第10話 1-10
どこか神秘的な雰囲気すらまとわせていたかつての鎧騎士は、いまは醜い尖り根の獣へと姿を変えていた。
前足と後ろ足――四本の根で地面を掻き蹴り、肉食獣の如き獰猛性を以って尖り爪を振るう。
「チッ……!」
さきほどとは打って変わり、パワーとスピードを両立する戦闘スタイルに圧倒され、サカキは早くも防戦一方となった。
間合いを見切って避けたかと思えば、しかし次の瞬間には、監視者はその五体を複雑怪奇に膨れ上がらせて形状を変化させ、ありえない体勢と角度から攻撃を仕掛けてきた。
どうにかいなし、僅かな隙を見つけて反撃を試みる。だがそれも、不自然にねじれ曲がった根の体には届かず、あるいは装甲に受け流され、宙を切るばかりだ。
関節が存在せず、不定形に変化し続けるその体は、相手としてはやりにくいことこの上ない。
一旦、距離を取って深く考えたい。そう思って後ろに下がるのだが、相手はサカキの事情などお構いなしといった様子で、攻撃の手を緩めない。
左、右と地面に叩きつける二連撃をサカキは後方に避けた。すると監視者はそのまま地面を掴み跳び、兜の奥から尖り根の牙を覗かせ、噛み付きかかってきた。
それをチャンスとサカキは横に回り込み、横腹に切りかかった。
だが次の瞬間。監視者の横腹が独りでに裂け、そのあばら骨を牙と変えて、レッドランサーの刀身を乱暴に噛み掴んだ。
「ぐっ!?」
急遽、根を焼き切ろうと緋槍に炎をまとわせた。
本来、【炎熱】属性の攻撃は、植物系のヴィラルエネミーには特別効果を発揮する。だが監視者の体を焦炎がいくら叩こうと、炎が燃え移る気配が一向にない。
効いていないのか? その疑問がサカキの頭の中をよぎった瞬間、監視者の目が動いた。
――まずい! サカキは反射的に【炎熱】の魔力に【爆撃】を練り混ぜ、生じた爆炎の反動で無理矢理引き剥がした。
「無茶苦茶だな……」
どうにか間合いを確保して、サカキは一呼吸ついた。
監視者は、横腹を剥ぎ取られて不安定になった体で直立すると、傷口に新たな根を生やして覆い修復し、そして平然とサカキを見下ろした。
――再生能力。植物系のヴィラルエネミーに多いこの特殊能力は、体にいくらダメージを負おうとも、時間さえ要すれば自力で回復できるという厄介なものだ。加えて監視者のそれは、一般的なヴィラルエネミーの持つ再生能力とは、一線を画すほどにまで早かった。
優れた膂力と堅牢な防御。そして柔軟過ぎる体に再生能力。特別な攻撃手段こそ持ち合わせていないが、正統派の難敵といった風情が見えて、つい頭を抱えたくなるほどだ。
「おまけに炎が効きづらいときたもんだ……」
サカキは鼻でひとつ笑い、緋槍を突きつけるように構えた。
しかし、これで大方は【理解】した。次はこうはいかないと緋槍を引き寄せ、――そこで監視者が先に動いた。
監視者は四つ這いの姿勢で駆け出し、僅かな時間で最高速に達した。
右か左か? それとも牙か、体当たりか? これまで見せた攻撃手段とその対処法を思い描き、――しかしそこで監視者は急に二足歩行に変化。滑らかな重心移動から、堂の入った正拳突きを放ってきた。
「なっ!?」
その急激な攻撃姿勢の変化に、サカキの反応が一呼吸遅れた。
なんとか武器を盾にしたものの、正面から拳の力を受けてしまい、体を宙に浮かされた。
「しまった」と、そう感じる暇もない。
監視者は身を捻り、これもまた見事な回し蹴りを叩き込んできた。
刀身越しに伝わる見事な力。サカキは吹き飛ばされ、遥か後方の幹へと激突した。
「ソーマ君!?」
ミナの悲鳴がサカキの鼓膜を叩いた。
――心配ない、大丈夫だ。サカキはそう伝えようとしたが、打ちつけた衝撃と痛みのせいで、うまく言葉を発することができない。
呼吸をしっかりと整えたいところだが、その暇もなさそうだ。追撃に前方から跳びかかってきた監視者の拳を受け流し、強く息を吸い込んで肺を乱暴に酸素で満たす。そして低い姿勢で横に一転。強烈な足払いを見舞った。
監視者の足が地を離れ、半転する。上下逆さまになった化け物の顔に、サカキは腹いせと緋槍の柄尻で殴りつけた。
乾いた響音に続き、回転によって監視者の顔が視界の端にすっ飛ぶ。次いで緋槍の刃に火炎を擦り熾し、斬りつけた。
監視者の胴体に赤き一閃が刻まれ、その五体が地に叩きつけられる。
初めて与えた明確なダメージだ。しかし監視者は、柔らかな体幹を生かして地面をバウンドし、四足の体勢で着地。獣の姿勢となって反撃してきた。
爪を活かし、尾を活かし、そして牙を振るう。獣の攻撃性を縦横無尽の攻撃と見せつけ、かと思えば二足となり、練りこまれた徒手空拳の技で魅せる。
獣かと思えば人。人かと思えば獣。千差万別に手段を切り替え、変幻自在と翻弄する。
相手は正統派の敵だと思っていたが、それは間違いだった。力強くかつ不定形であるその体だからこそできる【意外性】こそが監視者の武器だったのだ。
本来なら有効であるはずの斬撃と炎は効かず、手数でも圧倒されている。こうしている間にも、サカキの防御を突き破らんと監視者は踊り狂い、そしてついに――。
「がっ!?」
下からの蹴り上げをまともに喰らい、サカキは高くへと打ち上げられた。
監視者はそのあとを追って跳躍した。膨張させた大腕でサカキの体を緋槍ごと掴み取り、咆哮を上げて大地へと叩きつけた。
「嘘、ソーマ君……!?」
ミナは震える瞳で、土砂と煙に飲み込まれた少年の姿を探した。
――直撃だ。あの監視者の攻撃を、防御することもできなかった。
あれほどの膂力と質量をまともに受けてしまえば、いかな少年といえども、無事で済むはずがない。たとえ生きていたとしても、もはや満足に戦うこともできないだろう。
それはすなわち、勝敗はすでに決してしまったことを意味する。
「そんな……」
彼が負けた。信じたくもないその事実がミナの頭の中をかき乱し、そしてついに耐え切れず、悲しみが雫となって滲み出た。
それでも嗚咽を噛み殺し、「そんなはずはない」と、一縷の望みをかけてミナは少年の姿を求めた。
しかし、徐々に晴れる煙の奥に現れたのは、禍々しい【鎧】の化け物だった。
――やっぱり、負けたんだ……。
ミナは無慈悲な現実に、全身から血の気が引く感覚がした。
霞み始めた視界の中、煌々と灯る無機質な光が一度瞬いた。
監視者が、興味をミナへと移したのだ。
「ようやく終わるのだ」と、監視者はその体を揺らして一歩を踏み出した。
……しかしそこで、その巨体の動きがピタリと止まった。
「…………え?」
ミナは、自分の目を疑った。
監視者の体の一部。その大腕のひとつが「消えていた」のだ。
それは、少年を掴み取り、地へと叩きつけた右腕だった。その右腕の肘から先が消失し、残る肘と二の腕も、黒ずんでボロボロと崩れ落ち始めている。
「どうして……?」
その不可思議な光景に、ミナは息を呑んだ。
並外れた威力を誇る【炎熱】と【爆撃】の技ですら傷をつけることも難しかった監視者の体に、一体どうやって、これほどのダメージを与えたというのか。
自らの体を蝕む崩壊の力とその脅威に、監視者はうろたえた。そしてその背後で、黒青の魔力が大翼となって羽ばたいた。
「まさか……!?」
驚きに見開かれたミナの瞳が、立ち上がる、ひとりの少年の姿を映した。
少年は、冴える緋色の剣槍より、寒気すら漂う黒青の魔力を沸き立たせ、崩壊の力を手繰り寄せると、静かに息を放った。
そして少年――サカキ・ソーマの瞳に暗い輝きが燃え上がり、監視者を睨んだ時。
監視者は始めて【死】の恐怖を感じ取ったのか。一歩と引き下がり、狼狽した。
「【深遠】属性……。すべてを崩壊させる、異能のルーンコード……」
ミナは、少年に聞いたとあるルーンコードの名前を思い出した。
十二系統属性の中でも【深遠】属性は、最も異質な力として認識されている。
ほかの十一属性――【炎熱】や【氷雪】、【震地】や【嵐風】など、それらはマナを自在に変化させ、「生み出す」力を持っている。
だが、【深遠】属性だけは違う。持つ者が非常に稀であるこのルーンコードは、「生み出す」力とは真逆、マナから魔力を奪い、「消失させる」力を持っている。
その【深遠】属性の崩壊の力が、監視者の腕を「喰らった」のだ。
「……ようやく掴めた。お前の魔力の質がほかのやつらと少し違うから、いつもより時間が掛かったよ。流石は最上位格のヴィラルエネミーだ。やっぱり一筋縄じゃいかなかった」
サカキは哀れみすら含んだ瞳で、【鎧】の化け物を見透かした。
「――でも、これで終わりだ」
冷める視線と刃で監視者を指すと、サカキは、己の内に刻まれたルーンコードの真意を開放した。
緋槍から黒赤の魔力が新たに生まれ、それは赤と青、【炎熱】と【深遠】属性の具現として、宙に雄々しき二翼を描いた。
暴れる二つの魔力の手綱を巧みに寄せ、従える。
二翼は螺旋となって交わり、緋刃を紫刃と染め、溢れる魔力は紫炎へと姿を変えた。
――【多重属性】。それぞれの属性が持つ力を混合させ、新たなひとつの属性として顕現させる。
ルーンコードを操る奥義のひとつとされるこの技は、習得と扱いが難しい反面、その威力たるや特筆に値する。
それは紫炎を操る赤槍の槍術士、【
「……行くぞ」
静かな宣言。
答えたのは、地の弾ける音だった。
紫炎の持つ本質とその意味。それを【生命】への脅威と感じたのか。監視者がなりふり構わず逃げたのだ。
当然、見逃がすはずがない。サカキは十二分に溜め込んだ力で大地を蹴り砕き、逃げる監視者の元へと、一足で跳び迫る。
その速度たるや、まるで放たれた矢の如し。
彼我の速度差から逃げ切れないと悟ったのか。監視者は残る左腕を引き伸ばし、力の限りがむしゃらに振るった。
左から右へのなぎ払い。上方からの叩きつけ。先端を針のように尖らせ、あるいは放射状に伸ばし、持ち得る手段でサカキを退けようとする。
だが、そのすべては空しく宙を切り、サカキを捕らえることは叶わない。
「はあっ!!」
斬閃。監視者の大篭手に阻まれたはずの紫刃が、鋼鉄とその奥に潜む根すら容易に断ち切った。
断たれた腕が紫炎に焦がし尽くされ、無残な姿となって散っていく。
監視者は新たな腕を生やして抵抗しようとするが、傷口にまとわり付く崩壊の力に邪魔をされ、それもままならない。
これで、行く手を阻むものはなくなった。――そう思われた矢先。監視者は一際の咆哮を挙げ、己の体に眠る魔力を解き放った。
全身より殺意に踊る根を放ち、醜悪な大牙と化して、サカキを紫炎ごと噛み砕かんとする。
それは、全身全霊をかけた最後の一撃だった。
だが、この一撃ですべてが決するというのなら、それも望むところだった。
サカキは紫槍を引き寄せ、魔力を燃焼させた。一切を紫槍の切っ先へと集約させ、必殺の力へと昇華させた。
深炎系統、
それは、凶暴に猛り、飢える深き炎。
その身すべてから繰り出された尖撃が、監視者の大牙を真っ向から撃ち抜いた。
根の表面が泡のように膨れ立ち、次の瞬間には水分を失い蒸発する。監視者の強固な鎧すら貫いた紫炎は、それでもなお余る力を以って監視者の胴を穿った。
「おおおおおおおおっ!!」
サカキは脈動する【深遠】の力に命じ、そして最後と撃ち出した。
放たれた魔力の奔流は渦を巻き、監視者を紙屑の如き容易さで引きちぎっていく。
軋轢と破断、焦滅。そして紫炎は、監視者の五体を除くことなく燃やし尽くし、奪い尽くした。
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