第16話【希望の花】
僕が喫茶店に到着した時には誠也は店内にいた。マスターに何やら交渉をしているようだった。
『あの誠也が人に頭を下げてるよ・・・』
誠也はプライドの高い男だった。昔から人に頭を下げることなど見た事がなかった僕は衝撃を受けていた。
僕はそんな誠也を見ながら店内に入って行った。
「あ、お客様ですので・・・」
マスターが僕を見て誠也から離れようとしていた。他には客はいなかった。
マスターと一緒に僕の方を見た誠也がホッとしたような表情を浮かべていた。
『そっか。他の客に頭を下げてる所を見られるのはやっぱり恥ずかしいんだろうなぁ』
と僕は直感した。
「いらっしゃいませ!」
マスターが僕の方へと向かいながら言ったが、次の瞬間僕が昼間この誠也とともにここを訪れていた客だと気が付き、
「二対一での交渉ですか?」
と聞いて来た。
僕は、誠也がクリスマスの夜にこの席をリザーブしたい交渉をしていたのだと言う事はすぐに分かった。
「はい。イエスと言ってもらえるまで何人でも連れて来ますよ。」
僕はついそう言ってしまった。何人も・・・なんて言ったって僕と誠也しかいないのだから人数はここで打ち止めなのに。
マスターは、
「一度リザーブを取ってしまうと来年からもやらなくてはいけなくなるんですよ。こちらの気持ちも考えてください。」
と困ったように頭を掻きながら言った。誠也は、
「そこを何とかお願いしたいんです。毎年ここに来られるわけじゃないので。今年しか来れないんですよ。ここから見るイルミネーションをクリスマスに見せたいやつがいるんです。」
とまた頭を下げた。僕も釣られて頭を下げた。それを見たマスターは、
「先ほど倒れられた女の子ですよね?事情はお察しします。でも・・・」
と、事情は分かるが例外を認めるわけにはいかないマスター側の事情もある様子だった。確かに一度リザーブ席としてしまっては、今まで断って来た客にも何か言われるかもしれない。そして来年からも頼まれるかもしれない。クリスマスにはこの喫茶店は人であふれているのだろう。そんな中この席だけ僕らが来るまで空席となれば当然客から文句の一つも出る可能性は十分なる。
僕らだってマスターの事情が分からないわけじゃない。でもこっちの事情は深刻だった。
”今年しか来れないんですよ。”
と言う誠也の言葉が僕の頭にフラッシュバックして来た。
『そうだ!誠也からの手紙に書かれていたこの意味は何なんだろう?』
僕は、再び震えがやって来た。
マスターに頭を下げながら、僕の頭の中には誠也の手紙の内容がぐるぐると回っていた。
僕らがあまりにも真剣に頼むので、マスターはついに、
「彼女のため・・・なんですよね。ここで倒れたのも何かの縁かもしれません。分かりました。私にお手伝い出来ることがあれば、協力しましょう。」
と言ってくれた。
「ありがとうございますっ!」
僕と誠也はほぼ同時に言った。
その姿を見てマスターは、少し微笑んでくれた。
この席が確保出来た喜びで僕は心が浮かれた。が、次の瞬間現実に引き戻された。
「手紙、読んだよな?」
誠也の一言で僕はまた震え出した。
「あぁ・・・」
僕は頷いた。そして、
「どう言う意味なんだよ。僕がいない間に何があったんだ?」
と尋ねた。誠也は、ゆっくりと座り説明を始めた。
「お前が飛び出して行ってしばらくしてから、舞花の処置が終わったんだ。貧血を起こしてたらしい。本当は今日は学校を休ませる予定だったらしいんだけど、舞花が医師とナースの目を盗んで病院を抜け出したらしい。舞花を病室に連れて行ったあと主治医が教えてくれた。」
誠也は医師とのやり取りを思い出しながら話した。
「舞花ちゃんの両親は、現在この近くにはいないんですよ。お二人ともそれぞれ仕事を持っていましてね。まぁ、治療費等も掛かりますのでそれを工面するためだと言っていました。現状は落ち着いていますが、何かあった時にはすぐに戻って来ると言ったきりで、舞花ちゃんもしばらくご両親には逢っていません。我々の下で治療に専念している・・・と言った状態です。週末には放射線治療をして現状を維持している状態です。
と言っても、週に二日だけの放射線治療では既に間に合わなくなりつつあるんです。なので、ご両親にもその事はお伝えしました。近いうちにこちらに戻って来るとは思いますが、それまでの間の舞花ちゃんの心の支えは君たちなんです。
貧血も治療の副作用のようなものなので、服薬で和らげているのですが、最近はそれも効かなくなって来ています。それでも君やもう一人の子と一緒にいる時間は間違いなく体調は落ち着いているんです。我々医師には理解出来ない精神的な安心感があるのでしょう。
なので、我々も君たちと交流することも有効な治療方法だと考えています。でも、先ほど検査をした結果、一部の癌細胞が活発に動き始めていて、腫瘍部分がさらに広がっていることを確認しました。舞花ちゃんは高校を卒業するまでもつかどうか・・・いや、ハッキリ言います。
医学的には既に余命宣告をとっくに過ぎているので、その時期がいつ来てもおかしくない状態です。もう我々には余命の検討も付きませんが、ハッキリ言える事は来年のクリスマスまでは無理だと言う事です。」
誠也は医師の言葉を出来るだけ忠実に話してくれた。僕は黙って聞いているしか出来なかった。
「俺一人で聞くには重過ぎたぜ・・・」
最後に誠也が言った。そりゃそうだ。こんな衝撃的な事実を一人で聞かせてしまった事に後悔した。
「お前…どこに行ってたんだよ。」
誠也の声は力がなかった。僕は、
「すまん・・・どうしても舞花にかすみ草を持って行ってあげたいって思って・・・買いに行ってた。」
僕は素直に告げた。誠也は何も言わなかったが、僕の気持ちは分かってくれたようだった。
喫茶店の中に重たい空気がたちこめ、その後誰も言葉を発することが出来なかった。
しばらくしてマスターが、ココアを持って来てくれた。昼間舞花が頼んだものと同じものだった。僕たちは驚いた。喫茶店に入ってから何も注文などしていなかった事に今頃気が付いた。
「少し落ち着きますよ。これは私からの差し入れです。お二人はまだお若いのに、あまりにも辛い現実に立ち向かおうとしていらっしゃるようですね。彼女は時々ここに来てくれるお客様なんですよ。いつもこのココアを飲むだけなんですがね。良かったら、飲んでください。」
「ありがとうございます。」
僕と誠也はありがたくもらう事にした。舞花が教えてくれた飲み方を二人ほぼ同時にしてしまい、顔を見合わせ少し笑みがこぼれた。
「俺たちに元気をくれたこのココア。舞花にも希望を与えてくれないかなぁ・・・」
そう呟いたのは誠也だった。僕も同意見だった。医師が言う“余命”を既に超していながら昼間の舞花は元気一杯だった。医学的には証明出来ない生命力が人間にはあるのではないかと僕は思った。僕たちは奇跡を信じずにはいられなかった。
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