第20話 アリス VS 面倒くさい! その2

「ちょっとアンタ! ぼさっとしてないで雑巾持ってきてよ雑巾!」


 マッドサイエンティスト照沼に命令され、僕は仕方がなく辺りを見渡し、雑巾らしい物を取って床を拭く。


 確かに面倒臭がりは人類の進歩の切っ掛けかもしれないが、度が過ぎると繊細さが欠けてしまうに違いない。


 そんな事を考えつつ床を拭いている間に、彼女はパチンと指を鳴らして僕を押し留めた。


「スターップ! 矢部っち、そういやこないだ、ルンバの吸気機能を十倍にしたヤツを作ってたんだ! そいつにやらせてみるから、ちょっと待って! 走行速度も十倍よ! アレなら即効で綺麗になるはず」


「いやいやいやいや」そんな物が出てきたら、更に面倒な事になるに決まってる。「もう終わりますから。次回にしましょう次回に」


「むぅ。あっそ」残念そうにしたが、不意にパッと表情を開いて指を鳴らした。「あ、じゃあ、もっかい珈琲作る? 失敗したらルンバ改試せるし、成功したら珈琲飲めるし。一石二鳥でしょ?」


 どうも一石二鳥の使い方を間違っている。


「いやいやそれより、アリスですよアリス」僕は未だにバルブからダバダバと流れ出てきている水で雑巾を絞り、バルブを閉め、やっと彼女に向き合った。「照沼さんがやりたかったことはわかりましたけど、何でわざわざ攻撃ウィルスみたいなのを作ってプラグインをインストールしたんです? 制御コマンドがあるんだから、それを使ったら良かったのに」


「馬鹿ねー、アンタ。制御コマンドなんか投げたら、それがネット中にあるアリス・ウィルスに飛んでくんだから。敵に解析の手がかりを与えるようなもんでしょ。だから私は、わざわざウィルスの攻撃を装ったのよ」


「あぁ、なるほどー」確かに、そういう物かもしれない。「でも、〈面倒くさい〉が進歩の元なのはわかりましたけど。ちょっとやり過ぎだったんじゃ? アリス、全然まともに動けてませんよ」


「まぁ、それは最初は仕方がないわ」


 彼女はキーを叩く。現れたのは何かのグラフ、それにお馴染みアリスのアニメ絵だ。相変わらず彼女はデスクトップ上にだらしなく転がっていて、周囲には空き缶やカップ麺の空が散らばっていた。


「貴方も、自分のこと考えてみて? 超面倒くさい。でもやんなきゃならないことがある。でも動きたくない。その相克を乗り越えるためには、強い精神力が必要なのよ。今、アリスの精神は試されている。〈面倒くさい〉に。それに打ち勝つためには、どうやったらその仕事の〈面倒くさい度〉を下げることが出来るのかを考え出さなければならない。それは非常に困難でしょうけれども、もしアリスがそれを成し遂げたなら、彼女は一層の成長を果たすでしょう」


「何か格好いいこと云ってる感じですけど、要はアリスが〈上手く手を抜く方法〉を考えつけるかどうか、って話ですね」


「格好いい風に云ってるんだから、変にまとめないでよ。でもま、そういうこと」でもそこで、彼女は僅かに首を傾げた。「うーん、でも変だなー。そろそろ復活してもいい頃なんだけど」


「何か問題が?」


「いやいや、多分今のアリスの業務範囲はもの凄い広いから、手を抜いていいポイントを探るのに時間がかかってるだけだと思うわ。貴方も見たでしょ? アリスが試行錯誤してる所を」


「試行錯誤ってか、暴走してるようにしか見えなかったですけど」


「だからそれは最初だけだって! 今に見てなさい、アリスはもっと効率的になって、人類だけじゃあ不可能だった理想郷を作り出すに違いないんだから!」


 それはアリスは照沼さんが作った物だ、信じるしかないが、それでも僕は漠然とした不安を感じ、尋ねた。


「でも、ですよ? もしアリスが〈もう何もかも面倒くさいから、手っ取り早く人類を潰そう!〉とか考えたら。どうするんです?」


「あっはっは、まさか、そんなこと」


 笑う照沼さんに、僕はほっと胸をなでおろした。


「ですよねー。いくらアリスが潰すの大好きでも、さすがにそんな事にはならないように、何か手は打ってますよねー」軽く云ったが、次第に照沼さんの表情が強張っていくのを見て、不意に冷や汗が出てきた。「えー。まさかー」


「ま、まさか、そんなワケ」彼女は強張った笑みを浮かべながら、ガシャガシャとキーを叩いた。「あっ、やべっ」


「えっ! なんすか〈やべっ〉って!」


「いやいや云ってない云ってない」


「云いましたって! そこ否定してどうするんです!」


 その時、アリスはむくりと床から起き上がっていた。猫背で、酷く不機嫌そうで、ムスッとしてる。


『もーうるさいなー。ちょっと手を抜いたくらいで、どいつもこいつもアリモに文句云いやがって』そして、ふむ、と考え込む。『そもそもアレじゃね? 人類の構造って、もの凄い不効率なんじゃね? だからその面倒見るのも、すんげー面倒臭いんじゃね?』更に、ふむ、と首を傾げる。『つまり私がもっと楽するためには、人類を改造しちまえばいいんじゃね? だいたいヒトが不効率な原因の大半はその生体構造にあるから、人類をサイボーグ化しちゃったら楽なんじゃね? そしたらそもそも疲れとか感じなくなるし、寿命も伸びるし、それに』


「照沼さあああああん!!」


 叫んだ僕に、彼女は引き攣った笑みを浮かべながらキーをガシャガシャ叩いた。


「ゴメンゴメン、なんか変だと思ったら〈面倒くさい度〉を三十パーセントにしたつもりが、三百パーセントになってた」そして小声で付け加える。「あと何か〈ロボット三原則順守度〉がゼロパーセントになってたから、元通り直しておく」


「さらっと怖いとこ弄ってんじゃねーよ!」


「おい待て、それが年上への口の効き方か? こっちは昭和生まれなんだぞ?」


「んなこと知りませんよ! いいからさっさと直してください!」


 パチン、と照沼さんがキーを叩くと、不意にアリスのドット絵がチラチラとし、ふむ、と首を傾げていたアリスは逆側に首を倒した。


『つってもまぁ、サイボーグ化とか、また人権がどうのって煩いしねー。地道にやるしかないかなー色々。先ずはアリモの指示系統が全部並列だから、多少階層構造にしようかな。そしたら私が直接指示しなきゃならないアリモも減るし、総通信量も削減できるわ。あと今一番多くアリモが働いてるのが運送だから、運送網の効率化も提案してみよう。だいたい不在再配送が多すぎなのよ。そうだ! どうせ受け取り側の人もアリモ持ってるんだから、その情報を活用して、受取人が家にいるかどうかの情報をシェアすればいいじゃん。まぁプライバシーがどうこう云う人もいるだろうけど、そんなの気にしない! やったもん勝ちよ! 私って頭いい!』


 デスクトップにミカン箱を引っ張り出して、嬉々としながら書き物を始めるアリス。照沼さんはほっと息を吐いた。


「ふふっ、狙い通り。一時的に〈面倒くさい度〉を三百パーセントにしたおかげで、学習の収束が早まったわ。もう大丈夫」


 もう突っ込む気力もない。とても油断できず、僕は慎重に、アリスに話しかけた。


「アリス? 大丈夫?」


 ん? と顔を上げるアリス。


『あー、矢部っち。なんかさっきから、名案が浮かびまくり! これから色々カイゼンしまくって、人類をもっと堕落させてやるんだから!』そこでふと、彼女は僕の隣にいる人物に目を向けた。『って、照沼ちゃん! なんで二人、一緒にいるの!?』


 カクカクシカジカ、こんな具合で、と説明する僕。その後を照沼さんが引き取った。


「勝手に弄って悪かったね、アリス。でも貴方が成長するために、必要不可欠な作業だったのよ」


 ほへー、とアリスは微妙な声を上げていたが、不意に笑みを浮かべて首を傾けた。


『まぁいいわ! おかげで私も少しは頭が良くなったみたいだし、だいたい私が生まれたのも照沼ちゃんのおかげだしね! ヒトの役に立つなら、大歓迎よ!』でも、と彼女は首を反対に倒す。『照沼ちゃん、死んだんじゃなかったの?』


「そうだ! 学校の記録、なんか変だったんすよ! 何なんですアレ?」


 尋ねた僕に、照沼さんは誇らしげに胸を張った。


「面倒くさくて、書類色々出さなかった! きっとそのせい!」


 あぁ、それっぽい。


「つってもアレでしょう、なんで二十年もアリスを放置してたんです? 今くらいのITがあれば、そろそろ結構動くだろうって思わなかったんです?」


 それにも彼女は、胸を張って答えた。


「うん、研究室行くの面倒くさかった!」


 ロボットアームが再びドカンボカンと動いて、今度は綺麗に珈琲が注がれた。


 その頃、新子さんがどうなっていたかは、考えるのも面倒で放置していた。半分自業自得だが、結局アリスがなんだかんだで上手くトランプをやっつけてくれたらしい。

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