第36話 1-36
「……なんだテメェは? 何しにきた?」
アルベルが相手の真意を問う。
しかし、黒騎士は暗闇の中に深と佇むままで、身じろぎすらしない。
その身なり、体躯は人の範疇を超えてはいない。だがサカキには、《それ》が人のようには思えなかった。
――こいつは明らかに人間じゃない……ヴィラルエネミーか? でも……ほかのヴィラルエネミーとは何かが決定的に違う……!
黒騎士から発せられる不気味なオーラ。それは、いままでサカキが経験したことのない奇妙な感覚だった。
――相手がどういった存在なのかわからない以上、このままアルベルと戦いを続けるのはまずい。
そう結論を出し、サカキは一旦、戦いの中断を提案しようとした。
しかしそれよりも早く。黒騎士の、その顔全体を覆う兜の奥に暗い黒紫が滾ると、ギロリと、そのふたつの眼が動いた。
「がっ……!?」
ビシリと、サカキの心の奥で何かが固まりついた。
「……ッ……!?」
動く暇は無かった。全身の血が一瞬で凍る錯覚に引きずられ、五体の自由が消え失せたのだ。
肺の動きが弱々しくなり、呼吸困難に喉が勝手に喘ぐ。頭は酷くはっきりとしているのに、体は指先ひとつすら動かせない。
この現象は知っている。数あるアバターの状態異常のひとつ。その中でもっとも厄介なものとして数えられる、【全身
それを、相手は睨むだけで与えてきたというのか。
――まさか……【
【魔眼】――それは、相手と目を合わせるだけで、対象にさまざまな状態異常を与えることができる、極めて特殊な能力のひとつだ。
サカキは過去に何度か、魔眼を持った相手と戦ったことがある。
しかしそれらの能力は、アバターのランクが十分に上がれば、実際はたいしたことがなく、同種の効果でも、せいぜい動きが少し鈍ったりする程度だった。
だが、今回は違う。
「テメェ……いきなり何しやがる……!」
最高位の戦士であるアルベルにも、その効果が表れているのだ。
七百万人いると言われているファウンダーの中でも、たった十二人しかいない【
それが示す意味はひとつしかない。
――そんなもの……出会っただけで終わりじゃないか……!
理不尽なその事実に、サカキの瞳の奥が怒りに沸き上がった。
指先ひとつすら動かせぬ強者の末路に、黒騎士はなんの感情も覗かせぬ瞳を細め、そして一歩を踏み出した。
重鉄の脚甲がゴツリと音を鳴らし、静かに、漆黒の騎士の存在を知らせた。
黒騎士はふたりまであと一歩と歩き、そして背中に差した黒大剣のひとつを抜き放った。
しゃらりと、金属の擦り鳴きが響き、厚く太い刀身が黒光りを放った。
黒騎士はさらに一歩踏み込むと、黒大剣を片腕ひとつで軽々と持ち上げ、その狙いを定めた。
最初の犠牲者に選んだのは――アルベルだ。
アルベルは鬼の形相で抵抗を試みようとするが、何も意味は無かった。
虚空の瞳が狂王を見下ろし、――そして一刀の元に、あっさりと切り伏せた。
「……クソッ……タレがぁっ……!」
袈裟掛けに断ち切られ、狂王が膝を突く。彼の全身を淡い燐光が包みこみ、そして残光を残して消え失せた。
「馬鹿な……!」
全大陸でも屈指の戦士のあっけない最後に、サカキは我が目を疑った。
相手が動けなかったとはいえ、一撃で命全てを奪い去ったのだ。その威力を目の当たりにし、サカキの背筋に冷たい汗が浮かんだ。
耳元で電子音が鳴った。確かめれば、見識判定の結果が出たらしい。
結果は失敗だった。
当然だ。サカキの見識のランクはそれほど高くない。ある程度トータルランクが高い相手だと、もはや、名前くらいしかわからない。
しかし、それだけわかれば十分な時もある。
『【ブラッドエネミー】、【黄土の剣、ヴェルト】』
「ブラッド……エネミー……!!」
一文は、この理不尽全てを説明するには十分だった。
【ブラッドエネミー】。それは、ルインズアークに存在するヴィラルエネミーの中でも、とびきりの戦闘能力を持つ者を差す言葉だ。
その存在数は非常に少なく、オリジナルの一体が討ち取られれば、同じ個体は二度と現れない。
その希少性は出会えれば幸運といえ、しかしその強さに触れるのは不運でもあった。
いままさに、その不運にひとりの強者が討ち取られたのだ。
そして、まだひとり残っている。
黒騎士の首がゆっくりと動き、黒鋼の面がサカキを差した。
「くっ……!?」
危機感に支配された心が、体に全力で逃げることを訴えた。
しかし依然、サカキの体は凍りついたままで動きはしない。
――動け……。
重々しく、地面を踏みつける音が響く。
――動け……!
たったいま、人ひとりを切り殺した黒大剣が、静かに頭上へと掲げられた。
動け……!!
犠牲者を見送るべく、無感情の瞳がサカキの顔を見下ろすと、――そしてためらいなく剣が振り落とされた。
――動けぇぇぇぇ!!
なんの意味も成さない、最後の叫び。
それに応え示したのは、鋭き稲妻の一閃だった。
雷鳴を従えた剣が黒大剣の刃を激しく攻め立て、放出された雷が宙を焼いた。
黒騎士は、その重厚な鎧姿に似合わず後ろに飛びずさると、己の邪魔をした存在へと面甲を向けた。
「――おいおい、ソーマ、あんまりオレに本気を出させんなよ。次のノーベル平和賞が決まっちまうだろ?」
金髪に赤服と黒の皮鎧という、派手な出で立ちの青年――カツジは、自信ありげに鼻を鳴らすと、手に持った銀の剣をくるりと回した。
「カツジ……? どうしてここに……?」
心強い援軍の登場に、しかしサカキの頭には疑問しか浮かばない。
たしか彼は、カルナとともに最前線で戦っていたはずだ。いつの間にか迷い込んだ――としてもこの場所は遠すぎる。
「バッカお前、ヒーローは遅れてやってくるって言葉を知らないのかよ?」
「え? ……あ、うん……そうなんだ?」
答えにならない返答に、おざなりな言葉で返すと、サカキはハッと気付いた。
黒騎士の目が怪しい光をたたえさせ、カツジを映したのだ。
注意する暇も無かった。麻痺の力が込められた魔眼が、青年の瞳を捉えた。
見る者全ての動きを拘束する、暴虐の力。
しかしそれを、
「残念っ。ヒーローにはそれが利かないんだよなぁ」
カツジはあっさりと跳ね飛ばすと、瞬時に間合いを詰め、銀の剣を振るった。
重さは無いが剣速に優れ、柔軟に動くその連撃が黒騎士を襲う。
黒騎士は黒大剣を片手でうまく使いこなして刃をいなし、時おり避けきれない一撃は、空いた左腕の厚篭手で受け止めた。
カツジは柔の剣で剛の剣を制すべく立ち回り、反撃に繰り出された剛剣を、柔剣の軽やかさを持って逸らして見せる。
普段のおちゃらけた印象からは想像もできないほどの繊細な剣技に、サカキは体の不調も忘れて見入ってしまった。
「――ソーマ君、大丈夫?」
気付けば、ミナがすぐ隣に立っていた。
「ディセットさん……? どうして君もここに……?」
「うん。なんだか嫌な予感がしたから、サカキ君のところに行こうと思って……カツジ君とも偶然、そこで合流できたの」
説明もそこそこに、ミナはてきぱきと魔術を紡ぐと、その手に
「不義を砕きし光、祖は勇心に立つ者なり!」
神聖系統、共鳴晶術【ブレイブハート】
砕かれた白結晶の粒子が力強い光を放つと、サカキの体に熱が宿り、冷え切った身体の奥底から力が溢れ出た。
それとともに体を縛る力が消え失せ、サカキの体はようやく自由になった。
「こんな魔術もあるんだ……」
サカキは手を握り、四肢に己の力が戻ったことを確認する。
――なるほど、カツジに麻痺の効果が効かなかったのは、この魔術のおかげなのか。
サカキは優しく微笑む少女に礼を述べ、カツジと黒騎士の姿を探した。
相対するふたりの剣の応酬は、いまもなお途切れることなく続いている。攻守の立場が常に移り変わっているため、どちらが優勢かは判断しかねる状況だ。
弓士として一流であるカツジは、その実、剣士としても一流だ。相手がブラッドエネミーであろうと、簡単に遅れを取りはしないだろう。
しかし、相手の情報は無いに等しい。
ただ剣を振るうだけではなく、ほかに何か特殊な能力があるかもしれない。例えば【魔眼】のように、知っていなければ「詰んで」しまう恐ろしいものがあれば、戦況は一瞬で敗北へと傾くだろう。
「ミナ、見識判定はどうだった?」
「……ごめんなさい。私のランクだとわからないみたい」
しゅんとするミナに、サカキは「気にしないで、俺も同じだから」と笑いかけると、持っていた緋槍の刀身の腹に指を沿わせた。
アルベルの轟撃を何度も受け止めたとはいえ、緋槍の魔力、耐久力には問題無かった。
「ミナは後ろで待ってて。下手に手を出すと、そっちに行くかもしれないから」
「わかった、頑張ってサカキ君!」
素直にミナは同意すると、後ろに下がった。相手が相手なので、慎重に戦わなければいけないことは、彼女にもわかっているのだ。
それに加えて、鉄血商団と影集いの旅団の戦いが始まってからずっと、彼女は幾度となく魔術を使い続けていた。
彼女のトータルランクは平均より上ではあるが、特筆できるほど高いわけでもない。
ミナは自身の魔力量の高さをうまく生かしてはいるが、それも限界が近い。明らかなオーバワークだ。
これより先は彼女に頼らず、サカキとカツジのふたりで、あの強敵と戦うしかない。
――……大丈夫だ、やれる。
ミナがかけた補助魔術は、精神系の状態異常を無効にする以外にも、身体能力の向上効果もあるようだ。
サカキは軽くなった体に力を込めると、青年の援護に向かった。
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