第29話 1-29

 ショーデルは、あご先に伝わった汗を拭うと、短く一息ついた。

「なんとかやり過ごしたか……防御魔術の扱える魔術師を雇っておいて正解だったな」

 大男が後方をうかがうと、その視線の先には、豪奢なローブをまとった、鉄の仮面を被った魔術師の姿が見えた。

 その人物は新たな魔術を紡ぎ終えており、何も言わずに次弾に備えている。

「相手は数的不利を補うために、対軍団用の魔術師を連れている――アンタの読みは当たったようだ」

 ショーデルは、隣に立っていたサルガタナスに言葉をかけた。

 サルガタナスは帽子のつばをぐいっと動かすと、戦争開始から見ていた携帯の画面から目を逸らすことなく、会話に応じた。

「何、事前の準備は重要だからな。対集団戦に特化した連盟なら、編成もそうなるのは当然だ。煙幕といい魔術師といい、もしかしたら、まだ何かあるかもしれないぞ」

「まだ何か、となると……やはり相手には、何か作戦でもあるのか?」

「それは俺にもわからん。専門じゃないからな」

 無責任に聞こえる発言だが、実際、サルガタナスは集団を用いた戦闘はそれほど詳しくはない。

 しかしそれでも彼は、戦闘が始まってからは戦況に応じた指示を出し、なんとか持ち堪えらせている。

「今度からは軍師も雇わないといけないな……それとも、対人戦の講師でも招くか?」

 ショーデルは白髪交じりの頭髪を軽くなでながら、軽口を叩いた。そして指揮はサルガタナスへと任せ、自身は続々と連れ込まれつつある怪我人への手当てを命令する。

 サルガタナスは、戦場の状況を監視していた副官から情報を聞きながら、相手の動向を探ろうと、考えを張り巡らせた。

 ――敵の方が人数は少ないが、個々の練度は高い。この状況で考えられるのは……やはり、精鋭を用いた一点突破だろうな。そこから本陣へ直行して、大将首を取ってゲームセットだ。

 相手の精鋭。それはすなわち、団長のアルベルを主軸とした強襲部隊だろう。現状でこそアルベルは姿を見せていないが、ここぞというタイミングになれば必ず現れるはずだ。

 ならばそのタイミングはいつか? サルガタナスの予想では、そのタイミングを作るために、旅団側は何か一手を打つと睨んでいる。

 ――そのための秘策があるはずだが……それが一体何なのか、それがまだわからないな。

 地図と、その上に描かれた、両陣営の大まかな動きが映し出された画面を見つめ、思案にふける。

 ――生かすとすれば……地形だな。戦場には、岩とガレキがゴロゴロ転がっている。ということは、相手は遮蔽物を生かした乱戦に持ち込みたいのか? だがそれだと、こちらが攻めに転じない以上、無理に攻める必要がある。被害が出すぎて得策じゃない。

 一旦落ち着き、前方へと目を向ければ、前線は膠着状態に陥りかけていた。

 たしかに旅団の兵は強く、勇敢だ。だが平均ランクでは負けていても、商団の兵もそれなりに錬度が高く、そして士気も装備も充実している。

 前線を支えるカルナとカツジの働きも大きいが、十分に渡りあえている状況だ。

 ここから旅団側が無理に攻勢をかけるとなると、乱戦に持ち込んだ段階で、覆しがたい人数差にまで消耗してしまう可能性が高い。

 ――陣形を崩す。乱戦に持ち込む。その隙に精鋭を突撃させる。その流れを作る切っ掛けは……。

 画面を泳いでいたサルガタナスの目が、地図の一点――商団陣営の後方にそびえ立つ、ガレキの山で止まった。

「まてよ……?」

 ふと思い立ち、振り返る。

 ガレキ――というよりは、青鉄でできた巨大な壁だ。端から端まで二百メートル以上もあり、高さは五十メートルを超える。それは地面から直角に生えていて、断崖絶壁の如く偉容で佇んでいる。

「どうしました?」

 不審に思った副官の青年が、きょとんとした表情でサルガタナスに尋ねた。

「……君、もしを戦争に使おうと思ったら、どう使う?」

……ですか?」

 ふたり揃ってガレキの山をじろじろと見回す。

「……そうですね、崩してこちらに倒すとか?」

「あんな一枚岩を壊せる手段があるなら、直接、こちらにぶつけた方が早いぞ?」

「ですよね」

 互いに苦笑する。

 そのあとも、副官が荒唐無稽な作戦をいくつか提案しては、それをサルガタナスが採点した。自分でも、はなから無理だとわかっているのか。副官は相次ぐ駄目出しにも腹を立てることもなく、むしろ楽しんで献策をした。

「前線を押し込んで、退路を塞ぐ」

「その前線をどう押すか、だな」

「長弓があるなら、跳弾で相手の背後を狙う」

「いい案だ。だが横から回り込んで撃った方が、効率が良さそうだ」

「では、上から飛び降りて、奇襲をかけるというのは?」

「おいおい、ざっと見ても五十メートルはあるぞ? あんな高い所から飛び降りたら、普通なら死んで――」

「――しまう」。そう言いかけ、サルガタナスはハッとなった。

「クソッ……! 馬鹿か俺は……!」

 吐き捨て、急いで山の上部へと目を移し、視界が何か捉えないかと目を凝らす。

 結果は――。

。闇に紛れるため、黒の外套を身に着けた人間が見えるだけでも五十人以上。内、すでに何人かは飛び降りかけている。

「後方の部隊は上に注意しろ! 山の上から、やつらが飛び降りて来るぞ!」

 サルガタナスは即座に迎撃の命令を出した。

 しかし、命令の内容を兵士たちが理解するより早く。旅団の奇襲部隊が続々と降下を始め、瞬く間に後方は、敵味方入り混じる混戦状態へと陥った。

「ああそうだよな……! アバターなら、あれだけの高さぐらい飛び降りられるよな……!」

 自虐的に言葉を吐きながら、サルガタンスは手の空いた人員を選別し、援護に向かわせた。

 五十メートルの高さから飛び降りる。リアルでは到底行えない芸当だが、アバターならばまったく問題無い。人によっては、百メートルを優に超える高さからでも飛び降りられるほどだ。

 ――現実と、ルインズアークの戦い方の差に気付けなかった自分の失態だ。こればっかりは、現実の戦術理論は何も教えてはくれない。

「帰ったら勉強し直さないといけないな、これは」

 前方と後方の板ばさみという戦況に、苦虫を噛み潰す思いだ。

 サルガタナスは帽子を脱ぎ、パタパタと埃を払うと、酷く重々しい息を吐いた。

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