ぼくのきたない腕じゃ君を抱きしめられたりはしない

奈名瀬朋也

1章『戻し手のシズ』

第1話 女神リア

「なあ、君。この辺りにリアっていう名前の女神はいないか?」

「リア、様ですか?」


 村の小さな飲食店。

 そこで働くまだ幼い少女に訊ねると、彼女は僕と連れに果実酒を注ぎながら首を傾げた。

 『うーん』と唸る少女に僕はチップを手渡す。

 すると、少女は申し訳なさそうに銅貨を受け取り、指折り数えながら口を開いた。


「えっと、この辺りには女神様の神殿がいくつかありますけど……『リア』という女神様は聞いたことがないです」

「そうか。ちなみに、堕女神となった女神でもいいんだが?」


「あー……残念ですけど、この辺りには今、堕女神となられている女神様はいませんよ?」

「えっ?」


 少女から得た情報に、僕は思わず声をあげた。


「ちょっと待ってくれ、ここはシデン村じゃないのか?」

「へ? あの、ここはソト村という村で、シデン村とは反対方向の村ですよ?」


 直後、僕は困ったように笑う少女から目を逸らし、隣で果実酒を飲む連れをにらむ。

 連れは目深にかぶったフードで顔を隠したまま僕と目線を合わすまいとした。

 全身をすっぽりと覆うローブ越しに、失敗を自覚する彼の背中が見える。


「おい、ゼト」


 僕は連れの名を呼び、口をとがらせて続けた。


「何が任せておけだ。まったく別の村に来ていたが?」


 だが、彼は決して弁明の言葉を口にはしない。

 代わりにジョッキの中身を飲み干すなり、グローブをはめた自身の手を素早く宙で動かした。


 僕はゼトの手と指の動きを読み『皆 間違い 有り』というサインを読み取る。


「何が間違いは誰にでもある、だ。大口叩いておいて言えるセリフじゃないぞ」


 しかし、僕がゼトへ言葉を返すと、傍にいた少女がぎょっとした様子で僕を見つめた。


「あ、あの……」

「ああ、驚かせてすまない。連れは口がきけなくてね。別に僕の頭がおかしい訳じゃないよ。僕達の間の……そう、サインみたいなものだ」


 そして、肘でゼトの脇をつつくと彼は少女へと向き直り、ぐっと親指を立ててみせる。

 その後、少女は納得できたようで「なるほど」と声を漏らすと、僕達を交互に見つめ――。


「あっ!」


 ――と、急に声をあげた。


「もしかして、おじ様達は『戻し手』なんですかっ?」


 きらきらと目を輝かせる少女の予測に僕は頷く。


「まあ、そうだが?」


 次の瞬間。


「やっぱり!」


 と、少女は笑顔を咲かせ、はしゃぎながらまくし立てた。


「じゃあじゃあ、堕女神が女神様に戻る瞬間も見たことがありますよねっ!」

「そりゃ、もちろん」


「なら、あの噂って本当っ? 堕女神が女神様に戻る時に、とてもこの世のものとは思えない綺麗な声で歌うって! あとあと、戻ったばかりの女神様の羽が七色に光るっていうのはっ?」


 早口で知りたいことを紡いでいく彼女は、しっぽを振りながら走り回る子犬のようだ。

 僕はそんな少女を落ち着かせながら、一つ一つ質問に回答していく。


「まず、最初の噂は本当だ。でも、七色に光る羽っていうのは嘘だよ」


 すると、彼女は胸の高鳴りを隠さず、甘い声色でわがままを奏でた。


「すごいっ! 本当に『戻し手』なんだ! ねぇ、お話、もっと聴かせてっ!」

「そう、だな……」


 僕は一度ゼトの方へ視線を移す。

 彼は素早く手指を動かし『あげろ』とだけサインをだした。

 僕はゼトに頷き、再び少女に向き直る。


「ああ、もちろん構わないよ」


 直後、「やったあっ!」と、少女の口から祝砲のような歓声が飛び出した。

 しかし、彼女の口から出たのは、歓声だけではない。


「じゃ、果実酒一杯じゃとても足りないよね!」


 微笑む少女の目線が空のジョッキに注がれた途端、僕は胸の内に心地よい敗北感を注がれた。

 なるほど……?

 これで有益な情報を得られず出て行く『客』を、彼女は引き止められるという訳だ。


「……確かに。それじゃあ、もう一杯果実酒をいただこうか」

「ええ! それじゃあ、お連れさんの分も合わせて二杯ね!」


 視界の端で、声を殺しながら肩を揺らして笑うゼトの姿が見えた。

 また、彼が手指を動かす。


『女の子 商売 上手』

「まったくだ」


 僕は巾着から銅貨を取り出し、二杯分の料金を支払った。


「それでは少々お待ちください」


 そう言うと少女は空になったジョッキを手にカウンターへ戻ろうとする。

 だが、彼女は一度僕達へと振り返ると「そうそう」と頭につけて話した。


「堕女神の話なんですけど、二ヶ月後に村の近くにいる女神ミカ様が堕女神へと堕神なされるそうなんです」


「二ヶ月後?」

「はい! なので、戻し手様方? もしよろしければわたし達の村が堕女神に襲われた時はお助けくださいねっ」


 命に関わる事柄だというのに、少女の口調は実に楽し気だ。

 そうして僕が彼女の笑顔にあっけを取られていると、ゼトに脇をつかれた。


『お前 あげろ 女の子 約束』


 これは大方『可愛い約束じゃないか。してやれよ』といったところだろうか?


「急かすなよ。誰も助けないなんて言ってないだろう?」

「それじゃあ!」

「約束するよ。君の村が堕女神に襲われた時、僕が助ける」


 しかし、大真面目に約束をした僕に。


「ありがとう! でも、わたしはお姉ちゃんと来月にはこの村を引っ越すけどね!」


 少女ははじける笑顔で答え、カウンターへと向かった。

 再び、ゼトが声を殺して笑う。


『お前 負け』

「本当に……まったくだな」


 それから、僕はどうしてあんな簡単な嘘に騙されてやったのかと考えた。

 女神が堕神して堕女神となる前に神殿周辺の住民が避難するのは常識だろうに……。


「……なあ、ゼト。あの子、どこにでもいる女の子のように見えて、どこか上手い。そうは思わないか?」


 僕が同意を求めると、彼はいきなりテーブルを揺らし、ただ『言うな』とだけ手指を動かす。


「……『ガタガタ』言うな、って?」


 直後、ゼトはまた肩を揺らし始めた。


「おもしろいよ。全く」


 それから俺は深くイスに座り直し、果実酒をジョッキへと注ぐ少女の後姿を見る。

 直に、彼女は笑顔でこの席へ戻り、堕女神の話をねだるんだろう。



 なあ、リア……。

 君は今も、どこかであの少女と同じような笑顔を守っているのだろうか……?

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