Scene16 寿福寺

「鎌倉って、昔は血生臭い場所だったみたいよ」

 明子は、清潔感漂う住宅地を歩きながらそう漏らした。

「血生臭い?」

「実朝が鶴岡八幡宮で首を取られて暗殺された夜に、100人以上の御家人たちが一斉に出家を遂げたらしいの。忠誠を誓っていた御家人たちにとっては、実朝の死はものすごくショッキングだったんだろうね」

 本当に血の臭いが届いてくるようだ。

「その頃の鎌倉といえば、内乱の連続でね、和田合戦なんかはその典型ね。昨日の味方は今日の敵とでもいわんばかりに、多くの人が殺された」

「ということは、この辺りも戦乱の舞台になった可能性があるんだろうな?」

「この道の下には、まだ武士たちの骨が埋まっているかもしれないわ、真面目な話」


 2人の前には寿福寺の総門が現れた。

 色褪せた朱色に覆われた、武家屋敷の門のような質素な作りだ。今までの血生臭い話に、いかにも似つかわしい佇まいだ。

「ほんとだ、鎌倉五山第3位とは見えないね」

「でも、私好きよ、こんな感じ。心が癒やされる」

 明子はそう言い、パワーグラス越しに全景を見渡した。


 まっすぐに伸びた参道の先には、遠近法の文脈に則って正確に描かれたように山門が小さく見え、そのまた先には仏殿がさらに小さく顔を覗かせている。

 背景は盛り上がるような緑で、いろんな種類の蝉が合唱するかのごとくいろんな所から鳴き声を響かせている。


 総門をくぐり、長い参道を歩く間、2人は無言だった。透は、きっと自分と明子は別々のことを考えているだろうと思った。


 参道は山門で突き当たる。門は柵で閉ざされ、それ以上奥へと進むことができなくなっている。苔むした参道の先にはひっそりとした仏殿が見える。

「えーっ、残念、ここで終わりなの?」

「いや、この道を通れば奥に行くことができそうだ」

 透は左に進む迂回路を見つける。


 2人は再び無言で細い道を進む。

 今鎌倉にいることが信じられない。まるで萩の山道をさまよい歩いているようだ。

 その時、緑色のシミにまみれた看板が2人の目に入った。


 落石の危険があるためこの中には入れません。

 実朝・政子の墓へは

 左に突き当たってから

 右へ迂回してください

 寿福寺・鎌倉市


「ここには、実朝のお墓があるのね」

 明子は声を低くした。

「なんだか、いろんなことがつながってるね」

「ほんとね。ひょっとして、実朝に引き寄せられてここに来たのかもしれない」

 明子はまたそんな不吉なことを言った。


 看板が示すとおりに進むと、本殿の裏側を廻り、少し開けたところに出た。岩肌に囲まれ、そこには小さな洞穴みたいなものがいくつかある。

 やぐらだ。

 昔の鎌倉の墓はやぐらの中に作られているらしいと、ガイドブックに紹介してあった。

 その中の1つに「北条政子」という札が立ててあるやぐらを見つけた。隣には「源実朝」と書かれたやぐらがある。

 つまり実朝は母親の隣に眠っているのだ。


 明子が額の汗をぬぐった時だった。脳の深いところに重点的な衝撃が走った。強く目を閉じた後、ゆっくり目を開けると、夫である泰彦が立っている。

 彼は表情を曇らせ、首吊りをした人間のように斜め下方向を眺めている。

「死にたくなかった」

 空の彼方から列車の急ブレーキのような軋み音がする。

「死んですべてを失った。一番大きな喪失は、明子、君だよ。君は僕を裏切ったんだ。でも僕にはこの無念を晴らすことができない。分かるかい、このが。だから僕はずっと君のそばに居続けて君を恨み続けるよ。でないと僕は救われない。僕は永遠に君を恨み続けることによって、生き続けるんだ」

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