第26話 狩猟神の混乱

「……どんな、人、だったの?」

 

 それでも、リックの為にクローネスは会話を続ける。


「お優しい方でした。お体が丈夫ではなかったのですが……いえ、だからでしょうね。動ける時はお転婆で、よくネリオカネル、様を困らせておいででした」

 

 取って付けたような敬称に、彼がまだ、ネリオカネルを許していないことが窺えた。


「母は、ネリオカネルと仲が良かったの?」

「えぇ、同じ年齢でいらっしゃいましたので。それに、城の中で近い年齢の子供は二人だけでしたから」

「父は?」

「陛下には、自由がございませんでしたので」

 

 クローネスの祖父に当たる人間――先王は、中々子供に恵まれなかったらしい。

 その為、王の血に連なる者たちは次第に身に過ぎた欲望を抱え始めるようになり、いざ第一子が産まれると、その命を狙うようになった。

 

 そういった生誕であったがゆえに、現王は幼少時代から厳重に守られ、自由を与えられなかったらしい。

 弟が生まれるまでの四年間は文字通り籠の中の鳥で、お世辞にも人間の子供を育てる環境にいなかったとか。

 

 そんなお家騒動も、ネリオカネルの誕生で収まりをみせる。

 

 一人ならまだしも、二人も殺さなければならないとなると現実性を保てなかったのだろう。また種無しと思っていた先王が二人目に恵まれたことにより、次もある可能性を考えたのかもしれない。

 

 されど、現王に自由は与えられなかった。

 高齢であった先王は後継者を育てあげるのに必死になり、息子を束縛した。友達はおろか弟も母親も遠ざけ、〝王〟という存在を説き続けた。


「そう……だったの」

 

 話を聞く限り、嫌な想像しか浮かばなかった。クローネスの心情に気付かず、リックは言葉を連ねる。


「こんなことを私が言うのはおこがましいんですが、ネリオカネル、様は、クローディア様のことを好いていたようでした」

 

 ――もう、聞きたくない。気持ちが顔に表れたのか、リックは狼狽した。


「あ、えぇと……私が何を言いたかったといいますと……クローネス様には幸せになって貰いたいのです。王女じゃなくてもいいから、クローディア様の分も幸せになって……」

 

 最後まで聞かず、クローネスは駆けだした。

 どうして自分がここまで苛立っているのか理解できなくて、感情の整理が付けられない。

 

 ――つまらない物語そのものだからか? 

 

 憶測でしかないが、父は自由を謳歌している弟が憎かった。それで母を奪った。子供の感情だ。

 それでネリオカネルは父はもちろんのこと、母の命を奪った私も憎かった。

 

 ――ふざけるな、ふざけるな……っ!

 

 だとしても、私が怒る必要性なんてない。まったくないのに……どうして、こんなにも心が落ち着かないのだろ?


「――クローネス様っ!」

 

 強く呼びつけられ、身体が震える。

 相手がネリオカネルだったので尚更だ。


「どう、なされたのですか?」

 

 息を切らして走るクローネスを心配してか、飛んできたのは叱責ではなかった。ネリオカネルは駆け走り、目の前に立ち塞がる。


「ねぇ……ネリオカネル」

 

 ――止めろ、何を訊く気だ私は……止めろ! そんなの意味がない。止めろ、止めろ! そんな、子供みたいな質問をしてはいけない!

 

 どれほど言い聞かせても、唇は動いてしまった。


「私は、そんなにお母様に似ているの?」

 

 訊かなければ良かったと思うほどに、ネリオカネルの反応はわかりやすかった。

 矢で射抜かれたかのように身体を仰け反らせ、喋り方を忘れたかのように唇をわななかせている。


「――ごめんなさい。忘れて」

 

 言い捨て、クローネスは馳せる。いや、逃げだす。今は城の誰にも会いたくなかった。

 

 ――ふざけるな、ふざけるな……っ!

 

 考えるなと理性が警告するも、濁流のように溢れる本音を塞き止めることはできない。

 

 ――どいつもこいつも……なんで、なんでっ!

 

 母親なんて知らない。それなのにみんなが求める。勝手に重ねて、勝手に傷ついて、勝手に……無視する。

 

 ――私を……クローネスを誰も見てくれない。


「レイドっ! レイド……っ!」

 

 隠した指輪を握りしめ、必死で呼びかける。


 ――レイドに会いたい。

 

 無性に会いたい。レイドじゃなくてもいい。私を、クローネスを見てくれる仲間に会って、心を落ち着かせたい。

 

 王女でも、狩猟神の成聖者でも、クローディアの娘でなくても――私を必要としてくれる誰かに会いたくて堪らなかった。

 

 子供の時でさえ、ここまで不安定な気持ちを抱いた覚えがないからか……怖い。

 自分で自分を制御できそうにない感覚が恐ろしい。口にしてはいけない台詞まで吐き出しそうで、誰にも会いたくなかった。


「レイド、レイド……っ」

 

 母親を探す迷い子のように、クローネスは泣きながらレイドの名前を呼び続ける。

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