してから「いいえ!」と声を発した。


「戦闘の意思はないみたいです!」


 直後、黒馬が荷馬車と並ぶ間もなく隣を走り抜ける。

 街へ向かって一目散に駆けていく姿は知らせを携える早馬を連想させた。


「何か、あったんでしょうか……村の方から走って来たようですが」


 商人の一人が口にした言葉が、胸に刺さる。

 だが。


「大丈夫。何かあったとしても、あたしが必ずお守りしますよ」


 あたしはすぐ商人達に声をかけ、彼らの胸から不安を取り除こうと努めた。


「あはは。頼りにしてるよ」

「ああ、シズさんがいるから俺達も安心して行商ができるってもんだ」

「ええ、任せてください!」


 それから、あたしと商人を乗せた荷馬車は何事もなく街へ辿り着いた。

 完全に日が落ちた街の門にはかがり火が灯っていて、門番の兵を赤く照らしている。

 この時、あたしは依頼の達成を確信し、ほっと胸を撫でおろした。


 しかし――。


「聞いたか! 隣村のソトに堕女神が出たそうだ!」


 ――門をくぐった途端に聞えて来た知らせに、感じていた安堵は一瞬で消え失せた。





「お願いします! 馬を、馬を一頭貸していただけないでしょうかっ!」


 護衛を終えたばかりの商人達に頭を下げる。

 だが。


「し、しかし……」


 色よい返事などもらえる筈もなかった。

 馬を一頭だけ貸してくれと言うのは簡単だが、その一頭だってとても高価だ。

 何度も護衛を務め、信用を得ていたとしても「はいどうぞ」と貸せるものではない筈だ。


 むしろ今、こんなことを相手に頼む行為こそ信用を失うことに繋がるだろう。


 でも、それでも……。


「お願い、しますっ!」


 あたしには今、頼れるツテが彼らしかいなかった。


「……すまない、シズさん」

「っ!」


 しかし、一縷の望みはたやすく消え去る。

 当然だ、と胸の奥で冷静な自分があたし自身を笑った。

 けれど、ここで『わかりました』と退ける程あたしにも余裕はない。


「必ず、無傷でお返ししますっ」


 躊躇なく、地べたに額を擦りつけて頼み込んだ。


「……シズさん」


 だが、再び彼らは突き放すようにあたしの名を口にして、申し訳なさそうに告げる。


「わかってくれ……俺達も決して裕福な商人ではないんだ。それに……貸すと言っても荷を引き、村から街へ着いたばかりの馬だ。どの馬も疲れている。そんな馬を走らせても、君の望む速さには届くまい」

「そん、な……」


「すまない……また、仕事は頼ませてもらいたい。俺達も多少の恩や、情は感じている。だが、馬一頭を無償で貸せるほど、余力はないんだ」


 苦しそうに絞り出された声を耳にし、あたしは無意味に土を握りしめた。


「いえ……こちらこそすみません。無理を言いました」


 でも、悔しさを飲み込み、あたしは立ち上がる。

 商人達に頭を下げ、すぐさま走り出した。

 落ち込む暇はない。

 可能性は低くても、他の方法を考え、見つけ、なんとしてでも村へ――リズの元へ戻るんだ!



 ◇



 ソト村の隣街と言っても、ここデアソルは周囲に大小様々な村が点在する中心地にある。

 聖都や有数の大都市とは比べられないが、大きな部類に入る街だ。

 当然、中心部には冒険者ギルドをはじめ、数多くの商会が軒を連ねている。

 だが、冒険者ギルドや商会ならどんな街にも一つ二つはあるものだ。


 ならば、この街の発展の証とは何か……それは『戻し手組合』。

 通称『バッカーギルド』だ。


 デアソルの付近にはざっと挙げるだけで二十以上の女神の神殿があり、現在堕女神が巣くう神殿は三つが確認されている。


 つまり、この街は堕女神と戦う戻し手にとってずいぶんと都合が良く、バッカーギルドにとっても絶好の立地となっている訳だ。


 実際、好んでこの街を拠点にと選ぶために大都市から移り住んでくる戻し手達もいると聞く。

 だからこそ、あたしはまだこの街に望みを抱いていた。

 数多くの戻し手がここに拠点を置くということは、新たな堕女神が現れた今、こ こからあたし達の住むソト村へと討伐に出発する者達が確実にいるということになる。


 ならば、馬や馬車を所有する戻し手達と交渉し、彼らに同行する形でソト村への足を手に入れられないかとあたしは期待していた。


 しかし……現実は、あたしの思惑の通りに形を変えたりはしない。


 必死に街を走り、息を切らしてバッカーギルドの戸を開いたあたしの目に移ったのは――。


「ソト村へ急げ!」

「まだ二ヶ月は先と聞いていたがっ?」

「今なら俺達が一番乗りだ!」

「予測がずれたんだよ! 急ぎ招集をかけろ!」

「馬を引いて先に門へ行ってよ!」


 ――ひたすらに慌ただしく蠢く人の波だった。


「誰か! あたしを一緒にソト村へ連れて行ってくれませんかっ!」


 百に届きそうな『戻し手』に向かって声を張り上げる。

 だが……。


「急な話だ! 準備金が足りねぇぞ!」

「まだ開けてない酒があったろ! 物々交換で商人を頷かせろ」

「ね、ねえってば!」


 数人がこちらに視線を投げはしたが、あたしの話を聞いてくれる人はいなかった。


 当然だ……。

 予想しなかった訳じゃなかった。


 ここにいるのは我先にと、これから堕女神の討伐へ向かう者達だ。

 同業者であるというだけで、部外者同然のあたしを連れ立って行こうなんてもの好きはいないのが普通だ。


 けど、それでもっ……!


「誰かっ!」


 リズのことを想えば、喉を内側から掻くように声が出た。

 しかし。


「おい! そこをどけ!」

「きゃっ――」


 入口の近くで立ち止まっていたあたしを、後から入って来た複数の男達が弾き飛ばした。

 直後、先程の男達と入れ替わりに別の戻し手達が組合所から外へと出ていく。

 腰に剣を帯び、旅支度を済ませた姿。

 おそらく、いち早く準備を終え、村へと行く準備を済ませた者達だ。


「あのっ!」

「うるせぇ!」


 床を蹴りながら進む彼らは、あたしの声など聞く気はない。

 戻し手達は羽虫を追い払いように腕を振るうと、あたしには目もくれずに外へ出た。


「……妹が、いるの。村に、たった一人で」


 気付けば、力のない声が出た。

 自ら再認識する現実。

 幼い妹が、たった一人で堕女神が手中とする村にいる。

 それが何を意味するかは、こどもにでもわかることだった。



 元は女神とは言え、堕女神となった彼女達には慈悲というものはない。

 戻し手によって、その身から穢れを取り除かれるまでの堕女神達は破滅の代行者だ。

 彼女達は神々しい神殿を禍々しく変容させ、オーガやゴブリンといった闇の生物を招集する。

 そこでは、人間なんて家畜か奴隷、または魔物の子を産む畑としかみなされない。

 そんな場所に、私は妹を置いてきてしまった。



 リズに迫る危険の確信、何もできない焦りが胸の奥から体温を奪っていく。

 しかし。


「なあ、ずいぶん慌ててるようだが……あんた、足がないのかい?」


 心も体も冷え切っていく中で、悪魔のような声が聞えて来た。

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