第19話 1-19

 昇降機を降りると、辺りには、昇降機を囲う底の見えない大きな溝。そして人が二十人以上並んで歩けるほど広い、巨大な洞窟があった。

 頭上には、所々に横穴がのぞいており、そこから大量の湧き水が噴き出し、滝となって溝の底に落ちていく様子が見えた。

「滑りやすいから気をつけて」

 金属でできた大橋を渡る前に、サカキはセツナに注意した。

 この場所に初めて来た時、同行していたカツジが盛大にこけて、溝の底に落ちそうになったことがあったのだ。

 その時は、サカキがすんでのところでカツジの腕を掴んだため助かった。あの時の光景を思い出すたび少しゾッとするが、いまとなっては笑い話のひとつだ。

 セツナにその話をすると、前で聞いていたカルナから、「アホだな」と、一言の感想が返ってきた。

 洞窟の外壁には等間隔で明かりが灯っているため、足元を気にせずに歩くことができる。その光を反射して、黒い壁の表面が鈍く輝いていた。

 その壁にセツナが興味を持った。

 ――もしかして、これは何かの原石だろうか? 青年が、物珍しげに壁に手をつくと、硬く、ざらざらとした感触が返ってきた。

 セツナが手を離して確かめれば、鈍い黒光りの粉が、彼の手の平の所々に付いていた。

「この壁の成分は何ですか?」

 セツナはサカキに対して言ったつもりだった。

 だが、代わりに、

「武器、もしくは防具に魔力を付与するために使う鉱石だ。黒色の結晶は、主に【暗黒】属性を与えることができる」

 先を歩くカルナが、背を向けたまま答えた。

 どことなく彼女の声の抑揚が上がっていて、得意げに聞こえたのは気のせいだろうか。

「なるほど。しかし、これだけあるのに誰も採掘しないのですか?」

 セツナの知りうる限り、属性を付与するアイテムの類は、総じて超が付くほどの高額品だ。喉から手が出るほど欲しがる冒険者は多いと聞く。

 それが洞窟の一面を埋めつくすほどあるのだ。本来なら奪い合いが起きてもおかしくはないのに、ここを歩く冒険者たちはまったくの無関心でいる。

「この場にある物では純度が不十分で、そのままでは使えない。だから、これほどの量があっても、誰も見向きはしない」

「そのまま――ということは、使い道はあるわけですね?」

 カルナは、眉間から綺麗に稜線を描くその鼻で軽く息をつくと、セツナを横目で見た。

「特殊な工程を経て、十分に圧縮すれば使えるようになる。ただそれも、工程の段階で時間と金がかかりすぎるという問題がある」

「つまり、それをするくらいなら、大人しくお金だけで解決したほうが早い――と」

「そういうことだ。もう少し純度が高ければ、使い捨ての付与アイテムとして使えたりもするのだがな」

 彼女は説明を終えると、「これで十分か?」と、目だけで聞いてきた。

「なるほど、よくわかりました。ありがとうございます」

 青年が微笑むと、赤髪の美女は「何、気にするな」と相変わらずの仏頂面で返した。

 セツナはサカキに、無言の視線で「こういう人なんですね?」と伝えると、少年はニヤリとした表情で肯定した。





 洞窟を歩くこと十分。洞窟の幅が徐々に広くなり、果てには視界が開けると、その場所へと着いた。

 地下にできた巨大な空洞。広さは、左の端から右の端だけでも五キロメートル近くはある。その奥には、さらなる広大な空間があった。

 そして仰ぎ見れば、元は鍾乳洞だったのだろう。安全のために所々が切り取られて少し不恰好ではあるが、巨大な乳白色の鍾乳石が、天井からいくつも垂れ下がっていた。

 それは地上に繋がっているらしく、所々、鍾乳石の隙間からは光が漏れ出ていた。

 視線を戻す。右前方には、見るだけで吸い込まれるのではないかと錯覚するほどの巨大な穴が空いていた。それは奥に続くほど幅が広がっており、底は暗く、一切が見えなかった。

「地下にこれだけの空間があるとは……」

 セツナが穴底を覗くために崖に近づくと、視界の端に、何か巨大なものが映った。

 青年は視線を動かし、――そして驚愕に目を見開いた。

 上体だけで百メートル以上もある、黒鉄色に染まる六本腕のミイラ。

 暗い穴の底から上体だけをのぞかせ、その細く長い六本腕で、とてつもなく大きな鉄板を担ぐように支えている。その鉄板の上には、粗雑な家屋が所狭しと並び、あちらこちらから灰色の煙が立ち上っていた。

 既に動かなくなったその巨体を支えるためか、穴の底からは数多くの鉄柱が伸び、ミイラの体に突き刺さっている。

「ロボット……?」

 目を凝らしてみれば、それはミイラでは無く、人型の機械だった。

 人の頭蓋を模した頭部には、方形上に四つの目が配され、その内の二つは既に潰れている。

「ここに来た人は、大体あれで驚くよ」

「……ッ!?」

 急に傍で声をかけられ、セツナはびくりと肩を震わせた。

 あまりにも衝撃的な光景を見たためか、すぐ後ろにサカキが来ていたことに、彼は気づけなかったのだ。

 セツナは息を吐くと、頭に手を当てた。

「ええ……色々なものを見てきた気でいましたが、流石にこれは驚きました……」

 まさしく脱帽ものだ。言外にセツナが表現すると、サカキは小さく笑った。

「六十年ほど前に、俺の師匠とその仲間の人たちが倒したエネミーだよ」

 ざっくりとしたサカキの発言に、セツナがさらに驚いた。

「えっ!? あんなに巨大なヴィラルエネミーをですか!?」

「うん。といっても、流石にそれなりの人数はいたそうだけどね。師匠も、あの時は相当厳しい戦いだったって言ってたよ」

 サカキはそうセツナに伝えるとともに、その時の師の顔を思い出した。

 ヴィラルエネミーの異様から鑑みれば、戦いが激しいものだったことには、疑いようはない。

 それなのに、当時の戦いを語る師の姿は、どことなく楽しそうだった。自分たちで考えた出し物を披露する子供のような、無邪気な笑顔をしていた。

 たしかに、あれほど巨大な存在に立ち向かうのならば、まず自分はどうするのだろうと考えてしまうだろう。あれこれと考えて、その作戦を実行しようとする時が一番楽しいものだ。昔の師とその仲間たちも、同じ思いで戦いに臨んだに違いない。

 隣でモンスターの外観をじろじろと見ていたセツナが、ふと、とあることに気づいたらしい。ハッとした表情になった。

「体が残っている……? ということは、このヴィラルエネミーは――」

「そう、【ブラッドエネミー】だよ」

【ブラッドエネミー】。それは、エヴォルで最も強力なヴィラルエネミーたちが持つサブカテゴリーのひとつで、皆、例外なく突出した戦闘能力を持っている。

 その存在は稀で、出会うことすら難しいとされている。現に、サカキも出会ったことは一度もなかった。

 通常、ヴィラルエネミーは傷を負っても血など出ない。そしてアバターに倒されると、エネミーの体は塵と化して、遺体は残らないようになっている。これが常識だ。

 しかし、ブラッドエネミーだけは違う。

 傷を与えれば、それが生物ならば血を流す。倒されれば遺体がそこに残り、二度と同じエネミーが現れない。

 現実の生物に最も近い特徴を持つヴィラルエネミー。それがブラッドエネミーだ。

「何をしている。遅れるぞ」

 崖上にたたずんでいるふたりへと、カルナが声をかけた。

 見れば、ほかの冒険者たちはかなり先を行っていた。

「すみません! いま行きます!」

 セツナが、慌ててその後ろを追った。

 残されたサカキは朽ちた巨人を再度見下ろし、そして数拍の間のあとに背を向けた。

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