第4話 1-4

 一団は、一軍と二軍のふたつに分けられた。数の振り分けはそれぞれ八十人。合計で百六十人だ。

 当然の如く、セツナの率いる集団が一軍となった。一軍にはほかにもサカキ、ミナ、フミコがいる。

 そして、二軍はサブリーダーの魔術師が率いることになった。二軍にも精鋭の面々が半々に分けられており、共鳴晶術が扱える人間も均等に配置されている。

 この振り分けは、仮にどちらか片方が脱落したとしても、最悪、もう片方が調査を続けられるようにと配慮した結果だ。

「あー畜生。あっちは華があっていいよなー。こっちは野郎ばっかだぜ」

「文句を言うな。この俺様の華麗な魔術が間近で見られるんだぞ。涙を浮かべて喜べよ。そして称えろよ」

「へいへいすんません。頼りにしてますよ、魔術師サマ」

 リーダーである魔術師と、それを補佐するカツジに率いられ、二軍は少し距離の離れた枝を進んでいる。

 サカキは遠巻きに男ふたりのよもやま話を見届けると、続いて足元を見た。

 ――やっぱり……何か変な感じがするな。

 幾星霜もの果てに生まれた、大樹の枝道。

 その真下から這いずる仄暗いが、さきほどから絶え間なくサカキの本能を刺激してくる。

 そしてその【異常】に気付いているのは、どうやらサカキひとりだけらしい。

 ――敵か? それとも瘴気の類か? いや、これはそんなものとは呼べない別の何かか?

 理解不能なその感触に、サカキはどうすべきかと逡巡した。

「どうしたのソーマ君? もしかして、高いところは苦手?」

「大丈夫ですか? 心配なら手を繋いであげましょうか?」

 横からひょっこりと、少女ふたりがサカキの顔を覗きこんできた。

「あ、いや、そうじゃないんだ。少し、考え事をしてただけだから」

 サカキは手をぶんぶんと振って否定した。

 さきほどから無言で歩き続けていたサカキの様子。それが「高所恐怖症か何かなのでは?」と、彼女たちに誤解を与えてしまったらしい。

「そうなの? でも、顔色がちょっと悪いような…………」

 心配して間近まで顔を近づけてきたミナに驚き、サカキは飛び退くように距離を取った。

「ううん、俺は全然大丈夫! それよりふたり平気なんだ!? 高いところは怖くない!?」

 サカキはバクバクとせわしなく動く心臓の音を聞きながら、しかし、そこで自らの失敗に気付いた。

 ――しまった。これじゃまるで、『自分は高い所が苦手なんです』って言ってるようなものじゃないか。

「いや、誤解しないで欲しい」と、懇願に近い目でサカキは訴えた。

 だが、やはり無駄だった。

「私は慣れていますけど……ソーマ君、やっぱり高い所が苦手なの?」

「あの慌てぶりはそうですね。知り合いの子もそうでしたから、きっとそうです。男の子は強がっちゃうので、わたしたちが気付いてあげないと駄目でしょうね」

 フミコは悪魔の微笑みで、ミナをそそのかす。

「その顔は絶対わかってやっているな!?」と、サカキは恨みがましい目をフミコに向けた。

 だが、フミコは「ふふん」と一笑に付すだけで、悪びれもしない。

 ――なんてことだ。このままでは、高所恐怖症のレッテルを貼られてしまう。自分のアバターは百メートルの高さから飛び降りても無傷なほどなのに、そんな評価を受けてしまうのは忍びない。いや、何よりも、男としてそんな不名誉を被ることは絶対したくない。

 なんとかならないのかと必死に考えを張り巡らせた。

「ハッ……!? そうだ……!」

 こんな時は、昔からの知り合いに誤解を解いてもらう方法が一番だ。

 そう閃き、サカキはカツジに助けを求めることにした。

「カツジ! ちょっと助けて欲しいんだけど!」

 付き合いの長い友人は、サカキの顔色の変化に気付くと、それで直ちに察してくれたらしい。

 頼もしく頷き、大きな声でこう言った。

「どうしたソーマ!? まさか、高い所が怖くなったのか!?」

「また!?」

 バッと目を向けると、カツジは『ビシィッ!』と良い顔で親指を立てた。

「いや!? 別に『グッジョブ!』じゃないよ!?」

 友の裏切りを非難する。

 すると、サカキのすぐ後ろで足音がした。

「ふふ……やっぱり、そうだったんですねサカキくん」

「フミコ! これは私たちがなんとかしてあげないと!」

 どうやら、逃げ場はもう無いらしい。





 ――は、恥ずかしすぎる……!!

 サカキは身悶えたくなる羞恥に呻くと、苦渋の汗を垂らした。

 現在、両隣を少女ふたりに挟まれ、その両手を握られている。

 それぞれ横を見れば、ニコニコと笑うミナと怪しく笑うフミコの顔が。

「大丈夫だよソーマ君。私たちがしっかりと握ってるから、絶対に落ちないよ」

「そうですよ。男の子なんですから、我慢できますよね?」

 もはや扱いは幼稚園児並だ。女の子と手を繋げて嬉しいだとか、漂ってくる良い匂いが気になるだとか、そんなことを考えている余裕は一切無い。

 サカキの前を歩くパーティメンバーたちは、ニヤニヤとした顔を浮かべる者、遠慮なく吹き出している者、恨めしそうに見ている者など、反応は様々だ。

 その視線が突き刺さるたび、サカキは体温が際限なく上昇していく感覚がした。

「少年、お似合いだぜ」

「若いなぁ。オレも若い時は結構いけてたもんだが」

「あああ……クソリア充が……このエリア一帯ごとふっ飛ばしてやりてぇ……」

「ふふふ、赤くなっちゃって可愛いわね。私も、手を繋いであげようかしら?」

「ううぅ……。頭がクラクラする、胸の動悸も早い……。俺も高所恐怖症かもしれん」

「お前のはただの高血圧だろ」

 まるで動物園の猿の気分だ。――いや、これは捕まった宇宙人の気分か? あちらこちらから飛び交う野次と失笑にサカキは顔を赤らめ、早く終わって欲しいと切に願った。

「駄目ですよ、笑うのは失礼です」

 そのような中でもいかにも育ちが良さそうなセツナは、事情を汲んで、笑っている人間たちに自制を促していた。

 だが――。

「セツナ……笑いたかったら笑っていいんだよ。そこまで無理するのは逆に失礼だから」

 優顔の頬をピクピクと痙攣させている様は、いっそ、思い切り笑われた方がマシだった。

「す、すみません……。そのような気など微塵にも無いはずですが……」

 セツナは、せめて爆笑はしまいと「変な顔」程度に留めると、急に明後日の方角を向いた。

 ……どうやら限界が来たらしい。

「なんでこんなことに……」

 がっくりと肩を落とす。

 しまいにはファウンダー用の携帯端末まで掲げ始めた人間を目で威嚇すると、そこで面倒臭くなってサカキは顔を下ろした。

「ああ、そういえば……」

 忘れていた。八十人ほどの人間が乗ってもビクともしない立派な大枝。その真下、大穴の底から何かの気配を感じたせいでこんなことになったのだ。

 ――やっぱり、何かがおかしい。

 違和感はさきほどと同じく敵の放つ殺気のようにも思え、または瘴気のようにも思え、またはそれとは別種の力のようにも思えた。

 どう考えても不自然なは、到底ひとつの存在が放てるようなものではなかった。

 ――気配が……混ざってる? いや……どちらかというと、気配同士が拮抗しているのか?

 しばらく考え、そして頭の中にひとつの言葉がちらついた。

 そうだ。この状況はまるであの言葉を指している。たしかその言葉は……。

 ――三すくみ。

「まさか!?」

 サカキは急いで顔を上げ、周辺の全てを警戒した。

 視界の微細な変化を逃さず、空気の流れの異常を逃さず。不自然な音があれば耳を、匂いがあれば鼻を。あらゆる察知能力を用いてを探した。

 近い。さきほどよりも遥かに近い位置にはいる。

「セツナ! 近くに何かいるぞ!」

 説明を省略して呼びかけると、セツナは怪訝な面持ちでサカキを見返した。しかしその意味を理解すると瞬時に切り替え、全体に警戒するように指示を出した。

 ――下は……いない。左右は……変化なし。ということはやはり……。

「上か!?」

 唐突に迫り来る気配に叫び、ミナとフミコを抱えて跳び避けた。

 遅れること一秒。

 空から巨大なが降り注ぎ、大枝に衝突すると、それは緑煙を噴き出して大爆発を引き起こした。





「ディセットさん、危険だから下がってて」

「うん……。あ、ありがとうソーマ君……」

「フミコさん、ディセットさんを頼む」

「はい。任せてください」

 ミナを離れた位置で下ろし、フミコに護衛を任せると、サカキは急いで爆発の中心部へと戻った。

 レッドランサー・イフリートを呼び寄せ、立ち込める濃煙と対峙する。

「サカキさん、敵ですか!?」

「多分ね」

 駆け寄ってきたセツナに答えると、サカキは油断なく現状を確認した。

 いましがたの爆発に巻き込まれ、大枝から落ちてしまった人間は四、五人程度だろう。爆発の規模から考えれば、被害は少ない方だ。

 続いて爆発の中心部。大枝の表面の樹皮は無残にも削り取られ、その奥の白太まで見事に裂けていた。

 ピシピシと圧力に屈する嫌な音に続き、削り取られたばかりの木材の湿った匂いと、熱に焼かれた匂いがサカキの鼻腔をくすぐった。

 遅れて、濃煙が風にさらわれて晴れていく。

 そこにいたのは、一頭のヴィラルエネミーだ。サカキとセツナの視線に応えるように、それはゴソリと身を起こした。

 その正体は、高さだけでも人の二倍ほどもある、非常識な体躯を誇る大トカゲだ。

 シワが深く刻まれた薄茶色の皮膚。背中には筒状の出っ張りがいくつも伸びており、その先からは緑色の蒸気が絶え間なく漏れている。

 大トカゲは一歩二歩と踏み出すと、黄色に濁った眼をギョロリと動かし、サカキたちを睨んだ。

「なるほど、大ボスレイドエネミーのご登場か」

 サカキは、巨大な図体がすぐさま動き出さないように緋槍の切っ先で牽制し、セツナが隊に指示を出せる十分な時間を稼いだ。

 ふと、サカキの耳の奥で電子音が鳴り響いた。どうやら見識判定が終わったらしい。

『見識判定:成功。ヴィラルエネミー:選別の大蜥蜴セレクション・リザード。属性:爆撃、練気。トータルランク:A+』

「A+……! 上位エネミーか……!」

 ルインズアークに存在するヴィラルエネミーには、その強さに応じたランク分けが施されている。

【トータルランク】と名づけられたそれらは、Fランクを最低とし、そこからF+、E、E+、D、D+……と、小刻みに順位が上がっていく。

 そして、オルドナの森で遭遇したグラナイトヘリオンがBランク。ヴィラルエネミーとしては中位格であり、その中では最強クラスの相手となる。平均より上のファウンダーたちを揃えていれば、まだ対処が可能な領域だ。

 それに対してセレクション・リザードのトータルランクはA+。

 れっきとした上位格であり、中堅所のファウンダーたちには任せられない強敵だ。この場でとまともに戦えるのは、精鋭の面々だけだろう。

「セツナ、ほかの人たちを防御陣形で下がらせてくれ。余計な損害がでないように、あいつは俺たちだけで対処しよう」

「ええ、そうしておいた方が無難でしょうね」

 セツナは相槌を打つと、一軍全員に指示を出した。

 新たな指示に従い、大盾を持った前衛部隊が前列を構成する。その後ろに後衛部隊がつくと、防御陣形は完成した。

 ――これで準備は整ったか。

 すぐ後ろに駆けつけた精鋭の面々を、サカキは気配で確認する。そして白の刺突槍を構えたセツナと呼吸を合わせ、攻撃すべき機会をうかがった。

 そして、互いに前に出ようとした矢先のことだ。

「うわ!? こいつらいつの間に!?」

「後ろだ! 後ろにも敵がいるぞ!」

 後方の集団から、悲鳴が上がった。

「なっ!?」

 サカキは踏み出した足の勢いを一度殺し、振り返った。

 視界には、最後方へと駆けつける前衛部隊の背中が見えた。

 そして、慌てて後衛部隊をかばおうとする彼らの視線の先には、数十にも及ぶトカゲたちがいる。

 その一体一体の大きさは人ひとり分ほどで、たいしたものではない。しかし、如何せんその数は多く、しかも不意を突かれたとあってか、後方は瞬く間に混乱に落ちていった。

「こいつら、どこから現れやがったんだ!?」

「急げ! 後衛は中に入れ!」

 動揺した部隊へと、トカゲたちは容赦なく飛びかかる。

 緑の蒸気を漂わせて近づくと、その体に力を溜め込んで蒸気を爆発させる。

 逃げ遅れた後衛はその爆発に巻き込まれ、次々と消滅し、あるいは大枝から転げ落ちていく。

「クソッ、【尖兵ドローン】がいたのか!」

 サカキは阿鼻叫喚となった後方に駆けつけたくなる衝動を堪え、前方の大トカゲと向き直った。

 ここで焦って救援に向かえば、セレクション・リザードと真っ向から戦える人間がいなくなってしまう。

「サカキさん、どうしましょうか?」

「……ほかの人たちを援護に向かわせる。悪いけど、こいつは俺とセツナで引き付けよう」

「……やはり、それしかありませんか」

 上位格を相手にふたりだけで対処。その厳しい意見にも、しかしセツナは冷静に応じた。

 本来ならば、依頼主であるセツナを戦わせるわけにはいかない。

 だが、極少人数でセレクション・リザードを相手にできるほどの人材となると、一軍にはサカキとセツナしかいない。

「坊主! オレたちが戻るまで無理はするんじゃねえぞ!」

 熟練の戦士に率いられ、精鋭の面々が後方へと下がっていく。

 その後ろ姿を背中で見送ると、サカキは一度だけ深呼吸をした。

 ――……問題無い、やれる。

 そして十分に心を落ち着かせると同時。

 突如、セレクション・リザードがその大口を開いた。

 サカキとセツナは反射的に横に跳び退いた。

 遅れて放たれた緑の蒸気弾が大枝の表面で爆ぜ、樹皮を盛大に砕く。

「――遠距離砲撃……蒸気を固めて作った砲弾を放って、触れた瞬間に爆発を起こす攻撃か……」

 厄介な能力だと目を細めた。

 恐らくは、あの緑の蒸気が爆発を引き起こす燃料となっているのだろう。

 となれば、背中の筒から絶えず空中に散布されている蒸気の前では、引火する可能性のある、【炎熱】と【爆撃】属性の技を使うのは危険ということになる。

 サカキは一瞬で状況を整理すると、緋槍を握り直して地を蹴った。同時にセツナも動く。

 二槍の突撃力を生かしてセレクション・リザードの左右から回り込み、挟撃する。

『破ッ!』

 タイミングを合わせて突き出した赤と白の二槍。

 しかしその刃は、セレクション・リザードが遥か頭上に跳躍したことによってあっさりと空を切った。

「――ッッ!?」

 巨体に似合わぬ意外な機動力に、サカキとセツナは揃って瞠目した。頭上の枝に上下逆さまに張り付いた大トカゲを観察し、しかし「それも当然か」と思い直した。

 セレクション・リザードの持つルーンコード――【練気】属性には、エネルギーを増幅する力がある。その能力を用いて、身体能力を極限まで強化しているのだろう。

「これは随分と面倒な敵ですね……」

 セツナが苦笑する。

 エネルギーを増幅させる練気属性と、純粋なエネルギーを爆発させる爆撃属性の相乗効果。単純明快にして、これほどわかりやすい親和性を持つ組み合わせも無いだろう。

 そしてこちらは大枝の上で仲間を守らねばならないというのに、相手は自由に大枝の間を跳び回れ、そして一方的に遠距離攻撃ができるというのだ。面倒なことこの上がない。

「おまけに俺の得意分野は使えないときたもんだ」

 サカキは、小馬鹿にしたように舌を出した大トカゲを睨み据え、一度だけ深くため息をついた。

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