Scene51 オープンマインド
「気多さん、あなたが原子力プラントに入り込んで意図的に事故を起こした5年前から、サイバー技術は飛躍的に進化してるんです。コンピュータの性能も桁違いだし、今はAIを活用するフィールドも広がっています。それに伴って我々技術者や研究者たちのスキルやモラルも向上してるんですよ」
葉は小学生に諭すような口調で言う。
「あなたの意欲はたしかにものすごいし、脳医学の応用などわれわれのレベルを超えたものもあるけど、残念ながら、トータル的にはあなたはかなり時代遅れですね」
葉はそう続けた後、左目を軽くこすった。
「というわけで、今回の緊急プロジェクトはうちの研究室の威信をかけて行ったわけだ。なにせ時間との勝負だったからみんな徹夜でやり遂げたけど、お陰で事なきを得たというわけですな。今日、大学の中に人がおらんかったでしょ。なんでか分かります?」
角瓶の言葉に北村ジュンは黙秘をもって応じる。
「今日はね、君が登場すると言うことで、念のため、学内全て立ち入り禁止にしてもらったんですよ」
北村ジュンはかすかに息をしていた口を開けたまま固まった。
葉が話を続ける。
「もっとも、実験施設の爆破なんて絶対にあり得なかったですよ。あなたが必死になってパスワードを解いて侵入した施設内のLANもダミーなんですから」
口を開けたままの北村ジュンは、かすかに首を傾けた。
「俗に言う、フィッシングサイトですよ。本物そっくりに作り込んだ架空のサイトの中で、架空のネットワークシステムを作ったんです。つまりあなたが必死に解いたパスワードもダミーだし、あのネットワークは、どこにもつながっていません。お陰で、あなたのパソコンの情報もすべて入手できました。あれこそ我々大学院生と企業とのコラボによる超力作で、36時間ぶっ通しで完成させたものです。どうでしたか? 架空のものとは思えないほどのクオリティだったでしょ?」
北村ジュンの口は次第に閉じ、白い歯を剥き出しにして睨み付けた。
クッソー、ふざけやがって・・・・・・
「そもそも今の実験施設は、ネットワークセキュリティが強固になってるから、いくらあなたのようなご熱心なクラッカーが侵入を試みようとしても、一晩や二晩で崩せるわけがありませんよ。本学のネットワークに入ろうとしたところで、全く歯が立たないと思いますね。そもそも我々はその道の研究のフロントランナーですよ」
シールドの貼られた特殊車両の窓から入る日差しが強くなってきている。葉は表情を変えぬまま話を続ける。
「考えの甘いあなたは、我々の策略にまんまとはまったわけです。我々はあなたを確実に警察に引き渡したかった。私はあなたのパソコンに保存してあったデータを見て、愕然としました。アンパンマンも言ったとおり、あなたはきちんと裁きを受けなければなりません」
「分かった」
北村ジュンは口を開いた。
その瞬間、冷房の効きすぎた車内の空気が、さらにひんやりとした。
「言うとおりにするから、1度だけ、車に戻らせてもらいたい」
「なぜ?」
警察官が言う。
「忘れ物をした」
「何を?」
「指輪だ。どうせ俺は今から長いこと拘束される。だから、愛する女からもらった指輪をはめときたい」
「分かった、いいだろう」
警察官がそう言って立ち上がりかけた時、葉が声をかける。
「その愛する女性って言うのは、川島怜音さんですか?」
北村ジュンは言葉を詰まらせる。
「ちゃんと教えてください」
「俺には黙秘権がある」
「分かりました。警察官の方、この人は自爆するつもりです。さっきご覧になったでしょ、助手席に手を伸ばそうとした。この人は手榴弾を携帯しています。万が一の時には自爆する覚悟が出来てるんです。イスラエルにこの人の親友がいます。その人物はハッカーと呼べます。でもその人物は大変な苦学者で、カネを求めている。彼はこの人の全てを知らないままに、多額の資金と引き替えに武器を送付してくれているのです。この人のパトロンが川崎怜音という女性です」
「本当か?」
一旦立ち上がりかけた警察官は再び座って聞いた。
北村ジュンは、一瞬のうちに十歳老けたように見える表情で虚空を見つめている。
「気多さん、あなたは研究者としてはきわめて優秀な資質を持っています。多くの人脈もあるし、プログラムも自在に操れます。あなたが作ったMaCは我々にも簡単には解読できないほどの複雑なアプリケーションでした。脱帽です。このままいけば、人間の脳をハッキングする日が確実に来たことでしょう。でも、本物のハッカーは、あなたみたいな本物のクリッカーを本当に軽蔑します。ハッカー文化の神髄とは何かをご存じですか?」
北村ジュンは何も答えない。
「公共性ですよ」
車内の空気がまたぴりっと引き締まる。
「本物のハッカーは情報を常にオープンにします。どれだけ自分が汗水流して作り出したソースでも、すべてオープンにします。本物のハッカーは秘密と独善を何よりも嫌うんです。彼らはハッカー文化全体の進歩に喜んで貢献するのです」
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