第18話 1-18

 見上げれば、空がどす黒い雨雲に覆われている。

 正午前だというのに、辺り一帯は薄暗い。いまは小雨程度で雨脚も弱いが、それも直に大雨へと変わるだろう。

 鋭く尖った大岩がガレキとなって積み上げられた一帯。その中に、直径が二百メートルほどの、すり鉢状に形成された大穴があった。

 斜面には、穴の中心に通じる、螺旋状の下り坂がある。

 ちょうど穴を一周すると底に着ける構造で、その先には直径が三十メートルほどの、円筒状の鉄カゴを模した昇降機があった。

 その長い下り坂を、冒険者の一団が歩いている。

 彼らの身なりは多様だが、その中に、青の戦闘衣をまとった少年――サカキと、白と黒の戦闘服を着込んだ青年――セツナの姿が見えた。

「おぉ~い! そろそろ下に降りるから早くしろぉ~!」

 男の野太い声が響き、続いて昇降機に備え付けられた鐘から甲高い音が鳴った。

 その音を聞き、冒険者たちは急いで斜面を下り始めた。

 セツナの隣にいたひげの生えた魔術士が、「少しくらい待てよ……」と愚痴を吐いて走る。その後ろにいたバッグを肩に下げた商人は、大きな腹を揺らしながら、息を切らして駆け下りる。

 そのような慌しさの中、一団で最後尾にいたサカキは何かに気づくと、足を止めて後ろに振り返った。

「……」

 サカキの視界には、たったいま駆け下りてきた斜面しか映っていない。上を向いても、崖上には誰もいない。ほかに何かがいる様子も、気配すらも、微塵に感じられない。

 ――おかしいな、誰かがいたような気がするんだけど……。

 ついいましがた、後ろから針で差されたような視線を感じたのだ。

 殺意の視線――というよりは、注意深くサカキの行動を観察するような視線だった。

「……何かあるのか?」

 一旦気になってしまうと、放っておくのも気味が悪い。もう一度注意深く観察してみるべきだと、サカキは瞳に力を込めた。

「サカキさん! 置いていかれますよ!」

 そこでセツナの声がさえぎった。

 振り返れば、ほとんどの人間は既に昇降機に乗り込んでおり、先に着いた冒険者たちが、急に立ち止まったサカキの姿を不思議そうに眺めていた。

「おっと……!」

 気にはなるが、いまはしょうがない。それでも一応と心の隅には留めておくと、サカキは走り出した。

 そしてサカキは気付かなかった。岩の陰の不自然な【染み】が動き、影に溶けて消えていったことを……。





 鉄カゴの中に入ると、入り口の柵が錆び付いたローラー音を鳴らして閉じた。

 一度の振動のあと、昇降機はゆっくりとした速度で降り始めた。

 外の光が次第に弱くなり、昇降機は薄暗い穴の底へと降りていく。

 ガラガラと駆動する機械音に包まれる。サカキは備え付けられた照明の光を頼りに、セツナの元へと歩いた。

「……あれ?」

 途中、見知った人物の背中が見えた。

 女性だが、成人男性ほどの高い身長を持ち、胸を張って堂々と佇んでいる。後ろを向いているが、その姿と雰囲気に見間違いはない。

「カルナさん!」

 カルナと呼ばれた女性は振り向くと、「誰だ?」とでもいいたげな面持ちでサカキに目を向けた。

 気高き意思が宿る容姿に、切れ長のアメジストの瞳。

 薔薇のように美しく輝く赤色の長髪を、後ろで束ねて垂らしている。そのスレンダーでしなやかな体つきからは美しさと機敏さが感じられた。カルナの全身を包む白と紅色のドレスコートは、礼装の形に綺麗に整えられ、その荘厳な意匠は彼女の雰囲気にとてもよく似合っていた。

 見る者の心を惹きつけてやまないその美貌。その怜悧な顔つきの上に高貴というトゲを浮かばせ、しかし頭の上に生えた狐の耳と腰元の尻尾が、彼女にどことない可愛らしさを与えていた。

殲滅の従狐デリーターフォックス】である彼女は、サカキの顔を認めると、警戒心を解いた。

「サカキか、奇遇だな」

 中性的な声でカルナは答えると、表情は変えることなくサカキへと向き直った。

「サカキさん、お知り合いですか?」

 セツナが、サカキとカルナの関係に気付いたらしく、ふたりの隣までやってきた。

「ああ、この人はカルナ・ヴォルムスさんっていって、カツジの弓の師匠筋に当たる人だよ」

「カツジさんの?」

 セツナの瞳に、少々の驚きが灯った。

 無理もない。一目見ただけでも気難しそうなこの女性が、あのお気楽者の師匠だとはにわかに信じられないのだろう。

「あいつの師匠になった覚えはない。あいつが勝手に言っているだけだ」

 仏頂面で彼女は答えた。

 サカキは困った顔つきで、「こんな感じの人だけど、いい人だよ」と、とりあえずのフォローを入れた。

 セツナもサカキの意を酌んでくれたらしく、それ以上の詮索はしなかった。

「なるほど。カルナさん、僕の名前はセツナといいます。以後お見知りおきを」

 温和な笑顔で大人の対応を取り、敵意や警戒心など微塵にも見せなかった。

 そんな青年の友好的な態度に、しかし彼女は、

「わかった、覚えておこう」

 と、無愛想に答えるだけだった。

 彼女は昔からこうなのだ。悪気があるわけではないが、とにかく愛想が無い。

 笑えばその美貌も相まって、さぞ場が華やぐことだろう。だが、それは望むだけ無駄だ。付き合いがそこそこに長いサカキですら、彼女の笑っている姿を見たことがない。

 しかし、その弓の腕前は本物だ。

 ルインズアークにおいて最大手の連盟である【大聖堂騎士団】。その頂点に座する【七大聖堂】のひとつ、【ヴォルムス騎士団】の長。それが彼女、【豪弾ごうだんのカルナ・ヴォルムス】だ。

 いつもなら自身の拠点から出て、この穴倉と言っていい場所まで来るような人物ではない。

 だがここへ来たその理由も、サカキには思い当たる節があった。

「ええっと、もしかしてだけど、カルナさんもショーデルさんに呼ばれたとか?」

「そのとおりだ。そうでなければ、私がこんな辛気臭い場所にわざわざ足を運ぶものか」

「はは……そうだよね」

 カルナの遠慮の欠片もない物言いには、サカキも苦笑いをするしかない。サカキとセツナも、ショーデルと呼ばれる人物からの招集に応じて、今日この場へとやってきた経緯がある。

「でも、カルナさんレベルの人を呼ぶほどなら、今回の仕事は相当面倒そうだね」

「知らん。着いたらヤツに聞け」

「…………そうするよ」

 話題を振っても、即座に会話が終了してしまう。

 そのあともぽつぽつと話を投げかけたが、すぐに会話が続かなくなり、最終的には互いに無言となってしまった。

 ――気まずい……。

 セツナとふたりの時ならば、こうまでして重い雰囲気にはならない。青年は話のネタが意外に多く、わかりやすく話してくれるし、聞き手上手でもある。

 しかし、そこにカルナが加わるとなると話が変わる。彼女がいるだけでその場の空気が張り詰めてしまい、妙に緊張してしまう。

 サカキとセツナは無言の状態で辛抱強く待つと、――そこでようやく昇降機が止まった。

 入り口近くで座り込んでいた冒険者たちが、「待ってました」と足早に降りると、そそくさと駆け出していく。

 ほかの冒険者たちもぞろぞろと出て行くと、サカキたちもそのあとに続いた。

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