Scene17 亡き恋人のシルエット《アーロンの場合1》

 目を開けたとき、やぐらの奥にある実朝の墓石が見えた。

 あの世に行ったのだ。これで少しは楽になれるかもしれない・・・・・・

 だが、傾きかけた陽光は岩肌を明るく映している。蝉の声もする。緑の匂いも強烈だ。


 泰彦の姿はアメーバのような不規則な形の影として漠然と存在している。

「ごめんなさい、ほんとに、ごめんなさい」

 眩暈の残響がひどい二日酔いのように頭の中に広がっている。この世とあの世の境目が分からない。


「無理しなくていい。じっとしておくんだ」

 透は彼女の肩に手をやる。明子は感電したかのように反応し、死人のように白目をむいて、よだれを垂らし、判別のつかない言葉を発する。

 ただちに新幹線に乗って山口に帰ることを透は本気で考えた。


「もう、だいぶキテますよ。スコアの振幅が大きくなってますね。さっきよりもヤバい状態です」

「ヤバいって言うのは、もちろん良い意味ね?」

「まあ、怜音さんにとっては、そうでしょうね」

「あなたにとっても、でしょ?」

 北村ジュンは無理矢理口角を上げながら、中途半端に首を傾けた。


「今日はこれくらいにしときましょう。本当に逝ってしまいますよ」

「ちょっと待って」

 怜音は2つの手のひらを北村ジュンに向けて広げた。


「このまま一気に攻勢をかけてもいいんじゃない」

「マジっすか?」

「あいつは今1人じゃないわよね?」

「ちょっと、そこまでは分からないけど、基本的には男がそばにいるでしょうね。仮にもし1人だとしても、相当ひどい状態でしょうから、通行人か誰かが声をかけると思いますね」

「グーグルマップで確認できないの?」

「残念ながら、技術はそこまで追いついてませんね。そもそもグーグルみたいな公共性の高い企業はまず個人情報の保護みたいなハードルが課せられるでしょうから、あまり頼りにはなりません」

「なるほどね。じゃあ、私たちはイマジネーションの中でいろいろと楽しめばいいってわけね」

 生身の深川明子がどうなっていようと、画面上の操作なら何でも出来るような気がしてきた。

「一気に攻勢かけるとどんなリスクがあるかしら?」

「うーん、どうですかね。警察がどこまで本気で捜査するかにもよりますね。彼らの想像力じゃ、ボクの研究など及びもつかないから、心不全による突然死として処理されるとは思いますよ」

「じゃあ問題はない」

「でも運悪く、御熱心な警察に当たってしまえば、検死するかもしれませんね。ただ、もしそうなったとしても、医者だって分からないでしょうけどね」

「それならなおさら、男の前で今殺してもいいじゃない。男が証言してくれるわよ。気が狂ってそのまま死んだって。鎌倉だから、どうせ墓は近くにあるでしょう」

「行きますか?」

「行きましょう」


 北村ジュンはソースコードの画面の中のアルファベットの文字列を凝視し、キーボードに両手をかけた。手はかすかに震えている。

「怜音さんがやれって言うんだから、やるしかねえ。あとはどうにかなるだろう」

 風船の空気が抜けるようにことごとく息を吐く。

 あの時と同じだ。深川泰彦をあの世に葬り去った、敦賀の原発を攻撃した時の記憶がこの両腕に染みついている。

 俺はもうすぐ次のターゲットを殺す。


「いよいよ、エンターテイメントの始まりね」

 怜音は隣で無責任にはやし立てる。包帯を巻いた右の手のひらを握ると、かすかな痛みとともに、アーロンのクールな笑顔が脳裏をよぎる。

「ついにリベンジの時が来たのよ!」

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