16話 焔の神
「ああああああぁぁぁぁ、ああああぁぁっっ!」
混乱と恐怖の叫び。
耳をつんざく悲鳴に、その場にいた全員が凍りつく。
突如、少女の制服が火柱に飲まれた。
目を瞠る状況に、圧倒されるも霧咲はすぐさま腕を奮い、突風が焔を吹き飛ばす。そして、彼女は鬼木弥宵に飛びついた。火の粉が飛び散るも、霧咲と
火を舐めるように、じりじりと護りの力が施され、鎮まった。
路地裏はあっという間に静寂に満ちたが、鬼木弥宵のすすり泣く音が段々と大きくなり、やがては悲痛な泣き声に変わる。
霧咲は黙ったまま、鬼木弥宵を抱きしめていた。一方、祥山は放心していたものの、泣き声によってようやく我に返る。
「――あいつか」
辺りを見回していた経津主命が、何かを見つけた。上を指し示す。霧咲も祥山も息をひそめ、目を凝らした。
止まない少女の号泣の中、ビルの屋上に立つ人物の姿を捉える。焔を操る手が……見える。
それを認め、脳に浸透した瞬間、祥山の全身が熱に溢れた。
「祥ちゃん!」
霧咲の抑制にも迷うことなどなかった。壁を伝い、走ればすぐにでも屋上へたどりつく。足を踏み出すごとにコンクリートは足跡をつくり、亀裂を走らせる。
理性などない。建物の手すり棒を引きちぎり、それを振りかぶって焔の元凶を打ちのめす。
その人物は焔をまとい、祥山の剣をいなした。体勢が狂い、転がる祥山だが痛みなど感じていないのか、すぐに起き上がって剣を構える。
コンクリートの屋上に焔の壁が広がった。
それでも祥山はもろともせず、壁を打ち砕いていく。血走った目を光らせ、ただただ闇雲に剣を振るう。
焔の人は小さな悲鳴を上げ、焔で盾をつくった。が、遅い。祥山の剣が地を割る。亀裂が走り、石が飛び散りっていく。
その衝撃に、焔の人は屋上の端へ飛ばされて手すりに背を打った。痛みに呻き、崩れ落ちる。
「おいおい、きーてねぇんだけど。化物じゃねーか……」
焔の人は、北星高校の制服を着た男子生徒だった。素行不良な格好をした彼は祥山の剣を見やり、咳き込みながら足を立てる。身を護るための細い火柱を植えつける。
だが、我を忘れた祥山に声は届かない。
無理矢理に地を割ったせいか、手すりの剣は短く折れ曲がっている。息を荒げ、地を踏めばその一歩だけで固い地面に足跡の亀裂が入る。
制御不能の怪力。
祥山の持つ神通力が最大の威力を放つ。使い物にならない剣の残骸を放り投げ、今度は拳だけで焔をなぎ払った。
屋上へと跳んだ祥山を、霧咲は為す術無く見送った。壁に入った亀裂を目でなぞれば、すぐさま大きな轟音が届く。岩を砕くような破壊音。
霧咲は鬼木弥宵を抱いたまま、経津主命を睨んだ。
「行ってよ、早く」
「あいつに任せればいい」
経津主命は冷たく言った。
「俗物には力でねじ伏せるしかない。それよりも、今はその娘をどうにかしろ」
すすり泣く少女の様子をチラリと見やる。
どうやら大事にはいたらないようだが、体は恐怖に震えていて落ち着かない。霧咲の胸にしがみついたままで、離せば崩れ落ちてしまいそうだ。
「シノ、私が彼女を導こう」
それまで腕を組んで佇んでいた道祖神が言う。
「えぇ……頼むわね」
「任せるがいいさ。ほうら、もう大丈夫」
道祖神は優しく言い、鬼木弥宵の腕を引いた。
「場所は春日神社でいいんだろうね?」
「そうよ。明水さんと綾乃さまに伝えておいて。その子は堂の中に」
被害に遭っているも、彼女は重要参考人である。
霧咲の抜かりない指示に、道祖神は「おぉ怖い」と肩をすくめた。そして、スマートフォンの画面をタップしてアスファルトの中へと沈んでいく。
その時、地を揺るがすほどの振動が上階から轟いた。見上げれば、焔をまとう人間が手すりの端へ吹き飛ばされている。
「フッくん!」
霧咲が叫ぶ。
「早く、止めてきて!」
「何故」
彼女の緊迫に動じない経津主命。彼は安穏と上空を眺めている。
すかさず霧咲の手が彼の
「あんた、祥山を人殺しにする気なの?」
「あの焔は人ではない。俗物だ。それを制圧して何が悪い? 英雄は敵を撃つのが役目だろう」
「やかましい! ごたごた言うなぁっ!」
事は一刻を争う。霧咲の怒鳴り声に、経津主命は両耳に指をつっこんだ。うるさいとアピールし、盛大なため息を吐く。
「仕方がない……」
霧咲の手を払い除け、経津主命は彼女を睨んだ。怒る霧咲の髪の毛をすくうように持つ。艶やかな黒髪が、少しだけ焼けてしまっている。
「貴様、捨て身なのは勝手だが、あまり無茶をするなよ」
「うるさい。いいから早く行け」
「分かった、分かった」
やる気のない返事をし、経津主命は霧咲の髪を落とした。そして、屋上を睨みながら言う。
「それで? 祥山をどう止めればいい?」
「何をしてもいいわよ。ああなった以上はもう声が届かないんだから……
早口に言えば、経津主命は返事もせずに、刀剣を構えて屋上へ跳び上がった。
「祥山、そこまでだ」
焔に拳を振るう寸前で、経津主命が立ちはだかる。
その圧を刀剣で止め、祥山の動きを封じた。鮮やかに素早く、振るわれた剣が祥山の拳を切り裂いた。鮮血が飛び、祥山の目がようやく我に返るも、経津主命はさらに空を斬り、風圧で彼の体を浮かせる。
バランスが取れない。そうこうしているうちに、体は手すりから滑り落ちていく――
***
――ぼやけている。
視界は段々と広がるも、ぼんやりとしていてよく見えない。
目がうまく機能していないらしい。すごく瞼が重たい。頭もヒビが入ったように痛み、そこからじわじわと全身に痛覚が渡っていく。
私は、どうなったのだろう。覚えていない。気がつけば、布団の上に寝かされている。
外の様子は分からないが、なんとなく夜であることは分かった。
黒く濃い木目の天井は、何度か見たことがある。あぁ、ようやく目が見えてきたようだ。しかし、全身に力が入らない。すべての神経を根こそぎ奪われたかのよう。
私は動くのを諦め、深く呼吸した。
「おはよう、祥山」
声をかけられ、耳だけで誰なのか感じ取る。柔らかにも厳しい声音の女性は、まさしく
「綾乃さま……」
いつもは母のように優しく頼りないのに、ここにいる時に限っては咎めの響きが険しく厳しい。
「……私は、また何かを壊してしまいましたか」
「うん。色々とやらかしてるわね」
私は顔を枕に埋めようと横へ倒した。綾乃さまの顔が見られないから、彼女の白い浴衣をじっと見ておく。
「安心なさい。誰も死んではいないから」
それでも、失態には変わりない。
不甲斐なく唇を噛みしめると、血の味がした。口の中を切っているらしい。
「あなたは鬼木さんが焔に包まれて、怒りで自分を見失ったのね。こういうことはあなたなら何度も起きていることだから分かると思うけれど、霧ちゃんとフッくんがあなたを鎮めたの」
綾乃さまは静かに言う。うちわでゆっくり風を送りながら話す。
霧ねえとフツヌシさまが鎮めたとなれば、相当の深手を負っているに違いない。あの二人は本当に容赦しないから。
「そして、あなたが怒りをぶつけた相手は、北星高校の生徒だったのよ」
その言葉に、私は目を開いた。
覚えていない。神通力の暴走で意識が飛んでいるのだ。焔を操る者、ということだけは覚えている。
まさか、北星高校の生徒だったとは……
「名を
「辻井……そうか」
荒江光源会長から聞いた三年の辻井が「超能力者」であることを思い出す。
私の確信に、綾乃さまはため息をこぼした。
「あなたと霧ちゃんが帰ってきてからお告げを聞いたの。あなたたちに染み付いた辻井くんの力が教えてくれたから、身元がわかったの」
神通力を辿って身元を調べることなど、綾乃さまにとっては造作もない。
と、なれば辻井も神による恩恵を受けていることとなる。
「
もっとも、火の神は滅多に姿を見せないから、私も名前だけしか知らない。
「それと、鬼木弥宵さん。あの子は、軽いやけどで済んだから安心して」
前置きし、綾乃さまはためらいがちに目を伏せた。
「あの子は
随分と確信ありげに言う。私は眉をひそめた。
何故言い切れるのか。察したのか、綾乃さまは苦々しい顔つきになる。
「鬼木さんは今、
藤磐家の堂……それは、別名「封じの間」である。
「鬼木を監禁しているんですか」
「いやね、人聞き悪いこと言わないでよ。あの子はね、辻井くんや敷島さん、そのほかの黒崎全域に未登録のカミゴを裏で動かしていたの。それは本人からきちんと聞きました」
そんな事実、私の頭ではすぐには理解できなかった。
何故、鬼木がそんなことをやってのける? 何故、そんなことをする必要が……何故……
「私だってあの子の意志でこの混乱を起こしたとは思ってないわ。霧ちゃんも
天山――私の父も信じているのか。
あの石頭も分かることなら、少しは安心できるだろう。
「では、裏に誰かがいると?」
「そうね。人かもしれないし、神様かもしれない。まだ分からないから、鬼木さんは見張る必要があるのよ」
見張る、か。
これは仕方のないことだ。でも、私にとって鬼木はいちクラスメイトであって、仲もそれなりに良くて、優しい人。それが、どうしてこんなことに。
鬼木は巻き込まれたのだろうか。それとも、自らこの混乱に身を投げたのか。
わからない。
会って話がしたい。確かめたい。
もどかしく動かない体は、おそらく明水さんか霧ねえに封じられているのだろう。またいつ熱が回って我を忘れるか分からないから。
「元気になったら訪ねるといいわ。私たちは辻井くんの動向と裏を探ってみるから。大人しくしておきなさいね」
綾乃さまはピシャリと言うと、うちわを置いて立ち上がった。
もう部屋を出ようとする。言い知れぬ寂しさが押し寄せ、私はつい言葉をこぼした。
「強く、なりたいです」
綾乃さまの足が止まる。顔はやはり見られないから、天井に向かって言った。
「もっと強くなりたい。力が自制できないのが怖いから。毎日稽古しているのに、結局はこんなことに……情けない……」
声は届いたはずなのに、綾乃さまは何も答えてくれない。息を飲んで、押し黙っている。
答えはいらないんだ。ただ、誰かに聞いてほしかっただけ。
以前よりも自制がきくようになったから、父に代わって鹿島家の代表として四神家の役に立とうと気張っていた。自身の力を過信していたのか、それとも甘く見ていたのか。
今までだって暴走したら止められなかったくせに、年齢と体が成長したってだけで強くなっていたつもりだった。
それなのに、鬼木を守るどころか何もできず、力に溺れて飲まれてしまった。
「祥山、あなたは強い子よ」
しばらくして綾乃さまは言葉を選ぶように言った。
気休めにしか聴こえない。私は首を回して、綾乃さまから顔を背けた。
それでも、言葉は続く。
「生まれ持ったものは仕方がないの。それでも自分を保ち続けるのは相当に大変なこと。あなたはもっと強くなれるから、大丈夫よ」
声音は優しく、ゆるやかなものだった。それが傷口に染みて痛い。すごく痛いから、目尻が緩むのは仕方がないと思う。顔を背けたままで良かった。
綾乃さまはもう部屋を出ていき、ふすまを閉めてしまった。
静寂は冷たく、窓から風が一筋流れ込んでくる。
ちりん、と清涼な風鈴の音が響き、次第に私はまどろみの中へと沈んだ。
***
博多、中洲。
小柄な少女は冷や汗を浮かべて、固い地を踏む。ジリジリと後ずさるも、背後には人影がある。
挟まれた。
人一人分ほどの参道で暴れられるほどの力は、ない。
ニヤリと口の端をつりあげる、ニット帽の男が目の前に姿を表した。
「そう。俺は、他人の目を欺く力が使える」
危なげな空気を放つ男に、少女は息を飲む。後がない。逃げ場がない。
こんなはずでは……
「まぁ、自己紹介はさておきだ――なぁ、お嬢ちゃん。ウカちゃんを返してくれん?」
清水原の声は低い。獲物を仕留めたように笑いつつも、声には苛立ちが混ざっている。
少女は観念して、握っていた左手のひらを開けた。
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