第5話 1-5

 蒸気の砲弾が炸裂し、大枝が爆発の衝撃に震えた。

 降り注ぐ砲弾の雨にも、サカキは一度二度と危うげなく避けてみせ、跳躍して反撃を試みる。

 しかし、緋槍の刃がその薄茶の皮膚に届く前。セレクション・リザードはあっさりと攻撃から跳び逃げ、また別の枝に張り付いた。

「こいつ、まともにやり合う気が無いのか……!」

 何食わぬ顔で砲撃を再開した大トカゲを、サカキは恨みがましい目で捉えた。

 相手はどうやら肉弾戦よりも砲撃戦を好むらしく、終始、こちらと距離を取ってばかりいる。

「図体とランクの割には、随分と慎重な敵ですね」

 臆病とも取れるその動きには、流石のセツナも呆れ気味だ。

 上位格のヴィラルエネミーだとわかって気合を入れたのだ。それなのに敵はひたすら逃げるばかりでまともに相手をしないのだから、彼の反応は至極当然といえた。

 だがこの場面において、相手の戦法は酷く有効的なものだった。

 前衛職相手に一方的な攻撃ができる事実もさることながら、一番の問題は爆発による副次的効果にあった。

 連続で飛来する砲弾の前に、大枝の表面は次々とむしり取られていき、裂けた部位を中心として曲がり、徐々に足場が傾きつつある。このまま砲撃が続けば、最悪、枝が折れる可能性がある。

「なるほど、枝ごと俺たちを落とすつもりか……」

 サカキは爬虫類とは思えぬ利口な戦い振りに感心すると、しかし次には、「でも」と一笑した。

「――その考えは浅はかだ。こっちにだって、遠距離戦のエキスパートがいるんだよ」

 その言葉を言い切るより先か。

 宙を稲妻の矢が翔け抜けた。


 閃電系統、共鳴絶技レゾナンスブレイク【ライトニングレイド】


【閃電】のルーンコードに操られた雷鳴が、ジグザグの軌道を宙に描き、セレクション・リザードの横腹に直撃した。

 明滅と炸裂。

 巨木の幹を震わす雷鳴の蠢動に、ぐらりと、大トカゲの重心が揺らいだ。

「ドンピシャ! さすがはオレだぜ!」

 陽気を声に匂わせ、白魔眼の黒弓【シュバルツ・ボーゲン】の弦を一度鳴らすと、金髪碧眼の弓士――カツジは威勢良く歯を見せた。

 カツジはちょうど、サカキたちと二軍との間に伸びていた小枝の上に身を置いていた。

 彼は不安定に揺れるその上でも、優れたバランス感覚を駆使して新たな矢を番えては、即座に矢を射掛けてみせた。

 畳み掛けるカツジの猛射が、容赦なくセレクション・リザードの体を襲う。

 寸分の狂いなく急所を狙うその弓術に押し切られ、セレクション・リザードはたまらず距離を取った。

「ソーマ! セツナ!」

 カツジの作った好機に、サカキとセツナは視線を合わせて頷いた。

 緋槍と白槍を並べ、ふたり同時に跳躍。迎撃に放たれた砲弾を切り捨て、醜い大トカゲの喉元へと押し迫る。

 セレクション・リザードは砲撃を中止すると、突き出された二槍の先端を眼で捉えた。そしてザラリとぬめる舌をしならせ、鞭として振るった。

 しめついた響音が鳴った。

 サカキとセツナが繰り出した一撃は、大トカゲには届かず、振るわれた鋼の舌に受け止められた。

 しかし、その勢い全てを殺しきれてはいない。

『おおおおおお!!』

 全身のバネと慣性、その重みを切っ先に込め、さらにひとつと押し出した。

 セレクション・リザードの巨体が吹き飛ぶ。

 力の激流に逆らうことかなわず、その身は大樹の幹へと激突し、磔となった。

「っしゃあ! いまだぜ! ぶちかましてやれ!」

「ああ! 最後の締めは俺様に任せておけ!」

 カツジの叫びに、フードを目深に被った男――魔術師が不遜に答えた。

 いままで粛々と複雑な魔術を編み続けていた彼は、己の魔力を手元へと集結させた。

 拝むように向き合わされた魔術師の手の内には、ドロドロに溶けた赤結晶が怪しげな光を瞬かせている。

「顕現せよ、祖は満つる四識の太陽なり! 抗う事叶わず、無常の塵と堕ちよ!」

 底知れぬ力を内包したルビーの溶結晶が、魔術師の両手により、乱暴に叩き潰された。

 魔力がしぶき、周囲を赤く照らし染めた。

 たゆたうマナが火となり、炎の風と化して吹き荒ぶ。

 それらはセレクション・リザードを中心として炎の大円を描くと、次いで四方に集い、新たな小太陽を宙に現出させた。

 濃密な魔力とマナに森林がざわめき、周囲の温度が急激に上昇していく。

『おおー……!』

 戦闘中の者たちですら、その光景には手を止め、鮮やかな炎の演舞に見入り、感嘆するばかりだ。

「すごいな……。人は見かけによらないって言うけど、まさにそのとおりだ」

「ええ……。まさか、ここまでできる人だとは思いませんでした」

 サカキとセツナは揃って失礼なことを言うと、それはそれとして、魔術師の秘儀に見入った。

 ――しかし、そこでふと引っかかったことがある。

「あれ……。でもセツナ、これって間違いなく【炎熱】属性の術だよね?」

「ええ、見る限りはそうですね」

 ふたりで確認しあうと、次には揃って嫌な汗を吹き出した。

『ちょ、待っ!? それって誘ば――』

「喰らえ化け物!! これが俺様の技だああああああああ!!」

 制止の声は、魔術師の最後の詠唱に振り切られ、そして魔術は完成した。


 炎熱系統、共鳴晶術レゾナンスドライヴ【ラヴィッジング・ブレイズ】


 小太陽の自壊。

 現れた灼熱の嵐がセレクション・リザードに襲い掛かり、――そしてその巨体に蓄えられていた、

『ああッッ!?!?』

「やってしまった」。そう続けようとしたふたりの声は、続く大爆発によってかき消された。

 大魔術と可燃性蒸気の爆発力。

 その凄まじい衝撃により、爆発の中心であった幹がこれでもかと捻じ曲がり、そしてついには耐え切れず、大樹がポッキリと折れた。

「え、ちょ、バッカじゃねーの!? と、とにかくみんな逃げろおおおお!!」

 カツジは爆心地から急いで避難すると、あまりの出来事にポカンと立ち尽くしていた二軍の面々に撤退の指示を出した。

「枝から滑り落ちないように注意してください! 動ける人は動けない人に手を貸してください!」

 セツナは一軍へと駆けつけ、的確に指示を出して回った。

 しかし、上から落ちてきた大樹の枝に集団ごと巻き込まれ、ついには中折れした足場ごと、セツナたち一軍は大穴の底へと落ちていった。

 破壊の連鎖は止むことなく鳴り響き、周辺一帯の環境を大きく変え続けた。





「ディセットさん!!」

 サカキは、崩れ落ちる巨大な落片と枝葉を避けながら、ミナの姿を探した。

 ――戦闘が始まる前に下ろした場所は……いない。もしや後方の部隊と合流していたのか? いや、さきほど一軍が穴の底に落ちていった時には、それらしき人影は見なかった。彼女は、どこか別の場所にいる可能性が高い。

 サカキは察知能力をフル稼働させ、血眼になって探した。

「クソッ……! どこだ……!?」

 悪い考えがサカキの頭の中をよぎった。

 その【予感】が心臓の鼓動をこれほどなく早め、全身から冷たい汗が噴き出して止まらない。「もしかしたら彼女が死ぬかもしれない」と、サカキの心を強く揺さぶり続ける。

 例え、アバターは死んだとしても蘇る。

 だがそれにともなって受ける痛みは本物であり、その時に感じる恐怖もニセモノではない。

 ゲームならば「ああ、死んじゃったか」と笑って終わらせられるものが、ここでは時に、死よりも重いものになることをサカキは知っている。

 ヴィラルエネミーとの争いが主となるルインズアークでも、肝心の戦いを行う者たちである【探求士ファウンダー】の数は全人口の一割程度しかいない。

 当たり前だ。

 みんな、「戦うのは怖い」。みんな、「傷つくのは怖い」。

 誰だって最初は、ヴィラルエネミーの異質な姿に恐怖を覚える。死にかけて五体も満足に動かせない状況で、その爪、その牙に裂かれればトラウマになる者もいる。

 もし彼女が、自らの体が木の下敷きになる光景をまざまざと見せ付けられれば?

 もし彼女が動けない状況に陥り、その時、ヴィラルエネミーの毒牙にかかれば?

 そしてそれが、彼女の心に深い傷を負わせ、一生引きずるものになるとすれば。

 彼女の見せてくれた、太陽に輝く花のような笑顔が、もし陰るようなことがあれば。

 そう考えるだけでも、サカキの心の奥はざわめき、血の気が引く虚脱感と無力な思いに支配されてしまう。

 ――頼む、無事でいてくれ……!

 なぜさきほど、無理を言ってでも彼女を街に帰らせなかったのかと、今はそう後悔する。

 本人がやると意気込んでいたからか。彼女に魔術の素質があったから大丈夫だと思ったのか。

 ――いや、違う……!

 確かにミナは魔術の天才ではあるが、その中身はどこにでもいるような普通の女の子だった。優しく、争いに向いた性格ではない。ましてやファウンダーとしては未熟もいいところだ。

 ――俺は、舞い上がっていたのか……?

 いつの間にかミナと一緒に冒険できることを、心の中で嬉しく思っていたからなのか。

 だから目先のことだけを考えて、肝心なことを考えられなかったのか。

 ――わからない。

 なぜそのようなことをしたのか。サカキには自分でもよくわからなかった。

 けれど、今はそんなことはどうでもいい。

「駄目だ、余計なことを考えるな! 今は彼女を助けることだけを考えろ!」

 大樹のひしゃげる轟音に声をかきけされながらも、サカキはミナの姿を探し続けた。

 しかし、絶えず降り注ぐ大樹の残骸と、立ち込める煙に視界を奪われ、前に進むことすら難しい。

 ――やはりいないのか。もしや、もうすでに死んでしまったのだろうか?

 悲壮感に心が支配され始めた時。サカキの視界の端を、微かな何かが踊った。

 それは、絹のように滑らかに光を映す、銀色の長い髪だった。

「ディセットさん!?」

 ルーンコードを即時に活性化。サカキはレッドランサー・イフリートを引き寄せ、視界を遮った落片と煙をまとめてなぎ払った。

 いた。――ふたつに折れかかった大枝の上で、どこに向かうこともできずに右往左往している。

「ソーマ君!」

 彼女の驚きに見開かれていた琥珀の瞳がサカキの姿を捉えきり、そして安堵に変わった。

「ディセットさん! こっちだ!」

 ギリギリだが、ここからならまだ間に合う。

 サカキは一縷の望みをかけて駆けつけ、彼女へと手を伸ばした。

 そして、限界まで引き伸ばされたその手が、彼女の小さな手を掴もうとした。

「クッ!?」

 だが、空から落ちてきた大枝に足場を崩され、無情にもその手は空を切った。

「ソーマ君!?」

 ミナの瞳が救いを求めた。

 ついに圧力に屈した足場の一部とともに、彼女は大穴へと放り出されてしまった。

「ディセットさん!? ……クソッ!!」

 サカキは、暴れる大枝の上でバランスを崩してしまい、彼女を救う最後のチャンスを逃した。

「ソーマ!」

 呼ぶ声に気付き、サカキは振り向いた。

「こっちだ! 早くしろ!」

 安全な場所を確保していたカツジが、こちらへ逃げるようにと急かした。

 ――逃げろって言うのか……!? 彼女を見捨てて……!?

 一瞬の躊躇。

 しかし、サカキの決断は早かった。

「おい!? ソーマ!?」

 サカキはカツジの制止を振り切り、大穴の底へと向かって跳び降りた。

 まだ無事な枝や落片の間を跳び移り、ミナの姿を探した。

「ディセットさん!!」

「彼女が無事ならそれで十分なんだ」。そう願いを込めたサカキの眼前に、しかし、重煙を払って現れたのは――。

『オオオオオオオォォォォォ!!』

 黒く焦げ付いた体表から煙を吐き出す、一頭の大トカゲ――セレクション・リザードだった。

 背中の大部分を失い、そして片脚を失ってなお人間に襲い掛かろうとするその執念。

 セレクション・リザードは口腔を覗かせ、サカキを丸呑みにすべく飛びかかってきた。

「邪魔をするなあああああああ!!」

 サカキは怒りに満ちた眼でセレクション・リザードを突き刺し、緋槍――レッドランサー・イフリートを手繰り寄せた。

 怒りに任せて魔力を暴発させる。赤き刀身の切っ先から黒青のオーラが溢れ、それは緋槍すべてを暗く包み込んだ。

「ああああああああ!!」

 サカキは、黒紫の刃へと変貌を遂げた剣槍を掲げ、大上段からの斬撃をあらん限りの力で叩き付けた。

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