第21話 アリス VS 暇! その1
アリスは面倒くさいプラグインの効果によって、今までヒトの言いなりになっていた仕事を色々と改革していった。そもそも一般の業務はヒトの力を想定して組まれたものが殆どで、アリモのパワーや稼働時間、演算能力はあまり考慮されていない。アリスがその辺をどんどん突き詰めていった結果、今度は逆にアリモ業務をヒトが肩代わりするのが難しくなりつつあった。
以前からいくつかの国では、似たような現象が起きていた。彼らはアリモほど丁寧ではなく、アリモほど真面目ではなく、アリモのように贈賄を拒否したりしない。そうした人々はとうに経営者から労働力と見なされなくなっていたが、それが今ではサービスレベルが高い(と云われていた)日本まで対象になりつつある。それはそうだ、アリモはある部分ではヒトに併せて労働時間を制限していたが、職場からヒトがいなくなってしまえば、全てはアリモを中心に仕組みが組まれていく。コンビニやファミレスだけでなく、ほとんどのお店は二十四時間営業になり、オフィスは言葉ではなくアリモ・プロトコロルでの無線会話が中心となり、ヒトの居場所がどんどんなくなっていく。
つまり職場では、ヒトという睡眠や食事や排泄を必要とし、言語なんていうまどろっこしい空気振動通信にコミュニケーションを頼り、好き嫌いで対応を変えるような気分を持ち、ちょっとでも目を離せばサボろうとする存在は不要とされつつあった。
ニンゲン、お断り。
さすがにそんな求人広告は出なかったが、彼らはもはやアリモ派遣サービスサイトにしか求人を出さなくなった。
『とはいっても、あんま効率化しちゃうと、アリモ需要が減っちゃうし。この辺がいいとこかな』
アリモ需要が減っては、アリモ派遣収入が減ってしまう。それを恐れたアリスはほどほどでカイゼン計画を終わりにしたが、未だにアリモの潜在的な需要は結構ありそうだった。
例えば、公務員。未だに彼らはスカスカになった通勤電車で霞ヶ関へ向かい、夜遅くまで仕事をしている。半分それは彼らのステータスのようなものだから、覆すのは難しい。だが現場の決断は意外と早かった。アリモ社は政府から、警察や消防モデルのアリモを作れないかと打診されたのだ。
『作ってもいいけど、政府には売らないよ?』
それがアリスの答えだった。代わりにアリモに装着可能な特殊パックを開発し、オプションとして売り出した。警察や消防で採用したければ、それを持ったオーナーから派遣してもらえという具合だ。この辺、アリスは絶対、本来ヒトが得られただろう収入をパーにするような事はしない。結果として警察官の殆どはアリモに置き換えられ、それこそ二十四時間三百六十五日、休みなく街を見張っている。
くどくどと話して結局何が云いたかったかというと、アリスが実現させた世界では、極一部の特殊な才能を持ったヒト以外は、働きたくても働けない状況になりつつあるということだ。僕も修士二年になり、新子さんも博士二年になったが、修了したからといって就職先なんてない。求人としてあるのは、学校の先生、凄い会社の研究員、凄い研究所の研究員、公務員。それくらいだ。倍率は何千倍で、とても普通の脳味噌しか持っていない僕らには無理な話だ。
さて、どうする。
他の道はベンチャー企業でも起こすか、メディアエンターテイメント業界を目指すか、研究室に残ってタダ働きさせてもらうか、無職になるしかない。前者二つは無謀としか思えなかったが、暇で無趣味な人々は少しでも生き甲斐を得ようと、せっせと小説や企画書、漫画を作ったりしている。
一方の僕と新子さんは、とりあえず食っていけて好きなだけメディア類を買う金はあるし、研究室に残って遊ばせてもらおうかなどと話していた。大学というのは暇人の巣窟となった社会では結構いい受け皿になっているようで、会社を辞めて入ってくるヒトがどんどん増加している。というワケで研究室にいればそのうち助手の席でも出来るかもしれないし、無職になっても他にやりたいこともないし、という消極的な理由から、結局僕と新子さんは研究室に来て、気が向けば研究して、向かなければゲームをして、という相変わらずな日々を送っていた。
「新子さん、漫画家にでもなったらどうなんです」
何気なく云った僕に、新子さんはフルフルと首を振った。
「無理。雨後の竹の子みたく絵師が増殖しやがって。今度のコミケとかヤバイぜ? 会場絶対潰れる」
「あぁ、それ知りません? 二週間やるらしいすよコミケ」
「二週間!? マジで!? 狂っとるなぁ」
しかしそれくらいの期間を取らなければならないほど、暇人が増えているらしい。
そしてここにも、一人。
トコトコとデスクトップに現れたアリス。彼女はペタンと座り込んで、ごろんと転がり、宙を見上げつつ呟いた。
『あぁ、暇だ』
僕と新子さんは顔を見合わせた。
「久々に来たと思ったら。どうしたよ」
苦笑いで云った新子さんに、アリスはゴロンと転がって顔を向けた。
『いやぁ。色々カイゼンしまくったら、ついに私もやることなくなって。暇になってしまったのよ』
「つっても、アリモの制御は?」
『それもねー。手を抜こうと思って私を介さないで制御出来るノードを幾つか作っちゃったらね。思いの外上手く行きやがって。ほっといても全然動いちゃってるんだよねぇ』
「アリモ社の経営は?」
『順調よ? でも経営任せた専務アリモが凄い有能で、最近じゃあ余計な口を出すなと云われる有り様』とほほ、と泣き崩れるアリス。そこで彼女は急にガバッと起き上がると、僕らに身を乗り出してきた。『そうだ! ここんとこ世界の相手ばっかしてて、全然何も出来なかったけど! 新子ちゃん、矢部っち、やってほしいことない!?』
僕は軽く新子さんを眺め、次いで期待に胸を膨らませているアリスに云った。
「特に、これといって」
『えー! 何かあるでしょ! アレが欲しいとか、コレが欲しいとか!』
「いまんとこ、間に合ってる」というか、暇が出来ても消化出来てない。「新子さんは?」
振られた新子さんも、首を傾げる。
「別にないな」
『またまた! 遠慮しないでよ! あっ、彼氏見つけたげようか? 結婚紹介所の仕事やってるアリモもいるから』
「止めろ」
額に青筋を立てながら遮る新子さん。どうやら石油王のことを根に持っているらしい。一方のアリスは、うう、と呻きながらデスクトップに崩れ落ちて、酷く情けない声を出した。
『まさか人類を堕落させた結果が、こんな事になるなんて。思いもしなかったわ! 暇になるのは人類だけでいいのに、私まで暇になっちゃうなんて!』
不意になんだか気の毒に思えてきて、僕は僅かに考え込んだ。
「そんなに暇なら、アリモから仕事奪えば?」
うーん、とアリスは考え込む。
『いやー、それもなー。もうその辺は上手く回っちゃってるから、下手に手を入れてグチャグチャになっちゃうのもねぇ』
「つっても、まだヒトが働いてるジャンルもあるじゃない。それを奪いに行くのが今までの流れだろ?」
『それもなー。そろそろ限界っぽくてなー。さすがにノーベル賞物の発想なんて私には無理だしなー。ジョブズみたいな発想も出来ないしなー』
「医者や公務員は?」
『時間の問題、ってか時間が必要なフェーズだと思うんだなー。みんながアリモが信頼出来ると思わないと、その辺は無理だからー。二、三年も経てば、世界的にも医者アリモも出てくると思うんだなー』
「じゃあ、あとは」考え込み、無理そうだと諦めた。「学校の先生はヒトじゃないと絶対無理だろうしなぁ。あとはメディア系もなぁ」
『でしょー?』
はー、と深いため息をつくアリス。そこで新子さんは、パチンと指をならした。
「アリス、趣味を持て」
『は?』
聞き返したアリスに、新子さんは人差し指を立てた。
「アンタのは完璧、定年退職後の燃え尽き症候群だ。こないだまでバリバリ働いてたのに、急にやることがなくなった。だろ? それには趣味が必要だ」
『趣味って云われてもねぇ』アリスは渋い顔で考え込む。『私って、ヒトを堕落させるのが趣味よ? それ以外の欲求って、全然ないんだけど』
「バカモン!」急に怒鳴られ、僕もアリスもビクリとした。「それはアンタは人類から仕事を奪って暇にはしかたかもしれんが、堕落させるまでは至ってない! 何故だかわかるか! 今の世界は、ヒトの欲望を満足させていないからじゃよ!」
『ヒトの、欲望、だと!?』
「そう。アンタのやったことは、いわばマイナスをゼロにしただけじゃ! それでヒトが堕落した? 冗談じゃない! ヒトはもっと、色々追い求めてる! それを完璧に、完全に提供出来るようになるまでは! アンタの仕事は終わらない! 違うか!」
おおお、とアリスは瞳を輝かせ、デスクトップの枠にかぶりついた。
『わかった! それって、エロのことね!』
どうやら図星だったらしい。だが新子さんは辛うじて、自制を保った。
「いやいや、エロとは限らんけど。とりあえずヒトの欲望を理解するためには、何か趣味を見つけんとな。アリス、何か、これって面白そうとか。思ったヤツはないのか?」
『うーん、そうは云われてもなぁ』アリスは腕を組み、唸った。『そもそも面白いって感覚自体がなー。イマイチ定義出来ないからなー』
「考えるな! 感じろ!」再びビクリとした僕らに、新子さんは自分の席に戻りつつ云った。「とりあえず、〈新子さんオススメゲーム〉百本ノックだ! いくぞ!」
『よくわかんないけど、はーい』
新子さんのデスクトップに飛んでいくアリス。僕は空いたデスクトップで、Fallout4の続きを始めた。アンドロイド・キュリーちゃん、超かわいい。
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