Scene24 答えは必ず存在する

「本日のミッションは、本当にこれにて終了かもしれませんね」

 北村ジュンはMaCを閉じ、背伸びをしたまま手にはめたデジタル時計を見た。

 19時を過ぎている。

「おそらくホテルに入ったんでしょう。サングラスを装着する気配がありません。それとも、もう少し張り込んでみますか?」

 怜音は北村ジュンに呼応するかのごとく、くたびれた表情を浮かべてソファにもたれた。

「これからどういう計画でいこうかしら?」

 北村ジュンは動かなくなったソースコードの羅列を見るともなしに見ながら、きちんと座り直し、白いTシャツから出た細い腕を組んだ。

「怜音さんはどうお考えで?」

「いいわよ、私は。あいつを殺してしまえば、どんな計画だって構わない。ただ、こうやってじっと見ているのもつらいから、どうせなら早く片付けて楽になりたいっていうのはあるわね。楽になれるかしら?」

 間接照明にライトアップされた怜音は、顔だけ北村ジュンに向けた。


「なれますよ、きっと」

「きっと?」

「ボクの言う『きっと』とは、かなりの高確率で、という意味ですよ」

「じゃあ、かなりの低確率で楽になれないこともありうるわけね?」

 北村ジュンは魚がエサを吐き出すかのように、口を開けて息を吐いた。

「怜音さん、そもそも人間のすることなんて、っていうことはありえませんよ。どんなことでも失敗が想定されるわけです」

 怜音は細いフレームの眼鏡を外し、白いアルミの窓枠に置いた後、つぶやいた。

「絶対なんて、ない」

 大脳の奥に刺激が走ったのを感じ、同時に眩暈が襲ってきた。

 頭の中には夫であるアーロンの肖像が、プロジェクションマッピングのように浮かび上がった。


 アーロンは怜音が高校生の時の家庭教師だった。

 彼はアイルランド人の父と日本人の母の間に生まれたハーフで、小学校から日本で生活していた。東京の法科大学院の学生で、国際弁護士を目指していて、怜音の父が経営する不動産会社に出入りしていた。


「アーロン君はとても優秀だからな、何でも聞きなさい。英語とドイツ語も喋ることができる。だからといって、デレデレしちゃだめだぞ。ちゃんと勉強をするんだ」

 初めて彼が家に来たとき、家庭教師を依頼した父はそう言った。

 その言葉は予言だった。1ヶ月も経たないうちに、彼に恋に堕ちた。


 高校3年生だった怜音は、とにかくアーロンに褒められたい一心で勉強し、成績を伸ばした。自分が彼に認められるのは、成績を上げることしかないと気づいていた。


 それにしても、白い肌でブロンズヘアのアーロンが、大学入試の問題を美しく論理的な日本語でていねいに解説してくれるというのは、驚き以外の何物でもなかった。

「入試問題を解く大前提を教えてあげるよ。『すべて実在する原理は実行される』という事実さえきちんと認識すれば、問題は解けるんだ」 

 あるとき彼は、息を吹きかけるかのように言った。

「ごめんなさい、私には意味が分からない」

「そうだよな、怜音ちゃんはまだ高校生だからな」

 アーロンは笑ったが、怜音には自分が低く見積もられているような気がして心が風船のように割れそうになった。

「ちゃんと教えてください」

「分かりやすく言えば、入試問題において、答えは必ず存在するってことなんだよ。僕が高校生の時は、そのことをはっきりと自覚していなかったから、けっこうきつかったよ。答えはいつも霧に包まれていて、そこにたどり着けるかどうか不安で仕方なかった。だから問題を見ると萎縮して、頭が働かなかったんだ」

 アーロンはそう言い、両手で頬杖をついた。

「今、こうして法律の勉強をしているとね、世の中の問題って、数学の問題みたいにきちっとした答えが出ないことの方が多くて、すごく難しいんだ。その点、入試問題は必ず答えが用意してある。所詮は出題者が作成したペーパーテスト、2次元の世界の出来事にすぎないんだよ」

 この人の日本語は自分には良く理解できないと思った。

 でも、諦めたくはなかった。自分の存在を、彼と対等な地平に立つ人間として認めてほしかった。

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