第4話 慈愛神と鍛冶神

 ファルスウッドとミセク帝国の争いの報せは、海を、山を、砂漠を超えて世界中に広まった。

 噂を聞いた名も無き英雄たちは、仲間の心中を察し、自然と足を動かし始める。

 

 ――が、中には憤慨するだけの者もいた。

 

 慈愛神の成聖者であったテスティアである。

 彼女は唯一、正義神の成聖者の最期を看取った存在でもあった。

 

 帝国領土の西に広がる砂漠地帯を抜けた先。帝国の脅威も届かない静かな国で、テスティアはひっそりと生活していた。

 

 ここは彼女の産まれ育った街ではなく、正義神の成聖者――ジェイルと出会った場所である。

 まさしく、その現場。小さな宿屋兼酒場で、彼女は住み込みで働いていた。店のマスターは彼女が英雄だと知っているも、黙っていてくれた。

 

 もとより、今のテスティアは慈愛心の聖奠せいてんはおろか、聖別すら失っているので証明のしようもないのだが。

 

 彼女が噂を耳にしたのは、夜も更けた時分。

 

 昔の仲間たちが見たら爆笑しそうなエプロンドレスに身を包んで、せっせと給仕の仕事に励んでいる時に、


「テスティアちゃん、知ってるかい?」

 

 行商人から聞かされた。

 瞬く間に、テスティアは沸点に達した。いつもは愛らしく揺らしている結んだ髪を怒りに震わせ、顔からは愛想笑いの欠片も消え失せた。


「そう、なんですか……」

 

 音を立て、拳が握り締められる。本人は冷静のつもりでいるものの、話しを振った行商人は完全に萎縮していた。

 普段は隠れている、服の裾から覗かれた白い腕には手錠を思わせる暗い輝き――腕輪が鈍く光り、目にした者に言いようのない恐怖を与えている。


「テスティアちゃーん」

 

 他の客に呼ばれ、テスティアはスカートを翻す。

 行商人はほっと胸をなで下ろすも、彼女は気づかないままだった。

 

 いつもは母性溢れる胸だのとちょっかいをかけてくる常連さえ、身を縮こませるほどの威圧感を放っていながらも――

 相手をする客が皆、店員よりも丁寧な言葉遣いで接してきているにもかかわらず――

 

 彼女は口元だけを笑わせて、いつもどおりの働き振りを見せていた。怒りを放出させながら、てきぱきと。

 マスターでさえ、謝りたくなるような瞳を携えて店内を動き回る。

 

 不意に、澄んだ音色が鳴り響いた。

 

 扉に付けられた鈴。

 一向に足音が聞こえてこないことから、初めての客だろうとテスティアは迎えに赴き、


「いらっしゃ……」

 

 決まり文句を言い切る前に、彼女は言葉を止め、


「くっ……」

 

 失礼な笑い声が挟まれた。


「くくっ……。あ、すまな……ぶっ……くく……」

「いっそうもう笑え!」

 

 客に向かって容赦なく、テスティアは拳を振るった。パンっと乾いた音が店内に響き、客たちの注目を集める。

 この辺りでは見かけない、鉄色の髪と瞳。髪は長いものの、背も身体も屈強な男のモノ――新たにやって来た客は、テスティアの鉄拳を受け止めていた。


「おぉぉぉっ!」

 

 見事な手際に、店の常連たちとマスターが歓声をあげる。

 彼等は知っていた。今のが必殺の一撃――彼女の胸に手を伸ばした、勇者たちの記憶と顔面を幾度となく沈めてきた拳だと。


「可愛らしい格好をしているのに、手の早さは相変わらずだな」

 

 かけられた台詞に、テスティアは口元を釣り上げた。


「レイド。まさか、あんたの口から可愛いなんて言葉が出てくるなんてねぇ。でも、そういう台詞は私じゃなくてロネに言ってあげたらどう?」

 

 返され、レイドと呼ばれた男性は痛そうに顔をしかめた。

 大きなリュックに戦士風の服装からして、旅人であろう。武器は一切見当たらないのに、ジャラジャラと鉄の装飾品をぶら下げているのが特徴的であった。


「王女の格好をしたロネは本当に綺麗だったわよ?」

 

 他の仲間たちと違って、レイドだけはクローネスの戴冠式で姿を見かけなかった。


「英雄であり、王女のあいつに……オレが近づいたら、迷惑だろう」

「そう? あんたも立派な英雄の一人じゃない」

「……オレが、英雄を名乗るわけにはいかないだろ?」

 

 レイドは悪い意味で有名だった。

 

 ――死神の使い。

 

 終わった戦場に現れ、生き残った者たちの命を奪っていく。女も子供も関係ない。

 帝国領土のあらゆる場所に姿を見せ、多くの貴族や騎士たちも殺してきた。


「それこそ、真実を明らかにすれば問題ないじゃない」

 

 レイドが殺してきたのは、弱者を貪るハイエナである。

 勝敗のついた戦いで、残された非戦闘員――女、子供をいたぶる輩ばかりを選んでいた。

 そうして、助けた者たちに選ばせていた。

 

 ――苦しんで生きるか、楽に死ぬかを。

 

 帝国の領内で、身寄りのない女子供が生きていくのは簡単ではなかった。少なくとも、襲われる行為を許容――体を売る覚悟はしなければならない。

 そういった覚悟がある者は生かし助け、ない者は殺し尊厳を守っていた。


「帝国が許すわけないだろ? それにそんな事態になれば、クローネスだけでなくリルトリアにも迷惑をかけてしまう」

「相変わらず、難儀な性格してるわねぇ」

 

 レイドのほうが八才も年上にもかかわらず、テスティアは豪快に肩を叩いた。


「まぁ、お座り。今日はなんかお客さんも大人しいから、一緒に飲もう」

「……おまえ、まだ十八じゃなかったか?」

「あぁ、そっちじゃ二十歳からだっけ? この国は、十六から飲めるのよ」

 

 ひらひらと手を振って、テスティアは席へと案内する。


「ちょい待ってて、適当に見繕ってくるから」

 

 テスティアが店の奥へと消え、レイドは一斉に射抜かれた。何人かは、目が合うと怯えたように店を出ていく。

 残ったのは酔客と好奇心に負けた者と、嫉妬の炎を背負った幅広い年代の男たち。

 

 どうやら、テスティアは看板娘のようだ。

 

 長い髪で顔を隠しながら、レイドは眩しそうに目を細める。

 英雄として生きる二人はもちろんのこと、普通に生きているテスティアも、彼の目には眩しく見えた。

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