第15話 1-15

 大通りを外れた、小さな通りを歩いていく。

 ここは商業区画からは遠く、街の中心からも遠い。付近に立っているのは粗末で小さなあばら家ばかりで、ほとんど貧民街スラムと呼べる場所だ。

「この街に、こんな場所があったんですね」

 セツナが、物珍しそうにあちらこちらへと目を向けた。

 そんな彼の隣を、みすぼらしい格好の男が通り過ぎていく。男はいわゆる下層民の風体だが、その足取りは軽く、鼻歌交じりの陽気さを匂わせていた。

 スラム全体から漂う空気もほのぼのとしており、スラム特有の陰気臭さは微塵にも感じられない。

「見た目のわりには、治安も衛生も良さそうですね」

「私も、こういう所はもっと危険な場所だと思ってた」

 ふたりは、心底意外といった表情だ。

「ここの人たちは、本当に貧しい人たちってわけじゃないんだ。みんな、好きでここにいて、そういう格好をしているだけなんだ。【役割演技ロールプレイ】って言えばいいのかな?」

 セツナの言うとおり、低取得層向けの住宅街とはいえ、この区画の治安は悪くない。

 そういったロールプレイをするための環境なだけで、本当の貧困にあえいでいる層はこの街では少ない。それが、現実の地球と違ってあれこれと自由の効く仮想物質世界らしいといえば仮想物質世界らしい。

 ほかにも仮想物質世界らしいところがあるとすれば、街角を行く人々は皆一様に若く、老年層の姿が見られないというところだ。

 例えば通りに置いてあるベンチに、二十代ほどの男がふたり座っている。彼らの会話に耳を傾けてみると――、

「オレ、来月で定年なんだよなぁ。何すっかなぁ」

「おお、お前も定年になったのか。急に何もしなくなるとボケるって話らしいから、いまのうちに、何かやることでも見つけとけよ?」

「タクちゃんは盆栽をしてるんだっけ? オレもちょっと気にはなってるんだけど」

「ああ、盆栽はいいぞ。手間暇かけて少しずつ育てていくのは、暇つぶしにもちょうどいい」

 ……と言った有様だ。

 外観年齢が肉体最盛期で止まる、アバター特有の光景だ。

 育ちが良いセツナとミナには、こういった場所は新鮮味に溢れているのだろう。ふたりは時おりサカキに質問しては、答えを聞いて「なるほど」といった顔で頷いた。





 狭い路地裏を抜けると、木製の塀で囲まれた家にたどり着いた。

「サカキさん、ここですか?」

「ああ。ここだよ」

 敷地内は広く、青々とした庭の中に、レンガ作りの家と小さな小屋が建っている。それぞれが周辺に立ち並ぶ家と比べて大きく、外観も綺麗だった。

 芝の生えた庭を通り抜けると、玄関先で立ち止まった。

「ちょっと待ってて」

 サカキはミナとセツナを置いて、家の中へと入っていった。

 ふたりは言われたとおりに大人しく待っていると、しばらくしてミナが何かに気付いたらしい。その琥珀の瞳を動かして、小屋の方へと目を向けた。

 その小屋の屋根からは、大きな煙突がひとつ覗いている。そこから、煙が立ち上り始めたのだ。

 ミナが小屋の入り口に目を移すと、――内開きの扉が開け放たれている。

「誰かいるのかな……?」

 ミナは近づいて中を覗いた。

 すると、中から黒い大きな影が、ぬっと出てきた。

「ひゃう!?」

 ミナが大きな声を上げると、その影はビクリと動きを止めた。

 影は、よく見れば大きな体をした男だった。

 灰色のぼさぼさの髪。彫りの深い顔には豊かな口ひげを蓄えている。

 その身長はセツナよりも遥かに高い。全身が筋骨隆々としていて、毛むくじゃらの腕の先には金槌が握られている。

 男は、半そでのシャツに所々がうす汚れた灰色のズボンを履いていて、「いかにも鍛冶師」といった外見だった。

 その体に似つかわしくない、丸々とした大きな目が、ミナをじっと見つめている。

「こ、こんにちは~……」

 なんとか挨拶する。ミナは一応、笑顔を見せたつもりでいた。だがその顔はさきほどの恐怖で引きつっており、あまり友好的には見えなかった。

「……」

 ミナの声に、その影はのそりと動いて――。

 パタン。

 扉を閉めた。

「えっ?」

 いきなりなその行動に、ミナは頭の上に疑問符をちょこんと乗せた。

 ゴインッ。

 今度は扉越しに、硬い物同士がぶつかる鈍い音が響いた。

「ええっ!?」

 ミナがますます混乱すると、それに答えるように、ドアが開いた。

「ごめんなさいね。ウチの亭主が失礼なことをして」

 ハキハキとした声とともに、ひとりの女性が姿を現した。

 ツヤのない、金色の長髪を後ろでまとめたポニーテイル。女性の顔つきはキリリとしているが、人の良さそうな雰囲気が強い。

 体つきは女性にしては逞しく、高い身長も合わさって、引き締まって見えた。

 その格好はさきほどの男性と同じで、彼女も鍛冶師か何かなのだろうとうかがい知れた。

「い、いえ、全然そんなことありません!」

「いいのよ庇わなくて。挨拶もしないでいきなりドアを閉めるとか、本当に失礼な馬鹿でごめんなさいね? ウチの亭主は、昔から根暗で引きこもりの社会不適合者なのよ。だから本人に悪気はないから、気を悪くしないでね?」

 ハキハキと己の亭主を罵倒する女性に、

「……何も……そこまで言わなくても……」

 その影に小さく隠れて、ぶたれた頭をさすりながらぼそぼそと言う大男。

「ええっと……?」

 ミナはどう答えればいいのかわからず、セツナへと助けを求めた。

 そんな彼女の様子にも、優顔の青年は苦笑して、首をさするだけだった。





 サカキは戻ってくるなり、状況を理解した。

「あー……ごめん。ゲンさんはちょっと人見知りをするから、俺が先に話を通しておこうと思ってたんだけど……」

 申し訳なく言うサカキに、ゲンと呼ばれた男の妻は快活に笑った。

「別にいいのよ。ウチの宿六が全部悪いんだから」

 小屋の中に入り、ゲンを除いた四人がテーブルに座った。

 件の毛むくじゃらの大男は金床の前に座り、作りかけの剣の具合を調べている。

「紹介するよ。こっちの【器用な巨人デフトハルク】の人が鍛冶師のゲンさん。で、その妻で助手をしているスミレさん。いまは西大陸にいるけど、ふたりとも前は中央大陸で働いていて、鍛冶師としては有名な人たちなんだ」

「あら、有名だなんてそんな。おだてなくてもいいのよ、すぐにつけ上がるから」

 口元に手を当てて「おほほ」と笑うスミレに、ゲンは我関せずといった様子で作業に没頭している。

「で、こちらのふたりが、セツナさんとミナ・ディセットさん」

「セツナです。ゲンさん、スミレさん、以後お見知りおきを」

「ミナ・ディセットです。よろしくお願いします」

「あらご丁寧にどうも。――ほら! アンタも頭を下げる!」

 スミレが旦那の背中を小突くと、ゲンは小さな声で「よろしく」とだけ言った。

 相変わらずの夫婦仲にサカキは微笑ましい気分になると、話を切り出すことにした。

「ゲンさん。頼んだ物ってもうできてる?」

 サカキの問いにも、ゲンは顔を下げたままだ。返事の代わりにと、すぐ隣に置いてあった持ち手のついた細長い木箱を持つと、サカキの前に突き出した。

 渡された箱は人の身長よりも長く、幅もそこそこあった。

「……武器の威力は変わらないが……耐久度と魔力許容量を高めてある……」

「成功したんだ。さすがゲンさん」

 サカキが箱をテーブルの上に置いて開けると、中には、赤い大剣のような槍が一振り。

「……サカキさんの使っている槍ですね?」

「うん。あの戦いのあとにひとつ思いついたことがあって、それを試すために、ゲンさんにこいつを改良してもらってたんだ」

 サカキは箱の中から愛槍――レッドランサー・イフリートを取り出すと、まずは手触りを確かめ、次に全体的な出来具合を調べた。

 形状に違いはない。しかしよく見れば刃に映る魔力の波が、前より深く濃いものへと変わっていた。

「アンタ、昨日の夜遅くまでいじってたのって、この槍だったのかい?」

 妻の問いにゲンは鼻で大きく息を吸い、時間をかけて吐き出した。

「……ああ……中々成功しなくてな……」

 ゲンはその大きな目をサカキに向けた。

「……ソーマ……もうそろそろ……もっと上の物を使ってみてはどうだ……?」

 ぼそぼそと、聞こえるかどうかといったギリギリの声で忠告してきた。

 その言葉にサカキは、哀愁を感じさせる穏やかな顔を浮かべると、ゆっくりと口を開いた。

「いや、いいんだ。まだしばらく、こいつには出番があるから」

 昔を懐かしむように緋槍の刀身に手を当て、軽くなでる。

「……そうか……」

 ゲンは口を閉じると、己の作業に戻った。

 しばしの沈黙のあと、セツナが緋槍へと興味を戻した。

「少し気になっていたのですが……この槍のランクは、もしかしてBかB+では?」

 その質問に、スミレが目を見張った。

「よくわかったね。たしかにこいつのランクはB+さ。数はまったく出回っていない代物だから、知ってる人は少ないと思ってたんだけどね」

「いえ、わりとこの槍は有名な物ですから、槍使いなら知っている人も多いと思いますよ。とはいえ、実物を見るのは僕も初めてですが」

 会話の内容についていけないミナが、首を傾げた。

「サカキ君の使っている槍って、そんなに珍しい物なんですか? 槍なのに、剣みたいな見た目をしているからですか?」

 その言葉にゲンが顔を上げた。視線は前方に向けたままでミナを見ずに、物語を語るように口を開いた。

「……レッドランサー・イフリート……元はBランクの殲滅槍せんめつそう、レッドランサーだ……現存数は少ない……ワシもソーマが使っている物以外では、中央で一度見ただけだ……性能はBランクの域を超えている……AかA+――【グレーターレア】ほどの性能はある……」

 人見知りが激しいといえど、やはり鍛冶師としての知識がある。ゲンはぼそぼそと話を続けた。

「……殲滅槍とはな、槍のカテゴリーの一種だ……名前の由来は、昔、雑誌で紹介された時についていたキャッチコピーが、そのまま使い手たちの間で通称になったと聞く……槍と大剣の中間に位置する武器で扱いづらいが、その分、使いこなせれば汎用性は高い……」

 そこで言いたいことを言い終えたのか。ゲンは頭を下げて作業に戻った。

 あとを引き継ぎ、サカキが続けた。

「そういうわけで、ランクはそれほど高くないけど、性能的には不満がないから使ってるんだ」

 ミナは「なるほど」と表情と合わせて答えると、そこで不思議そうに瞳を瞬かせた。

「ところで、【グレーターレア】ってなんですか?」

 ミナの言葉に、その場にいた全員の視線が集まった。

「え……私、何か変なこと言いました……?」

 全員の態度に、ミナが縮こまる。

 スミレがミナを安心させようと笑顔を浮かべた。

「じゃあ、ちょっとわたしが説明しようか。ルインズアークでは、アバターやヴィラルエネミーと、様々なものにランクが付けられているのは知っているね? それは武器や防具も同じことで、アイテムの性能に応じたランクが付けられているんだ。そしてそれらの中で上位に当たる物には、ランクとはまた別に、特別な呼び名――【レアリティ】が付けられているのさ」

「レアリティですか?」

「そう、大きく分けてそれらは四つある。【レア】、【上位級グレーターレア】、【遺失級ロストレア】、【神秘級ミスティックレア】。これで全部だ。レアまでは比較ひかく的よく手に入るけど、ランクがAを超えた物――グレーターレアからは極端に入手が難しくなるね」

 ミナに言い聞かせるため、スミレはハッキリと喋る。

「大方のファウンダーはレアくらいの武器を使ってるね。上位のファウンダーたちならグレーターレアくらいが一般的かな? レアリティがロストレアレベルになると、今度は持ってる人間が稀になるね。なんでも、ルインズアークにあるロストレア全てをかき集めても、五百個くらいしかないって話さ」

「そんなに……持っている人は、とても運が良いってことですね?」

「そう! でも、それよりも上がある。それが【ミスティックレア】さ! 武器としての性能は特筆に値するけど、それよりもその数がすごい! なんてったって、全部で九個しか発見されていないんだ!」

「きゅ、九個!?」

 スミレの発言に。ミナは腰を浮かして驚いた。

「別名は【神秘なる九ミスティック・ナイン】。あまりにも貴重すぎるから、ほとんどは大組織の下で管理されてる。個人名義で所有している人間なんか、ひとりかふたりくらいしかいないんじゃないか? って聞くね」

「それだと、見ることも難しそうですね……」

 ミナは、最高位のレアの想像以上の少なさに、「どう反応すればいいのかわからない」といった様子で、それきり、難しい顔をして押し黙った。

「……まあ」

 サカキはどこかを遠くを見るように首を動かし、部屋の隅へと視線を移した。

「そんな大層な物は俺たちには縁が無いと思うから、『そういうのもあるんだ』程度でいいと思うよ」

 サカキのあっけらかんとした態度に、スミレが自らの膝を叩いた。

「それもそうさね! 気にして手に入る物でもないさ!」

 そう言って、彼女は晴天の笑みを見せた。

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