第12話 1-12
中間テストが終わったあとの登校路を、学生たちはいつもより気の抜けた雰囲気で歩いている。その街に住む者ならば、彼らはこの街――【松葉市】に存在する松葉高校という学校に通う生徒だということがわかるだろう。
生徒たちは「放課後にどこに行く」だとか、「次の休日はどうする」だとか、テストで嫌というほど向き合わされた勉学に関することはおくびにも出さず、今日という日をいかに怠けようかと努力している。
隣街――【伏見山市】より電車で揺られること十分弱。榊亮太はそんな学生たちとは反対に、いつもより心なしか軽くなった足取りで学校へと向かっていた。
「いよーサカキ」
「おはようイツキ」
「おはようございます、サカキ君」
「ああ、コウタロウも一緒だったんだ。おはよう」
道中、同級生のふたりに捕まった。
ひとりは髪を赤茶に染めたいかにもガラの悪そうな少年で、もうひとりは涼しい顔でメガネをかけている優等生顔の少年だ。
彼らは亮太が松葉高校に入学してからの知り合いだ。入学した時のひと悶着で互いを知り、紆余曲折の果てに登下校を共にする仲となった友人たちだ。
「どうしたサカキ、なんか今日は随分と調子が良さそうじゃね? 何かいいことでもあったのか?」
早々、イツキ――玖珂樹が穏やかな朝の水面に石を投げ入れ、波紋を起こした。
「え……そうかな? いつもと一緒だと思うけど?」
「お前、朝はいつも眠そうにしてるだろ? でも今日は妙にハキハキしてっぞ?」
イツキは亮太の顔をじろりと見つめると、そこで何かに感づいたのか。眉間に少しのシワを寄せた。
彼は野生的な雰囲気の似合う男だが、その雰囲気に似合ったカンの鋭さも持ち合わせている。
恐らくイツキの言う「いいこと」とは、先日起きたあの件を指しているのだろう。
亮太からすれば別に隠すほどのことでもないが、あの件にはあの少女――ミナ・ディセットと知り合ったことが含まれている。
――この前のことは隠しておいたほうが無難だな……。
説明すればいらぬ誤解を受ける可能性が高い。特に男女関係の話題に敏感なイツキにそれを知られれば、「裏切り者」と早合点で烙印を押され、粛清されてしまうことだろう。
「それだけで何かあったって考えるのは早計過ぎない? ただ単に、今日は早起きをしたから調子がいいだけだよ」
迂闊な返事はできず、慎重に言葉を選んだ。
しかし、その程度でイツキは引き下がらない。
「いや、オレにはわかるぜ! 早起きしたくらいじゃあ、そんな調子の良さはでねえ! 休みの間に、絶対に何かあっただろ!」
ビシリと亮太を指差し、イツキは目の奥に疑惑心を覗かせた。
「なあコウタロウ、お前もそう思うだろ?」
「ええ、確かにいつもと様子が違います。先週最後にサカキ君を見た時と今日とでは、【オーラ】の色が明らかに異なります。それが何であるのかはわかりませんが、『とても良いことに遭遇した』というのは間違いないでしょう」
メガネをクイッとかけ直した少年――
彼は人体の挙動を感知し、それを【オーラ】と呼んでその人の状態や心情を知ることができる奇妙な特技を持っている。イツキの持つ【野生のカン】ともども、こういった隠し事をする相手としては非常に厄介な輩だ。
やはり、毎度と登下校を共にしている仲ならば、多少の変化でも気付くことができるらしい。「面倒な奴らだな」と心の中で悪態をつき、しかし表では冷静に白を切った。
だが、彼らは恐ろしい。すぐにそこへとたどり着いた。
「……女か? ついに女ができたのか? もしくは、お近づきになれたとかそういうのか?」
「…………いや?」
「なんだ、いまの間は?」
「別に何でもないよ。突拍子がなさすぎて、ちょっと驚いただけだよ」
本当は的確すぎて、絶句しかけただけだ。
「嘘つけ。絶対何かあっただろ?」
「違うって、本当に何もないんだって」
「本当かぁ?」
「本当だって。いい加減しつこいぞお前」
亮太は乱暴に手を振って「もういいだろ?」と伝えた。
さすがの友人たちも、本人がここまで白を切ってしまえば、追及のしようがない。
「チッ……どうも釈然としねえが、お前がそこまで言うならそうなんだろうな。この話題はもう終わりにしてやっぜ」
「ええ、そうしましょうか。サカキ君、疑ってしまってすみません」
イツキは憮然とした顔で引き下がり、コウタロウは素直に謝った。
――勝った。
普段は嘘を言わないようにしていた努力が、こんなところで役に立つとは思わなかった。なんとか穏便に済ませられたと亮太は内心でほくそ笑み、
「おはよう、サカキ君」
後ろからかけられた聞き覚えのある声に、心臓を爆発させた。
壊れかけの機械のように、亮太はぎこちなく振り返った。
そこにいたのは案の定、銀色の長い髪の似合う少女――ミナ・ディセットだった。
当然、ルインズアークで出会った時と同じ格好ではない。彼女は亮太の通っている学校である松葉高校の制服を綺麗に着こなし、お淑やかな物腰で佇んでいる。
――馬鹿な、同じ学校だったのか。
超速で理解した。道理でルインズアークで出会った時に距離感が近かったわけだ。
亮太は気付かなかったが、彼女の方は亮太を既に知っていたのだろう。現実の地球世界で同じ学校に通っている親近感があったからこそ、彼女は妙に亮太と親しく接してきたのだ。
彼女は細いラインを描いた頬をほんのりと赤く染め、気恥ずかしそうに首を少し傾けている。
その笑顔があまりにも眩くて、目を合わせるのも一瞬ためらった。
「お、おはよう……。えっと……?」
こちらではなんと呼べばいいのかわからず、言いよどんだ。
「ふふ、こちらでは
彼女――深波は着ている制服をよく見せるようにくるりと体を一回転させ、そして小さくおじぎをした。
「榊亮太です。よろしく」
どうにか心を持ち直し、「けど、どうしてここに?」と声をかけてきた理由を聞いた。
「今日は亮太君にあらためてお礼が言いたくて、ここで待ってたの」
「お礼?」
「うん。この前のこと」
「この前? ……ああ、あれか」
わざとらしく相槌を打った。
深波はあらたまった態度で向き直ると、「この前はお世話になりました。おかげさまで助かりました」と、深々と頭を下げた。
「そんな……俺は別に、たいしたことをした覚えはないんだけど……」
頬をかいて言い訳をすると、彼女は「そんなことないよ!」と力強く首を振った。
「私、嬉しかった! あの時の亮太君、すごくかっこ良かったんだから!」
両手をギュっと握り締め、力説した。
そしてそこで、周りから集まる視線に気付いたようだ。彼女は蒸気を吹きそうなほど顔を熱くさせ、「と、とにかく……あの時はありがとう亮太君……」と小声を出し、「それじゃあ……」と走り去っていった。
――それでここで待ってたのか……律儀な子だな……。
サカキはその後ろ姿を、ボウっとなった頭で見送った。
……だが、そこで重大なことを思い出した。
『――……ほう?』
後ろから投げかけられたその言葉は、酷く冷たかった。
いわずもがな、イツキとコウタロウだ。
「女だ」
「女ですね」
「サカキに助けてもらったらしいぞ? 多分、ルインズアークでのことだよな?」
「でしょうね。それで、すごく嬉しかったそうですよ?」
「ああ、これは言い逃れできねえよな?」
「はい、確定です。コーラを一気飲みしたら、ゲップが出るくらいの確率です」
ふたりは空々しい無表情で、しきりに納得している。
「待て、君たち。君たちは何か勘違いをしている」
「あ? どこらへんが勘違いだって?」
「俺と彼女の関係性を曲解しているという点だよ!」
「ハッハッハ。またまた、冗談がきついですよサカキ君。どんな阿呆でもあんなものを見せつけられれば、非常に良好な男女関係が築けていることくらいわかります。いやいや、億手だとばかり思っていましたが、サカキ君もやりますね」
「いや、だから君たちが思っているような関係じゃないんだって! たしかに俺は彼女を助けたかもしれないけど、でもそれは――」
続けようとした説明を、コウタロウが腕を払ってかき消した。
「だってそうでしょう!? わざわざ登校時間まで待ってお礼を言うなんて、そんな大胆なこと、普通は相手に気がなければできませんよ!? それにあの顔です! あれでどう誤解しろというんです!?」
「わ、わからないぞ!? 単にみんなの前でお礼を言うのが恥ずかしかっただけかも知れないぞ! お前たちがあまりにもガン見するから、それで彼女は――」
「――いや、それは違うな……!」
『!?』
唐突に、中年男性の野太い声が響いた。
『せ、先生!?』
三人でその姿を確かめれば、そこには「松葉高校一の独身男」として有名な、数学担当の田中先生がいた。
「彼女いない暦=年齢……女の顔色をうかがい続けて二十年以上……その俺だからこそわかる……! あれは、『恋を知った乙女の顔』だ……!!」
苦渋の搾りカスのようなその【声】は、この場でもっとも信頼できる【真実】になった。
「――コウタロウ、頼む」
「――わかりました」
肩を回し始めたイツキの言葉にコウタロウは静かに頷くと、高らかに指を弾いた。
『…………』
いつの間にか亮太を囲んでいた学生たちが、イツキに率いられ、無言で亮太を担ぎ上げた。
「え、ちょ、ええ!?」
「皆さん聞いてください!! ここにいる我等が友人――榊亮太君はこの度、暦では夏ですが、ついに春の兆しを迎えました!! このめでたき門出を皆さんで、存分に
大仰に演説を始めたコウタロウの言葉に群集は耳を貸し、続々と集結する。
祭りの神輿もかくやあらん。群集(主に彼女のいない男たち)の勢いに逆らえず、亮太はなすがままになった。
松葉高校に古くから伝わる年中行事に、「彼女ができた(もしくはできる予定)の男性を在校生が
「おめでとう! ……死ね!」
「おめでとう! ……爆ぜろ!」
「おめでとう! ……殺す!」
「おめでとう! ……お前の母親に俺を紹介しろ!」
「あんたたち~、さすがにかわいそうだから、携帯とサイフくらいはよけておいてあげなさいよ~?」
『う~すっ!』
学友たちの心温まる言葉で見送られ、そして亮太は、
『せーのっ!!』
清掃を終えたばかりの青い空を映す水面に、綺麗に投げ込まれた。
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