第9話 1-9
サカキがその手を取ると、彼女は零れる涙を拭った。
「心配しないで、もう安心していいんだ」
サカキはゆっくりと言い聞かせた。
彼女は涙を流すことに忙しくて、返事をすることもできない。それでも彼女――ミナ・ディセットは、こちらの声が聞こえていることを示そうと、何度も力強く頷いた。
「ここで待ってて。あいつは俺が倒すから」
そう告げ、静かに立ち上がった。
緋槍を手に踏み出し、その一歩一歩を噛み締める。
――間に合った。その事実が心の奥で炎となって燃え盛り、この上なく気力を満たしていく。
見識判定の結果が出た。相手はトータルランクS+、トータルランクA+のサカキ・ソーマには手に余る存在だ。戦力差は圧倒的で、「勝てるはずがない」と誰しもが思うだろう。
――構うものか。所詮は誰かが勝手に決めたランク付けだ。
サカキはシステムが定めた運命を、「瑣末なことだ」と蹴り飛ばした。そして残火の海に立ち上がる、一体の巨人を睨み据えた。
監視者の鎧は表面が少しへこんでいる程度で、ほかに目立った損傷は見受けられない。不意を打ったときの手ごたえも、実に頼りないものだった。今も大槌を肩にかつぎ込み、己の邪魔をした輩を値踏みしようと、両眼の光を細めている。
――鎧の防御力もそうだけど、攻撃の力を逃がすのがうまいな……。
「面倒な相手だ」と、サカキは鼻で一息ついた。
十二系統属性のひとつ――【震地】属性を持つヴィラルエネミーは、多くは頑強な身の守りと屈強な肉体を持ち、攻守を兼ね備えたパワーファイターとしてアバターの前に立ちふさがる。正面から対峙すれば、あっという間に押し切られてしまうだろう。
ここは慎重に、様子を見ながら戦うことが得策だが――。
――いや、そんなことはしない。真正面から打ち破る!
サカキは愛槍――レッドランサー・イフリートにて水平を描き、その先刃で監視者を指し示した。
一秒、二秒、三秒。互いの挙動を推し測り、そして同時に大地を蹴りつけた。
速度はサカキの方が上だ。四足の巨体に一瞬で接近し、振り下ろされた大槌をかするほどの距離で避ける。そして横方向に一転。同時に腕を狙った斬撃を放つ。
緋色の刃が装甲の隙間へと滑り込み、宙にマナが散る。
浅い。だが攻撃は効いている。続きとサカキはさらに一転し、速度を加えた一閃で首筋を狙う。
外れた。相手は大槌を振り下ろした勢いを利用して、大きく屈みこんだのだ。そして蓄えた力を解放し、豪腕を以ってなぎ払ってきた。
サカキは慌てることなく、相手の目線の高さまで跳んだ。そのまま身を捻り、上下逆さまになって攻撃をやり過ごし、監視者の頭部に蹴りを見舞った。
「……やはり、効かないか」
足の裏に伝わる感覚が重い。まるで巨木そのものを蹴っているような錯覚に襲われながら、サカキは反動を利用して距離を取った。
初動はやや優勢。「ならば次はどうだ」とサカキは前に出た。
サカキ・ソーマの得意とする【炎熱】と【爆撃】属性は、攻勢においてこそ真価を発揮する。
炎で焼き尽くし、爆発によってその芯より砕く。相手がいかに防御力に優れていようとそれを打ち破るだけの力を持つ、超攻撃的な属性の掛け合わせだ。
退く戦いはしない。真っ向から戦って勝てない相手なら、真っ向から堂々と裏をかけば良い。ただそれだけだ。
俊足を生かして地を滑り込み、その足に狙いを定めた。
即座に大槌が飛ぶ。監視者は乱暴に地面を叩き払い、弾ける土砂を攻撃の手段として利用してきた。
「その程度で!」
緋刃より寂々とした火を生み熾す。石つぶてを迎え撃つには頼りない火は、しかし次の瞬間には豪火となって乱れ咲いた。
炎熱系統、
目にも留まらぬ速さで刃が閃き、遅れて鋭い炎が圧を持って飛び掛る。
炎の圧に土砂は勢いを削がれ、明後日の方へと逸れた。そしてなお有り余る力を持った炎が、監視者の五体を襲った。
熱量の壁が監視者の動きを阻害し、巨体の重心が僅かに揺らいだ。その隙にサカキは監視者の足を切りつけ、相手の重心を一段とずらせ、続いて横から大打撃の一撃を食らわせた。
爆発。【爆撃】の魔力に巨体が軽々しく空を飛び、大木へと激突する。
「すごい……これが、ソーマ君の戦い……」
ミナがほうっと吐息をもらした。
ここまで圧倒的な戦いになるとは思っていなかったらしい。彼女は目を輝かせ、サカキの一挙手一投足を注視している。
――「勝てるかもしれない」と、そう思っているのだろう。
「いや、まだだ」
その認識は甘いと注意する。
この程度で済む相手なら、トータルランクS以上のヴィラルエネミーが、歴戦のファウンダーたちの間で危険視されるはずがない。
サカキは油断のない目で気配を探り寄せ、監視者の次の動向に神経を尖らせた。
やはりそうだった。監視者はたいした痛手もなく立ち上がり、「いまだ健在である」と大槌で大地を叩いた。
その命に従い、大樹の根が鎌首をもたげて奇怪に歪むと、根はサカキをひき潰さんと唸りを上げた。
かすめるだけでも身を砕かれそうな大質量の根が、空をなぶる。
跳んで避け、追撃は炎をまとわせた一撃で切り断ち対処する。サカキは地に着き刺さった根に跳び移り、その上で待ち受ける【鎧】姿に切りかかった。
武器が打ち合わされ、火花が散り、互いに交差する。サカキは連撃に移ることなく駆け抜け、併走する根の槍を視界の端に収めた。
左右から挟み込んできた根を一撃二閃で切り捨て、後方から追走してきた監視者と切り結ぶ。
暴風の如くすさぶ猛攻。それが、確実にサカキから体力を奪っていく。
――このままだとまずいな……。
サカキは突き出された大槌を受け流し、反撃に逆袈裟懸けに緋槍を振るった。
炎を一点に集中させた斬撃は、しかし監視者の鎧に線を刻むだけだった。
さきほどから続く攻防は、見方によってはサカキが押しているようにも感じられた。だがその実、痛手と呼べるものは一撃たりとて与えていない。
想像以上に【鎧】が硬いのだ。
このまま続ければ、体力が無尽蔵にある魔法生物相手に、望まぬ消耗戦を繰り広げるハメになるだろう。もしそうなれば、アバターの体力には限りがある以上、圧倒的に不利となる。
「やっぱり、そろそろ仕掛けないと駄目か」
現状を再認識することによって踏ん切りがつき、サカキは監視者に突撃を慣行した。
黄金に輝く強力な魔力を緋刃に沿わせ、一点突破と繰り出した。
監視者は【爆撃】の魔力量を看破すると、正面から受けることはせず、跳躍して逃げた。
樹皮が盛大に砕け、魔力の開放による大爆発が起きる。黒煙が膨れ上がり、一帯を覆い隠す。
監視者は着地すると、油断なく視線を這わせた。うかつに動かず、サカキの出方を待つつもりだ。四足を地にしっかりと置き、すぐさま反撃できる体勢を取っている。
すると、「それを待っていた」とばかり、上空より黒煙を突き破り、それが現れた。
炎に燃え盛る、三十メートルにも及ぶ大枝。大樹より切り断たれたそれが横倒しの状態で黒煙を押し退け、監視者へと襲い掛かったのだ。
青々とした枝葉を今は紅蓮に染め、大枝は【鎧】を押し潰さんと猛り狂う。
炎と巨体が合わさる強烈な圧殺力。しかし異形の鎧騎士は落ち着き払い、大槌を振り上げると、上段からの大打撃で迎え撃った。
一撃破砕の豪技。大枝は中心から折られ、情けなく火の粉を散らしながら地に落ちた。
耳障りな枝葉のざわめきと重量音が轟き、ひしゃげた大枝が落下の反動で一度跳ね上がり、――そしてその影が不自然に動いた。
地面と大枝の間にできた、極一瞬の微かな隙間。人ひとりが通り抜けるには狭すぎるその僅かな隙間と時間を、影――サカキは地を這って駆け抜けた。
「はああああッ!!」
緋色の刀身が繰り広げる、絶好の隙を狙った尖炎の突き。
それは【鎧】の腹元を深く抉り、貫いた。
一条の炎が監視者を突き抜け、その後ろの大樹の幹すら巻きこんで炸裂した。
ついに届いた会心の一撃。
だがそれは、
「くっ!?」
予想外の結末を生み、サカキは戦慄した。
炎と刃に貫かれ、上体と下体に分かたれたはずの【鎧】。その上体が地に落ちることなく、宙に浮いているのだ。
――根だ。
【鎧】の奥から茶黒く濁った根が不気味に伸び、それが上体と下体をいびつに繋いでいる。
サカキは追撃を忘れて距離を取り、緋槍を突きつけて威嚇した。
するとその応えか。【鎧】は根を増殖させ、巨体をさらに一回り以上膨れ上がらせた。
監視者の本性。それは魔法生物ではなく、人をかたどった奇怪な根の化け物だった。
全身を守っていた【鎧】は要所を守る部分鎧として、その特徴的だった四足の後ろ足を長き尾に変え、獣の如き様相でたたずんでいる。
持っていた大槌は不要と投げ捨て、その代わりと、醜悪に伸び尖る根の指を肥大化させた。そしていまだに残る兜の奥の光をより強大に灯らせ、一度二度と瞬かせた。
「なるほど、それがお前の本性か……!」
サカキはレッドランサー・イフリートを握り締めると、肌にひりつく感覚に、荒々しく息を吐き出した。
――流石はトータルランクS+の化け物、そうでなくてはつまらない。サカキは我が身に宿る力を奮い立たせ、衰えぬ炎と燃え上がらせた。
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