Scene52 天才と狂気は紙一重
❶
北村ジュンは機動隊員によって完全に身動きを封じられたまま、特殊車両に残った。
まぶたに傷がある警察官が運転席につき、もう1人の警察官がエルグランドに乗り込んだ。特殊車両のグレーの車体とエルグランドのパールホワイトの車体が、それぞれに朝陽を照らしている。
特殊車両の警察官が窓を開け、葉と角瓶と透に向かって、いろいろと協力してもらって、ありがとうございましたと
「はぁ・・・・・・」
車が大学図書館の向こうに消えた後、葉ががっくりと肩を落とし、両膝に手をやった。
「疲れました・・・・・・」
「お疲れさん。それにしても痛快だったね。君は大きな人助けをしたんだ」
角瓶は、真夏なのに厚みのあるツイードジャケットを着ているにもかかわらず、涼しい顔をして自分の弟子をねぎらった。
「いやあ、それにしても、とんでもない男だったな。あんな奴がこの世に潜伏してると思うと、ぞっとするよ」
角瓶は正門の方角を見ながらそう言った。
「ある意味、ものすごい才能だと思いますね」
透は思いの丈を述べた。
「天才と狂気は紙一重っていうけど、まさにその類いだな」
角瓶が言うと、葉が問いかけてきた。
「先生、その天才と狂気を分けるときの決め手って、いったい何でしょう?」
「うーん、なかなか興味深い質問だなあ」
角瓶は組んだ腕で顎髭をさすりながら眉間に皺を寄せた。
「人間性なんかなあ・・・・・・?」
「僕は、出会い、だと思います」
透の頭の中にはいろんな人が浮かんでいる。
「出会い、ですか?」
葉は顔の角度を透に合わせた。
「運とも言えるかもしれません」
「私は、教育だと思うな。人として大事なことをちゃんと教えてやらないと、あんな人間が出来てしまう」
角瓶は実感を込めて言った。
「でも先生、結局、それって、どんな人と出会うかっていうことにつながっていませんか?」
透が言うと、角瓶は口元に力を入れた。
「そう考えると、はなはだ残念としか言いようがないよ。人は皆一生懸命に生きてるのは分かるが、それだけじゃだめなんだ。人として、まっとうな生き方があると思うね」
「工学部の教授でも、そんな文系的な考えをお持ちなんですね」
透が言う。
「文系も理系も関係ないよ。俺はそもそも美形だ」
角瓶はそう言い、透を見てにやける。
「先生、ダジャレのセンスが昔から変わってないんですけど」
「山下さんと角瓶先生は昔からのお知り合いなんですか?」
ダジャレに反応しなかった葉が、話に入ってくる。
「お、そういえば君には伝えてなかったかな。私は、昔は高校の教員をやってたんだ。山下君はその時の生徒だ」
角瓶はどこか誇らしげだ。
❷
落ちこぼれだった自分に声をかけてくれたのが角瓶先生だった。
角瓶先生は高校1年生の時の担任で、物理の担当だった。進学校に入学してしまったために、テストでは下から数えた方が早い順位だったし、夏休みが明けてからは、授業について行けなくなった。
「いいかい、山下。君が人間性インターハイに出たら、県内でベスト4には入るぞ」
角瓶先生は何度もそう言った。
自分はそんな大した人間じゃないです、と透は答えた。
「何を言ってるんだ、君は優しいじゃないか。林のサポートを一番やってる」
林というのは脳性麻痺の生徒で、車いすで学校生活を送っていた。
「どこの大学に入るかっていうことも大事だけど、人生は大学じゃ決まらんよ。優しい人間が最後は幸せになれるんだ」
結局大学入試は思い通りにならなかったし、その後の暮らしも平凡だと思っている。でも、人生の節々でその言葉を思い出しては励まされる。
❸
「私も角瓶先生の研究室に入れて、ラッキーなんです。私は東京の大学に通っていたんですが、先生の論文に感動して、大学院は絶対にここに入りたいと思ってたのです」
葉は誰もいない研究棟の談話スペースに座り、自動販売機で買ったペットボトルの麦茶を飲みながら言った。
元々高校教師だった角瓶だが、こんな優秀な留学生から信頼されるあたり、相当なペースで研究を重ねていったのだろうと透は想像した。
「いや、でも、今回の事例は驚愕のケーススタディになるだろうな。サイバー・バイオハザードの一歩手前だったわけだから。葉君、気多順一郎のパソコンから抜き取ったデータを、ちゃんと保存しておいてくれよ」
葉は頷いた。
「それと、MaCの解析もやってほしい。脳波の情報は医科大に提供して、きっちりと実証してもらうように言っとかないといけないな。理系研究者の間じゃ、世界中に3人は同じことを考えてるって言われるくらいだから、学会発表して、先手を打っとかないと、とんでもないことになりかねない」
角瓶は完全に大学教授の顔つきになっている。
透は、研究モードになった2人に丁重な礼を述べ、タクシーで京都駅に向かい、そのまま9:57ののぞみで山口に帰還した。
新幹線の中では体が墓石のように重く感じられた。
これで、何かが変わるかもしれない。
そう思った瞬間、ブラックホールのような睡魔に引きずり込まれた。
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