第35話 1-35

 その場に残されたミナは、倒れている怪我人の手当てに取り掛かることにした。

 戦場のあちらこちらからは争いの音が鳴り止まず、しかし、戦いは確実に終息しつつあった。

 一時はどうなるかと思われたが、狂王がいなくなったいまでは前線の士気が逆転し、商団側は息を吹き返し、その後の快進撃が止まらない。

 このまま狂王が戻ってこなければ、この戦争は鉄血商団の勝利で終わることだろう。

 そう、それはつまり、彼次第で勝敗全てが決するということだ。

「……サカキ君」

 不意に治療の手が止まり、ぽつりと、ミナは少年の名前を呼んだ。

 戦争の大勢を賭けて、ひとりで戦い続けているであろう彼の姿を思い浮かべた。

 さきほどの戦いで、アルベルの強さは身に染みて理解した。本当に、化物と呼べる強さだった。

 それでもミナには、少年の負ける姿が一片たりとて想像できなかった。どれほどの苦境に立たされようとも、きっと、彼は戦いに勝利して戻ってくるはずだ。

 ――そうだ、自分はそう確信しているはずなのに……。

「なんで、胸騒ぎが治まらないんだろう……」

 胸の奥のざわめき。それは止むことなく、心の水面にさざ波を起こし続けている。

 その意味がなんであるのかすらわからないというのに、彼のことがどうしようも無く心配になってしまう。

 そうして、心の中に迷いが生じてしまい、治療に集中できずにいる。

 しばらく悩み抜き、そして結局、

「……すみません。あとをお願いします」

 隣の兵士にあとを任せ、ミナはその場から駆け出した。





 背中から鈍く広がる痛みに、サカキは顔をしかめた。

 全身を駆け巡った衝撃があとを引き、それでもと、力の抜けかけた膝を押して立ち上がる。

 背後の大岩からはパラパラと石片が剥がれ落ち、辺りに静かに降り注いでいる。

 サカキは体と心を落ち着かせるために一度だけ大きく息を吸い込んで、そして吐いた。

 ふと、砂利が踏み鳴らされる音を耳が拾った。その発生源を探す。

 広がりゆく砂煙の中から、ひとりの青年が姿を現し、そして足を止めた。

 彼は、右手に持った長柄の武器を軽く肩に担ぎ直すと、サカキの有様を見た。

「わりぃわりぃ……あまりにも久しぶりだったからよ、こいつの使い方忘れてたわ」

 そう言いながら、いたずらを成功させた子供のような得意顔で、手に持った武器をあごで指し示した。

 黒ずんだ骨で作られた長大斧グレート・アックス――そう言い表すのが自然だろう。長い一本の骨柱の先に、人ひとり分の長さの骨が二つと、大骨から削り出したような大鎌が一本、鎖で骨柱に水平に括り付けられている。

 見るからに大重量であるその武器を、細身の神樹の枝ツリーフォークの青年は、片手で軽々と扱っている。その異様な光景は、「驚き」というよりは、「呆れ」の感情をサカキに抱かせた。

 ――さっきの武器もデタラメな大きさだったけど、こいつも大概だな……。

 だが、リーチにそれほど大きな違いは無い。そして、刺突用途ようとの槍の穂先が先端に付いていないので、攻撃方法の引き出しは前の武器よりも少ないはずだ。

 とはいえ、「一撃の重さ」の点に限れば段違いだ。

 いましがた避けきれず、やむなく攻撃を受けた結果がこれなのだ。

 とてつもない威力と攻撃範囲を持つ武器。そこから考えられる弱点を、早急に見つけ出さなければならない。

 ――あれだけ大きいのなら、重さも相当なはずだ。それにリーチも長いから、間合いの内側の攻撃は回転率が悪い。ひたすら密着して手数で攻めようか? それなら……。

 サカキは思考をフル回転させ、いままでの経験と師匠の教えの中から、対処法を次々と探しては整理し、――そしてそれが、すぐに無駄になった。

「そんじゃまあ、今度こそ本気で行くぜ」

 アルベルの宣言とともに、先端に巻きつけられていた鎖が弾け飛んだ。強固な鉄の鎖が、まるで飴細工のように易々と引き千切られ、不穏な音を立てた。

 あの鎖は、刃を柄に括り付けるための物ではなかった。武器の本質を押さえつけるための――その力の一端を拘束する物だったのだ。

 最後の一鎖が解かれると同時、大鎌が勢いよく跳ね上がり、寒々しい光が波紋を伝いギラリと反射した。

「これはまいったな……近づくのも難しそうだ」

 さらなるリーチの増加に、サカキはうんざりとした心境になった。

 あの動きから推測するに、先端の鎌は可動式だろう。ほかにも何かあるのだろうかと考えかけたが、どうやら相手は、そんなに待たせてはくれないらしい。

 アルベルは重心を前のめりに置くと、大鎌は肩に担いだまま、左腕をだらりと垂らした。

 最初からそうだった。彼はいままで、両手で武器を一度も振るっていない。

 普通は片手に何かを持っていない限り、武器は両手で持って振るうものだ。

 ――もしや、彼は左腕が使えないのか? そう勘ぐったが、よくよく考えてみれば、さきほどこちらが放った蹴りを、彼は左腕でしっかりと受け止めていた。つまり、左腕の空きはわざとで、密着戦時の防衛手段のためにあえて残しているのだろうか。

 もしそうなら、密着戦は突くべき穴にはならない。

「……覚悟を決めるしかないか」

 サカキは右構えから、緋槍の切っ先を相手へと水平に突き出し、目の高さにまで持ち上げた。

 地力のすべてが劣る以上、もはや時間稼ぎがどうのと言っていられる場合ではない。一瞬一瞬に全てを賭け、僅かな攻防で相手を超えるしか道は無い。

 相手の呼吸を読み、慎重に間合いを詰め寄せる。

 両者の構え、位置関係から、詰め将棋のようにその後の一手を予測し、戦いの帰結を導き出す。

 そして、ある一点の間合いを踏み越えた時。

 限界まで蓄えられたエネルギーが噴き出し、両者が己のエモノを振りかぶった。


 ドクンッ。


 心臓が、爆ぜたのではないかと錯覚するほど一度強く跳ね、そして、全身の血が凍える感覚に、サカキの体がぶるりと震えた。

 この恐ろしい感覚は殺気ではない。精神の根幹に作用する、もっとおぞましい何かだ。

 確認すれば、それは対面する狂王が放ったものではなかった。

 彼も同じ感覚を覚えたのか。動きをピタリと止め、サカキへの注意を怠らぬまま、視線を横へと投げかけている。

 視線を辿り、その先を探る。

 何も無い。あるとすれば【闇】だけだ。

 だが、【闇】がその姿を現した。

 暗闇が漆黒の鎧を形取り、たゆたう静穏が血霧の外套を呼んだ。

 そこに生まれたのはひとりの騎士だ。

 体長は二メートルを超え、その身から発せられる禍々しき感覚は、到底人間と呼べるものではなかった。

 闇に溶け込む黒鋼の重装鎧。その上を、血の如く赤い、――いや、血そのものを外套としてまとい、そして背中には、二本の黒大剣を差している。

 暗き力を携えた、漆黒の騎士。

 その姿は不確定に揺らいでいるように見え、しかし確かな存在感を放つと、ガチャリと、黒騎士は地を踏みしめた。

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