第31話 1-31

 刃の長さから推し量るに、それは片手剣だ。

 その黒の刀身には、色が抜けたように薄い灰の文様が綿密に刻みこまれており、相応の代物であることがうかがい知れた。

 死角から放たれたそれは、いままさにカツジの首を切り落とそうと唸りを上げた。

「――惜しい」

 カツジが落ち着いた動作で右手を持ち上げると、何も持っていなかったはずのその手元に、手品のように短剣が現れ、すんでのところで凶刃を受け止めた。

 金属の刃が互いを食らおうと威嚇の音を出し、牙を立て合う。

 最初に諦めたのは相手の方だった。剣が引かれ、ワンステップの距離まで気配が離れた。

「ひと声かけずに後ろから――とか、ずいぶんと育ちが悪いな?」

 カツジは緩慢な動作で振り返り、いきなり切りかかってきた無礼者の姿を認めた。

「……そっちからやっておきながら、よく言うよ」

 暗緑のバトルコートが翻ると、フードの奥から、若い少年の声が聞こえた。

 その顔をうかがうことはできないが、その声、その体躯から察するに、相手はかなり若かった。

 感情の篭っていない淡々とした口調だが、少年の言葉の端には、怒気のようなものを感じられた。

「まあまあ、そうカリカリすんなって。魔術師を真っ先に狙うのは、対人戦の定石だろ?」

 カツジは口の端をにんまりと笑わせ、相手に言って聞かせるように左手を上げた。

 しかし、その挙動は騙しの一撃だった

 会話の合間の絶妙な隙を突き、カツジの指先から細い投げ釘が投げ放たれ、一筋の光が反射した。

 相手の目を狙ったその投擲は、しかし、少年が前に屈むことによって危うげなく避けられた。

 重力を生かし、自然な重心移動で力を効率よく練り、加速に変える。少年の五体は一瞬で最高速度に達し、横なぎの斬閃を伴ってカツジに迫った。

 奇襲でもなんでもないただのなぎ払いだ。だが、さきほどの攻撃とは比べ物にならないほどの鋭さがあった。

 刃に乗った力が重すぎて、短剣でいなすのは難しい。まずは後ろに避けて一手目をやり過ごし、二手目はどう動くのかと待ち構えた。

 少年は避けられた直後、間髪を入れずに左腕を突き出してきた。捻りの重みが加えられたその手には、朱色に染まる刺突短剣スティレットが握られていた。

 鎧の隙間から突き刺して対象を殺める事に特化したその短剣は、短いがその威力は本物だ。カツジが身に着けている皮鎧は、黒竜の皮を用いた最上級品ではあるが、まともに受けきれるほどではない。

 カツジは右手に持った短剣の反りを生かして刃を滑らせ、攻撃の方向と勢いを逸らす。

 ――受け流した。そう思った矢先。

 少年は短剣の刃の根本についた返しを使い、カツジの短剣を巻き上げ、上空へと弾き飛ばした。

「終わりだ」

 無手となったその隙。黒剣が閃いた。

 身を守る物が無くなったカツジは、狼狽の表情で刃を迎え入れた。

「――っ!?」

 しかし後方へ跳び退いたのは、少年の方だった。

「やってくれたな……」

 あご先を袖で軽く拭うと、少年は苦々しく笑った。

 拭ったあごのラインに、散ったマナのあとが赤く残っていた。

「悪いな。オレはこっちの方も得意でよ?」

 怒りを静かに燃え滾らせる少年に、カツジは落ち着いた声音で応えた。

 そして上空から落ちてきた短剣を左手で掴み取り、右手に持ったを相手に突き示した。

 使いこなされた銀製の長剣が一振り、その手に握られている。

 少年が攻撃した矢先。カツジは瞬時に長剣を取り出し、後の先の一撃を繰り出したのだ。

 本来、アバター内に収められた武器を取り出そうとすれば、数瞬のタイムラグが発生する。アバターの能力値によってその時間は変動するが、切り合いの最中に一瞬で取り出して即座に攻撃に移れるほど素早くはできない。

 武器を一瞬で呼び寄せ、己の手足のように軽々と扱う。【抜け目無しファストアクション】と名付けられたそれがカツジの【栄誉能力クエストルーン】であり、また彼のふたつ名でもある。

「しっかし、あれを避けるなんて、その年でよくそれだけ動けるな」

 カツジは態度を軟化させ、ことさら腹を立たせる顔を見せた。

 いまの攻防でよくわかった。少年はその年齢に似合わずランクが高い。サカキの二つか三つ年下であるはずなのに、ランクはA程度もあるだろう。いわゆる天才というやつだ。

 だが惜しいことに、少年の動きとランクが見合っていない。百戦錬磨であるカツジやサカキに比べて、ランク以上に、戦闘経験の差が決定的な壁となって立ちはだかっているのだ。

 しばらく彼の返事を待っていたが、カツジの煽りにも、少年はノーコメントを貫いた。

「騙されたのは正直、イラつくけど……」

 幾分か落ち着いてきたのか。少年は言葉から余計な力を抜け落ちさせると、「でも」と、苦味を表していた口端を吊り上がらせた。

「――それはお互い様ってやつだ」

 間を置かずして、地面が一度大きく揺れた。

 轟音と空気の振動が、戦場にいる者たちの肌を叩き、鼓膜をむずがゆく刺激する。

 ――これは……魔術の起こした力の余波か?

「おいおい……魔術師は倒したはずじゃなかったのかよ?」

 少年への注意は怠らぬまま、カツジは視線を前線に向けた。

 ――前線の一端に、煙が上がっている。

 青鉄の床の焦げ跡が魔術の威力を物語ると、次いで怒号が飛び交い、命令と悲鳴が錯綜した。

 商団側は、魔術によって破壊された陣形の修復を図ろうとやっきになっている。だが、一世一代の大舞台とばかりに歓声を上げて殺到する旅団の兵が、開いた穴を広げ、戦場をドロ沼の乱戦へと変えさせた。

「保険っていうのは、利いてから初めて役に立つものなんだって実感するね」

 少年は初めて、年相応に笑った。

「……影武者ってことか?」

「そういうことだよ。アンタはまんまと騙されたってことさ」

 少年は得意げになって答えると、黒剣と朱短剣の二刀を構え直し、殺意を膨れ上がらせた。

 それを合図として、岩盤の影から黒衣の兵士が数人現れ、カツジを包囲した。

「さて次だ。餌に釣られた間抜けなやつを、ここで始末しないといけないな」

 少年の宣言に、暗緑のバトルコートが舞い、宙に黒と赤の軌跡が描かれた。

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