第5話 鍛冶神の聖別

 仕事中でありながらも、テスティアは豪快にグラスを呷っていた。

 今日は本当に暇だなぁ、と自分に非があることにまったく気づいていない様子で口を動かし続ける。


「でさぁ――」

 

 相槌しか許されない怒涛の波を、レイドは頷きだけでやり過ごしていた。

 テスティアが一方的に喋っているだけで、とても会話とは呼べない光景。最初は羨ましそうに眺めていた酔客たちも、今では同情の目を向けている。

 

 けど、レイドは苦と思っていなかった。

 むしろ、楽しんでさえいた。誰かと、食事をするのさえ久しぶり。

 

 ――昔は、考えらなかった。

 

 それがクローネスに命を救われて帰る場所ができ、ジェイルたちと出会って仲間がいる心地良さを知った。

 あの旅の日々は、いつでも思い出せる。


「なぁ、テスティア――」

 

 だからこそ、彼女が話しを逸らそうとしているのに気づけた。レイドはわかっていると言外にこめ、真っ直ぐに見据える。


「教えてくれないか? どうして、ジェイルは命を落としたんだ?」

 

 ご機嫌だった彼女の表情が曇る。哀しそうに目尻が下がり、嘲るように口元が歪んでいく。


「あんたも……わからないんだ」

 

 責めるように、テスティアは吐き出した。

 その意味も彼女の気持ちも、レイドは汲み取ってやれなかった。

 最後までジェイルの傍にいたのはテスティアだけ。

 だから、彼女以外にはわかるはずがないと思っていたから――


「ロネやリルトだけじゃなくて、あんたも……ジェイルの気持ちがわからないんだ」

「……他の奴等は?」

「さぁ? ペルイさんとエディンさんは、察してるっぽかったけど……」

 

 レイドは歯がゆく思う。わかっているのは年長組。だとすれば、自分も気づかなければならないはずだと。


「ごめんね、レイド。わざわざ来てくれたのに。でも、これだけは自分で気づいて欲しいんだ」

 

 ――ジェイルの為にも。

 

 言外の台詞はレイドには届いていた。

 だから頷きで答え、小さく詫びた。

 そのあとは、互いに他愛のない話を花咲かせる。


「ほんと、ロネが羨ましいなぁ……」

 

 酔いが回っているのか食べ過ぎたのか、テスティアは腹部をさすり始める。


「ジェイルは、私に何も残してくれなかった……」

 

 そのまま、項垂れるように突っ伏した。重たいのか、胸までテーブルの上に預けている。


「……オレだって、同じさ」

 

 レイドに何かを残した自覚はない。

 あるとすれば、それは足枷の類だ。

 

 いっそう、何も知らないままでいられたら良かった。

 

 彼女が、ただのクローネスなら。森で暮らしている無垢な少女であったのならば、望みも叶えてやれた。

 

 ――嘘だ。

 

 レイドは最初から気づいていた。

 自分を助けてくれた少女が、やんごとなき存在だと。

 森の中で生活していながら、丁寧な所作に言葉遣い。それでいて、誰が相手であろうとも敬称を付けずに呼ぶ振る舞い――五歳の少女が、だ。

 

 知っていた。自分なんかが、近づいていい人間ではないと。何度も会うべきではないと、会っては駄目なんだと理解していた。

 

 ――彼女は王女だ。

 

 それも多くの人々や、動物たちにも慕われている。

 命を賭して、彼女を守った従者たち。自らの地位も投げ捨てて、森まで追いかけてきた学者たち。

 そして、帰ってきた彼女を温かく迎えてくれたクロノスの民の気持ちを考えると、レイドには無理だった。

 

 連れ去るなんて! 自分だけのモノにするなんて……できやしなかった。

 

 ――王女として頑張ったら……いつか迎えに来てくれる?

 

 別れの日、子供のようにクローネスは服を掴んできた。幼さしか感じられない響きで、目尻に涙を浮かべて。

 

 その手すら、レイドは振り払った。


 何も言わないで。約束することも、反故することもしないで逃げ出してしまった。


「そんなことないよ」

 

 レイドの心中を察してか、テスティアが否定の言葉を吐く。


「あんたはきちんと、あのコに残している。これから先、一人で生きていけるほどのものをね」

 

 胸の奥をくすぐられる錯覚を覚えるほど、テスティアの声は母性に溢れていた。


「もしそれに気づいていないというなら、最低だけど」

 

 反転したかのように声音を落とすも――

 彼女はすぐに悪戯っぽく笑って、


「それでもあんたは、行くんでしょ?」

 

 テーブルに突っ伏したまま、確信した眼差しで射抜かれた。

 たとえ最低でも、何もわかっていなくても関係ない。レイドは絶対にクローネスを見捨てないと。

 

 にやにやと、テスティアの視線は大きなリュックに注がれている。今から砂漠超えをしますと、宣言しているような大荷物。

 言い逃れは逆効果だと、レイドは首を縦に振るしかなかった。


「私は行かないから、みんなによろしく言っといて」

 

 みんなと言われ、レイドは思い浮かべる。クローネスとリルトリアに加え、四人の顔ぶれを。


「ふっ」

 

 全員が来るとは限らないだろうが、つと穏やかな光景が過った。


「会えれば、な」

 

 けど、気は進まなかった。

 レイドは適当な言葉で誤魔化そうとするも、


「――会いなさい」

 

 看破されていた。

「会おうと思えば、会えるでしょ?」

 年下の少女に見透かされ、レイドは恥ずかしそうに顔を背ける。

 

 それが、幸運を呼んだ。

 

 別に、何かを感じ取った訳ではない。たまたま、目を逸らした先が店の入口だっただけのこと。

 

 柄の悪い男たちと目があった。鈴が鳴らないように、押さえつけながら扉を開けている不審な男たち。

 レイドは黙って立ち上がった。


「あんたも大変ね」

 

 迷惑料のつもりなのか、テーブルに置かれた硬貨は明らかに多かった。

 レイドは身に付けている装飾品を一つもぎ取り、


「――神はわが砦アイン・フェステ・ブルグ

 

 小さな鉄切れが、瞬く間に剣を象る。

 

 一つの奇蹟に店内がにわかに騒めくも、

「珍しいなぁ。鍛冶神の聖別か」

 行商人が多いだけあって、知っている者もいたようだ。

 

 レイドは目線だけで外へと促し、男たちは従った。

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