第24話 1-24

 先遣隊の壊滅という失態により、第四軍は一旦、本隊と合流することになった。

 カルナに損害の大きさをあれこれと愚痴られたが、その都度、カツジがうまく言葉をかわしてくれたため、剣呑な雰囲気にはならずに済んだ。

 いまは本隊の再編成も終わり、前進を再開したところだ。現在、第四軍は最前列の隊の後方に付いていて、特にする事がない状態だ。

「あーあ、たっぷりお説教もらっちまったな……

 長い一仕事を終えたとばかりに、カツジは、腕を組んでため息をついた。

 そしてふと、とあることを思い出し、隣を歩くサルガタナスに声をかけた。

「そういえばアンタ、戦闘中に変わったモンを使ってたな?」

「ん? ……もしかして、のことか?」

 カツジの言おうとしている物がすぐに思い当たったのか。サルガタナスはコートの中から青銅の鐘を取り出すと、チリンと一度だけ振った。

 見た限りでは、ただの無骨な手鐘としか思えない。

 さきほどの戦いでは敵の攻撃を無効化したその音色も、いまはただ涼しく耳を和ますだけだ。

「超音波とか、そういうのを無力化するアイテムか……?」

 カツジがしげしげと眺め、知見を口にする。

 男性は帽子のつばをいじると、「もういいか?」と断りを入れ、鐘をコートの中にしまった。

「どちらかというと、空間そのものに作用するアイテムだ。攻撃にも使えるから色々と便利でな。俺のお気に入りのひとつだ」

「ほほう。そんだけ便利ってことは、レアリティはグレーターあたりか? まさか、ロストってことはないよな……?」

「いや、こいつは自分で作った。こう見えても俺は、色々と便利なアイテムを自作できる工房を持っているのさ」

 サルガタナスは肩をすくめると、「とはいえ、それなりに金はかかるがな」とおどけた。

「んにゃ、オレの知り合いにもそういうヤツがいるが、そいつは、いくら金をつぎ込んでも使い捨てアイテムがせいぜいってヤツでよ。オレもそういうもんなのかと思っていたが……アンタは結構スゴイんだな。感心するぜ」

「はは、そりゃどうも」

 あごに手を当てて感心する青年に、サルガタナスは自慢げに目を笑わせた。それで気を良くしたのか。彼は行軍の暇つぶしにと、様々なアイテムを取り出して実演を始めた。

「こいつは、攻撃を弾く力場を発生させる指輪だ。小盾程度の範囲しか守れないが、両手持ちの武器を使う時は便利だぞ。女性の護身用にもオススメだ」

「あれば便利といえば便利なのがこれだ。この眼鏡をかけると、暗い場所でも昼間のようにものを見ることができる。普通の暗視装置と違って色彩も豊かでな。光量を自動調整する機能も付いているから、急に明るい場所に出ても平気だぞ」

「逆に失敗作といえばこの水筒だ。握りこぶし程度の大きさだが、このサイズで百リットルも水が入る。おっと、ちょっと便利そうだと思っただろ? けどな、コイツは重量の問題が解消できなくてな。水を入れすぎると、重すぎて使えないという致命的な欠点があるんだ。まあ、保存程度には使えるが、その程度だ」

 出るわ出るわの大盤振る舞いだ。

 サルガタナスはテレビの通販番組のように次々と品物を紹介しては、一向はそれに興味深げに反応する。

 特にミナは食い付きが良く、いくつかの品をその場で購入してしまったほどだ。

「……ディセットさんって、衝動買いをしちゃうタイプ?」

「違うのソーマ君! これは無駄じゃないの! いつか必要になるから!」

「ミナみー、いつかっていつですかー?」

「…………いつか!」

「ミナちゃん、それアカンやつや」

 とまあ、こんな具合だ。ちょうど良い暇つぶしにはなった。





 度重なる消耗で、全軍の人数が八百人を切った頃。ようやく目標地点に到達することができた。

 高難度のエリアとして有名な【フェルノ深淵】の深部。そこはひたすらに広大な空間だった。

 全体が暗く、天井も奥の壁も見えない。空中に浮かべた光球の照明が地面を照らすと、茶色と青の鈍い光が反射した。

 目を向ければ、砂利や鉱石の積もる表層の下に、青鉄で出来た床が見えた。

 それは空間の奥の方まで続いており、この一帯全てに広がっているのだと知れた。

 サカキはむき出しになった青鉄の上に立つと、試しにブーツの踵で床を叩いてみた。

 しっかりとした重い音が鳴り、靴底の裏からは、重厚な鉄の感触が返ってきた。

 反動から考えるに、それは薄っぺらな物ではない。メートルクラスは厚みがあるだろう。

「なんだろうこれ……何かの実験場?」

 サカキは床に手を当て、軽くなでてみた。

 手に伝わるのは、砂利と風化した鉄のざらつきだけだ。

「相当古いな……」

 大雑把な鑑定を終えると、サカキは遠くを視界に収めた。

 鉄血商団の数名が光源を手に、地面に向かって視線を落としている姿が見えた。

「何か、気になるものでも見つけたのでしょうか?」

「どうだろうね」

 サカキはセツナへそう返すと、全員でその場へと向かうことにした。

 暗闇の中では、どこに敵が潜んでいるのかわからない。床に転がる大岩の影に注意しながら、サカキたちは慎重に進んでいった。

「ほう、これはまた面倒そうな」

 サルガタナスは無精ひげを手で遊ぶと、言葉と裏腹に、好奇心に目を輝かせた。

 冒険者たちが見ていたもの。それは、端がうかがえぬほど広い、巨大な縦穴だった。

 青鉄の床にはぽっかりと大口が開き、穴の縁は、下からとてつもない力でこじ開けられたかのように、捻じ切れてできた鋭い断面を見せていた。

 サカキは穴に落ちないようにと、天井に向かって伸びている縁を掴みながら底を覗いた。

 ――そこはひたすらに暗く、真っ黒な空間だった。

【深淵】という言葉こそ相応しいその大穴は、暗視能力を持つ者ですら底を見ることができず、ただただ不気味でおぞましかった。

「フミコ……これって、落ちたら絶対助からないよね……?」

「大丈夫ですよミナみー。しかし、どれだけ深いんでしょうか。これは圧倒的な深さですよ」

 少女ふたりが、膝をついて穴を覗いている。ミナはおどおどとした様子で、対照的にフミコは目をキラキラとさせていた。

 サカキは、ふたりに落ちないように注意すると、深淵の穴に目を戻した。

「見ていると吸い込まれそうだ――って言っても、大げさじゃないくらいに深いな」

「ミナちゃんの言うとおり、落ちたら間違いなく死ぬなこりゃ……おぉ、怖っ!」

 わざとらしく身震いをするカツジを横目に、サルガタナスは帽子をかぶり直すと、ぽつりと言葉を放つ。

「気をつけろよ。『汝、深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ』ってな」

 芝居めいた台詞で伝えるが、カツジとサカキは、いまいちピンとこない顔をした。

「ああ、そいつはどっかで聞いたことがあるな。なんだったかなぁ?」

「ネット上でよく聞くよね。それとはちょっと何かが違う気もするけど……」

 頭を捻るふたりの横から、いつの間に来ていたのか、カルナが口を挟んだ。

「なんだ、そんな言葉も知らないのかお前たちは。少しは勉強くらいしたらどうだ? 正しくは、『深淵を覗き込む時、深淵を覗いているのだ』、だぞ」

『それだ!』

 会心の一撃とばかりに自信満々に尻尾を振るデリーターウルフの美女と、納得顔の男ふたりに、

『は?』

 サルガタナスとセツナは、理解不能と声を上げた。

「おいおい、お前たちしっかりしろよ。まさかとは思うが、ニーチェを知らないのか? 有名な言葉だぞ?」

『え?』

「ええ、たしか『善悪の彼岸』に収められている一節ですよね? かなり有名な言葉のはずですが……」

『え?』

「お、よく知っているなセツナ君。その若さでたいしたものだ」

「いえ、偶然、親が読んでいるのを見まして……『ツァラトゥストラはかく語りき』も通して読んでみましたけど、あまり理解はしていませんね」

「前著も読んでいるのならなおさらだ。わからなくても、知っておくだけでも意味はあるぞ。知識っというのは、いつどこで役に立つのかわからないからな。備えこそが重要だ」

 無知の三人組を横に置き、知識人のふたりが会話を弾ませる。

『…………』

 気まずい空気の中。ミナが、「大丈夫だよ、ソーマ君、カツジ君」とふたりの背中に手を当てて励ました。

「ありがとうディセットさん。でも、それはちょっと逆効果かも……」

「ああ、優しさってのは、場合によっちゃあ毒になるんだぜ……」

 サカキとカツジはひたすらに沈み込む。

 それでもふたりはまだマシな方だ。間違った知識をドヤ顔で自慢していたカルナにいたってはどうしようもないほどの致命傷で、羞恥に悶えた目で赤面し、いまにも穴の底へと飛び込みそうなほどだった。

 いや、実際にいま飛び込んだ。

「ちょっと姐さん、何やってんですか!? 死にますよ!? たかだか名言を間違えただけでそれはまずいっすよ!?」

「離せカツジ! 潔く責任は取る! これで私の失態を帳消しにしろ!」

「いや!? 流石にそれは大げさ過ぎですって!?」

「うるさい! とにかく離せ!」

「無理無理!? オレたちまだやることありますから!? おいソーマ、見てないでお前も手伝え!」

「え? ああ、うん」

 結局、暴れるカルナを男四人がかりで引き上げ、事なきを得た。

「ふう……取り乱してすまない。私ともあろう者が、危うく恥をかくところだった」

「姐さん……もうかいてますぜ……」

 彼女の威厳は、もはやズタボロだった。

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