第4話

 旧ドラモンド邸を訪れた次の日の朝。

 キャサリンは、使用人に『散歩に行く』とだけ告げると、その足ですぐに森に入った。目的はもちろん、もう一度あの屋敷に行って、ジョセフに会うこと。

 昨夜はお父様にこっ酷く叱られた。けれど、ようやくあんなに興味深い相手に巡り会えたんだから、これを逃がす手はない。再びあの旧ドラモンド邸を目指すことに、迷いは全くなかった。

 昨日は森に入ったのが昼過ぎで、あてもなく彷徨った挙句、屋敷に迷い込んだのはとっぷり日が暮れた夜のことだった。しかし、もっと早く、朝のうちに向かえば、日が落ちる前に辿り着けるかもしれない。

 それに、昨夜キャサリンを送り届ける際、ジョセフは旧ドラモンド邸からセシル家の屋敷まで一直線に飛んだため、月の位置などから、どの方角へ進めばいいかは大体見当がついていた。太陽の位置を確認しながらなるべく最短距離になるよう進路をとれば、案外あっさりと屋敷に着けるのではないか。

 いや、辿り着けるはずだ。キャサリンには根拠のない確かな自信があった。

 ジョセフとの出会いだってそうだ。一期一会で終わる関係ではない、これは運命なのだ。昨夜、父からセシル家とドラモンド家の間に横たわる深い因縁の話を聞いて、キャサリンはその思いを一層強くしたのである――。




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「あまり無茶はするなといつも言っているじゃないか、キャサリン!」


 屋敷のファーストフロアにあるセシル候の居室。キャサリンの父セシル侯は、見るも無残な格好で戻ったキャサリンの姿を見て、細い眉を吊り上げた。元々は武門の家柄として名を馳せ、軍功によって爵位を得たセシル家。しかし、時の流れと共にその伝統は薄れ、現在のセシル候は家族と芸術、そしてワインを愛する穏やかな人物である。狩猟は嗜む程度で、初代セシル伯ほどの情熱は持っていなかった。

 セシル候の柔和で端正な顔立ちと整えられた口髭からは、武人の血筋の面影など微塵も感じられない。博識で温厚な、領民から慕われる父セシル候。凡庸な人物というわけでは決してないが、キャサリンには何か物足りなく感じられるのだ。刺激を求め好奇心に溢れるこのキャサリンの気性こそが、むしろ本来のセシル家の血統を色濃く残していると言えるかもしれない。

 キャサリンはしおらしく見える表情を作り、心にもない謝罪の言葉を述べた。


「ごめんなさい、お父様……。すぐに帰れると思っていたの」

「キャサリンのことだから、どうせまた野兎か何かを追いかけていったのだろう。まったく、女だてらに狩猟に凝るなど……マシューにもお前の半分でも勇猛さがあればよかったのだが」


 マシューとは、キャサリンの二つ上の兄である。セシル候によく似た、絵画と音楽を愛する温厚な兄は、狩猟などは野蛮だと言って全く興味を示さない。ややもすると芸術と自分の世界に閉じこもりがちな兄に、さしもの父も最近不安を覚え始めたようだが、今更どうにかなるものでもないだろう。現在は王都で勉学に励んでいるとのことだが、実際はどうせ酒を飲みながらバイオリンでも弾いているに違いない、とキャサリンは思っていた。

 そんなことより。キャサリンは尋ねた。


「ねえ、お父様。あの森の奥に、とても大きなお屋敷があるのが見えたのですけれど、あのお屋敷は誰のお屋敷なの?」


 すると、セシル候はぎょっとした表情でキャサリンを見据えた。


「なに、向こうまで行ったのか?」

「……ええ、あの、ちらっと見えただけなんだけど」

「そうか……ふむ。まあ、マシューとお前には、いずれ話さねばならぬと思っていた。よい機会だから、教えてやろう。今から三百年ほど前、あの地にはドラモンド家という伯爵家の屋敷があったそうでな――」


 そして父は、三百年前のセシル家とドラモンド家の確執、ジョセフとシャルロットの関係と、その後のドラモンド家の没落をキャサリンに語って聞かせたのである。


「……そんなことがあったのね……」

「ドラモンド家が断絶し我が領土となって以降、あの屋敷をどうするべきかは、代々の当主にとっての懸案事項だった。取り壊そうとしたこともあるし、狩りの際の休憩場所として改修する計画が持ち上がったこともある。だがその度に、我らセシル家はもちろん、使用人や職人の中に怪我や急病人が続出し、しまいには、あの屋敷には怪物が出るなどと嘯く者も出始めた。しかし、何より不気味なのは、最早人が寄り付かなくなって長い年月が経つにも関わらず、あの屋敷は朽ちる気配もなく、全く変わらぬ威容を保ち続けていること。家や屋敷というものは普通、住人が去れば瞬く間に風化して朽ちてゆくものなのだが、あの旧ドラモンド邸は、まるでまだ何かが棲みついているかの如く、三百年前の姿のまま。私もこの目で屋敷を見るまでは信じられなかったが、これは事実なのだ。故に、今から二百年ほど前から、旧ドラモンド家の屋敷跡には近づかぬように言い伝えられている。キャサリン、お前もあの屋敷を見たのならわかるだろう。あれには絶対に近付いてはならぬ」



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 ――などと言われて大人しく従うキャサリンではない。仮にジョセフと出会っていなかったとしても、三百年間朽ちることのない館などという話を聞かされたら、やはり強い興味を抱いただろう。しかも、キャサリンの遠い祖先とジョセフとの間に悲しい恋の物語があったと知れば、興味を持つなと言う方が無理筋だ。いかに男勝りな気性の強さを持つとは言っても、キャサリンは思春期の女の子。恋物語は人並みに大好物なのである。


 運命というものが本当にあるのなら、今私の胸にあるこの予感こそが、運命に違いない。

 その確信が、まだ前夜の疲れも抜けきらぬキャサリンの身体を突き動かしていた。


 ハチミツのように甘い見込みで森に入ったキャサリンだったが、昨日歩いた足跡は幸いにもまだ地面に残っていたし、木の枝にドレスの糸が絡みついていたりして、昨夜の足取りは予想したよりも正確に辿ることができた。それらの痕跡と方角の情報を組み合わせれば、狩りのために元より森に親しんでいるキャサリンにとって、目的地に向かうのはさほど難しくない。


 草木をかきわけ、虫を払いながら、キャサリンは旧ドラモンド邸に再び辿り着いた。

 久しぶりに開けた頭上から眩しい陽の光が降り注ぎ、キャサリンのしっとりと汗ばむ白い肌を照らす。動きやすいようなるべくシンプルなデザインのドレスを着てきたつもりだったが、やはり所々切れたり糸がほつれてしまっていた。こりゃまたお母様に叱られるな、と思いつつ、キャサリンは改めて旧ドラモンド邸を見上げる。

 深い森の中に佇む二階建てのゴシック建築の館。磨かれたように白い漆喰の壁と黒い切妻屋根、昨日は暗くてよくわからなかったが、ルネサンス様式のセシル家の居館と比べると華美な装飾は控えられており、静かで落ち着いた印象を受ける。セシル家の居館が今から三十年ほど前に建て替えられたものであるのに対して、こちらは三百年も前の建造物。時代の変遷による建築様式の変化の大きさに、キャサリンは驚かされた。

 屋敷の周囲、かつて庭であっただろう場所には雑草が繁茂しているが、建物自体に古びた感じはない。ジョセフや父の話を聞いていなかったら、この屋敷が三百年もの長きに亘って風雨に曝された建物だとは、露ほども思わなかっただろう。これもヴァンパイアの魔力によるものなのだろうか。

 玄関ポーチに上がり、昨夜同様にノッカーを鳴らしてみたが、やはり返事はなく、閂もかかっていない。キャサリンは遠慮なく玄関の扉を押し開ける。


「失礼しまーす」


 昼間の明るさの中で見る旧ドラモンド邸は、キャサリンの想像以上に荘厳だった。吹き抜けの広い玄関ホール、玄関の上に設えられたトレーサリのステンドグラスから差し込む七色の光が、静寂に包まれた館を幻想的に彩っている。頭上を見上げれば、緩やかな曲線と曲面がいくつも交差し複雑に組み合わせられた美しく幾何学的な構造の天井が目に入った。玄関ホールの前方に伸びる廊下と、その左右に並ぶ扉。昨日入ったのはどの部屋だったろうか、とキャサリンは記憶を辿ってみたが、全く思い出せなかった。玄関からそう遠い部屋ではなかったはずだが――。

 まあ、昨夜視界が確保できたのは燭台の灯りが届く狭い範囲だけだったのだから、思い出せたとしてもどうせ役には立たないだろう。キャサリンは思考を切り替え、とりあえず手前から順に全ての部屋を回ってみることにした。


 目的の部屋は玄関から数えて二つ目の扉の向こうにあった。応接間のような場所だろうか、壁に沿って並ぶ調度品と、重厚感のあるオーク材の黒いテーブル。その上に、昨夜見たのと同じ燭台が置かれている。セシル家の屋敷と比べればやや質素な印象を受けるが、白、黒、茶系統を基調とした落ち着いた空間だ。

 しかし、そこにジョセフの姿はなかった。


 まあ、部屋はこれだけあるんだし、ずっと同じ部屋にいるわけもないか。そう思い、ホールから食堂、居室に至るまで全ての部屋を探してみたが、どこにも人の気配――否、相手は人ではなく吸血鬼だが――はなかった。

 はて、どこかに出掛けたのだろうか。じゃあもう少し待ってみようか。キャサリンは再び昨夜の応接間に戻り、長椅子にどすんと腰掛けた。

 予想以上に早く着いたとはいえ、セシル家の屋敷からここまでは決して近い距離ではない。ドレスはやっぱり汚れたし、昨夜の疲れも癒えきらぬまま朝から歩き続けたため、足腰にも疲労が溜まっている。誰も見ていないのをいいことに、キャサリンははしたなくドレスのスカートをめくり上げ、足を軽く揉み解そうと視線を足元に落とした。


「――ん?」


 その時、キャサリンが視界の端に捉えたのは、長椅子の後方、応接間の隅に置かれた大きな黒い箱だった。縦に細長い六角形で、長さは七フィートから八フィートほどあるだろうか。上部が広く下部が狭い、典型的な棺の形状――いわゆるコフィン型の大きな箱が、これ見よがしに床に横たえられている。

 他の家具や調度品にあまりにも溶け込んでいて、さっきは気付かなかったが、これは……。

 いや、まさか。こんないかにもそれっぽい棺に、しかも床に無造作に置いてあるなんてことは。さすがにただのインテリアだよねぇ?

 とは思ったものの、見つけたからには開けて確かめてみたくなるのが人情というものである。キャサリンは棺に手をかけ、腰に力を入れて、その重い蓋を持ち上げた。


「ふぬぬっ……!」


 およそ侯爵令嬢とは思えぬ低い呻き声を発しながらも、キャサリンはどうにか棺の蓋を開けることに成功した。

 そして、やはりと言うべきか、意外にもと言うべきか。棺の中には、腹の辺りで両手を組み、目を閉じて横たわるジョセフがいたのである。

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