第6話 1-6
大岩の陰から顔を出して周囲の状況を確認していたセツナが、手で「静かにするように」と、彼の後ろで隠れている十数名の集団に指示を出した。
集団の中にいたミナは、指示の通りに息を潜めて待った。
【オルドナの大虚】の深部。大穴の底は、それは奇妙な場所だった。
天を支える大樹たちの中央。そこには淡い光を放つ大結晶が宙に浮かんでいる。
大結晶の放つ、ほのかに温かい光に照らされた大樹の根。強靭な生命力を感じさせるその巨大な根は、同じく大地から生えている巨大な【ガラス質の氷塊】に絡み付いていた。
不自然なことに、そのガラス質の氷塊は冷気を発することもせず、温かな光に溶ける様子もない。根に縛られたまま、静かにたたずんでいるだけで、何も変化を見せない。
――根が氷の魔力を押さえつけている? あの氷……、共鳴晶術の結晶と同じ力を持っているのかも……?
氷塊を拘束する大樹の根。その不思議な光景と、不可解な魔力の流れ。
――なんだろう……
一度気になりだすと止まらない。ミナは、氷塊の中に刻まれたルーンコードを解析しようと、隠れていた大岩から身を乗り出そうとした。
しかし、すぐ隣で身をかがめていたフミコがそれに気付き、ミナの袖を掴んで引き止めた。
――そうだ……! 【鎧】がいるんだった……!
ミナは慌てて息を殺し、大樹の陰から姿を現したそれの様子を、恐る恐るうかがった。
それは、大きな【鎧】だった。
体高は五メートルほどもある、下体は馬に似た四脚を持つ全身鎧。中には誰もいないというのに、それは意思を持って動き、兜の奥からぼんやりとした光の目を覗かせている。
その正体は、刻まれたルーンコードによって独りで動く魔法の鎧――【魔法生物】だろうか?
錆ひとつとて無いその表面は、しかしどことなく古く、年季と威厳を感じさせる。その巨体が光に淡く照らされる様は、どこか神秘的に思えた。
だが、その手で鈍く輝く大槌と大盾が、処刑人のような残酷さと無慈悲さをも漂わせていた。
ゆっくりと、【鎧】の視線がミナたちの方へと流れた。
ミナは大岩の陰に全身を隠すと、視界に現れた見識判定の結果に目を通した。
『見識判定:成功。ヴィラルエネミー:
――S+……!!
ミナは驚愕の事実に思わず呻きそうになり、そこで口元を押さえて堪えた。
――そんなの、見つかったら終わりじゃない……!
目を背けたくなる力量差に愕然とした。
数多く存在するヴィラルエネミーの中でも、上位格であるAランクすら超えた個体は特別な意味を持っている。
「最上位格に位置するSランク以上の個体は、生半可なファウンダーどころか、熟練のファウンダー集団ですら全滅するほど危険だ」と、そうフミコから聞いた覚えがある。それはつまり、今この場に隠れている一軍の生き残り――十数名程度の戦力では、どうあがいても勝てないという事実を示していた。
――お願い……気付かないで……。
永遠にも思える間、ミナは祈り、ひたすら気配を殺し続けた。
監視者は、その何も意思を持たぬ瞳を一度二度と点らせると、そこでふと視線を外してどこかへと遠のいていった。
「行きました…………」
セツナの宣言に、全員が一斉に重苦しい息を吐き出した。
「……どうにかあれの目をかいくぐりながら、上に登る手段を探しましょう」
彼は、年齢の割にはこういった荒事になれているようだ。セツナはこれからの展望を落ち着いた物腰で述べると、集団の損害をあらためて確認し始めた。
崩壊に巻き込まれて落下した八十名の内、見つかった者はわずか十三名。そこから満足に動ける者だけとなると、ミナとフミコ、セツナを含む八名だけとなる。
そのような状況で、あのヴィラルエネミーの【監視】から逃れ、大樹を登ることは至難の業に思えた。
「中々難しいことを言いますね……。セツナさん、トータルランクはいくつですか?」
「僕のランクはAです。とはいえ、成り立てですので、ギリギリAランクだと思っていただければ」
「なるほど、わたしとミナみーのランクはB程度ですので、現状だと、正面からぶつかった時点で敗北確定ですね」
フミコは「ふぅ」と、小さなため息をついた。
「本来ならば、Aランクのファウンダーというものは実に頼りになる存在なのだ」と、ミナはフミコから聞いた。
しかし、今回は相手が相手だ。
「一般的には、トータルランクがS以上のヴィラルエネミーの相手をできるのは、同じくトータルランクS以上のファウンダーしかいません。その人を主軸として戦ってようやく、――といったところでしょうね」
「……ねえフミコ、ソーマ君でどれくらいのランクになるの?」
「そうですね、サカキくんほどの強さならA+前後といったところでしょう。……セツナさんはご存知ですよね?」
「はい。依頼説明の時に確認した限りでは、サカキさんはA+ですね」
ミナはその答えに喉を鳴らして驚いた。
――あれだけ強く見えた少年よりも、あの【鎧】はさらに一段階以上も強いというのか。
「最悪、僕が囮になります。できる限り引き付けておきますので、そのあとのことは頼みます」
「待ってください、わたしたちに依頼主を見捨てて逃げろと言うんですか? ここは一番身軽に動ける、わたしが受け持つべきです」
「いえ、依頼はほぼすべてを達成しています。これから無駄に犠牲を出す必要もないでしょう。それに僕ひとりだけなら、頃合を見て逃げることもできるはずです」
「言い分はわかりますが、しかしですね――」
セツナの説明にも、フミコはしばらく難色を示した。
しかし、議論にかけられる時間はそれほどない。
最終的には、「見つかった場合はセツナとフミコを主軸として応戦。頃合を見てフミコが生き残りを率いて離脱する。その後、セツナは隙を見て逃げる」という方向性でまとまった。
「とりあえず、【鎧】の向かった方角の反対方向に移動しましょう」
セツナはそう取り決めると、大岩から外を覗き見た。
用心深く辺りを見回すその視線の先には――誰もいない。
「気配がない……チャンスですね。セツナさん、今のうちに行ってしまいましょう」
「……ええ、気配はありませんね」
「――ですが」と、セツナは続けた。
「何かおかしいです」
セツナがいぶかしむ。
あれほどの威圧感を滲ませていた監視者の気配が、いまは微塵にも感じられないのだ。
「少し待っていてください」
セツナが大岩から踏み出た。そして目を閉じ、両耳に手を当てた。
「…………」
暫時の無言。
そして――。
「――ッッ!? 全員、岩から離れてください!!」
突如、セツナが声を荒げて警告した。――だが、その言葉に反応するよりも早く、大岩の陰に強大な気配が現れた。
「う、後ろ……!?」
「ミナみー!! 避けて!!」
空気が不穏に鳴き、――大岩が粉々に砕け散った。
ミナは、身を切るように迫る暴風に目を閉じた。
風の勢いが弱まったことを確認すると、煙の奥へと目を凝らした。
「そんな……!」
大岩が、――跡形もなく消えている。
集団で隠れられるほどもあった巨大な岩が、たった一撃で粉砕されてしまったというのか。その破壊力をまざまざと見せ付けられ、ミナは茫然自失となった。
――あの【鎧】……、いままで見えない所で隠れてたんだ!
どこかへ行ったと見せかけ、身を潜めて近づき、ミナたちが油断したところで奇襲をかけてきたのだ。
――無事な者は……フミコとセツナだけだ。ほかの者たちは、全員いまの一撃でやられてしまった。
半数以上が即死。わずか三名ばかりが地面に横たわり、痛みに呻いている。
「ほ、ほとんど全滅じゃない……!?」
ミナは声を荒げて【鎧】の暴挙に憤った。だが、煙に浮かび上がった大きな陰影に驚き、慌てて後ろへ下がった。
「ミナみー! 準備してください!」
横から駆けつけたフミコが、その手に携えていた刀を一閃させた。
放たれた剣圧が煙を払い、奥に存在する陰影――【鎧】を切り刻んだ。
しかし【鎧】――監視者は、何事もなかったかのように一歩を踏み出すと、大槌を振り上げて地面に叩きつけた。
大地が砕け、破片がミナとフミコを襲う。
「任せてください!」
フミコは破片すべてを目で捉えると、狙いを澄まして宙を切った。
刃より剣圧が放たれ、それは十へと数を増やすと、破片全てを見事に切り落とした。
「いまです!」
「は、はい!」
フミコの剣幕に、ミナはようやく我に返った。
――落ち着いて……、いつもどおりに!
心の波を沈ませて、一瞬で気持ちを切り替える。そして水色の結晶を即座に精製し、両手で挟むように持った。
「透鱗の水流よ! 意のままに喰らい、かの敵を打ちのめせ!」
アクアマリンの結晶を砕き、散りばめた。
透水系統、
結晶片が大気のマナと交わり、水流へと姿を変える。
水流は生き物のようにうねり、意思を持ち集うと、監視者へと襲い掛かった。
堅固な鎧そのものである敵に、フミコの得意とする斬撃系の技は効きづらい。そう考えての共鳴晶術は、しかし、監視者の打ち出した大槌にあっさりと散らされた。
だが、それは陽動で本命は別にある。
散らされた水流の飛沫が突如押しのけられ、白槍の先刃が監視者の空いた胴体を穿った。
「はああああ!!」
音速で現れ、刺突を繰り出した青年――セツナは、己のエモノである白槍、【
嵐風系統、
衝撃の豪風が吹き荒れ、監視者を乱雑に叩き飛ばす。
風を意のままに操る【嵐風】属性の力に飲まれ、監視者の巨体が軽々と宙に浮き、大樹の幹に激突した。
「流石ですねセツナさん! 見事に直撃ですよ!」
フミコが耳をぴこんと振って、セツナの技を褒める。
「……いえ、インパクトの瞬間をずらされました」
その言葉の意味を示すように、セツナの眉目が苦々しさを描いた。
応え、膝を突いていた監視者が悠然と身を起こした。
白刃が貫いたはずのその胸元には、かすり傷が少し付いている程度だ。特別、痛手を与えた様子は無い。
「やはり、簡単には行きませんね」
セツナは怪我人たちを一瞥すると、手でフミコに合図をした。
撤退の合図だ。
「わかりました……」
フミコは了承すると、愛刀、【|一刀・
「行きます!」
神速の空突き。
闘気をまとった刀身が宙を貫き、【練気】の弾丸が監視者へと放たれた。
監視者は大盾を構え、気弾を正面から受け止める。
着弾と衝撃。威力よりも派手さを重視した気弾の爆発により、周囲に気の乱流が巻き起こる。
「さあミナみー! いまのうちに逃げちゃいますよ!」
「はい!」
ミナはフミコとともに怪我人に肩を貸し、戦場から離れようとする。
その姿を認め、「逃がすまい」と、監視者は大槌を振りかぶった。
「させません!」
その横合いからセツナが豪嵐の突きを繰り出し、監視者の動きを妨害する。
セツナは地を蹴り根を蹴り、監視者の背後を取ってさらなる攻撃へと繋げた。
完璧な死角からの一撃。――そのはずが、振り向き様の大槌にあっさりと払われ、続く大盾の叩きつけがセツナに直撃した。
だがセツナは、反撃をすんでのところで白槍で受け止め、宙に力を逃していた。
ひらりと身を返し、幹を蹴る。そしてセツナは、さらなる魔力を白槍へと流し込み、次なる攻防への準備をした。
「ミナみー! 見ている暇はないですよ!」
「ご、ごめん!」
いつの間にか、高ランク同士の戦いに見ほれてしまっていたようだ。ミナは己を叱責すると、怪我人に呼びかけ、その場を離れた。
大穴の底に豪風と轟撃が木霊し、それは、しばらくの間止むことは無かった。
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