第22話 1-22
洞窟の壁が、微かに青く光っている。
サカキは匂いを嗅ぐ犬のように、数回、鼻を鳴らした。
鼻腔に届く湿気。そして水が流れる、ほんのわずかな音。
「地底湖……か」
「サカキさん、わかるんですか?」
「なんとなくだけど」
薄暗闇の洞窟を抜ける。
サカキの言うとおり、湖と砂浜があらわれた。
幅だけで五百メートルはある地底湖。そしてそれを囲う、青の砂浜。
いたる所に鍾乳石が立ち並び、それは、淡い青の光を放っては互いに反射し合い、地底湖を照らしていた。
平時ならば幻想的な雰囲気が漂う光景として、サカキたちは大いに楽しめたことだろう。
だがいまは、それどころではなかった。
「……気を付けたほうがいいね。何かいる」
「ああ、空気がピリピリしてやがるぜ」
歴戦を抜けた者たちが持つ嗅覚。それが最大限に生かされ、警告が止まないのだ。
ほかの者たちも同じ感覚を覚えたのか。皆一様に表情を強張らせている。
先遣隊の数名が先を歩く。
彼らは索敵と警戒を怠らず、一点の動き、一瞬の変化すらも逃さないようにしている。その後ろには、いつでも彼らを守れるようにと、サカキとセツナが付いた。
砂浜を慎重に歩き、対面にある出口へと進む。
踏みしめる砂の音だけが、やけに耳に触れた。それは張り詰めた空気と相まって、心に不安の波をかき立てようとする。
無言の行軍。そして先遣隊のひとりが、とある一線を越えた時だ。
後方で備えていたカツジの瞳に、わずかな違和感が映った。
「……なんだ?」
目を凝らす。
平たく敷き詰められた砂面。ちょうど先遣隊の一人が足を踏み入れたその場所に、わずかな砂の盛り上がりが見えたのだ。
たどれば、それは冒険者を囲うように巨大な円を描いていて――。
「後ろに下がれ! 地面だ!」
カツジの言葉に、冒険者は即座に反応して飛び退き――しかし、間に合わなかった。
地面の砂が爆発物でも破裂したように一斉に舞い上がり、砂風が吹き荒れたのだ。
「くっそ、オレとしたことが……!」
カツジが舌打ちをする。
数十センチ先の視界も確保できぬほどの砂嵐に、先遣隊と、サカキとセツナが巻き込まれた。
「ソーマ君! セツナさん!」
ミナが悲鳴に近い声を上げ、慌てて魔法を紡いだ。
もうもうと立ち込める砂煙の中からは悲鳴が聞こえ、断続的に戦闘音が鳴り響く。
少女の不安を掻き立てる音。
――しかし、ここで焦っては駄目になる。ミナはそう自分に言い聞かせ、結晶を出現させた。
「透水よ、清めたまえ!」
砕かれたアクアマリンの残片が、鼓動の波を放った。
透水系統、共鳴晶術【ウォータークリーン】
波が煙に届くと、その内に込められた水流が姿を現し、次々と砂を洗い落としていく。
暴かれた一点に、武器を構えたサカキとセツナの姿が見えた。
幸いにも、彼らは無傷だった。しかし、先遣隊の姿が見えない。全員やられてしまったのだろうか?
生き残ったふたりに視線を戻すと、彼らの目の前には、一体の大型のヴィラルエネミーがいた。
カツジが目を細め、現れたモンスターの異容を探る。
「カニ……いや、貝か?」
それは、幅だけで十メートルもある二枚貝のヴィラルエネミー。
殻のわずかに開いた隙間からはぼんやりとした怪しげな光が覗き、その下体には、カニのような十本の足が生えている。足の先端は鋭利に尖っていて、最も大きな前足には、盾のような殻が張り付いていた。
不意に青白く光る甲殻から、カチャカチャと音が鳴った。
ヴィラルエネミーが、その異質な外見を見せつけるように足を伸ばし、大きく体を持ち上げたのだ。
「ほかのやつらは……」
カツジは、ほかに生き残りはいないのかと周囲に目を配った。
――いた。ひとりだけ、近くにあった鍾乳石の下で倒れている。
どうやら、先遣隊は彼だけを残して全滅してしまったらしい。
「クソッタレが……!」
損害の大きさにカツジは吐き捨てると、すでに番えてあった矢を放った。
狙い澄まされた矢が、殻の隙間を狙って飛び――しかし閉じた殻に挟まれ、折られた。
「反応がいいな……うわ、メンドくせ」
巨体に似合わぬ反射神経に、カツジの顔がしかめ面に変わった。
基本的に生物は、体の大きさが異なればそれに比例して反応速度も異なる。その理由のひとつには、神経の伝達速度が挙げられる。
基本的に、生物は体が大きくなればなるほど感覚器官から脳への距離は開いてしまう。そして神経を伝う電気信号の速度には、決まった限界値が存在する。結果、脳からの信号の到着が遅れてしまい、どうしても反応が鈍ってしまうのだ。
しかし、ヴィラルエネミーはその大きな体躯を持ちながらも、放たれた高速の矢をピンポイントで挟み取った。そのことから、それ相応の反応速度を持つことがうかがい知れたのだ。
矢で隙間を狙うのは難しく、分厚い殻を打ち破るには威力が足りない。
弓は効果が薄い。それならば――。
「セツナ、俺たちの出番だ」
「はい!」
サカキとセツナは己のエモノを構え直すと、前後から貝の化け物へと押し迫った。
攻撃力と対応力の高いサカキが前方を陣取り、速度と手数に優れるセツナが後方から奇襲する。
セツナが関節の隙間を狙って刺突を放つと、ヴィラルエネミーは足を曲げて受け流した。その隙に、サカキが緋色の魔力をたたえた刀身を振るう。
刃は、しかし甲殻に受け止められ、表面をわずかに削るのみだ。
「……なるほどね」
サカキの手元へと伝わるその硬度が、並大抵の力では打ち破ることのできない事実を告げてきた。
「見た目どおりに硬いのか。それならしょうがない」
力が足りないのならば、さらなる力をぶつければいいだけだ。
サカキは持ち手に力を込め、押し出しの反動で一旦の距離を取った。
緋槍を一度振り払う。刃に火花が散り、炎が擦り熾され、燃え広がる。
突然現れた熱炎に、ヴィラルエネミーの意識が裂かれた。
直後、機を伺っていたセツナが、白槍を地から天へと切り上げた。
強力な風が白刃から放たれ、風圧に、モンスターの重心が浮き上がる。
ぐらつく体を抑えようと、モンスターが足を地面に突き刺し、力を込める。するとその眼前には、モンスターの体高以上にまで飛び上がったサカキの姿が。
「いくぞ……!」
紅蓮の剣槍を振りかぶり、膂力を振り絞る。
いまから繰り出す一撃は技ではない。ただ力を込めただけの振り下ろしだ。だが、その威力は並大抵のものではない。
必殺の気合が込められた轟撃が放たれ、硬殻と正面から激突した。
殻へと食い込んだ切っ先からガチガチと音が立ち、紅蓮の熱風が漏れ出でる。
「らぁああっ!!」
サカキは声を上げ、内なる熱を刀身へと込めた。
一撃が甲殻の防御力を超え、耐え切れずと巨体が落ちた。
砂面にヴィラルエネミーの平たい体が勢いよく打ち付けられ、反動と風圧で砂が舞い上がる。
再度巻き起こる砂煙。
サカキは口元を空いた左腕で押さえ、砂を吸い込まないようにと注意しながら成果を確認する。
視界での判断は、煙が邪魔をして無理だった。しかし、手元に残るあの感触は確かだった。
――ならば打ち破ったのか?
そう思った直後。
「ぐっ!?」
サカキの体を、強烈な衝撃が襲った。
立ち込めた砂塵の中から、青の衣をまとった少年が飛び出してきた。
彼の体が真横を向いている。自らの意思ではなく、エネミーの攻撃で弾き飛ばされてきたのだろう。
「ソーマ!」
カツジは、少年を受け止めようと駆け出した。
しかしサカキは、カツジの心配をよそに、空中で器用に体勢を立て直した。そして砂浜をすべりながらも、危うげ無く着地した。
「――っと。……おいおい、大丈夫なのか?」
カツジは駆け出した勢いを殺して、少年を気遣った。
「ああ……」
膝を突いていたサカキは立ち上がると、袖で顔の汚れを拭い取った。
「ゴメン、倒しきれなかった」
サカキは口惜しく瞳を細めると、次いで前方を睨んだ。
カツジが目を向けると、ちょうど白茶色の煙に埋めつくされた一帯から、セツナが飛び出してくる瞬間が見えた。
「どうやら、セツナも無事みたいだな」
カツジから安堵の息が漏れる。
そしてセツナのあとに続き、巨体が姿を現した。
立ち込める砂塵を押しのけた、ヴィラルエネミーのその姿。
「なるほどね……四枚貝だったんだ」
状況に似合わぬほど落ち着いた声で、サカキはひとり納得した。
さきほどの手応えは間違いではなかった。その証拠に、ヴィラルエネミーの上殻の一部が欠けている。
しかし、割れ落ちた隙間からは新たな殻が一枚、てらてらと光るその姿を覗かせていた。
二枚の殻ではなく、四枚の殻が中核を覆っているのだ。
「か~っ! 破ったと思ったらまだあんのかよ! この恥ずかしがりやさんめ!」
カツジは軽口をひとつ叩く。サカキへと目を配り、人差し指でヴィラルエネミーの足元を差して軽く横に振った。
それだけで伝わったらしい。サカキは頷くと、セツナの元へと加勢に向かった。
続けて後方のミナに、カツジは要領よく待機の合図を伝えた。そして最後に、白のコート姿の男性に顔を向けた。
「それで、見識判定はもう終わったのか?」
「ああ、バッチリだ。十分に時間をもらえたからな」
サルガタナスはコートに付いた砂を払うと、やる気の無い瞳に自信の色をのぞかせた。
彼は戦闘開始からいままで、ヴォラルエネミーの側面に張り付き、その行動をつぶさに観察していたのだ。
「トータルランクはA。名前は【シェルウォーカー】。属性は【透水】 弱点は【氷雪】と【閃電】。こいつは内側からの攻撃には弱いが、代わりに、外側からの攻撃に対しては
それはすなわち――。
「つまり、うまく誘い出すしかないってことか?」
「そういうことだ。まあ、じっくり時間をかけて倒す手段もあるにはあるが……」
「そんなにチンタラやってると、カルナさんに叱られる。――だろ?」
「だな。これだけのメンツを集めておいて、雑魚一匹に手間取るわけにもいくまいよ」
やれやれと肩をすくめる男性に、カツジはため息で共感する。そして銀髪の少女へと声をかけた。
「聞いての通りだミナちゃん。やれるか?」
「はい! いつでもいけます!」
出番をいまかいまかと待ちかねていたミナは、手を握り締めて答えた。
気合は十分。ならばあとは実行するだけだ。
「じゃあ『サル先生』よ。アンタにはミナちゃんの護衛を任せたぜ」
カツジに勝手にあだ名を付けられた男性は、それが意外だったのか。虚をつかれた顔を浮かべると、
「ああ、任された」
にんまりと笑った。
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